過去日記倉庫(仮名)
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フリフリおれ的わたし的ベスト2007はこちらより


2006年07月31日(月) 月末

七夕ですね。家人はお墓の掃除に出かけ、私は猫の番と仕事でした。もう一年の半分をとっくに過ぎているな。こんな感じで年末まで過ごしていくのでしょうか。さすがにさびしいなそれは…あれをあげようこれをあげようという熱を感じなくなったかわりに、自分がほしいものがちょっとずつ出てきた。そういうこともあるんだな。

でも毎日が、ロボットでした、という感じ。(これもゆら帝の曲になるのですが…おそるべき悲しいロボットの歌なのです)一日の発声量を数時間で使い果たしてしまい、自分のために使うことができない。歌ならまだ歌えるのに、話すって何であんなに体力がいるんだろう。脳のつくりが人と違うのかもしれないな。

その反動で話さない言葉がたくさん中にたまって、形を成していくのがちょっとおもしろい。その感覚は昔を取り戻した。雑誌をつくるために、友人と打ち合わせしたりとか、これについて書く予定なんだと告知し合ったり、書きかけの原稿を見せてもらったりとか、締め切りに向かって気分を追い込んで行ったりとか、そういうことをしてた。のを思い出した。久しぶりに。

ここに書いてるように、見たものとか聴いたものをコラージュして、他人のつくったものと自分の感覚を照らし合わせたり錯覚したり、ずっと前からしていたんだなあ。これからもやるんだろうな…友人が書いたものを読むのも好きで(私信もいいけど、その人がひとりで考えたことに直接触れられるのがたまらなくスリリングでいいんですよね)、今は雑誌をつくってないのでそれができないのが残念だなと思う。おっ、残念なのか。まだ何かつくりたいのだろうか。

もう7月が終わり、8月もたぶん月末まで余裕が無い。エリエリレマサバクタニのためにずっと青山真治の映画について考えていて、ユリイカとかhelplessとか見ていて、そろそろ何かまとめて書けるはずなんだけどその機会をつくれない。メモりながら待とうと思う。豊かではない、美しくもない時間の中で、ギリギリの狭い隙間にねじこまれたもの、捨てられなかったもの、何とか伝えてしまったこと、見苦しくても手を伸ばして取ってしまったもの、があったらそれについて書き残す意味はあるだろう。それだけ大事なものを見てほし


2006年07月30日(日) 青づくし

いろんな所で青いものを見かけたので考えてみた。青に関する思い出は、空のものか、海のものか。またはもっと抽象的なイメージ。藤原新也の写真の思い出は既に書いたなあ。チベットのお寺の話がおもしろくて、口減らしに寺に出されてる少年たちみたいな気持ちで、高台の学校の校舎から外を見てた。それは置いといて、教養問題として答えを出すならBLUEというまだ見ぬ映画。青一色というモノクロームの世界。デレク・ジャーマンがエイズウィルスの特性を描くために選んだ色。コメントを読むだけではよくわからない。

その映画が捧げられたイブ・クラインの青。私はずっと女性だと思ってました。ファッションブランドのココ・シャネルとかアニエス・ベーみたいな…れっきとしたアーティストだったのですね。しかも肉体派の。ひょっとして日本では柔道家としての方が有名だったりして。解説がのっているBlue Heavenをぜひごらん下さい。セザンヌとかフェルメールとか作品の中で印象的な青色を描き出す画家はいるけど、イブ・クラインはその青のために、自分だけの調合の顔料をつくり、特許をとってしまった。それはInternational Klein Blueと呼ばれ、自分が使うだけでなく商品化されたので、クラインがいなくなった今でも普通に買うことができる。

それはそれで稼ぐというよりも、自分だけの色を世界中にばらまきたいという気持ちがあるんだろうか。まさに胞子や精子のように、さまざまな場所で育っている夢想をはらませ、同じ遺伝子を持った作品を生まれさせる。というふうに考えてみると確かにわくわくするものはあるな。このモノクロニストの最初の作品はオレンジだったという。それがどうして青になったんだろう。だからそれが青だから、っていうことなんだろうか。確かベトナムのシクロという映画で青いペンキに溺れるシーンがなかったかなあ。黄色だったかな。そんなかすかな記憶さえも引っ張り出される。

自分の思い出は海の青、なのだろうか。東京で琉球王朝の調度品や衣装などの展示会があって、行った時のこと。王冠とか食器とか船の帆とかいろいろあったんだけど、一枚の琉球藍染めの衣装に心がとらえられてしまった。とても鮮やかな、みずみずしい濃青で(藍色というにはとても明るい)、何百年もたっているとは思えない鮮やかな色でした。

自分を映し、あるいは受け止めてくれる空というよりも、もっと躍動感があって自分に挑みかかる動物のような存在感で、一瞬気圧されるような感じさえあった。沖に出た時の海の色に似てたんでしょうね。絵柄も白い柄が波とか泡に見えたり。それでもっと印象的だったのは、一緒に連れて行った方は、特にその青い衣装には気を留めていないようだったことだ。私は自分の心の騒ぐさまを何と言えばわからなくて言葉にすることはしなかったので、それが会話に出てくることすらなかった。あの青色はあの人には見えてなかったということなのだろうか。とても海の好きな人だったのに。同じ青が見えないことがあるのか、と未だに思い出すことがある。沖縄の人じゃないからかな?と思ったこともあるけど、もっと個人的な感覚の幅なんだろうな。

実はそれはCoccoちゃんの新譜ザンサイアンという言葉を知ってからここに書かれるべきこととなった。ザンという名の人魚の見た究極の青=シアンという意味を含む。今回そのようなイメージを使うことにしたのかは定かではないけど、それはやっぱり海の青なのかなあ、それとも陸に上がった人魚姫が見た空の青かな。CDの表の藍色は自分にはちょっと暗いように思えた。上に書いた衣装の画像はみつからなくて、どんな色調だったのか、記憶をたよりにいろいろはりつけてみたのが今回の日記です。でイブ・クラインとかひっぱり出してきた割には、いちばん近いように思ったのがあぶらだこのジャケだったというのは…うーん、これも運命?


2006年07月29日(土) 8月へ

暑いですね。もうクーラーつけないとだめかも…溶けてなくなりそうです。なんか夏だからなのか、コンガがたたきたいです。関係ないか。重いし高いし無理なんだけど、ほしい。マイコンガ。ファイバー(合成樹脂)胴の安いやつでもいいからほしいなあ。それでうまいドラムの方と一緒にやるのが楽しいんですよね。

今日は桜坂劇場に行き、会員更新をして下の本屋でだらだら立ち読みを楽しみ、上のGatHappyRecordsに寄ってきた。CDは届いてなかったけど、店長さんと前に話していてthe Starsというか石原洋さんのファンの人が知り合いにいると話題に出てたその方と会えました。げげ、会えるもんですね。1月の乱波洞の内橋和久さんのワークショップにいらしてて、私の演奏も見てもらっていたとのことで、やはりこの界隈は狭い世界なのだな…としみじみ感じました。取り寄せ中のアルバムのお墨付をもらったり、ライブの音源がある!!そうなのでお借りするお願いをしたりしてました。うーん、いる所にはいるんだなあ。街に出たかいがあったわ。

来月は従妹の結婚式の余興に出ることになりました。かぎやで風を踊るわけでもなく、なぜかピアノ演奏(歌の伴奏)。ドラムならともかく、ピアノを人前で弾くなんて、中学校の合唱大会以来なのではないか。曲がC(白盤のみ)のバラードというのでなんとかならないかな〜などと思っている。無責任かしら。まあ家にピアノもあるし、ヘッドフォンをつけられるキーボードを持っているので練習はできる。問題は私自身のみ…気合いを入れないと。ご飯食べよう。踊りのライブもあるし。

先日リンクしたyoutubeのゆらゆら帝国のライブ映像を見て感激。うわ〜歌詞一行抜かしてる(笑)やぶれかぶれな感じが高まっててよけい笑えた。千代さんのベースの弾きっぷりがセクシィでよかった。でもドラムの一郎さんが見れたのが一番嬉しいな。オープンハンド(左で刻む)なんですね。左利きなのかな?別の曲のPVではハットが逆位置に置かれて。しかもてでかくて驚いた。16インチくらいかも。そんなハイハットってあるんでしょうか。演奏はけっこう即興性が高いというか、気ままに叩いてるんだなという感じ。ライブが無くても週2回はスタジオに入るというので、自由にやり慣れてるんでしょうね。ライナーの写真とか見るといつも無愛想で疲れたような感じなのに、ドラムを叩くとすごい活き活きして楽しそうなんだなあ。まああの曲はそれ以外にやりようのないすてきな曲なんだけど。いいな〜〜コピーしたい〜。中学生か。


2006年07月28日(金) 金曜日 / ズック

さんざん休んだのにやっぱり明日が休みだと嬉しいです。明日は桜坂劇場で会員更新をする。GetHappyRecordsに頼んだお取り寄せCDが届いてるといいなあ…(はあと)あっ、携帯探さないといけないのか。時間がかかりそうでゆうつだ。真っ昼間なのですが外では子供がぎゃーぎゃーかけまわっています。元気だね。

アンプ3段積みのフィードバック音しか聴きたいものが無い。邪魔な涙、邪魔な汗。今年もズックにロックの季節がやってきたなあ。と言いながら一年中ヘビロテなのですが(自分のテーマ曲だからなー)、やっぱりはまるのはこの夏の季節しかない。最初っから真っ赤な空でっかい雲っていうサイケっぷり。ズックって英語じゃないんだね…リンクした映像はなんかフジロックのものなのかな?今年のフジロックはどうなんだろう。またいろんな方のブログを巡回していきたいと思います。

昨日からみぞれ汁がマイブームです。みぞれというか大根おろしブーム?もともと肉に大根おろしがついているもの(和風ハンバーグとか)が非常に好きなのですが、今回は毎日うどんを食べていてそれに大量の大根おろしを入れているというものです。つゆはつくってから冷ましながら麺などをゆでている状態。その前は毎日のように納豆を入れていたのですが、両方入れてもいいのかなあ…(卵はかならず入ります)今日はなぜか小松菜と枝豆入り。かなり適当です。何がおいしいのかなあ。


2006年07月20日(木) 木曜日 / コルピ / 猫

夏休みですね。音の力最新刊購入済みです。感想は後日。昨日TSUTAYAに行ったらKorpiklaaniのアルバムがあったので、High on fireとかハンブルパイのライブ盤とかCoccoちゃんの新譜とかと一緒に借りてきました。フィンランドの森メタルバンド、だそうです。何だそれ。いつも巡回しているブログのいくつかで紹介されてて、強くひかれるものがあって探してみた。流行ってるのですか?解説など読んでみるとポーグスがメタルになったような感じか?と思ったんだけど近いものはあった。写真見ると妖精というよりマタギっぽいですが(萌)。フォークメタルってあるんだなあ。気になる。

やべーなんかもうメタラーになりそう。対症療法みたいな、いやむしろ目には目を刃には刃を(?)というか、PCのハードディスクのデータ消去って、文字どおり消すのではなく、むしろ上から何重も乱数とかを上書きして読み取り不能にするんだそうですが、そんな感じ。嫌なことがあったら端から忘れてしまうのに、それでも足りないのだろうか。暑いし。ちなみに画像はコルピではなく、ブラジルのルイス・ゴンザーガ。山賊の衣装を着てアコーディオンを持って歌います。楽しいですよ。メタルではないですが。

半月前より子猫を飼っています。屋根裏より二匹授かりました。家人もよく家を空けるのでときどき私も授乳しています。猫とはいえ自分が子に乳を与えるということがあるのだなあと感慨深い。これも神様の贈り物なのでしょうか…白と茶で両方とも雌。白の方が目が見えないのでは?という疑いがある。どうだろう〜確かに目の感じが他の猫と違う感じ。あんまり顔を見てくれないし。でもまだ赤ちゃんだからわからないなあ。しかし哺乳瓶(とても小さいもの)って不自然。おっぱいふみふみする所がなくてかわいそうだなと思う。だからか知らないけど思いきり爪を立てて手をガリガリされます。痛いのでやめてほしい。でも離乳するとさびしいんだろうなあ。


2006年07月16日(日) 筋道 / あの女の音量

仕事はけっこう遅い時間に終わるのですが、なんか通りに人手がある。今日はざわざわにぎやかだなと思った週末。花火大会とかあったんですかね。夏なんだなあ。もう国際通りは華やかなものです。楽しそうだよね。新婚さんとかうらやましい。沖縄に居て楽しそう、という感じが。自分はもう逃げたいだけなので。でも去年の今頃、東京に行ったことを思い出したのですが、死ぬほど暑かったような気がする。どこへ行けばいいんだ。

まあでもどうでもいいや、ちょっと考えたいことがある。書いてから逃げてもいいよなと思う。給料出て買ったのはエルヴィス・コステロの新譜となぜかジム・オルークと坂田明さんのセッションのアルバム…正直これはジャケ買いでした。後日詳しく。後は石原洋さんのソロとWhite HeavenのOutをオーダー中。今年はこれで終わりなんじゃないの?って感じ。幸せ…早く聴きたい。

先日アクセス解析で出て来たページを見ていたらこんなものが!ストーナー・ロックとは何か、ということで解説のページがありました。わかりやすー。卍山崎さんありがとう卍と言いたい。プロト(原型)・ヘヴィ・ロックってかっこいいすね。単純で生理的にわかりやすい(共感しやすい)というのはよくわかる。そうか、だから好きなんだな…リスナーをボンクラ(馬鹿)っていうのもわかる。確かに。

自分としては、ジャンル分けは得意ですがジャンルで聴くということはない。バンドとかその人限定で、自分のかなり狭いピンポイントの好みにはまったものだけ聴いているという感じです。自分が演奏するためにお勉強的に聴いてみたジャズでも知らないもの/好きじゃないものは多い。ストーナー・ロックでも専らBorisを追いかけてるだけで、あんまり他のバンドに興味は湧かないですね。Borisをより深く聴きたいがために、とか比べるために他のを聴いている。

Borisの魅力(自分にとっての)については何度も書いているかと思いますが、サウンドがヘヴィであることと、どっちかというと下手な所(失礼)ですね。曲はけっこう複雑なつくりで、聴いてるとこれを演奏するのにいっぱいいっぱいなのではないかと思ったりするんだけど(ライブ見る時はけっこうはらはらするね)、そこがぐっとくる(笑)。3人の中でつじつまが合ってて、でもバラバラになりそうな緊張感があって、それがおもしろいな。あと曲がよくできてる。リフとか最高にはまるし。キャッチーで、よくつくってくれた!と思う。もっと売れてもいいと思うけどなー。

Heavy RocksのDeath Valleyとかなあ…最新作PinkのElectricという2分足らずの曲なんか冒頭で秒殺。起き上がるからもっと打って!って感じ(馬鹿)なんだけどすぐ終わっちゃうんですよね。イントロが2小節しかなくてさ。ていうかその曲自体が次の曲のイントロなのかという感じなのがまたかっこいい。歌詞もいいしなあ…上述の解説のページで歌詞が単純だとあったけど、Borisはけっこう言葉遊びとかあって、よく意味が分からないとか、どうとでもとれる所があって、そういう所が大人っぽくて(笑)好きだ。そういう単純さ、率直さというのもあると思う。音はど真ん中狙ってるのに歌詞だけはクリシェに陥っていないのがいい。

もともとBorisを聴き始めた理由も前にいちど書いたことがある。ギターマガジンのノイズ特集にwataさんのインタビュー記事が載ってて、機材(オレンジのアンプとかテープエコーとか)の話がマニアックなのとか、とにかく爆音らしい、というのにひかれた。フルテン(最大音量)で尻が震えるくらいじゃないと燃えない、とか言われるとチェックしてみないわけにはいかない。アルバムはすぐに買えて、それが白いミニアルバムのあくまのうた。公式サイトの表紙とジャケが同じですね。ライナーもこういう気持ち悪い絵でいいです。(収録曲フリーのPVがこれのアニメなんだけど破壊的にシュールで最高)

もともとロックは古いものばかり聴いていたので、こういうデザインとか曲とかポストロックの流れを汲んでいるものを初めて聴いてとても衝撃を受けました。ていうかやっぱり最初から音のわかりやすさと歌詞のわからなさのギャップがたまらなかった。あの女の音量っていう曲名が好きなんだけど、歌詞の内容が未だによくわからない。それで好きなのかな。それを買った後に死ぬほど嫌なことがあって、そのために会えたんだなあと思った。これを聴くととても気分が落ち着いた。決して押し付けず、求めず、ただ見つめ受け止めるために大きく広げられた胸。これだけはまっすぐ見つめることができて、もっと言葉を尽くしてもいいんだと思った。音はすごい原始的というか(笑)シンプルなんだけど、やっぱりそこが肝なのかな。


2006年07月12日(水) 洗って干して / Dopesmoker

いつもよりは涼し目だと思うんだけどやっぱり暑い。洗って干して洗って干しての生活。自分の中身も洗濯機に入れてごろごろ洗ってきれいにしてあげたくなる。ぽちして過去ログ全消去の誘惑(ここにはそういうボタンがある)。そういう季節だということなのか。何もかもが気にくわない。暑いけど外に出とこうかな。おいしいお茶が飲みたい。

  

この前映画で流れてた曲のアルバムがタワレコにあったので購入。左がSleepのDopesmoker。マニアックなのかなと思っていましたが、このバンドはこれの一枚でした。山崎智之さんの解説参照。OMほっしいなあ。買っちゃおうかしら。ずっと前からアマゾンでおすすめされてて(borisとか買っていたためその情報からか)何だろう?と思ってました。えへ。でも別に草には興味ないなあ。素面でラリってるようなものだからな…

今月は何を買うのか。ディスクユニオンのメルマガにて8月は高柳昌行月間とのこと。いろいろ出るみたいですよ。右のBoris with MerzbowのSun Baked Snow Caveもここ数日よく聴いている。いいわこれ…前作のMegatoneもよかったのですが、今回はよりオーガニック&ロックな感じになっている。先日エリエリ(映画)を見て浅野忠信のギターがよくなくて、感覚が鈍ってるのか??と焦り、Borisfloodなどまた聴いて号泣したり(笑)してました。好みの問題か…この辺もまとめて感想を書いておきたい所です。昨日話に出たユリイカ(雑誌)にBorisのAtsuo(ds)さんと秋田昌美(Merzbow)さんの対談があって、これがまたおもしろいです。特に哲学的でもなくて、演奏の仕方とか、活動の内容についてなんだけど。専門的でわからない所もありますが、なんかロックとは何かみたいな、コアとか原理にせまるヒントが隠されている対話だと思った。


2006年07月11日(火) エリエリ(火曜日) / 私の


まだ頭がよくまとまらなくてエリエリレマサバクタニのちゃんとした感想が書けない。まだメモ。資料としてユリイカ去年の3月号に載っていた佐々木敦さんの論考にリンクしておきます。すごい難しい文章ですが、(だから?)自分にとっては特に意味があるものではなかった。これを読んでearthを聴き始めたので紹介してくれてありがとう、って感じではあるのですが…

ただ最も単純で言いたいことは、この浅野忠信のギターじゃだめだろってことだ。身も蓋もない話ですが、音楽の好きな方が見れば、だいたいがこれがあの人(好きな演奏家)だったらこんなんじゃすまないのに…と思ってしまうはずだ。私だったらBorisのwataさんとかあの人とかあの子とかが出す「あの音」を代替すべく、耳をふさいでしまう。そのくらいだめだ。

ノイズだったらわかんないだろうというのは大間違いだと思う。知識や理性の通用しない純粋な音であるからこそ、その力量がわかってしまうんじゃないかとすら思う。(その一方で他の音楽と比べてはるかに高度な知識や技術が必要なのがノイズなのではないか、という意識もあるんだけど)この映画を論ずるのに有名なアーティストを引っ張ってきたりとか、映画の中でわざわざ彼らを「世界的に評価されたアーティスト」と設定する必要などないのだ。聴けばそれが何であるのかわかってしまうからだ。作中で先に死なせてしまった中原昌也が演奏していたらもっと良くなる可能性はあった。でも、どうなんだろう。作品の作り方に疑問を感じた。


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