ささやかな日々 / 浅岡忍

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2020年04月13日(月) 対話からこそ生まれるものがある
雨。重たげな雨雲が空一面を覆い、空それ自体が低く低く感じられる。まるでぐんと天井が低くなりこちらに迫ってきているみたいな。雨は強い風に嬲られ右に左に筋を作っている。

ニュースを付ければコロナ一色。たまにはニュースくらい見なくちゃねとテレビをつけたけれど、息子が一言「コロナ嫌!消して!」と。夫が少し抵抗したけれど、程なくテレビは消され部屋は静かになる。
「ねぇ今度ああちゃんいつ来るの?ねぇねいつ来るの?」息子が訊ねる。私は「またゴールデンウィークにはお泊りに来るよ」と応える。「ゴールデンウィークっていつ?」「五月初めだよ」「そんな遠いのかあ」「遠くないよ、すぐだよ」。言ってから、しばし沈思する。このコロナ一色の中、一日一日は、息子にはきっといつも以上に長く感じられるに違いない。そんな彼だから遠く感じられるのだ。可哀そうに。心の中、彼に小さく詫びる。私が悪いわけではないのだけれど。

ピンクのグラデーションの花弁をつけていたチューリップ二輪がとうとう散ってしまった。この強風と雨にやられたようだ。次に咲いた濃黄色のチューリップ一輪が、必死に風雨と闘っている。
クリサンセマムは元気だ。この子らは、芽を出したばかりの時はか弱いけれども、花をつける頃には頑丈そのものになっている。逞しい。
イフェイオンとアメリカンブルーが蒼い花を雨に向かって咲かせている。こちらも風にびゅるびゅる震えてはいるけれど、倒れる気配はなく。私はそっと胸を撫で下ろす。

具沢山のお蕎麦を作る。これでもかというほど野菜を山盛りにして。はふはふ言いながら三人で食べる夕食。夕食後には先日作ったケーキの残りを食す。

対話の会の冊子が届いたので添付されていたDVDを含めひととおり目を通す。「被害者の権利を高めるために加害少年の権利を低めなければならないかのような論調には大きな疑問を持った」という山田由紀子さんの言葉が心に残る。また、「被害者の思いは決して犯罪の種類などで類型的にきめつけられるようなものではなく、一人一人みな違うのである。そして同じ被害者でも、時の流れによって変わることも、同じ一日の中でも、朝には恨みがつのり二度と加害者の顔も見たくないと思ったのに、夜には加害者と会って本当に反省しているのかどうか確かめたいと思ったりするものである」というくだりも。そういう揺れる心、一元ではない心の有様は、被害者或いは被害者と近しく接した者だからこそ分かることなのだろう。
被害者と加害者は対立していなければおかしいというような世間の風潮が双方の対話を邪魔していると私も感じる。でも、対話でしか得られないものが確かにあると、私も経験からもう、知っている。


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