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フリフリおれ的わたし的ベスト2007はこちらより


2005年09月27日(火) 火曜日 / リンダリンダリンダ

キセンバルを夜ドライブ。何もない細い道。田舎は昼の方がきれいだ。こういう所で映画撮ればいいのに、と思ったら茶の味があったね…ああいうのどうかしら。芸術とか政治とか何も言うこともなくゆるいだけの沖縄の映画。秋分の日を過ぎて?もう電照菊の明かりが灯っていた。お祭りみたいで好きだ。島を上から見てみたい気がする。

こないだリンダリンダリンダを見てから、やっぱりブルーハーツを聴いている。1st、2ndはやっぱりやっぱりすばらしく、自分は一生聴いてるんだろうなと思った。ハイロウズはなんとなく聴いてない。なんでだろう。ヒット曲はいっぱいあるけど、いつもLPからダビングしたテープを通して聴いてたので、やっぱり最初の未来は僕らの手の中を聴かないと!って思う。あれから全てが始まったから。リンダリンダは最後に入ってるんだよね。

ブルースとかR&Bは短い曲が好きだ。しかも歌詞とかナンセンスで笑えるやつ。ブルーハーツだったらダンスナンバーとかレストラン、長めのでも英雄に憧れてくらいだな。マーシーのキューティーπ(パイ)とかですメタルとかくだらなくて大好き。笑い声が入ってるから好きなのかも。ああいうのつくれるのはすごいと思う。アルバムで言えば3rd?のTRAIN-TRAINがR&B色が濃くて好き。小粒ぶりがむしろすてき。メリーゴーランドと流れ者だね。短いやつ。バラードはだるく感じる。子どもだなあ…

いや、なんだろう。チェイン・ギャングとか、ああいうのは音楽じゃなくても語れるような気がするんだけど、ダンスナンバーみたいな、よし行け!っていうのは音楽でしかできないんじゃないかと思う。単純かもね…そう、3コードのブルースの最後の展開とか次のコーラスに行く時のジャンプ感、ジャズの4ビートのライドシンバルに最初に触れるあの気分。音の大きさとかどうしようって思う一瞬のひらめき。ブレイクする時にみんなに目配せして、数えて出る時のあの気持ち。ほら行け!っていう、あれは音楽にしかできない。ドラムってことかもしれないな。どうだろう?

映画の感想は書きそびれてしまったけど簡単に。とにかく私はペドゥナが見れて満足。やっぱり走る所で泣けた(笑)。あれを撮った映画なんだなあ。見てよかった方は吠える犬は噛まないも見てね。男子生徒に告白されて「あー練習行っていいすか?」みたいな場面がとてもまんがちっくなんだけど、どっちかというと少年まんがみたいと思った。でもあの女の子たちがトラブルの後にオリジナルやるのやめてブルーハーツやろうって決める気持ち、っていうのはわかるような気がした。あの音楽をやりたい気分というか。ぽかっとあいたすきまを見つけるんだな、あの音楽で。

ベースの方は実際にバンドやってるし、ドラムの子も趣味でちょっと叩くっていうのではまってるのがよかったな。自分ちで練習してる所でマイキック(ペダル)があったのが感動した(笑)。あとドラムの子がいちばん女らしいキャラっていうのが新鮮。ドラムはいつもお笑い要員だもんな…あとギターの子の元カレっていうのがいかにもバンドマンっぽくてかっこよかったです。その前に家でNANAのプロモーション見てて、中島美嘉はともかく松田龍平ほか男の出演者のはまらなさにがっくりきてたので(松田龍平って革ジャン似合わないんだなあ…意外)、あーそうだよバンドマンってこんな感じだよねと思ってほっとした。顔がいいとか背が高いとかじゃなくて雰囲気なんだけどね…馬鹿ですね。

ライブの場面もよく撮れてて、あれがとてもよかった。ドラマー位置の真後ろからのショットでドゥナが感極まった表情で横見回す所とか、ぐっときてしまった。あそこはその前に歌ってた湯川潮音ちゃんや姐さんがとてつもなくすばらしくて、誰がその後にやろうとも見劣りがしてしまいそうなんだけど、気合いというか存在感で負けてなかったのが驚いた。女優魂ってやつかもね…でもコピーなんだけど、ど下手なんだけど、見ててわくわくしてよかったな。あれはすごいと思った。

実はそんなに期待してなかったんだけど、演奏が楽しめたのでよかったですね。ジェームズ・イハの音楽はそんなに印象に残らなかったけど…曲のキーをそのままやってるというのも重要だったかも。キーで雰囲気変わるのでそのままできてよかったと思うし、エンドロールでドゥナたちの演奏からオリジナルのブルーハーツにそのままつながるのが効果的だった。


2005年09月25日(日) 青空がありさえすればそれだけでいい / 大野一雄 稽古の言葉

ちょっとずつ涼しくなってきた。今聴いているのはTZADIKの安売りしていたイクエモリ&天鼓(vo)のデュオ。ゲスト入りですが、割と普通の歌ものが20曲ほど入ってる。モリさん機械なのにかっこいいドラム…どうやってるんだろう。

実は数時間前にいちどここを書き上げて、プレビュー中にソフトが落ちて愕然。とりあえずご飯食べてお皿洗って気を取り直した。アイスクリーム食べたいなあ。…

こないだできたサンエー(地元のスーパー)の宮脇書店に行く。立川におけるオリオン書房のようにいたる所にある。品揃えが豊富なので文句は言わないけど…遅くまで開いてるし。いろいろ買うつもりだったんだけど、ほとんどが立ち読むだけで満足してしまった。買っても読めなさそうだからかな…レヴィナスの解説書とか内田樹さんの新刊とか、森達也さんのは買おうかなー。この前Aを見た時に感じたことがそのまま書かれててびっくりした。撮る人の気持ちがそのまま映るものなんだなあ。不思議。そうでもないか?

そういえばAと言えばAAという間章に関するドキュメンタリーもあるんですね。青山真治監督で。boid.netのreportの所に撮影日記がありました。そろそろ公開されるのでしょうか。見たいなあ。それもいいけど爆音ギター映画エリ・エリ・レマ サバクタニが見たい。AAはともかくこれは沖縄でも見れないかな?吉祥寺バウスシアターとかでやるんだろうな。爆音じゃないと意味なさそうだし。

谷川俊太郎さんの夜のミッキー・マウスもあったので読んだ。なんか作品のスタイルがバラバラで散漫なのがいい感じだった。私は全部ひらがなの子ども語り詩集はだかがとても好きなので全部ひらがなの作品に目を奪われたけど、いちばんよかったのが台所の詩だった。私も泥だらけの野菜の目で今の自分を見てみたい、と思う。子どもの頃に食べたうちの畑でとれた人参の目で。まあでも今の私も人参さんとそんなに変わらないよな。


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そこで買ったのが大野一雄 稽古の言葉。やはり大野さんご自身の言葉を読んでみたいと思った。これは77-96年の稽古の録音テープを起こしたもので、その20時間分の記録から抽出して編集したものだそうです。時系列に沿ったものではなく(日付けは入れてほしかったなと思いましたがそれもも無い)アフォリズムの形式になっています。


俺はこんなに美しい。あなたは美しい。こんな美しさは見たことがない。今まで見たことがないような美しさだった。(中略)冥府をつぶさにのぞいて足を踏み入れたときに、なんてすばらしい匂いだろう、音だろう。それはあなたの習慣的なうごきから自然に発する、超音楽かもしれない。さあ、そのままの姿で冥府から現実の世界へあなたは歩んでいる。冥府から現実の世界に歩いてくる。かつてあなたが現実の世界で生きていたあのときのあなたと、いま冥府を体験したあなたとはまったく違っていた。見たところほとんど変わりない。まったく変わっていた。できたらば冒険があってほしい。抜け出してあなたは冥府を通り抜けてきた。


冥府とはおどろおどろしい表現だけど、一段下がったうすぐらい次元を通り抜ける感覚、というのはわかる気がする。目を開いていても何かを見るというのではなく、何かが出たり入ったりする所にしておく、ということ。魂の出入口みたいな言い方を大野さんはしている。魂の鳥のようなものが飛んできて、目の中に入ってくる。そのために目を(それらが)入りやすいようにしているか?と。目で触るということだろうか?


魚が一匹入ってきた。魚が一匹入ってきたことによって、ぐらりと変わってきた。それだけの違いです。魚が入ってきたおかげで、関係が、死が生を照らしているように、生が死を照らしてように、生が生き生きと。さあそう言う中で自由にやってごらんなさい。(中略)魚の目のなかで、あなたの指の動きは、手の動きは何を語っているのかな。数学や科学ではとても解明することができなかった。今までみたことがないような。いや私は何かに触れている。


しば先生からも同じようなことをよく聞く。肌で音を聴いてる、とか。みきちゃんもそんなことを言ってたな。私も演奏中は場の空気に乗るために、意識して何かを見つめるということをしていない。見て合わせるとむしろ乗り損ねてしまう。聴覚は鼓膜の振動だから、視覚の情報取得よりももっと原始的かつ官能的な方法なのではないかと思う。体中で世界に触ること。勅使川原三郎さんは空気や水の肌触りに意識を向けるようにとよくコメントしてたなと思い出す。


あるとき私は私自身に、出ていって、出ていきなさい、出ていって出ていきなさいとそう言った。(中略)蓄えられたエッセンスが手の中にあって、手が私から切り離されていった。(中略)魂が、エッセンスが飛び出していく。私の手が飛び出していく。あの手を見ろ。あれはお前自身の旋律だ。永遠の距離があった。私は私と無関係にエッセンスが離れていくのを見た。かつて私自身でもあったのに、今は他人のようにそのエッセンスを眺め感じることができた。お遊びなんだろ。


音が見えるようだ。どんな言い方で言われた言葉なんだろうと思う。速さは、音程は、どんなリズムだったんだろう。私にとって言葉は何を話すのかではなくどう話すのかの方が大事だからだ。土方巽は泥くさくて訛りの入ったダイナミックな話し方のイメージ。大野さんは字面からして土方巽のような破格の迫力は無いけど、たぶんもっと薄い声で優美な調子で流れる言葉なのではないかと思う。どうだろう?たぶん1ページ分ひとまとまりで話されたと思うので略するのは不本意なんだけど…黙読すると気持ちがいい。


そうやって無心に何かの通り道になるだけではなく、動いて生きること。溺れて、食われ、腐って落ちて壊れること。顔に微笑みが浮かぶ。しかし内部では猛り狂っている。そんななかで稽古ができたらこんなにいいことはないと大野さんは言う。悪魔の傷痕は決しておもてに現れない、膿やかさぶたを表面に出さないで美しく居ることが踊りをやる者にとっては大切なことだと。この辺が大野さんの考え方なのかなと思う。そしてなおすべてを捨てて求めること。魂の澱の上の澄んだ所から沸き起こる無邪気な祈りのようなもの。それが大野さんの踊りなのかもしれない。


何もかもご破算にして投げ出して。そこから立ち昇るものがあなたのものだ。考え出したものではなくて、立ち昇るものがあなたのものだ。細密画のように立ち上るものを。追いかけることと立ち昇るものが一つでなければならない。立ち昇ることと追いかけることをして、立ち昇ったときにはあなたはすでに始めている。立ち昇るものがあなたの踊りだ。空はどうなっているんだい。立ち昇るものを受け入れろ。空はいったいどうなっているんだい。そして自由に広がっていく。手が足が、命が際限なく自由に立ち上がるときに手足は同時に行動している。あとじゃだめだ。

イエスに花を手向けなくていい。イエスに花を手向けるよりも、イエスから花をもらったほうがいい。私には手向ける何ものもありません。花ひとひらありません。花が浮かんでいた。空に浮かんでいた。いっぱい空一面に花が浮かんでいた。お前には花がないから空一面に花が浮かんでいるんだ。



2005年09月18日(日) 満月

私は満月の日曜日に生まれた。航さんの満月という曲が好きだ。ピアノがきれいだけど歌は激しく、スパニッシュっぽい感じもする。たたきつけるステップのようなピアノ。うなだれる首筋とそれをふちどるように挙げられ、ゆるやかに曲げられる両腕 のような 美しい線を描く歌声。私はうずくまって、赤く長く伸びるドレープをたどる


もっときれいな写真だったらよかったけど。月光浴。涙を流すだけ流したら回りの世界をしっかりと見てほしいと言う。君って 誰のこと?

樹は水につながり 水は岩につながり 岩は君とつながり 君はいかりとつながる 

怒りは錨かもしれないと思う。どっちも身体をこの地につなぐひとつの方法。 

欠けるところの無い満月に ただひとつの願いごと 欠けることなく君を照らせ 君の腕をそのままに 君の声をそのままに 君の歌よそのままに

最後の道標という曲が呼応する。それについてゆきたいのに ただただ道を照らし、指し示すもの。私を見送るだけのもの 道標は静かに見送って 走れと 道標は静かに見送って 走れ


2005年09月13日(火) うたまーい / Nordeste Atomico vol.1 / MALI

ニューオリンズのミュージシャンの安否情報も落ち着いたようです。Beats21のニュースのページよりWWOZというFM局のサイトにリストアップされています。ゲイトマウス・ブラウンもか!よかったー。いろんな人がニューオリンズに住んでるんだなあ…


今日は民謡特集?前に買ったものの感想です。知名定男さんのうたまーいはシンプルなアレンジのソロアルバム。音は渋いんですが、歌詞が色っぽいのが多い。海のチンボーラーを始めとして有名な曲ばかりです。これも童謡のような楽しい曲なのですが、実はみもふたもない例え話だったり…あといろいろ。

恥ずかしながら私は民謡を殆ど聴かないのでここで解説らしいことは何もできないのですが、子供の頃に聴いたことがある曲が多かった。知名さんは地元の方なので小学校の給食の時間に知名さんのレコードを流すこともありましたね…あとエイサーで使ったりとか。ああ、こういう曲名でこういう内容だったのかと改めて知ったという感じ。越来(ごえく)とか伊計、勝連、屋慶名とタイトルについた地名も近くにあるものばかりです。

アレンジは普通の民謡よりもずっと渋い感じ、エレキギターとかドラムも入らず、三線、琴、太鼓のみ。たまにアップテンポの曲で三板(さんば)というカスタネットのような小物や指笛といったものが入ります。島太鼓の低い方(小太鼓と大太鼓の組み合わせ)がどーんと低く長く伸びてリバーブがかかってるような感じに聞こえた。また琉琴というのがエキゾチックな響きでよかったなあ。これが入ってる曲が好きだと思った。

地元の情報誌に載ってたインタビューによると、このアルバムは前作の登川誠仁さんとの共作を録った時に、ものすごい気合いを入れて準備して挑んだのにさくさくと終わってしまって、不完全燃焼というか、物足りなくてつくってしまったということです。70年代に出した名盤の赤花のこともお話されてましたが、あれは若い時に気取って凝ったものにしてしまった。今思うと恥ずかしい気がする、今回は素直に全力で歌いたいと思った、というような内容だったと思います。還暦を迎えての全力投球。すてきです。またタイトルのうたまーいは歌回り、歌めぐりのこと。ライブや録音で歌う前に準備で歌を探しに歩くんだそうです。


こちらはブラジル北東部の音楽のコンピNordeste Atomico。試聴できないのが残念。久保田麻琴さんの選曲とのことです。ミュージックマガジンにも特集記事やインタビューが載ってて、何だろうとりあえず北東部音楽ファンとしてはマストバイだよねと思って探しました…ライナーの解説は大変に役に立ってありがたかったです。ただ久保田さんのファンではないので残念ながらあんまりありがたみは感じない。

自分の好みはもっとロック寄り・ミクスチャーなものが好きなので、オーセンティックなものが聴きたかったらそれのコンピを選ぶかなと。普通にロックやっててもなんか変?ていうのがおもしろくて好き。ムンド・リブリとか。まあでも買ってよかったです。うーんどっちだ。数年前に来日してファンを湧かせたメストリ・アンブロージオが解散してたのは悲しかった(涙)ですが、シバの声が聴けてよかった。この人の声は大好きだなあ。いつか生で見てみたい…


こちらは西アフリカのマリのアーティストを集めたコンピ。打楽器をやっている私ですが、そんなにアフリカ音楽は聴きません。これは映画のBlues Movie Projectのスコセッシ監督作品Feel Like Going Homeでマリの音楽を紹介してて非常におもしろかったので買ってみた次第です。映画をかけてる桜坂劇場でもフロアで売ってて、そこでは買えなかったけどジャケを覚えてて、後でやっぱり買ったんだな。こういうことしてもらえると嬉しい。

映画の中で紹介されてたのはアビブ・コワテ(Habib Koite)というアーティスト。かなりモダン(たぶんとても若い)なサウンドです。マリという地域の音楽がもともとそんなにドラムばっかりフィーチャーされてるわけじゃなくて、コラとかヴァイオリンみたいな楽器の入ったメロディックな感じだったし、あと仏国の植民地だったというのも大きいかもしれません。なんかラテン入ってる?って感じだったもんな…無骨な米国のブルースと比べるとなんか風流というかセンチメンタルでおもしろかった。すごいエレガントなのですよ。

アビブさんの弾き語りが島というタイトルで、美しい海、僕に恋人がいたらこの美しい風景も一緒に見れたのに…なんてヤサ男系?な詩を美しいメロディに乗せて歌ってくれるのです。そう、この方がこのコンピにも入ってたので買ったのねー(笑)。有名な方みたいで2曲入ってるのー。やっぱりいちばんすてきだったわ…他にも沖縄音階と同じ音を使ったポップスが変拍子で印象に残った。かなり洗練されたアレンジですばらしい。

木琴(バラフォン?)が入ってるのも特徴で、アビブさんの曲でレゲエなんだけど木琴が入ってるのがおもしろかったなあ。ソロもスチールドラムっぽくてミクスチャーな感じがよかった。またなぜかブルースハープが入ってるのとかあったり、アコーディオンとジェンベと合わせたもの(!)とかアラビックな感じのとかいろいろなんですが、全体的に穏やかな音で癒される感じですね。とても聴きやすいと思います。


2005年09月07日(水) Le Quan Ninh 聴きはじめ / まわる / Bones in Pages

シガロス新譜入荷のメールが届く。もう少しで付録CDに1曲入ってるRockin'onを買う所でした。あぶねえ。あーはやく聴きたい。ヤン・ティルセンのとも一緒だよ。えへへへ。またアマゾンからジョエル・レアンドルのライブ盤の入荷が遅れるとメールが来ては?と思う。あっ、いつの間にぽちしてたんだろう。Ingar Zach(読めない)のソロも一緒だった。確かにすごいほしかったんだけど忘れてました。大丈夫か?

Le Quan Ninhの参加作を鑑賞中。いやもう初めからステキすぎます。試聴してわかってましたけど、秒殺されて涙目でプルプルしてます。これについて何か書くなんてオロカ!って感じ(馬鹿)。ミッシェル・ドネダさんとか一緒にやっているんだけどとりあえずレカンニンさんの音しか聴こえません!弓奏のサウンドのバリエーションが幅広い(コントロールできるものなんだなあ…)のと、ドラムの上に何か乗せてたたくのがこの方のスタイルだと思うんだけど、いいなあ〜いろいろ乗せるものがあって、って感じです。あの京劇の鉦、名前すらわからないけどほしいです。カウベルみたいに数種類使いまくってるのが本当にうらやましい。

ていうか、太鼓の上でシンバルとかころがすの楽しいんですよねー。まあノイズの極みなんですが、重力をうまく使ってころがして鳴らし続けるのが楽しい。それをいっぱいやってるのが聴けて嬉しいです(笑)。あっこの人もこれが好きなのね!とわかって 感激。もしもお会いする機会があったらタメ口で話しかけてしまいそうでこわいくらいだ(大失礼)。私は灰皿を使うのが好きなのですが、あのお皿とか輪っかが回って倒れて地に伏す直前の、あの斜めに回ってる瞬間が好き。あれをいつまでも引き延ばしたい欲望にかられる。

それ以外にも、なんかもうほぼ全て特殊奏法というかエフェクティブな音(何の音なの?って感じ)で、ああこういう方っているんだなあと思った。音楽学校できちんと打楽器の演奏を学んだ方なんだけど、それでこういう奏法にいきつくのかなあ。通常のドラムセットではなくドラムをすべてスタンドにセットしてその上に何かが乗っているのがデフォルトという想像もつかない(初めからこんなことやろうとは思わないよなあ)形態で、それを十分に使いこなしてこの方らしいスタイルが出せているのがすごいと思う。まさにポストフリー。脱構築ってやつ?お国柄なのだろうかやはり…

いやそれにしてもただたたくだけではない、美しくチューニングされているのにはため息をついて聴き入るしかないです。メロディックに鳴らされる鉦もいろいろ試して選ばれたものなのだろうな。普通のドラムのテクニックよりももっと自然というか、重力とか反動にあんまり逆らわない演奏のし方をしてるような音。と言っても昔のフリーみたいにスティックをたくさん持ってきてどさっと落とすだけとかアクション的なパフォーマンスとも違って、とても注意深く人力を用いているような感じがする。先日書いたコンタクト・インプロヴィゼーションは別分野ながら自分としてはこの辺にリンクしています。使うのではなくて、ものの重さや硬さなどといったものと協調するようにして音を出したいと思う。


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以下はメモ…
ときどき聴きにいくブログ赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃんこの赤ちゃん誰?の方はおもに写真を見にいきます)のまわるまわる。実際に聴いてみてこうなっているのかーと。先日見た横川理彦さんの演奏みたいな所もあっておもしろかったです。これはいいな…詩の譜面?をつくって複数の人で読むとかどうだろう、デュオとか集団で朗読とか、と考えたりしたことがあったのですが、サンプラーがあったらひとりでできちゃうんだなあ。んー。

Bones in Pages。先日大野一雄さんの本の話で、命の根源のイメージについて考えていたのですが、どうしても勅使川原三郎さんのダンスが思い浮かぶのはこれが見たいからなのか?と思った。単純…全部じゃないけどテレビでやってて、初めてコンテンポラリーダンスを見たのがこれだったっていうのもあるな。本の山の間から勅使川原さんと宮田佳さんと山口小夜子さんがふわっと立ち上がったり通り過ぎたりっていうのを見た。巨大なガラスの破片が体を貫通している(!)衣装もこの作品だったかな…ぐぐって過去の公演の記録を読んでみると生きたカラスを使ってて、今回も出てくるみたいですね。

公式のサイトもあるんですが、コンテンツが少ないので割愛…別の作品ですがわかりやすい感想が嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕さんのページ。この方のサイトはいちおうブックマークしてるんだけど定期的に見に行くことがなくて、こうやってぐぐった先で何度もお見かけしてこんにちはという感じなのがおもしろいです。

またレビューのブログでよかったのが稲岡達さんという方のine's daypack過去の文章のサイトも合わせて。先日の伊藤キム&白井剛の禁色のレビューでもっともまとまっているのがここの文章でした。これからも読ませてもらおうと思います。Bones in Pagesのレビューも読めるといいなあ。


2005年09月04日(日) 大野一雄 魂の糧 / 即興演奏 /コンタクト・インプロヴィゼーション

沖縄台風来るんでしょうか。海は荒れ始めてるけどサーファーがここぞとばかりに集っていたり、のんびりしたものです。でも入社以来の休日出勤なんだよねー。それはぜんぜん大丈夫で、ニューオリンズの台風のニュースを呆然としながら見る今日この頃です。

スープ皿と呼ばれる地形に、軍事予算のしわよせで治水工事もままならないという状況。車を持っていない人たちが閉じ込められてしまうという話を聞いて、米国でもNYや大都会ならいざ知らず車を持ってない人たちがいるんだと驚く。自分達を助けろと銃で主張しなければならないなんて、どんな場所なんだいったい。

私の大好きなニューオリンズファンクのドラマーのシガブー・モデリステさんはだいぶ前からLA在住ときいているので大丈夫なんだろう…ミュージシャンでも避難できた方とそうでない方が分かれてしまうというのはつらい。たぶん山岸潤史さんとかは大丈夫なんだろう。ファッツ・ドミノは安否確認がとれた。アーマ・トーマスはまだわからない…ああ、アール・パーマーは、ワイルド・マグノリアスの人たちはどうしてるんだろう。


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大野一雄 魂の糧を読んだ。大野一雄さんの写真とご子息の舞踊家・大野慶人さんのコメント集です。舞踊家の著作は何冊もあって、土方巽などの踊り手自身の文章というのも非常に興味深いものなのですが、こちらは家族そして同業者とはいえ、大野さんご自身ではない方が語る大野一雄というのがとてもおもしろかったです。最初の一冊にするのは反則かもしれませんが、大野さんという方のことがわかってよかったです。

特に代表作のラ・アルヘンチーナ頌の解説が載っているのがよかったですね。これもご本人が語るとまた違うのでしょうが…慶人さんは舞踏の起原的作品と言われる禁色の舞台で土方巽と共演しており、先日専門誌で記録の残っていないその作品を言葉で再現する(!)ということをしてらっしゃった。証言者、アーカイビストとしてもなくてはならない方なのだろうと思う。

印象に残った部分をいくつか。この本は大野一雄の踊りを体のパーツや動きの特徴、またモチーフに焦点を当てて語っています。ここでおもしろかったのは大野さんは踊りの作品をつくる時にまずノートに言葉でイメージを掘り下げる作業を行うのだそうです。実際に創作メモの写真もあって、軽くプロットを組み立てている感じです。イメージを表す言葉とそれをつなぐ矢印の動きが興味深い。踊りの人はこうやってつくってるのだろうか?

前半の部分は踊りの専門的な要素があって、踊らない自分にはよくわからなくてふ〜〜〜んと読むだけだったのですが、後半の大野さんのとりあげたモチーフや、それの生まれた経歴が語られた所がとてもおもしろかったです。たとえば大野一雄さんというと「私のお母さん」、白塗り・女装で踊っている方というイメージなんですが、これは大野さんの踊るということの根源が女性のイメージにあるということであると。ドレスで踊る時とタキシードで踊る時の動きは当然ながら違うのだろうけど、タキシード(男装?)で踊る時には死のイメージが立ち上がってくる、というのがおもしろかった。

女に変身するというよりも、命の根源にさかのぼりたい、自分の踊りを愛するものに捧げたいということ。対極の向こう側にとびこえるダイナミズムということなのだろうか。私が命のイメージを思い浮かべる時は、産まれた子どもそのもので、それもやっぱり男の子だったりするので自分の違いを感じておもしろく思う。そういうものだろうか。自分は踊り手ではないのでどう表現するのかとかはわからないけど、作品としてひかれるものというとそういうのが多い。

また最も印象的だった部分は、大野一雄の舞台の上の愛ややさしさは特別なものであって、日常の中には無いものなんだっていう所だろうか。家族である慶人さんのひとつの謎でありつつ、芸術家としてはわかる所もあるというのがおもしろかったです。これは踊りに限らず芸術家には珍しくないことだろうなと思う。むしろ特徴というか、日常で何の疑問も無く愛ややさしさに満たされていれば(でもそういう人ってほとんどいないか…)そもそも何かつくりたいって思わないだろうし。

特にダンスや音楽といった、絵画や工芸品といったものとして残らないもの、その時限りで消えてしまうものをつくろうという、創作というより蕩尽と呼ぶ方が似つかわしい行為の動機には、圧倒的な(何かの)欠落、不在とそれへ渇望が存在する、と思う。特に即興というのは永遠に失ったものを取り戻す、とか終わったことを繰り返す方法なのではないかと思う。それは惰性ではなくて(惰性というほど簡単だったらどんなにいいだろう)不可能であることをくつがえす挑戦なのであって。未知、未来へ向かう行為は過去、縛りの世界からトランスすることなのだろうと、書いてしまうと当たり前でしかないなあ…でもそのダイナミズムを自分の中で感じてみる。その動きの中に自分があるのだろうから。

死なないですむのが即興演奏だ(多田雅範さん)と言う聴き手と演奏者の間はそんなに遠くはないんだろう。そういう日常生活とは異次元の空間とか約束ごとに託す気持ちっていうのは何なんだろうなと思うけど。そこでなら思うままに死に、失うことができるということなのだろうか。その望み。それにしてもこの蟹座的表現にしびれる。自分も蟹座なので。

ここからは付け足しのメモ。この本を買った桜坂劇場の本棚にもう一冊ダンスの本があって、どっちを買うか迷った。コンタクト・インプロヴィゼーションという本で、私はまだ作品としてみたことはないのですが、デュオやグループでお互いの力を借りて踊るというものらしいです。時代的に社会的な意味合いを持っているもののようですが、バレエなどの既成のダンスを見直してオルタナティブなものをつくろうという所に興味があります。あと技術的に、重力に対抗するのではなく利用するといった考え方とかおもしろいと思います。

でその分野の最前線を報じる著作が出ているというのを知って、メモとして貼っておきます。(いとうせいこうさんの先見日記)これは先日買ったDDDというダンス雑誌にも載っていたのですが、ダンスと武道の出会いということで、アイデアとしてはそんなに目新しいものではないんだろうけど、実際の現場の様子が見てみたいと思った。本屋で見るのが楽しみだ。


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