ささやかな日々 / 浅岡忍

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2020年04月14日(火) 独りに、なりたい
曜日感覚がすっかり薄れてしまって、カレンダーを確認する朝。火曜日。そうだ燃えるゴミの日。慌てて家中のゴミをかき集めて大きな袋に詰め込む。雨は無事あがって綺麗な青空が覗いている。今日はきっと洗濯日和だ。相変わらず風が強くてちょっと心配ではあるけれど、たまった洗濯物をごっそり洗濯しよう。濡れた傘を玄関脇に干してから、洗濯機を廻す。二度。

息子が朝からごねている。ぐずぐずとごねている。休校になって一か月以上が経つ。さすがに精神的に疲れてきてしまっているのだろう。ふと思い出し、先日孫が来た折に買ったシャボン玉機を彼に差し出す。写真撮ろうよと誘う。
彼がシャボン玉役、私がカメラ役。追いかけたり追いかけられたりしながらパシャパシャ撮ってゆく。ようやっと口の端がにまっとしてきた息子の表情に、私も心が緩む。

ほんのちょっと息子が一人遊びしていてくれている間を見つけて、受刑者の方々との文通を改めて見直す。対話だ、対話が足りていない。彼らのこの言葉の背後に隠れている思いをもっと掬い上げたい。掬い上げなければ。
受刑者さんたちのお手紙には必ず端っこに印が押してある。検閲の印だ。その印が私にはいつも、残酷な代物に映ってしまう。
社会から隔離され、罪を償うことは、本当に意味あることなのだろうか。それがたとえば五年、十年、二十年、という年単位の時間だったとして、その間に社会から切り離されてしまって、いざ社会に出て来てから彼らは孤立してしまうんじゃなかろうか。そうなったら果たして、罪を繰り返さないでいられるだろうか。
そうした罪の償い方に、本当に意味はあるのだろうか。私は考え込んでしまう。いつも。今も。

太陽が西に傾いて、じき地平線に沈む。休校になってからというもの、夕飯の時刻が早くなった。西陽がまっすぐ伸びてくるような時刻にはもう、三人で食卓を囲んでいる。今日は焼き魚に味噌汁、サラダ、食後にケーキ一切れ。
ただそれだけなのに、その間に家族がみんなぎしぎししていることに気づく。夫は食事の遅い息子にイライラし、私はそんな夫にイライラし。イライラが食卓の上でぐるぐる廻る。私にはそれがまるで目に見えているかのように感じられ、余計にイライラする。

孤独は。
誰かといる時の方が感じられる代物だと私は思う。独りきりの時はむしろ、孤独とは感じない。あくまで私の場合だけれども。
本当は。淡々と自分と向き合う時間に孤独を感じたい。いい意味での孤独を。そういう孤独が私を成長させることを私はこれまでの経験で知っているから。そんな孤独が枯渇している。

独りに、なりたい。


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