ささやかな日々

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2022年05月06日(金) 
通院日。身体痛が酷いせいなのか、身体がいつも以上に怠い。その身体を引きずるように起こして病院へ向かう。
カウンセリングをいつも通り受けたことは覚えている。でも、その内容を一切合切忘れてしまった。思い出せない。何となく、匂いというか気配は思い出せるのだが、それ以上まったくもって思い出せない。
またやってしまった。その思いが強くせり上がって来る。でももうどうしようもない。消えたものは容易には戻らない。でも、カウンセリングで記憶を失っても、カウンセラーが様子をメモし続けてくれているから、次回カウンセラーに訊いて教えてもらうことはできる。それだけでもありがたい。次回カウンセラーに会ったら開口一番、今日何を私は話していたのか、教えてほしい、と頼もう。何か大事なキーワードがあったような、そんな気がするのだ。思い出せないけれども。
診察は、急患が入ったせいでずいぶん待った。草臥れたなあと思う頃、ようやく名前が呼ばれる。ぐったりしながら椅子に座る。先生はいつもと変わらないご様子。この、いつもと変わらないという状態を保つのに、先生は一体どれほどの努力をしてらっしゃるのだろう。いつもと変わらない様子は、私のように不安定な患者には、とてもありがたいのだ。こちらがどんな状態であろうと先生がびくともしないでそこにいてくれるということ。いつものようにそこにいて、ちゃんと私と向き合ってくれるということ。ありがたい以外の何者でもない。
あなたはほんとに、リトマス試験紙みたいに次々誰かの気を吸ってしまうのよねえ、と先生が笑う。吸ったら吸った分だけ吐き出さないと。でないと膿んでしまうからねえ。先生の言葉に私はうんうんと頷く。
頭では分かっているのだが。それでも勝手に吸い込んでしまう。反応してしまう。そういう自分に私自身が何より疲れてしまう。先生の言う通り、吐き出す必要があるのに、私は吐き出すのが下手だったりする。どうにかしたいと思うのだが、思うばかりで行動が伴ってこない。そもそも、ネガティブな気を吸い込んだ、そのどよんとした澱みを誰かに吐き出すというのがうまくできない。そんなことされたら、そのひとにも澱みが伝染してしまいそうで、それが申し訳ないし嫌だし、そう思うと躊躇ってしまう。そうしているうちに、吐き出すことを忘れてしまう。
でも。先生にそんな、自分のリトマス試験紙具合をちゃんと理解し気づいてもらっているということに私は救われる。誰かがそのことをちゃんと知ってくれているというだけで、私はまたここから頑張れる気がする。大丈夫になれる気がする。
そう、誰かが気づいてくれている、知ってくれているというそのことに、どれほど励まされ、安心感を得ることか。ああ、大丈夫だ、私はまだ頑張れる、と、その度にそう思う。先生だったり、数少ない心の友たちだったり。そして思う、私が生き延びて来られたのは、ここまで生き延びて来られたのはひとえに、そういうひとたちの存在のお陰だ、と。彼らがいてくれなかったら、私はここまで生き延びてはこなかったに違いないから。

それにしても。ちょっと疲れ過ぎていたらしい。息子を寝かしつけた後立ち上がろうとしたら身体がふらりと倒れかけた。ワンコが私の足元で私を支えてくれたので転ばずに済んだけれど。ワンコ、ありがとう。君にまた助けられた。

観たい映画、読みたい本がどんどん溜まってゆく。溜まるばかりで追いついていかない。どうして一日24時間なのだろう。一週間に一日だけでもいいから一日60時間くらい欲しい。神様、おねがい。


浅岡忍 HOMEMAIL

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