ささやかな日々 / 浅岡忍

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2020年04月28日(火) 
家賃を振り込みに隣町に行くついでに、足を延ばして娘宅へ。息子を後ろに乗せて自転車を走らせる。マスクをしているせいでやけに顔が熱く感じられる。あっという間に鼻の下に汗をかく。息子にそのことを言ったら「きっと今母ちゃんの顔は髭生えてるね!」なんて後部座席からでっかい声で言うもんだから恥ずかしくて赤面し、なおさら顔が熱くなる。
娘宅ではちょうど二人が朝食にドーナツを食べ終えたというところで。砂糖だらけの手で孫が私に抱きついてくる。孫と息子が早速遊び始めるのを眺めながら、私は換気扇の下でとりあえず一服。
我が家にいた頃、年頃だった娘の部屋はごみ溜め部屋みたいになっていた。でも今彼女の部屋はきれいに整っている。心の現れだよなあ、とつくづく思う。年頃だった頃、彼女は荒れに荒れていた。私の再婚でぽっきり心が折れてしまったんだろうと今なら分かる。でも当時は、おろおろと、怒るハリネズミのように棘だらけの彼女の周りをぐるぐる回っているばかりだった。触れることさえ憚られた。それほどに彼女は、荒れていた。
当時は警察にずいぶんお世話になった。自殺を友人に仄めかし行方知れずになって大騒ぎになり、警察が動いたこともあった。生活安全課のKさんからの電話はいつだって、彼女のことで、いったい何度電話を通して話をしたか知れない。万引きで捕まったこともあった。友人を庇ってひとり捕まって、反省文を書かされ、私が息子を抱きかかえて飛んで行った時にはぼろぼろに泣いていたっけ。懐かしいというか切ないというか、そんな思い出の日々。
今母親になった彼女を見つめていると、あれは必要な、彼女にとって必要な過程だったのだなと思わせられる。ああしてはち切れることで、言葉にならない思いを全身で表現し、必死に命を繋げていた。それを思うと、自分の昔と似ているな、と、気づかされる。私も彼女を産んだ時、そんな感じだった。被害に遭って、PTSDになり、やけくそになって何度も自殺を試みていた。そんな折彼女を身ごもった。
よく、被害に遭ってPTSDになって、それでも子供を持つって大丈夫なの?と尋ねられる。大丈夫かどうかなんて、誰にも分からないし、誰も知らないことだと思う。ただ、回復に必要なエネルギーを、子は私に注入してくれた。その笑顔や涙や、要するに全身全霊で、彼女は私を生かしてくれた。そういう意味で、子を持つことは、回復の一助になり得る、と、そう言うこともできるかもしれない、とは思う。

昼食後、手を振って娘と孫と別れる。途中買い物をしてから帰宅。流し場が山盛りになっているのを見、家人は一体何をしていたんだと思って見れば、なんと、携帯でゲームに興じている。呆れ果て、私は黙々と洗い物を為す。本当は怒り心頭なのに、その怒りのエネルギーを全部、洗う行為に注ぎ込んで解消する。

気づけばすっかり夜。あっという間の一日。


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