ささやかな日々

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2022年05月08日(日) 
挿し木で増やし育てているホワイトクリスマスの蕾がぽろんと綻んで来た。それにしてもどうしてこんなにも違うのだろう、同じ「薔薇」なのに、種類によって花の付き方も葉の色も何もかもが違う。私から見ると一本一本性格が違うとさえ感じられる。昔何処かで読んだ、植物は根で会話している、と。本当なんだろうか、あの時もっとちゃんと読んで調べておけばよかった。今更だけれど後悔している。
植物が根と根で会話している、と考えるだけでどきどきしてくる。種族を超えて世代を超えて、彼らは会話するのだろうか。どんなやりとりがそこにあるんだろう。もし私に植物の声を聴く耳があったなら。
名無しの権兵衛さんたちが集うプランターは今日も賑やか。誰が誰だかちっともまだ分からないままなのだけれども、彼らがちょっと変化するたび、どきっとする。君は誰れ、教えて。そう語りかけてしまう。もちろん彼らは沈黙したまま、応えてはくれないのだけれど。
花咲いたラベンダーを一輪一輪切り落としてゆく。ありがとうね、と声をかけながら。これ以上花をつけたままにしておくと株の負担になるから。プランターなんていう狭い場所で育てている私の都合。もし地べたで、しかも広い場所だったら、こんなことしなくても全然大丈夫なんだろうなぁと思うと、ちょっとうちの子たちに申し訳なくなる。我家に来たばっかりに。そんなことを考えては、いやいや凹むくらいなら感謝しよう、と思い直す。

昨夜は。記憶なく倒れ伏したらしい。家人が「俺もへたり込んだからあんまり覚えてないんだけど」と言いながら教えてくれた。確かに限界だった。体力的に限界だったのか精神的に限界だったのか、正直よく分からない。でも「もう無理、限界だ!」と一瞬頭を過ぎったことだけは、明確に覚えている。限界。そう、ぷつん、と何かの糸が音を立てて呆気なく切れたみたいだった。言葉通り、限界、だったんだろう。
家人はSE講習が昨日で今期最後。無事昨夜で春の講習は終了した。あとは今秋と来春、それぞれ講習会があるそうだけれども、これがオンラインなのかリアルなのかはまだ不明とのこと。どちらにしてもあと二回、無事終わるといいなぁと思う。

Sちゃんが、最近解離が酷いのだと言う。話を聞かせてもらうと、どうも記憶が途切れ途切れになる時が最近多く見受けられるようで。しかも、自分が意識を失っている最中に私物を捨ててしまっていたりするのだという。こんな解離は久しぶりだよ、とSちゃんが苦笑する。確かにそうだ。彼女が最近で一番大変だった数年前、Jの死の前後、彼女は解離が激しかった。でもそれを越えて、ようやく落ち着いてきたところ、だった。「家が見つからない、家がないというのがこれほど自分に打撃を与えるとは思わなかった」とぽろり彼女が言う。いや、家がないというのはこれ、とてつもない不安だと私は思う。このまま見つからなかったらどうしよう、と不安が増幅し続けてゆくに違いない。私にできることなんて、こうして話を聞かせてもらうことくらいで、それより他に何も、ない。
いったいいつになったら私たち、落ち着けるんだろうね、とふたりして苦笑い。本当に長い道程、だ。もう私たちが被害に遭ってから、二十年以上の年月が経つ。それでもまだ、こんなところでうろうろしている。私達は、どうしたら心穏やかな日々を迎えられるんだろう。
何となく思いついて映画「死刑にいたる病」を観る。本当は「二トラム」を観る予定だったのに。ふらふらと死刑の方に行ってしまった。
阿部サダヲ演じる殺人鬼の、あの、何処までも誰かをコントロール下に置こうとする狂気。見覚えがあって、ぞっとした。MTやSTも、それに似たものがあった。何処までも私をコントロール下に置いて操作しようとした。心を弄られる恐怖が、ぞわぞわと蘇って、吐き気がした。でもこんな恐怖は、経験した者でなければ分からないのかもしれない。映画館で隣り合わせたひとびとの横顔を盗み見ながら、このひとたちは怖くないのだろうか、と、少し途方に暮れた。他人に心を弄られる、一方的にコントロール下に置かれることがどれほどの恐怖か、そしてひとは麻痺してゆくのだというそのことがなおさらに恐怖なのだ、と、ひとり、しんしんと、思った。
私もSちゃんも、加害者から、それに似たものを受けた。支配。コントロール。操作。そして私たちの感覚の麻痺。そこから回復するのに、どれほど長い時間がかかるのかを私たちは痛感している。まだ回復の途上である私たちは。


浅岡忍 HOMEMAIL

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