かたほうだけのパンプス
敦香



 今日は東日本大震災から一年

去年の今日3月11日に震災があったわけだけども、去年の11日は金曜日だった。
今年は、うるう年ということもあり曜日が二つ進んで日曜日となった。
あの日は、FMラジオ、ナックファイブの「ファンキーフライディー」を聴いていた。
パーソナリティーの小林克也が聴視者からの電話に応えるというコーナーの最中だった。
「あ、地震だ」と会話のなかで声が出たが、そのまま会話は続き電話がとりあえず終わって番組は地震の情報に切り替えたんだと思う。
思う・・・というのは、私は、揺れが長いので咄嗟にNHKに切り替えたからだ。
ずっとNHKを聴いていても津波の到達時刻を伝え続けるだけ。NHKも情報収集にやっきみたいで、全国放送ということもあるのでローカル情報が知りたかったので次に地元のFM局に切り替えた。
あ、ご存じの方も多いと思われますが、我が家は脱テレビ家庭です。巷では、脱原発と騒がれていますが、我が家は早くも「脱」をやっていたわけです。脱は脱でも原発ではなくテレビで。

あの日感じたことは、これだけ情報網が進んでいるといってもそれはいざというときには弱いという現実。
メールや電話は不通だったり、時間をおいてやっと繋がったという「やっと」感だ。

日本は、地震国というわりに地震対策は万全ではなくて不完全。基本的に地震は起こりにくいとう想定のもとの対策案。
昨日も夜中に起こったそうだ。私は深い眠りだったので気付かなかったけど。
ドカンと夜中に大きくひとつ・・・まるで爆弾みたいだ・・・
それで夫は起きたそうな。
私「知らないし〜」呑気です。

実は、毎日空は地震雲で覆われている。私がカクニンしてる雲は弱いけど、富士山の近辺の方のアップされている地震雲は、どれも不気味です。



いまさっき、地震があった2時46分を迎えました。
テレビのない我が家では、震災の映像は何度もユーチューブで見ました。
ひとりで見ているとけっこう泣けてしまう。
自分さえ幸せであればいいという感じでいられない。人の喜びや苦痛からの解放が自分もうれしいんだ。
私の身内は今回の震災で誰も犠牲にはなっていないけれど他人も自分の一部。
自分も他人の一部だと思えると辛い・・・。


2012年03月11日(日)



 お久しぶりでした。

方針が変わったから。そしてさらに方針を変えたのでブログを書くことに。
なんだ、勝手なやっちゃなー!すみません。
アメリカから帰って来てかえていかねば!と奔走しました。というほど大げさではありませんが、とにかく今までとは違うことをやらなくては、何も変わらないということにどうやら「気づき」まして、実行。

このひとつ前のブログでも告知していたとおり、フェイスブックをメインにネット上で動いていたが、あんまり濃く書いてもうざがられるのでやっぱ、自分の部屋であるブログでくつろぐことに。
SNSは社交場なので、ちょっとおしゃべりってかんじ。長文書いてもけっこう読んでない。
イラストメインのブログも開設したが、運営がおっつかないのでフェイスブックページの方で運営することに。フェイスブックページに公開されているイラストをアップしたのでイラストにマウスをあててクリックしていただくとフェィスブックページに飛びます、飛びます!

フェィスブックは、実名なのではじめはおどおど。でも慣れて来るとネット上に匿名で言いたいこと言いまくっている人のものは読む気しなくなってくる・・・。
あと、フェィスブックは顔写真公開なので、顔をアップしてない(イラストとかどっかの風景やペット)の人は、知り合いならばいいけれども、あくまでフェィスブック上だけで友達という関係になった人は、あんまり見なくなる。信用性に欠く。あと、ナンパ目的の外国人。今日も外人から横文字だらけのメッセージがあった。
今日のメッセージは、イランのカメラマンらしく、プロフィールからブログをみると頭にターバンを巻いた男の人の写真。びっくりして引いた。
フェィスブックってイランに駐留している米兵が暇つぶしというか、帰国してからのお楽しみにするつもりなのかメッセージが多い。
私は、日本語しか使えないから横文字系やアラビアの文字の人からのものは保留。

アラビアの文字は、子供の頃父が練習していた「早稲田速記」になんとなく似ている。ヒエログリフはもろ絵、なので書くのは大変。文字というより記号なので交通標識に近い感じがする。そんなことどうでもいいんだが。

2012という年は、やっぱり「何か」らしい。ある人によれば「すばらしい年よ!」
またある人によるとやっぱり「終わり」らしい。
あと、それこそ「終わりのはじまり」という人が。
ある人によると今年は例のマヤ暦によると終わりだが、聖書にもそういうような事象があると。
で、救世主が現れるとか、現れないとか・・・。それは「復活」の前の状態のときには3日の暗黙というか闇があるとか。それは、なんか星の配置の関係でちょっと日が隠れるとか、いや、暗闇が三日続くという説など、など、など・・・。
また明日気が向いたら書くかも。



2012年07月09日(月)



 言いたいこと!

うーん、いろいろとありますなぁー。ちょっとした人のものの取り方が違うし、人のことをいちいちあの人のことはどうだこうだ言っていてもキリがありません。
私は、もっと大きなことについてあーだ、こーだ言いたいわけです。
(フェィスブック上で誰それさんの投稿がおかしいだの、なんだの言っているので)
(フェィスブックは実名投稿ですが、すべてを見せているわけではなく、都合のいい部分だけを公開しているので、実際に会ったことのない人のことや投稿部分だけで人を判断しない方がいいわけですよ)
(ある人とある人がフェィスブック上で知り合い実際に会ってトラブル・・・ほんとうにトラブルが起こったのではないのですが、別件で起きたことと混同して勘違いしてそこで両者は絶縁)
(フェィスブックだけみているとすごい好感持てるかんじですが、実生活では愛人をとっかえひっかえつくっている人がいるとか、画面に出ていないことといえども所詮、人と人のことですから画面の裏ではけっこう噂が広がっていろいろとあるんですよ)
私は、身近のことよりも現在のマスコミの偏った報道に異を唱えたい!
今日、パンダの赤ちゃんが死んだそうです。あんなに妊娠!出産と大騒ぎしていたが、たった一頭のパンダの赤ん坊に大騒ぎしてすぐ死んで。この騒ぎ用は消滅。実際、神戸ではすでに十二頭もパンダの自然交配があって、こちらはちっとも話題になっていない。だからマスコミはウソを言っているとはいいませんが、ホントを伝えているとはいえないんですよ。本当ではないとも言い切れないけれども、都合のいいことを切り取って伝えているにすぎないんだなぁー。

最近、私はあることで吹っ切れたのですよ。あることがわかって。いや、以前から知ってましたが、確証を得たというか、私が悶々と思っていることを「そうだ!」と断言しているおっさんを次々にみっけたのですよ。だろ〜!それでなんか吹っ切れたわけですよ。
それは、極悪非道で未来は暗くて現在は欺瞞にみちていて悪魔によって見せられているブラックショ―だと言わんばかりのことなのです。
なんか、救いようがないけれども、そうだ!と言う人がいたことでうれしかったのですよ。
べつにいーわけですよ。世が末であろうと未来がなかろうと。
未来が有る無しということよりも私の考えていたことが幻想ではなくてあたっていた!ということが。

あ、私は、今日とりあえず体調いいです!一応脳卒中後の回復期の女ですから!



2012年07月11日(水)



 群馬温泉講座

群馬県の温泉の数は、全国で8番目に多い。でも、規模や泉質での多さやその他総合評価では、日本一かもということから講座ははじまりました。

2012現在、旅行雑誌をはじめとしたその業界では、群馬の温泉は、四大温泉
(草津、伊香保、水上、四万)となっていますが、つい最近までは、三大温泉(草津、伊香保、水上)ということになっていたそうです。

ここ10年くらいの間に四万(しま)が頭角を現してきたのでした。

でも本来は、三大名湯と戦前までは、呼ばれていたそうです。

その内訳は草津、伊香保、四万だったそうです。
じゃ、どうして水上と四万は入れ替わったのでしょうか?と話はすすんでいきます。

群馬県には、戦後すぐに群馬のことをうたった「上毛カルタ」ができました。

群馬県では、犬ぼうかるたではなく、上毛カルタで遊びます。

戦前に内容ができ、戦後すぐに制作普及していたそうです。

そのカルタに群馬の温泉を語った札3枚が、草津、伊香保、四万。

その後、水上まで鉄道がのびてスキーに加え温泉もあるよ!ということで水上を温泉地として大きくアピールするようになったのでいつのまにか、草津、伊香保、水上が仮定着したということです。

それで目立たなくて、交通の便もよくない四万は寂れていったそうです。

でも四万温泉(しまおんせん)は、群馬の名湯。

四万(しま)温泉という名前の由来は、様々な病気に効くという意味で、四万の病気などに効く!という意味で四万温泉と呼ばれるようになったそうです。

ま、ざっくりとこういうかんじで講座はすすみます。

私が参加した昨日は群馬の温泉地のいわれや、今はなき、幻の温泉の話題だの、温泉ファンなら泣いて喜ぶようなことばかりでした!

来週の火曜日に最終回があるのですが、私は用事があって残念ですが、行けません。(泣)


2012年08月01日(水)



 マルキド・サド「ソドムの120日」

毎日暑いので、あんまりにも暑いので、身体が慣れたせいか、今年は去年よりは涼しいねぇ。

とたっぷり暑いのに去年よりはいくらか暑さがマシ。

とちょっと暑さが緩めだともう天国みたいにみえてきているからかなりやられている。

それで、日常集中力がなくネットを閲覧のみであって能動的に書き込み等はできない。

受動的に過ごしているのだ。

自分から発信するではなく、受け身、人が発信しているものを見ているだけの怠惰な生活の連続の毎日なのだ。ダメだね。

ユーチューブですごいものを見つけたのでちょっと見た。

あまりにも過激なため貼りつけはできない。

そうです、マルキド・サドの「ソドムの120日」です。

これが映画化されていたとは・・・。

でも、現代版になっているので、若干イメージが違ったぁー。

小説を読んでいるときには、18世紀の世界。

あれは、司祭だとか裁判官だとかとにかく国の予算を操れる地位の男4人がおどろおどろしいことを実現していくストーリー。

私のイメージでは、以前の三大テノール(パバロッティ、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ)のイタリア男が黒っぽい服装でずらーと並んだイメージがこのソドムの120日の登場人物のイメージだった。

強欲で獣のような男。おどおどした小柄でいやらし男とかなんだけども、そこは、イタリア、多少おしゃれなイメージだったわけよ。

全部は見られませんでした。見始めてすぐにやめる。

あと、いくつかアップされていないものがあった。

たぶんユーチューブの規約違反にひっかかるほどのきわめて過激でいかがわしいシーンだったのでしょうね。

要するにあったのを発見したが見ずに終わっただけの報告。


2012年08月05日(日)



 昨日は誕生日だった(8月11日のこと)

がーん。誕生日になってしまった。うれしくない、うれしくない。歳が増えるんだ。あー、若いままでいたいなー。

昨日はこっそりひとり映画に行った。
お盆休み入りとあって混んでいた。ただしガキ映画が。そういえば以前子供が小さいときは子供向け映画に連れて行ったが、きつかったなぁー。私は、基本的にお子ちゃま映画嫌いなのだ。だからあられちゃんとかドラゴンボールとかワケわかんなかった。でもこれも親の仕事だと思いがんばった!
で、何を見たかというと「アメリカン・グラフィティ」昔の映画サイコー!あれは、1970年代にフランシス・コッポラとジョージ・ルーカスらが作ったんだけど、1962年設定で作った青春映画。
昔は、カーレース。ジェームス・ディーンの理由なき反抗もそうだったけど、多かったんだね。その昔は、天井桟敷の人々のなかでほんの少しのことでプライド傷つけられた等のことで決闘していた。すぐ死をかけたり、勝負しちゃうんだね。
アメリカン・グラフィティのなかで主人公は、生まれ故郷を離れ勉学のために東部(映画ではアメリカ西部の片田舎設定)の大学に行くということをためらう。
それは、四人の主人公にも同じようにそれぞれの青春ならではの戸惑いやラブだったり錯綜する。現在と違うのは、一晩中若者はラジオをつけ、ラジオはみな聞き、ラジオが彼らの青春の舞台にある。現在でいえばフェィスブックってとこかなぁ。

私の青春時代は、もともと身体が丈夫じゃなかったから(中学生時に腎臓が悪くて入退院を繰り返す)やりたいことは半分しかできなかった。やりたいことがゼロじゃなかったぶんよかったかもしれない。でも制限付きのかたくな青春だったと思う。まぁ誰でも大なり小なり青春とはそういうものなのかもしれない。

一番よかったことは、「絵」をよく見たこと!
とにかく実物の絵を見た。ダリ、ピカソにクリムトに杉山寧に・・・。それは私の宝かもしれない。よく宝ものってモノだけど、私の場合は、貴重だと思えるその「とき」だったり「空間」だったりしっちゃうんだなぁ〜これが。

辛い時、イマジネーションを膨らませたいときもそのときに見た絵が私を支えてくれているのだ。絵は言わない。言えないのだ。絵は動かないし、何も変化はないんだけど、一つの画面にそのときの世界を凝縮しているので映画一本よりも深く重たく心に響くことがあるんだよな〜。


2012年08月13日(月)



 脳卒中障害者のお友達へ

昼間は暑さに打ち勝てぬため犬が背を道路にこすりつけてのたうち回るように過ごす毎日です。
そういうわけで、深夜(夫が夏休みのため早起きしなくていいため夜更かしOK週間です)上記のような幼児向け?のようなイラストを描きメルマガをアップし、PCを閉じる前にこのブログを開くとなんとコメントが!
脳卒中にて四肢麻痺(両手足が麻痺)という最悪・最強の障害者の方でした。

私がこのブログをまだPCに慣れないのに書こうと思ったのは、
病気で暮らしているリアルの日常を書いたブログがその頃(2007〜2008くらい)に見当たらなかったからです。HPでまとめてらっしゃる方は見かけたのですが、そういう仰々しいものではなくてあくまでも普通ぽいブログを読みたかったのです。で、ないとあれば自分が書くか!ということで病気のことや集めた情報を載せたり、病気にはこだわらずいろいろ書くようにもなっていったわけです。

自分の困っていることや喜びも悲しみも伝えなくてはわからないわけですよ。今はインターネットという便利があり、HP&ブログという手段があるので誰でもいつでも簡単に伝えることができる。
だから、自分の現実や求めることについて書けば現実化する可能性があるわけです。

健康のまわりな方は、私が脱障害者。要するに健常者になればそれこそが幸せと思っている方が多いようですが、それもそうですが、私はもともと病気(腎臓)で中学生時入院していたので、学校を長期で休んで人と違う時間を過ごすなかで見てきたことがたくさんあるので、それの問題点を上げることや改善していくそんなことができていけば幸せかと思っていました。慢性腎臓病(CKD) 進行させない治療と生活習慣

でもそれはいつかやるのだろうなーというあやふやな設定でした。
でも今回倒れて(6年前脳卒中)それがここの時点からなのだ!と目覚めたのです。
まだリハビリ病院入院中に早く治す近道には気功かなぁと思っていましたが、私はさっと治って健常者として何をやるのか?というビジョンがなかった。
DVD>中国芳香智悟気功香功 初級功 ()

でも障害が治るのに時間や支援が必要でそのなかで戸惑う悩みや試練をどう乗り越えていくかということを課題だと思って、治すこと重点よりも簡単に治れない足踏み状態のときの悩みや法整備されていない問題点にぶちあったときにそれを次々に解消して行く。乗り越えていく人生を選択したのです。
日毎に治っていくのは喜ばしいこと。でも同時に感じた悩みを体感できたこともそれは貴重なことでした。



2012年08月14日(火)
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