かたほうだけのパンプス
敦香



 ブランチ

昨日、夫は、へんなふうに日焼けして帰ってきた。私は、昼寝していたので夜の体力でおそくに友達とスカイプしていた。冷蔵庫に何もなく、あるものは夫の学校のクラスメイトからもらった大量の芋ばかり・・・。それで近所にあるチョウ低価格レストランのJへ行った。このレストランJは、我が家から一番近いといっても過言ではないくらいのところにある。なんせ一番近いコンビニまで500メートル?くらいはあるので。
注文したものもなぜか芋ばかり…ハンバーグの下は、シーザードレッシング和えの芋サラダだった。おいしかったけれども、なんせ芋なので新鮮味に欠ける〜。
夏づかれですっかりおばさん顔になっています


ところで、ちょっといろいろあってここには書けないので私の身近な人…夫のお友達とかetc …
残暑見舞いメールでもします。(残暑見舞いメールとは、なんだそりゃ?!)字が汚いので。今は、昔と違って文字書くのが辛いのです。私、利き手の右もちょっとヤバいのであんま文字は〜。だから絵に走ったのかもー。

2011年07月23日(土)



 本音

これは、春のうちのすぐ近くの公園の風景。私たち夫婦の今の心情です。

夫に急用ができ、急きょ東京に行き、深夜に帰って来たらもうどこの酒屋もアルコールが置いてあるスーパーは閉まっていたのでドンキホーテでアルコールを買ってきたとのこと。深夜にドンキホーテの駐車場は、今ヤンキーのたまり場になっていて車のLEDをギラギラさせたり、派手な音楽を静かに鳴らせたり?ジェームス・ディーンの理由なき反抗のような光景のなかジムニーに乗ったおっさんがひとりドンキホーテに入って行ったそうです。

ミクシィーであることで大激論が交わされていて、いつもマイミクさんのXさんの日記はコメントの山。けっこう、みんなまともな考えを持ちあわせてて、きちんと考えを持っていてもそれを発揮できずにいてミクシィーあたりで息巻いたりしているんだ。

本当は、どれも間違いで、どれも正しいのだ。えっ?どういうこと…?人によって違うのでどれがマルでどれがバツなんていえないよ!ただ、考えを持ってるということに喜びを感じる。

自分の考えを言えないもどかしさったらないよねー。倒れる以前の私は、言えなかった。自分の考えを言っても誰も聞いてくれないし、言っても無視される。女って考えもっちゃーいかんのかー!っていつも胸のなかでもやもやしていた。

私は、寄らば大樹の影で、愛を仕事にしている人にくっついて安全を確保しようとしている小さい者です。愛を仕事にしてる人っていうのは、政治関係や、医療福祉系や、デザイン・フォト系などが愛に向かっている仕事っていう解釈。そういう人のほうが言いたいこと聞いてくれるし、認めてくれるじゃない。でもそうやっていつも自分をラクな方に、ラクな方に置いているのってほんとうは、やな奴んです。ずるいというか、勝負にでないっていうか、そういうこずるい技を大人になるにしたがって身につけてしまったんだと思います。だっていつも口じゃ勝てないから、理屈で言ってもまったくかわせない。理不尽だけが返ってくる。私はそこんとこ弱いから、まっこう勝負せずにだから寄らば大樹の影なんだ。

本当は、誰になんと言われても相手がぐうの音もでないほどに言い責められるようになりたいと思っていた。でもそういうふうには私はなれなかった。いつも受け入れがたいと思いながらも受け入れたふうを装うしかなかった。虚構や欺瞞を優越させている自分がときおりイヤになる。なぜ、欲深い人や見栄に満ち満ちているような人に世界は、許しの広がりをみせ、そこでへきへきとなっている細々としている私たちの明日は、狭ばまっていくのであろうかー?!
もう、イイ大人なんだから虚構や欺瞞の芝居につきあうのはイヤさ!!


2011年07月24日(日)



 トワイライトゾーン

夫が土曜日から夏休みに入りました。

やっぱ、だらだらとしてしまいます。

毎度、毎度の雨で洗濯ができず、買い物にもろくに行けず、何もかも滞ってしまっています。

こういう日はやっぱり身体の方は、しゃきっとしないので何もできず、ただネットやったり、動物のようにゴロゴロしてしまいます。

まあ、そういう病気だから気長にやるしかないんだ。

泣いても笑っても二十四時間は静かに過ぎていくのだ。

気がついたときには、消えてなくなっていて、あったものは形を変え、なかったものは形になり、失いも、得るもこの過ぎゆく空間で混ざり合い、行き交い形ではなくあった残像だけを見つめられるのだ。


2011年08月01日(月)



 勝負下着

昨日は、「子宮ガン検診」の日だった。でも当日までコロッと忘れていた。というよりも検診の日がこの日だっていうことを認識してなかった。
近所にある健康管理センターへ行った。昔でいう保健所です。保健所と呼ばないのは、行政の管轄やらなんかが微妙に違うからなのか?と疑問に持ちながらも、施設で働くスタッフには聞かず、この疑問を今日も持ち越したまま、検査を終え帰路につきました。

子宮ガンは、母方の祖母が40代のころになり、子宮を全摘出したんだそう。だからちょっと心配したほうがいいのかも〜と思いながらも受診。

脳卒中になり左半身にマヒがある私は、杖をついて健康管理センターへ。顔は若いのに動きが老人的もしくは、ロボットのような私。私よりもあきらかにとっても年上の女性の方が、身動きが軽やかでささっとしていて、私は、動きは鈍くてしかも杖をついているのでなんか肩身がせまい気分・・・。

タイトルの勝負下着のことだが、普通、勝負下着とは、異性との性的関係の際に見てくれがいいという意味合いのことを「勝負下着」という呼び方をするが、私の場合はチガウなー。

勝負は、対異性ではなく、対同性との間で勝負をみる。それは、お風呂屋さん、昔なら、プールやトレーニングジムでの更衣室。入院中、旅行など自宅以外で下着姿にならなくてはいけないときに発生するコトなのだ。
で、昨日は、その勝負の日だった。それは、子宮のガン検診というのは、下着(パンツ)を脱ぎ、寝て股を広げる診察台にノリ、医師がちょっと手を突っ込んだり、器具で奥を見ることなのだ。
この診察は、はじめてのときはたいへんショッキングだった。痛かったし、今だにこんな原始的な検査方法なのかということに。
この検診に関して注意事項のひとつにスカート着用、もしくはスカート持参とあることをお勧めしますとあり。
それは、検診バスに乗り込み受診のためにみな下着・・・パンツだけを脱ぎ、診察台にノリます。
その際、スカート着用の方がスムースに診察がいくのではという検査スタッフによる配慮なのだと思う。それでこの前後で下着が他の人の目に触れるのです。私は、そのときの一瞬のためにタンスの奥に大切にキープしておいたTheおニューの下着をつけて検診に行ったのです。
そう、ここでのこれが私の勝負なのです。勝負といっても勝ち負けということではなく、勝負どころにとりあえず参戦するために・・・というよりも参戦してしまうために間に合わせるのです。

私は、最近好きな女性におしゃれな下着を世に提唱した鴨居羊子さんがいます。彼女は、女性のおしゃれな下着のパンツ「スキャンティ」を世に送り出した人ですが、彼女は、人にみられるからどうのこうのというよりも自分の見えない部分で楽しめる、自己満足的なことから女性下着がビジネスから文化という大枠に広がっていったのですが、私の下着に対する思いはこういうことに繋がっているのではないでしょうか。



2011年10月05日(水)



 アップル梨(な死)

アップルのスティーブン・ジョブスが亡くなった。
私が、今のカタチのパソコンにはじめて触れたのは、アップルのマックだった。現在は、ウインドウズを採用しているSONYのVAIOを使用しているが、それは夫が買ってくれたからであって、自分で購入するとしたらきっとマックを買っていたと思う。

アップルのマックは、ビルゲイツがウインドウズを発表する以前からアイコン置きの窓開け方式、同時にいくつものソフトを起動させるというような巧妙なことをやっていた。実はそういう意味ではパイオニアなんじゃないかなー。

私は以前、デザイン広告会社で新聞折り込み広告を手書きで書くPOPライターをしていた。
そのデザイン会社が採用していたパソコンがアップルのマッキントシュという機種で「イラストレーター」というソフトで折り込みチラシを制作していた。会社では、請負の仕事を全マック化しようとしていた。そのとき、会社の方針に異議を唱える手書きの仕事がやりたくて入ってきた手書きライターが次々に辞めていった。
その頃、私はマックの指導を受け始めていたが、彼女らの突然の辞職により私のマック指導は中止になった。
複雑だった。
私も手書きの仕事がしたくて会社に入ったのに会社は手書きの全マック化にすることに躍起になっていたのだ。仕方なく、私もマックを覚えることにしたのだったが、彼女らの辞職により私はこんなかたちでマックと決別するに至った。その後、私の居場所もなくなってきて、会社に残る意義を見つけられず、ナーバスになりちょっと体調を壊し退社した。

さっき、スティーブン・ジョブスのある大学の卒業式に向けた講演の動画を見た。
そのなかで彼はこんなことを言っていた。
彼は、大学を実は中退したのだが、学席がなくなってからも学校に通って聴講していた。そのとき学校内で多くを目にしたそれは・・・
数々の「カリグラフィー」等による掲示物だったこと。

美しい文字の配列に何かを感じた。その感じたことがアップルのパソコンの制作に生かされたという。現在のアップルのパソコンは、美しい手書き文字の配列を目にしていなかったらなかったということ。

そして、不都合と感じること、失敗ということもけっして無駄ではないから自らを信じて疑わず好きなことをやり続けてほしいと・・・。

今日は、色々世の中であって、でも私自身は何もなくめまぐるしい世の中の喧騒に追いついていない。
朝から、ウォール街のデモについてのラジオのポッドキャストを聴き、この現象は、日本もイコールなのではと思いながらも日本は原発問題に躍起になっていて、失業問題や経済の問題は今はメインの課題になっていない。いや、ほんとうは最重要課題なのだが、原発にスポットを当ててそらしているに過ぎないのかも・・・。

このウォール街のデモは世界中に飛び火しそうらしい。
全世界中で仕事に就けいない若者が急増しているそうだ。世界恐慌になるかもという懸念も本格化すかも?

もういくら書いても紙面が足りない(紙じゃないからスペース)から今日はこれまで。



2011年10月06日(木)



 クラウド化、情報をオンラインストレージに



最近は、置き型のパソコンだけではなく、持ち歩きできるパソコンに近い機能も持ち合わせているスマートフォンやiPone(アイフォン)と呼ばれる携帯電話が普及。

それまでパソコン操作は、デスクと決まっていたが、今は、パソコンは電池内蔵型で電話線につなげていなくても電波受信で操作できるというモバイル型になってきた。

私も4月にスマートフォンを購入した。

現在使っているパソコンをそろそろバージョンアップした機能のパソコンに買い替えも視野に入れ始めている。

だから、今現在のパソコン&ネットとのつきあい方をどうしようか?とおもいはじめ、ネットをぐるぐる。

まず、パソコン内のデーターをパソコン内に保管するということや、外つけにサーバーを用意するなどせずに、もっと簡単でスマートな方法をぐるぐる(模索中)。

クラウドとは、雲という天候状態のことではなく、雲のように情報をもわもわ浮かせて保管する。

情報(保管したいデーター)を決まった場所にしまい込むのではなく、宙に浮いているような状態にしておくことをクラウドというらしい。

宙に浮かせる?とは?

インターネットに繋がってるパソコンやスマートフォン等であればどれからでも、どこからでも保管データーを取り出せ、さらに保管することができる。

なんかドラえもんの四次元ポケットみたいだなー。

それがね、無料で利用できるサービスがけっこうでているので探った。


実は、いくつかダウンロードして試してみた。で、いくつかうまくいかなかったものがあった。

なぜ、どこが、うまくいかなかったのか?

それは、パソコン自体を登録するのか?ダウンロードがうまくいってもメールアドレス登録でうまくいかず、いざ動かそうとするとダメだった。

私の今よく使っているメールアドレスが、電話番号のように今使っているパソコンと電話からの線のアドレスではなく、インターネット上のサイト(ヤフーやグーグルなどの)のメール。

そういうメールのことは、WEBメール(ウェブメール)というのだそうでが、そのWEBメール登録が、ダメみたいなのです。
(確認したわけでもないけど)

私は、比較的簡単でスムースに登録できるもので使いやすいものにしたいの。

今取り組んでいるので、今後利用状況等を書いていきたいです。

こいうことをクラウド(雲)というそうです。

クラウド化にするためのネット状での保管を
オンラインストレージという。
オンライン=ネットに繋げている状態
ストレージ=保管
ということ



2011年12月22日(木)



 ヘンリー・ダーガー「非現実の王国で」

天気はいいのですが、この冷え込みで身体は硬いです。

昨年、一昨年に比べで格段によくなってきたのですが、そうは言ってもそう簡単に完璧には治りませんよ。

ただ、寝るときに以前は、手の存在感がまったくないとかではなく、寒さの体感が以前よりも格段にいいのですが・・・。


昨日、いや一昨日、ヘンリー・ダーガーという障害者?という扱いになってひとり孤独に生きた人の画家?作家?の作品の秘話、周辺にいた人のインタビューをまとめた映画をネット動画で見ました。

1900年になるちょっと前のアメリカ、シカゴ。

ヘンリー・ダーガーは幼い時に母親と死に別れ、貧しい中で父親が施設に入れる。

学校にあがると個性的なヘンリー・ダーガーの奇行が目立ち、いじめにあい、ついには追放的に障害児の収容施設に入れられます。

そこで、知的障害児と扱われることに対して屈辱を味わい、ついには施設を脱走するのでした。

幼少期に過ごしたシカゴへ行きます。

でもまだ子供ですから、電車にどうにか乗り込んで行ったわけです。

17歳になったときには、教会系の病院の掃除夫の仕事に就き、以後、老人となるまで働き続けます。

高齢となって体が衰弱してついに病院へ入ります。(教会などの)そこで息をひきとるのです。

作品は間借りしていた部屋に残され、それを目にした部屋を貸していた夫妻により保管され作品が公開されていくようになったといういきさつをまとめた映画でした。

見ていてちょと自分とだぶっていやだなぁと思ってしまった、

「あたいは、こうはなりたくないわぁ」と無学で孤独の自分に向き合って細く死んでいくドラマみたいに思いました。


2012年02月03日(金)
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