ささやかな日々

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2022年05月04日(水) 
「Nさんとの縁、切ろうかと思って」。彼女は簡単にその言葉を口にした。私は正直、吃驚した。ひととの縁というものはそんなに簡単に切れるものなのか、と。同時に、私は自分が引いていくのを感じた。まるで波が引くかのように、ざざざざざっと、その場から自分が引いてゆくのを。ああ、解離だな、と頭の何処かで思った。止めようがなかった。
理由を尋ねた。せめてそこで納得できれば、私はこんなふうに解離せずに済みそうな気がした。でも彼女が語ってくれた理由はあまりに安易で。私はさらに自分と彼女との間の隔たりが深みを増すのを感じた。
丁寧に丁寧に、これでもかというほど言葉を選んで、私は彼女に私の思いを伝えた。縁を切るのは簡単だ。でもそれでいいのか? 自分の味方か敵かだけなのか、ひととの関係というのはそんな、白か黒かだけのものなのか? ついこの間あなたはNに助けられたのではなかったのか? それなのに、ちょっと気に喰わないことがあったからとそんな簡単に縁を切るって本当にそれでいいのだろうか? 私の裡で渦巻くそういった思いを、ゆっくりゆっくり、一語一語声にした。
何処まで伝わったのか、私には分からない。そもそも私は彼女を説得しようと思って声にしたわけはなかった。だって彼女は私ではない。彼女の選択は彼女のものであって、私がどうこう言えるものではない。
だからこそ、伝えるだけは伝えた。伝えながら、私の眼は天井に貼りついていくのを感じていた。私の眼は私の身体を離れ、天井に貼りつき、私と彼女とを見下ろしていた。私の記憶はだから、俯瞰図だ。
縁を切るのはいつでもできるから。よく考えてみたらどうかな、と、最後に私はそう言った。それだけ言って、私は沈黙し、しばらくして席を立った。

私の中で完全に、別事に感じられる数十分のこの時間。でも、記憶は残っていて、俯瞰図の記憶図が残っていて、私は、じっとそこにいる私と彼女とを、見下ろしているのだった。私は私であって、同時に私ではない。私ではない、遠い遠い他人。でもどうやってもそれは私でもあって。
解離に慣れている私だけれども。こういう場面はやはり、しんどい。こういう時こそ解離性健忘が作動すればいいのになぁなんて思ってしまったりする。もちろんそんなことになったってたぶん、私はこの「感触」だけは覚えていて、きっと重たい気持ちを味わうに違いないのだけれども。

私は。被害に遭った後、ことごとく周りから縁を切られた。当然だ。当然だと言いたくなるくらい私の状態は酷かった。リストカットにオーバードーズ、パニックやフラッシュバックでのたうち回るばかりの私を、誰が好んでそばに置こうと思うだろう。みな恐れ戦いて、去って行った。
ああ、こんなもんなんだな、と私は当時思ったのを覚えている。人間なんてこんなもんさ、と。かなしいを通り越して、もはや、虚しかった。空、だった。
なのに。
そんな私を、適度な距離を保って、ふたりの友人がじっと見守ってくれていた。いやきっと彼らもいずれ私との縁を容易に切って去っていくに違いない!!そう思いたかったし、そう思っていた。でも。
彼らは去らなかった。
人間なんてこんなもん。されど。
私にそう思わせてくれたのはだから、彼ら、だ。

ひととの縁を、容易に切り落とせる彼女を、私はきっと理解なんてできないし、理解したいとも今は思えない。だからって彼女との縁を私は切ろうとも思っていない。そういう彼女と私との間に深い隔たりを覚えるけれども、それはそれ。彼女が私にSOSを出して来たら私はやっぱり応じるに違いない。自転車を飛ばして駆けつけるに違いない。
ひととの縁というのは、そんな、一瞬で切ったり貼ったりできるものじゃぁないと、私は思っている。むしろ、育むもの、と、私にとって縁は、そういう代物だ。
だから、そもそも、私と彼女とでは「縁」に対する意味合いが違うのだろうな、と思う。私は。私の「縁」の意味を、大事にする、それに尽きる。縁は、切られることよりも、私自身が切ってしまうことの方が、私には恐ろしい。

私とあなたとの縁を。
あなたと私との縁を。
今日も、この手に握られた糸を、私は紡ぐ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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