| 2022年05月03日(火) |
夜明け前。東の空では雲が散り散りにちぎれ飛んで、ゆったりとなびく風に漂っていた。刻一刻と変化し続ける雲の様を辿りながら、私はどきどきしていた。どのタイミングでシャッターを切ろうかと、ひたすら空を見つめながら考えていた。何度でもシャッターを切ればいいじゃないか、と言われるかもしれない。確かにそうなんだ。でも、何だろう、それじゃ違う気がするのだ。だから私は、ひたすら空を見つめている。シャッターを切りたいと思える瞬間を見つめている。 建物の後方から昇って来た太陽の、一番最初にさあっとこちらに伸びて来る陽光の手。あ、いまだ、と思った。思うと同時に私は、シャッターを切る。
母の庭に一歩踏みこんだ瞬間、息子が私の脇から飛び出してきた。驚いて立ち止まると、息子のその手には、カマキリの赤ちゃんがいた。よくもまぁこんな細くて小さな子に気づいたものだと感心する。息子は掌の上に乗せたカマキリの子を、実に愛おしそうに見つめている。これは絶対持って帰ろうと思っているなと気づき、慌てて言う。そんな小さな子持って帰っても世話できないよ。息子が言う。でもさ、でもさ。私は知らぬふりで彼の隣から離れる。 母の庭は相変わらず花盛りだ。紫の、この花は何という花なんだろう。縦長の色鮮やかな花。檸檬の花もちょうど今咲き出したようで。細長い白い花が幾つか、それからジャスミンや盛りを終えたのだろうビオラ、クリサンセマム、コンボルブルス…もうこれでもかというほどいろんな花が咲いている。でも、どれもこれも強く主張する花では、ない。 そして庭の中央には鳥の餌台が拵えてある。私達がいる間にも、メジロや雀、ヒヨドリたちがやってきてここで休んでいた。 母が、イギリスのごくごくふつうのお宅の庭のような、そんな庭が私は好きなの、と昔言っていた。私はイギリスに行ったことがないからそれがどんな庭だか知らない。でも、母の庭を通して、きっとこんな感じなのだろうなと想像する。整えられた庭ではなく、誰もが好き好きに、適当な場所で咲いている。だから決して窮屈じゃない。 父が好きだろうと思いコンビニでかりんとう饅頭を買っておいたので手渡す。父と母と、テーブルを囲んで、というのは一体どのくらいぶりだろう。もはや覚えていないくらい久しぶりな気がする。 父も母も、相変わらずと言えば相変わらずなのだけれど。でも。こうなるまでに本当に長い時間が要った。過干渉とネグレクトを繰り返す彼らに、私はいつも翻弄されてきた。もはや自分を生きることができないのではないかというところまで追い詰められた。だからこそ家を飛び出したのだし、また、その後私が被害に遭った後には絶縁した時期もあった。それが何故今まだ繋がっているかといえば。 理解し合えない、ということを、お互いに知ったから、だと私は思っている。 理解し合えない。もはや私たちは理解し合えない。それは聞き方によっちゃあ絶望なのかもしれない。しかしそうではない。理解し合えないということに「気づく」ことによって、私たちは互いの間に距離を持つことができるようになったのだから。 この距離が、とても大事なのだと。今は本当にそう思う。それでも時々父母が踏み込んでくることがある、そういう時は私が一歩退く。退いた私に気づいた父母が、立ち止まる。私もまた、立ち止まり、距離が保てているかを確かめる。そのお陰で私たちは、もう互いを必要以上に傷つけ合うことがだいぶなくなってきた。 父の淹れてくれた珈琲を飲みながら、とりとめもない話を繰り返す。こんなとりとめもないお喋りを、父母と為す日が来るなんて。昔の私は思ってもみなかったに違いない。昔の私よ、見えているかい? 今の私たち。ありがたいことだよね、本当に。あのまま終わってしまっていたら私がこの家に来るなどということはあり得なかった。 南向きの部屋には、燦々と光が降り注ぐ。
帰宅し、友達の家へ出掛けてゆく息子を見送った後、私はベランダに出る。これまで咲いていた濃紫のビオラと別の鉢の子が一輪咲いているのに気づく。母の手が伸びて来たかのような錯覚を覚える。風が心地よい午後だ。 でもさすがに片道一時間自転車を漕ぎ続けるのは疲れた。息子を乗せてこの道程を走るのはこれが最後だろう。父母に、無事帰宅したよと一報を入れる。そして一言、「本当はお父さん、ちょこまか動き回る息子に苛々してたでしょ。我慢してくれてたんだよね、ありがとね」と私が言うと、父が一瞬の沈黙の後苦笑しているのが伝わって来た。 この距離で、いい。 この距離が、いい。 |
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