日記っぽいモノ。

INDEXpastwill

通院日。
2006年03月31日(金)

診察で、
頓服薬を使い分けたいと話してみた。

最近の生活環境を考えると、
外にいる時には抗不安作用の強いもので、
ゆっくり休める場所にいる時には精神安定作用の強いもので、
と使い分けた方がもっと動けるようになると思ったから。

先生は、了承してくれて、今までの頓服薬をなくして、
別の頓服薬を二種類出して下さった。

母の通院についても話して、
今日は父の車に乗って来られた事も話して、
スカートで外出が出来るようになった事も話して、
塾の先生の事も話して…

自分で自分を上手くコントロール出来ているいい状態と言われて帰って来た。


褒められて気分がよくなっていたのか、
あまり疲れを感じていなかったので、
前々からしたかったケータイの機種変更をしに行ったら、
早速今日処方された頓服薬のお世話になる事に…。

ちょっと調子に乗りすぎたかも。


2005年03月31日(木) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年03月31日(水) 何だか落ち着かない一日(涼音)
2003年03月31日(月) カビ生える前に…(ゆり)

スカート。
2006年03月30日(木)

今日は、
統合してから初めて、
長くないスカートを履いて外に出られた。

友達と一緒に近所のカフェへいっただけだけど、
自分では結構進歩のつもりで、その友達に今日の事を話した。

彼女には、障害の事などもよく話していて、
彼女なら一緒に喜んでくれると思ってたんだけど、
そうは行かず、

愛仁ちゃんは、
彼氏が家まで迎えに来てくれて、
家まで送ってくれるとかじゃなければ
スカート履いて外出しない方がいいと思う

と言われてしまった。

理由は、“危ないから”だそうで、
彼女なりに私の事を考えてくれているんだろうとは思ったものの、
ちょっとショックだった。


帰宅してから、
今まで自分が目標にしていた、
「スカートで外出」
っていうのを否定された気になってしまい、
落ち込んでしまった。


でも、一人の意見だけ聞いて落ち込んでても仕方ないと思い直し、
私の障害の事を知っていて、家族の事なんかも時々相談していた、
学生の頃通っていた塾の先生に電話をして話を聞いて頂いた。


先生は、カウンセラーでもあって、先生の意見を述べてくれた上、
何かあったらいつでも話しに来ていいし、電話もしていいと言って下さった。


先生に、今の治療状況を話して、
カウンセリングは受けていないけど、
時々自分一人じゃどうしたらいいのか判らなくなったり、
間違った方へ突っ走ってる時があって不安だと話して、
時々話を聞いてもらえるようお願いした。

けじめをつける為に、時間や曜日を決めたいと伝えて、
次の先生の都合のいい曜日で、私の調子がいいに日に先生のお宅へ伺う約束をして、
電話を切った。


自分の考えがまとまらない時には、
やっぱり複数の人の意見を聞くべきだと思った。


この件に関しては、
まだ自分の納得いく結論が出ていないので、
他の信頼出来る人にも意見を聞かせてもらえたらいいなと思っている。


2004年03月30日(火) 嬉しいコトだらけ?(涼音)
2003年03月30日(日) 春だねぇ…(ゆり)

属する場所。
2006年03月29日(水)

色々な場所で目にするサバイバーさんの意見に対して、
ちょっと前までは、賛同しまくってるって言える位賛同してたのに、
最近、いろんな意味で賛同出来なくなって来た。

かといって、
自分がスライバー化したとは到底思えない。

サバイバーを名乗る気は今は無いけれど、
心の底からスライバーになりきれてはいないと、
だからこういう場所でこんな事を書いているんだと、思う。


先日の日記にも書いたけど、
今の私は、いろんな意味で中途半端な位置にいて、

例えば、
解離性同一性障害じゃないけど、健常者じゃないとか
アパートを借りているけど、完全な一人暮らしじゃないとか

何だかそういった事が凄く気になってしまう。


自分の属する場所が何かしら欲しいのかも知れない。


2004年03月29日(月) 1週間経って(涼音)
2003年03月29日(土) 【まりや】ちゃんの…?(ゆり)

許す事。
2006年03月28日(火)

最近、母がよく口にする。

私の過去にあった事で、
自分にかかわる話をしている時に。


でも、私からしたら、
これを言われる事が辛い。

「許して」と言われてしまったら、
許す事が出来るにせよ、出来ないにせよ、
つい自分を責めてしまうからだ。

謝る事も同様。


許せたとして、
でも、また思い出して気にしてしまうようなら、
許したハズなのにどうして私はまたその事を考えてしまうんだろう...

となってしまうし、


許さなかったとして、
過去の事を謝って悔い改めようとしてる相手に対して、
どうして私は許す事さえ出来ていないんだろう...

となってしまう。


もしかしたら、
自分が許したつもりになっているだけで、
心の底からは許す事が出来ていないんだろうか...。


2004年03月28日(日) お花見(涼音)
2003年03月28日(金) 【涼音】ちゃん復活!!(ゆり)

黄色いの。
2006年03月27日(月)

実家の方に、
自立支援医療受給者票が届いた。

“重度継続”

の文字を見たら、
なんだか悔しくなった。

自己負担上減額管理票と一緒にクリアファイルに納めながら、
ここの所自分の中で増していた、治してやるって気持ちに気付いて、

一人、ニヤニヤしていた。


2005年03月27日(日) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年03月27日(土) 【さくら】ちゃんちょうちょになる?(涼音)
2003年03月27日(木) 今日もか…(悠宇)

布製。
2006年03月26日(日)

ずっと滅茶苦茶だった月経が、
統合して、自分が女性だと受け容れられるようになってから、
年齢相応の状態で来るようになった。


解離性同一性障害だった頃は、
自分が女性であるという事を認められない人格状態だった事が多くて、
ガリガリに痩せたり、自分を女性と思わなくなったりする度に、
止めようとしたら止まっちゃうし、来たらきたで歓迎出来なくて、
特に治療が始まってからは、まともに来ない時期が長かった。

そんなだから、
それが来た時に、以前と同じ対処法をとる事によって、
過去に引き戻されるような感覚になったり、
その所為で突然嫌気がしたり、
その時期は何となく気分が悪い。


その状況を打破しようと、
最近は布製を利用する事にしてみている。

効果はまだ自覚出来ていないけど、
環境に優しいらしいから、ダメならダメでよしとする。


2004年03月26日(金) あと2週間も…(涼音)
2003年03月26日(水) ちょっと恥ずかしい話(ゆり)

それでない自分。
2006年03月25日(土)

最近、自分が解離性同一性障害でない事で、
ちょっと不安になる事がある。

治りたくなかったとかじゃなくて、
解離性同一性障害ではなくなったけれど、
解離性同一性障害だったからしなきゃいけない何かがある、
とかっていう事になった時に、
ネットでもそういった人を見かけないし、
情報交換する人もいなければ、参考になりそうな資料も見つからない。

解離性同一性障害だった頃に戻りたいとは思わないけれど、
なんだか靄が晴れないような気分になってしまうのは、どういう訳だろう。


2004年03月25日(木) 現状(汐美)
2003年03月25日(火) ≪喫茶室≫!!(ゆり)

結婚って。
2006年03月24日(金)

先日、友人と結婚について話し合った事もあって、
自分が結婚するって事があるんだろうかと考えていた。

今はお付き合いしている人もいないし、
冷静に考えられるいい機会だと思ったから。

でも、行く先は、
結局は世代連鎖に関わる事になってしまって、
何だか憂鬱になってしまった。


まだまだそういった事を考えられるほど、
自分が回復していないって事を認めざるを得なかった。


2004年03月24日(水) ドクターストップ(涼音)
2003年03月24日(月) 私ってば!!(ゆり)

檸々だった私。
2006年03月23日(木)

今日はどういう訳か、
自分が【檸々】だった時の事が、
とてもよく思い出された。


私は子供の頃、家族に虐待されて育った。
その事を家族は、“愛仁の為のしつけ”と言っていた(る)。


【檸々】という人格だった私は、
“愛仁の為のしつけ”の最中によく出ていた。

名前は、末の妹から“姉々”と呼ばれていた事に由来する。
妹が、“姉々”を“ネイネイ”と発音していた事からこの漢字を当て嵌め、
“ねいねい”じゃまんまじゃんと思い、“ねね”と読む事にした。


【檸々】だった私は、
“愛仁の為のしつけ”というのは、
家族の特別な愛情表現だと勘違いしていて、
家族の中で自分だけがそういった目に遭っている事を、
嬉しい事、素晴らしい事だと本気で信じていたから、
そういう風に特別に扱って貰えてありがたいとすら思っていたし、
他の妹達と違う扱いを受けているという事で恍惚さえ覚えていた。


初めての入院をするまでは、【檸々】はしょっちゅう出て来て活動していた。
私の多重人格症状を“親の気を引くための演技”という医師が主治医だった為、
“愛仁の為のしつけ”が毎日繰り返され、他の人格は外に出たがらなかったので、
交代が制御出来た訳では無かったが、【檸々】でいるという事が都合が良かった。


【檸々】だった私は、家族が落ち着いていると不安になったが、
「どうして今日は怒ってくれないの?」と質問するだけで、必ず不安は解消された。
【檸々】にとってはとても過ごしやすい環境だった。


ところが、入院による環境の変化から主人格が交代し、
退院後は主治医が変わり、DIDの診断が下せる医師ではなかったが、
多重人格症状を示唆され、他の人格と連絡を取るよう指示したり、
母とも面接をして、母を変えようとして下さった。

この先生のお陰で、治療の進み具合が好かったと思うし、今は感謝しているけど、
【檸々】だった私には都合が悪く、不安になる事が多くなって、結局外に出る事は減り、
母が本格的に治療を受けるようになった頃には、すっかり外に出なくなり、
外に出ないで生活する人格のグループと意識内で生活するようになった。


DIDの治療が始まってからの【檸々】だった私は、
意識の深い所にいた為、目に見える形では治療に参加していない。
皆で一つの事をと始めたこのサイトの事にも手を付けていない。


そういった訳で、
【檸々】だった私を知っているのは、今の私だけだけど、
今の私は、かつて自分が【檸々】だった事や、
【檸々】だった私から学んだ事を忘れてしまいたくないと思うから、
ここに書いておく事にする。


2004年03月23日(火) 今日も…(涼音)
2003年03月23日(日) 治ったと思ったのに…(ゆり)

顔。
2006年03月22日(水)

ちょっと、否、とても悲しい事があった。
どんな事かはここに書くべきじゃないと思うから書かないけど。

今日、あまりにも悲しかったので、
私にしかわからない問題なのに、
家族がいる実家のリビングでションボリ状態でいた上、
母が話し掛けてくれた時に、思わず泣いてしまった。

私はその時、
見られてはいけない物を見られてしまった、
自分の問題なのに制御出来ていなくて恥ずかしい、
母にまたいらん気を遣わせてしまう、等と考えていた。

でも、母の口から思わぬ言葉が飛び出した。
「愛仁にも悲しい顔が出来る様になってよかった」
母が私をバカにしてるとかじゃなくて、しみじみとそう言ったのだ。

私は確かに、他人に怒った顔や泣いた顔をあまり見せた事が無い。
見せないのではなく、見せる事が出来なかった。
見せる見せない以前に、出来なかったのかも知れない。

今まで人前で出来なかった悲しい顔を母に見られてしまって、
心配を掛けたくない、不安にさせてしまってはいけない等とは思っていたけど、
普段見せない表情を見せた事によって、逆に母が安心しよう等とは夢にも思わなかった。

母が話を聞かせて欲しいと言ってくれたので、
母には全く関係ない話だけど、悲しい理由を思い切って話してみた。

話しているうちに、
段々事実関係が整理されて来て、今度は段々腹が立って来た。
私は無意識に、悲しい顔を受け容れてくれた母に怒った顔も披露していたらしい。

母がまた言った。
「愛仁が怒った顔も出来る様になってよかった」

私は、涙を流しながら、
母と顔を見合わせて、笑った。


2004年03月22日(月) 3日目にして…(涼音)
2003年03月22日(土) 謎が解けた気がする(ゆり)

名前バトン。
2006年03月21日(火)

実子ちゃんから受け取ったバトン。

・貴方のLNまたはHNは何ですか?
 ⇒愛仁。

・名の由来は?
 ⇒“愛”は尊敬する人の名前から。
  “仁”は好きな言葉。

・差し支えなければ本名を。
 ⇒今は差し支えなくないので勘弁!

・過去に使ったHNまたはLNは?
 ⇒これは沢山あり過ぎてまた困るな(汗)。

・過去に付けられたあだ名は?
 ⇒あだ名付けられた事が無い。
  名前にちゃんとかばっか。

・今までに可愛いと思った名前は?
 ⇒思い当たるものが無い。

・1番大切な人になんて呼ばれたい?
 ⇒統合した今は本名で。

・本名とHNどっちが好きですか?
 ⇒今はどっちも好き。

・また生まれ変わってもその名前がいいですか?
 ⇒折角生まれ変わったなら、名前も変わってて欲しいな。

・バトンを回す5人。
 ⇒毎度の事ながらいないので。

  ここを読んでる方でバトン受け取りたいと思った方、お持ち帰りして下さい。
  ケータイユーザーさんで、問題をメールで送って欲しい方はこちらからメール下さい。


なんか見てる人を楽しませる事を書けてなくて申し訳なくなって来た…。


2004年03月21日(日) お仕事2日目(涼音)
2003年03月21日(金) やっぱ風邪かも(ゆり)

着脱願望。
2006年03月20日(月)

自分が女性であるという事を受け容れられるようになってから、
身体つきは、自分でもビックリする位の速度で、女性らしく変わって行っている。

それは大きな進歩なんだろうけど、時々過去の事を思い出して、
自分の身体つきに対しての物凄い嫌悪感から、体調を崩してしまう事もある。


“疲れてしまって休みたい時には着脱が出来る”とかいう事にならないかな。


2005年03月20日(日) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年03月20日(土) お仕事初日(涼音)
2003年03月20日(木) 熱が出た(ゆり)

諦め所。
2006年03月19日(日)

今日、フラッシュバックを起こした後、
私はパニックになったまま、過食嘔吐をしてしまった。

正気に戻った途端は、
最近は自傷的な行為はずっと落ち着いていたのに…と、
激しい自己嫌悪に陥ってしまったんだけど、
それでは悪循環を引き起こし兼ねないとすぐに気付き、
考え方を変える事にエネルギーの配分を切り替えてみた。


大分時間が経ってから、
自分が納得出来る結論に辿り着く事が出来た。


しちゃった事は無かった事に出来ないんだから、
ま、いっか。

包丁は台所にあったけど、身体を傷付ける事はしなかったんだから、
ま、いっか。

外に出て行かなかったんだから、
ま、いっか。

パニック状態で誰かに連絡して、迷惑掛けたりしなかったんだから、
ま、いっか。


後悔する事は、
同じ事を繰り返さない為には役に立つけれど、
自分の首を絞める為のものでは無いって事に気付いた。

適切な所で諦める事が出来るようになる事も、
安定した生活には必要なんだと思えた。


っていう、
気付きによる収穫があったから、今日の所は、

「ま、いっか。」


2004年03月19日(金) これからどうなるんだろう…(涼音)
2003年03月19日(水) ピアスホール(ゆり)

詰まった時。
2006年03月18日(土)

アパートのトイレが紙詰まりを起こした。
お湯を流したりしてみたけど、
それだけで元に戻る気配は無し。

暫く様子を見ていたら、
流すと水位が上がるけど、溢れる事はないようだったので、
今日は使ったトイレットペーパーをゴミとして捨てて、
明日になったら「キュポン」ってするやつを仕入れに行こう、
と考えて、お風呂を沸かして入った。

お風呂に入ってシャワーを浴びていたら、
配水管の方から、普段に無い妙な音がした。

お風呂からあがって、トイレをチェックしたら、
さっきの“妙な音”で紙詰まりが解消されていたらしく、
水位は元の位置に戻っていた。


一つの事をやっていて、
それが上手く行かなくなったとしても、
だからってそこですっかり諦めちゃうんじゃなくて、
他の事をして待ってみるのもいいかも知れないと思わせた出来事。


2005年03月18日(金) メールマガジンVol.12より(苺)
2004年03月18日(木) 緊急会議(悠宇)
2003年03月18日(火) ふぅ…(ゆり)

予約外診察。
2006年03月17日(金)

先週行かれなくて、
聞きたい事がきけなかった事と、
あんまり調子がよくないってのがあって、
主治医のいる今日、
病院に電話して了承を得てから、
病院に行って来た。

7日の日記に書いた事に関しては、
どうしようもないと言われてしまったけど、
過去の事象の想起なんかで気分が悪くなるのは、
思い出さないような状態に出来ないかと言われたので、
暫くまたアパートで過ごそうと思って、
そっちに帰った。


2004年03月17日(水) 疲れの表れ(汐美)
2003年03月17日(月) 疲れた…(ゆり)

話し合い。
2006年03月16日(木)

最近母の様子がおかしい。


母は私が入院したのと同時期に、
自分の担当のカウンセラーが転勤になったのを切っ掛けに、
カウンセリングに行かなくなり、自分の治療をストップさせている。


最近、私が過去の事を思い出して、
それにより体調を左右される事がある事を見た母は、
私に、何でも話してくれと言った。

そう言われたからって突然何でも話せる訳じゃないけど、
母にそういう気持ちがある事を嬉しいと思ったし、
人に話す事が及ぼすいい影響も期待出来るってのもあって、
私は思い出した事を少しずつ母に話していくようにしていた。


過去の話をしている時の母の様子が何だかおかしい事に気が付いてはいたけど、
私が
「お母さん大丈夫?辛かったらいつでも中止して、また再開も出来るんだから、すぐに言ってね」
と話しかけると、母は
「大丈夫!!何でも聞く準備は出来てるから私の心配はしないで!」
と言い切っていたので、私はすっかり信用してしまっていた。

ところが、母はそれを憶えていなかったって事が、
極最近の日常的な会話の中で判明した。

確かに私が過去の話をしている時の母は、
私に折檻をしていた時に似た表情になる事には気付いていたけど、
その後、疲れたと言って寝室で寝ている事が多い事も知っていたけど、
話した事を忘れているとは思いもしなかった。


母の記憶には、私に折檻した時の事は当時から無く、
私はそれを指摘する事によって悪循環を引き起こすのを避ける為に、
あまり触れ無いように気そ付けていたつもりたんだけど、
私がその頃の話をする事によって、“スイッチ”を入れてしまったようだ。


その事に関して、
今日は妹二人に時間を作ってもらって、
母も含めて話し合いをした。


妹二人を同席させたのは、家族の現状を知って貰う為と、
私と二人きりで話す事によって、母の“スイッチ”が入らないようにする為だ。


結果、母にカウンセリングを再開して貰う事になり、
妹達と一緒に、母が通う気になれるクリニックを電話帳やネットで探して、
実家の最寄り駅から乗り換え無しで行かれる駅の側にあって、
最近この地方でなぜか流行っているカフェスタイルの待合室のクリニックがヒットした。

母はカフェスタイルの待合室がかなり気に入ったようだし、
私も、家族へのサポートの姿勢も明確にしているそのクリニックに好感を持ったので、
治療の互換性に関して、私の主治医の許可を得られたらそこへ通うようにと母を説得した。


母の辛さを和らげる事は勿論だけど、妹達の回復の為にも、
母には、今度こそドロップアウトする事無く治療を続けて欲しいと思う。


2004年03月16日(火) 仕事をしようと云う気持ち(汐美)
2003年03月16日(日) 同じ体なのに…(ゆり)

お試し。
2006年03月15日(水)

今日は雑用を済ます為、
家族に頼んで実家のリビングを三時間の約束で借り、
珈琲を淹れて、お友達とお喋りをしながら、
リビングのパソコンを使って色々作業をしていた。


彼女は作業が終わったら、
歯科医院に行くと言っていた。


どういう訳か私は、小学校の高学年位の頃から、
歯科医院で整体という名目での暴力や、性的な嫌がらせを受けていて、
しかも交代しながら凌いでいたので、それでもかなり長い事通ってしまっていた。

勿論、歯科医院行きを自分で決められる年頃には、
その歯科医院へはすっかり行かなくなったし、近くを通るのも避けて、
治療が始まってからは、歯科医院自体に近寄る事まで避けていた。

そんな訳で、
私はもう八年近くも歯科医院に行っていなかった。

ありがたい事に歯は丈夫で、
歯磨きさえしていれば、虫歯の心配は無い。
歯石は定期的に自分で処理してしまう。

ただ、その歯医者に通っていた時に治療した歯で、
セメントを詰めている所が劣化する前に何とか歯医者に行きたいと思っていた。


私が歯医者に中々行かれない事を知っている彼女は、
今日行くのは私が通っていたのとは違う歯科医院だし、
一緒に行って、彼女が治療している間、待合室で待っていて、
先ず、歯医者の音や臭いに慣れるようにしてみたらどうかと提案してくれた。
大丈夫そうならそこへ通ってもいいしね、とも。

ちょうど先日、私は母と、
母の歯科受診の日に待合室まででも行って、
イメージトレーニングでもするかと話していたので、
彼女の提案を呑む事にし、支度をして、彼女と一緒に実家を出た。


歯科医院の待合室では、緊張はしたものの、私は以外に冷静だった。
院内は小奇麗で、照明も思ったより明るかったし、とてもオープンなイメージで、
待合室からは、治療中の患者こそ見えないものの、受付越しに診察室が見えていた。
私の通っていた歯科医院は薄暗く、とても閉鎖的で、“普通じゃなかった”のだと、
後で友達と話して判るのだが、この時は、この歯科医院が素晴らしいと勘違いしていた。

それでも、気を張っていた所為か、
私は歯科医院を出ると、疲れてへろへろになってしまい、
歯科医院の近くの彼女の家で休ませて貰ってから帰る事にした。


彼女の家で、少しお喋りをした後、
疲れていた所為か、すっかり気を抜いていた私は、
帰り掛けに彼女が好意で掛けてくれた、
「今日は歯医者さんも行ったし疲れたでしょ、がんばったね!」
という声掛けの中の“歯医者”という単語に反応して、
フラッシュバックを起こしてしまった。

泣いたり、過換気になりかけたりと、パニックになっている私に、
彼女は声掛けをしてくれて、話を聞いてくれたり、水を飲ませてくれたりしたれど、
頓服薬を飲んでも、脚がガクガクになってまともに歩けない状態が治まらず、
結局夜の九時過ぎまで彼女の家で休ませて貰った上、
彼女に車を出させて、彼女が母と相談した上、実家まで送って貰ってしまった。

本当に情けないし、申し訳ない。
それから、どうもありがとう。


実家に着いてからは、
疲れていて休みたかったのに、
興奮して休もうにも休めない状態になってしまって辛かった。
もう少し精神安定効果の強い頓服が欲しいと思ってしまう位だった。


今回のフラッシュバックや酷い疲れの事を考えると、
私の歯科医院受診は、思っていたよりもう少し先になりそうだけど、
自分が歯科医院でされた事をもう一度よく整理しなおしたり、
調子のいい時には、また誰かの歯科受診に同行させて貰ったり、
出来る事から少しづつやって行って、
いつか一人でも歯科医院に通えるようにして行きたいな。


2004年03月15日(月) 目まぐるしく過ぎた一日(汐美)
2003年03月15日(土) 猿のでこちん(ゆり)

例えバトン。
2006年03月14日(火)

これも実子ちゃんから受け取ったバトン。

Q1.送ってくれたヒトを色に例えると?
  ⇒こんな感じ

Q2.自分を色に例えると?
  ⇒よく判らないけどこんな感じって言われた事がある。

Q3.自分を動物に例えると?
  ⇒うさぎかな?
   顔がうさぎに似てると言われる事多々。
   飼ってた事がある所為?

Q4.自分をキャラに例えると?
  ⇒ちっとも判らないから家族にも聞いてみたけど、皆悩んでた。
   誰か教えて下さい。

Q5.自分を食物に例えると?
  ⇒キャンディーボンボン。
   中身はスピリタス!!(ぇ

Q6.回す5人を色に例えると?
  ⇒特に回す人もいないので、欲しいって方がいたら書きます。

   ここを読んでる方でバトン受け取りたいと思った方、お持ち帰りして下さい。
   連絡下されば例えさせて頂きます(←オイ)。
   ケータイユーザーさんで、問題をメールで送って欲しい方はこちらからメール下さい。


これ、難しくて時間くったよ。


2004年03月14日(日) 表現の方法(汐美)
2003年03月14日(金) FB進化形!?(ゆり)

性格バトン。
2006年03月13日(月)

実子ちゃんから受け取ったバトン。

●リアルでの性格とHPの性格は?
 ⇒あまり変わりないと思う。

●恋愛対象年齢は?
 ⇒身体の年齢より、精神年齢に重点を置くから何とも言い難い。

●異性に求めるものは?
 ⇒らしさ。

●貴方はSですか?Mですか?
 ⇒色々混ざったばかりで判別不能。

●好きな人が上目使いで甘えてきました。貴方はどうする?
 ⇒はたく。

●飼いたい?飼われたい?
 ⇒どっちもヤダ。

●今でも忘れられない人が居ますか?
 ⇒考えてしまったって事はいないんだろう。

●その人との関係は?
 ⇒いないから。

●回す人は?
 ⇒ここを読んでる方でバトン受け取りたいと思った方、お持ち帰りして下さい。
  ケータイユーザーさんで、問題をメールで送って欲しい方はこちらからメール下さい。


ってかこれって、性格から離れてってないかい?


2004年03月13日(土) お悔やみとお祝いと(汐美)
2003年03月13日(木) FBとうさぎさん(ゆり)

お風呂事情。
2006年03月12日(日)

引越ししてから、
気分好くお風呂に入れるようになった。


引越し前まで、
私にとってのお風呂っていうのは、
小さい頃には嫌な思いをした場所だったし、
成長してからは、嫌な思いをした後に駆け込む場所だった。

その所為か、
治療が始まってからは、
フラッシュバックを起こしたり、
具合が悪くなって倒れる事が多かった場所でもある。

そんな訳で、
私にとっての入浴っていうのは、
マイナスイメージの凄く強いモノで、
義務感で入っている感じだったんだけど、
引越ししてから、お風呂に入るのが楽しい。


アパートのお風呂場は狭いし、
浴槽も、実家のに比べたら半分位。
脱衣所も無い。

でも、もしかしたら、
そのお風呂場の見た目の違いも、
印象を変えるのに役立ってるのかな、とも思う。


アパートにいる時には、
余程鬱状態が酷いとかでなければ、
ほぼ毎日お風呂に入っている。

可愛らしいバスグッズを揃えたり、
自分の好きなハーブやエッセンシャルオイルを入れたり、
防水スピーカーで好きな音楽を流したり、
お風呂を楽しむ工夫をする事もまた楽しい。


“お風呂に入ると疲れが取れる”のを今更ながら実感。


2004年03月12日(金) 初めてのカウンセリング(汐美)
2003年03月12日(水) お子様ランチ(ゆり)

事後処理。
2006年03月11日(土)

フラッシュバックによって、
それまで自ら封印していた何かを思い出した後は、
それを誰かに話してしまえば一山越える事は、
カウンセリングの経験から、身をもって学習済みだ。

でも、最近の“思い出した何か”は、話せる相手が限られる。
自分にとって大きな問題であればある程、話す相手を見つける事は難しい。


だからといって、カウンセリングを受ける気はもう無い。
以前の担当カウンセラーの矛盾する意見に統合してから気付き、
またお願いする気には到底なれないと思っているし、
新しく探す気にもなれない。


もしかしたら、
話さなきゃと思ってるだけで、
実は私は、まだ誰にも話したくないのかも知れない。

だけど、
外に出して行かないと、自分がどうなるかも、
嫌って程、身を持って学習済みだ。

さて、どうするかな...。


2005年03月11日(金) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年03月11日(木) 循環器科受診(汐美)
2003年03月11日(火) FBとお散歩禁止令(ゆり)

通院日。
2006年03月10日(金)

今日は通院日だったけど、
病院に行く事が出来なかった。

今日、父は仕事が休みで、
「車で送って行ってやる」と言ってくれていたのだが、
最近、父との関係が上手く行っていないだけでなく、
父に関連した過去で、あまりよくない事象を思い出す事が多かった為、
父の車に乗ろうとした所、パニック状態になってしまい、行く事を断念した。

父の車で行く予定で支度をしていたので、
電車ではもう予約時間に間に合わない時間になっていたけど、
父に理由を説明する事は、まだ怖くてどうしても出来なかった為、
私の主治医に会って薬をもらって来てくれる様母に頼んで、話の辻褄を合わせて貰い、
父には、「私は今日は具合が悪いから、母に薬を受け取りに行って貰う事にした」と伝えた。

母が主治医から聞いてきた話だと、
今の私は、DIDの回復過程としては、とても安定していて好い状態なんだそうだ。

嘔吐などの症状に関しては、
過去の記憶の整理や、自分の記憶の整理、自分作りなどを、
私が一気にやってしまおうとしている所為だろうと言われたそうで、
以前から主治医に作業中である事を伝えていた、過去の記憶の書き出しや、
日記を書く事でしていた気持ちの整理等を、少しスローペースにするようにと指示があったそうだ。


夕方になって、
友人から連絡があり、会わないかと誘われたので、
近所の喫茶店で会って、少し話をした。

今日会った二人の友人とは、小学校からの付き合いだったので、
私は記憶が繋がった事もあり、何だか突然年を取ったように感じてしまった。


2004年03月10日(水) 特殊な能力なのか否か(汐美)
2003年03月10日(月) 病院行った(ゆり)

退行。
2006年03月09日(木)

統合してから、退行(子供帰り)する事が時々ある。

多分、子供の人格だった時の名残りなんだと思うけど、
後で思い出した時とか、その時の話を聞いた時なんかに、
極最近、この上なく恥ずかしいと感じるようになった。

自分が大人の交代人格で子供人格と交代した時には、
話を聞かせてもらっても自分の事とはとても思えなかったし、
自分の思考による行動だという意識が全く無かった所為か、
その人格が何故それをしたかを考えるのに神経が集中していて、
恥ずかしいと考えられるようになったのは最近になってから。

退行して、恥ずかしいと思えるようになったのは、
退行した時に周囲に対してアピールした事やしたいと思った事を、
自分の感情として意識する事が出来るようになったからだと思う。

でも、本当に恥ずかしいと思うポイントはそこじゃなくて、
そういった感情を意識しているにも拘らず、退行という形でしか表せなかったって所。

本来は、退行という形で噴出してしまう前に、
自分で何とか処理してしまわないといけない感情なのに、
それが判ってるのに、なぜ退行してしまったのかと思って恥ずかしいと感じる。

でも、肝心の処理の仕方がいまいちよく解ってないのも事実。

一人格に統合出来るまでは、
子供人格が、その意識している年齢でのやり方で、
周囲に甘える事で解消させていた“甘えたい気持ち”を、
実年齢相応のやり方で外に出す方法が未だに解っていない。

実は私って、外から見る以上に“甘えたがり”なのかも。


2004年03月09日(火) 買い物(汐美)
2003年03月09日(日) 痛い(悠宇)

モンダイ。
2006年03月08日(水)

私には、統合した後の今も、
まだ、性的に変な所が残っている。

統合前には、記憶が繋がってなかったから、それぞれに、
「自分とは違う人格だし、そういう事があっても仕方ない」で済ませて来たけど、
統合した今、そういった部分はうまく整理しきれないままだけど、仕方ないでは済まない。

例えば、
ある人格だった時、
私はカジュアルセックスという自傷行為をしていた。
主人格の恋人、主人格の友達、バイト先の人、偶々行き会った人...etc.
異性なら、見境無く、関係を持ってしまう事が多かった。

ある人格だった時、
私にとって男性は恐怖の対象で、男性に女性として見られると、
女性らしさの象徴になり得る場所への自傷行為をしていた。
気になる部分に傷を付けたり、食事を抜いてガリガリに痩せたりした。

ある人格だった時、
私は男性人格だったり、同性愛の気があったりしたので、
女性と性的な関係を持った事もあるけど、
私は虐待者側の人格であったり、そういった側からしか学んで無かったりだったから、
結局相手を傷付けて、自分をも傷付けてる事になってたんだけど、
それを自覚していても止められなかった。

これは一部分だけれど、
これだけでも、十分異常だと思っている。


今、過去に上の方で書いた様な自傷行為によって、
その場を凌いで来たのと似たような場面に出会った時、
私は異常だと自覚しながらそれをしようとしたり、してしまう事がある。

特に危ないのは、フラッシュバックを起こした後で、
誰も止める人がいないと、フラフラとどこかに出掛けて行きそうになる。
それをしようとすると、
“その行為がフラッシュバックの引き金になっていた人格だった部分”が反応して、
性的な問題に関するフラッシュバック連鎖状態に陥って、
一段落すると、また出掛けようとしたり、自身を傷付けようとしたり…。
終わりが見えないようで、行動している自分自身、とても不安になる。

統合直前は、そういう事があっても、
中から誰かが声をかけて、無理矢理止めさせたり、交代したりして、
その場は納める事が出来ていたけど、統合した今、私は一人だ。
今の所、外へ出て行こうとしている自分に気付く事は出来て、
何とか出て行かないようにする事は出来ているけど、
正直な所、それだけがやっと。

そういった自傷行為の代わりになる、
自分を傷付けない方法を学習するべきだという事はわかっているけど、
そこに行き着くまでの行動すら、落ち着いている時には怖くて出来ない。
統合して記憶が繋がって以来、外出する時にスカートを履く事も出来ていない。
露出度の高い服は勿論、身体に添うデザインや可愛い色柄の物もダメで、
化粧も出来ないし、美容院にも行かれないし…。


取り敢えずは、
スカートを履いて外出しても平気でいられるようになる事が目標。
気持ちの問題も勿論だけど、脚が無事だって事も含めて。


2004年03月08日(月) 初めまして(汐美)
2003年03月08日(土) お通夜(悠宇)

表現。
2006年03月07日(火)

私は、何の前触れもなく、
何とも言い難いとっても嫌な何かを感じる事がある。

次回の診察で言わなきゃと思うので、今日はそれをなんとか言葉にしてみようと思う。

自分の感じる事を感じる順に書くから、そんな感じがするだけって事もあるだろうし、
傍から見たら順番はこれから書く通りじゃない可能性もあるので、その辺りは誤解なさらぬよう。


先ず、
体中の毛穴が動き出したような感じがして、体中の皮膚で、
“熱いんだか冷たいんだかわからないけどなんだか強い刺激”を点で感じる気がする。
体中の毛穴全部にメンタム(タイガーバームでもいいや/笑)を詰めて、
熱いお風呂で温まってるみたいなイメージ。
特に顔や頭に強い刺激を感じる。

それから、体中が心臓になったみたいにドキドキする。
頭とか、足の先までドキドキしてる感じ。

今までどうやって呼吸していたかわからなくなって、意識していないと息を止めちゃってる。
でも、息しなくちゃって意識し過ぎると、今度は過換気を起こす。

体中の力が抜けてその場にへたり込む、あるいは、ぶっ倒れる。

冷や汗、脂汗を沢山かいていて、
無意識の内に出た涙と鼻水で、顔がぐしゃぐしゃになっている。

この辺りで、自分がどういう事になってるかやっと認識出来るが、
この段階ではまだ動けないので、その場でじっと治まるのを待つ。

数十分もすれば、
這って移動して顔を拭ったりトイレへ行ったり出来る様になるけど、
脚や手がガクガク震えていて思い通りにならなくなってる事に気付く。

この辺りで、頓用の安定剤を飲む事がある。

一時間強で、何とか思い通りに体を動かす事が出来てくるが、
物凄い疲労感で、何もしたくなくなって、横になって数時間休む。

これでワンクール。


解離性フラッシュバックを起こした時とは違って、
多少ふわふわした感じはあるものの、現実の認識はちゃんとあるし、
過去のイメージは浮かんで来ない。

最近、ある本を読んで、
どうやらこれは恐怖を感じているみたいだって事に気付いて、
PTSDとかC-PTSDだとかの症状に似ているって事もわかったんだけど、
対処法がわからないので困っている。


今、書いてて思ったんだけど、
小説なんかで、
「身の毛も弥立つ恐ろしさ」とか
「皮膚がじりじりと焼けるような恐怖」とか
「怖さの余り髪の毛が真っ白になっていた」とか、
そんな風に表現されている恐怖って、こんな感じなのかも。


2004年03月07日(日) 【汐美】お姉ちゃんは実在した!!(涼音)
2003年03月07日(金) ウサギ人格?(朱夏)

優先順位。
2006年03月06日(月)

目に見えない問題を整理する事に専念すると、
回想する事が増え、体力や精神力の消耗が激しくなってしまうので、
目に見える何かは出来なくなってしまう。

目に見える問題の解決に専念しようとすると、
焦って誰の目にも見えるアクションを起こそうとしてしまうので、
目に見えない問題は棚上げされてしまう。

どっちも上手い事出来ればいう事無しだと思うんだけど、
両方いっぺんにとか、小刻みに切り替えたりとか、どちらかをどちらかに組み込んだりとか、
そんな風に進めて行く事が出来る程には、私は器用ではないらしい。

どちらかを優先し、先に進めておくべきなのか、
どちらもうまく進められるようになる為の何かをするべきなのか、
それとも、
もしかして両立出来ないのは疲れてる所為かも知れないから、
大事をとってここらで少し休養するべきなのか。

判断がつかなくて前に進めず、今ちょっと困っている。


2004年03月06日(土) 内科受診、先送り(なお)
2003年03月06日(木) ウサギ?(朱夏)

話す事。
2006年03月05日(日)

過去に自分の身に起こった事を話す事って、
私には、物凄く難しい事に思える事の一つだ。

解離性同一性障害と診断され、
カウンセリングを受けていた頃の治療中でさえ、
誰にも話さなかった事を誰かに話すのは、特に難しい。

私の場合、
統合が出来た大きな理由は、
「過去の事象を全て受け容れ、消化出来たから」ではなくて、
「過去の事象を受け容れる準備が全人格に出来たから」だったから、
統合してみなきゃよくわからんって部分が多かった。

勿論一部の人格同士は、
話し合いを繰り返したりする中で、そういった事柄にも触れていた訳だけど、
それは、自分の中でする事であって、外に向かってその情報を発するのとは何かが違う。

最近(最後の入院後半あたりから)になって、
主治医との面接で過去の記憶について触れる機会が増えて、
その過去の自分に起こった出来事を誰かに話すようにと指示されて、
それからやっと、話す事に関して前向きに考え始めた位だ。

そう言われても、
いつ誰にどうやって話したらいいのか全く見当がつかず、
取り敢えず、自分で整理出来ない事には始まらないと思ったので、
色々書き出して、年号と照らし合わせて間違って無さそうだと確認したくて、
書き出す作業にばかり熱心になっていたけど、何だかそれも違うような気がして来た。

書き出す作業をしていると、自分の過去に起こった事が把握出来るけど、
把握できるのは、本当に“起こった事”だけで、なぜそれが起こったかまでは把握出来ない。

そうして、私が次にした事は、
「それが起こったのは自分のせいではないか」
「自分が何か悪い事をしていて、実はそれは自分にとって都合が悪いから忘れてるのでは?」
等と自問する事だった。
そして、もう一度その事象について考え直し、
自分が悪いからという構図に無理矢理はめ込みながら、
「きっとこういう事だろう」と考えている最中に、
ふと、「これじゃいかん!」と思った。
その流れは、自分が人格を解離させた時とそっくりだと気付いたから。

そこまで気付いても、
だったらどうしたらいいかがなかなか思い浮かばず、
また解離したらどうしようと、大分脱線した所で悩んでしまった。

だから主治医は他人に話す様に言ったんだろうけど、
この時はまだ、その事と結び付けて考える事は出来なかった。

そこから抜け出せたのには、ありがたい事に、友人達に拠る物が大きい。
「思ってる事話してごらんよ」って言ってくれたり、
私が話した事に対して、自分の意見を言ってくれたり、私の思い込みに依る勘違いを正してくれたりした。

そういった事が重なる内に、過去に起こった事の話にまでは及ばないものの、
自分一人で考えている事がどんなに不健康か、どんなに勘違いに陥りやすいかって事に気付いて、
やっと過去の事を他人に話す気になって来た。

勿論、突然ヘヴィな話は出来ないし、今でも墓まで持ってく気でいる記憶もある。

それでも最近は、少しづつだけど、
友人や一部の家族には、過去の事も話す事が出来るようになって来ている。

思い切って話してみると、
相手が私の話した事に対する意見を言ってくれて、
自分が悪かったという思い込みから開放される事になって、
とても気持ちが楽になる事に気付いた。

主治医に言われてから、
他人に話すって所に辿り着くまでに、
随分遠回りしてしまった様な気がするけど、
“ずっと繋がっている記憶の中で何かを見つけられた”って事が、
他の面に置き換えても、これからプラスに働くと思う。


2004年03月05日(金) 【奈那子】ちゃんの秘密(なお)
2003年03月05日(水) 【まりや】日和(朱夏)

地元バトン。
2006年03月04日(土)

実子ちゃんから受け取ったバトン。


Q1.あなたの地元はどこですか?
  ⇒関東の港町。
  
Q2.地元には、今までどのくらい住みましたか?
  ⇒途中数ヶ月出てるけど、生まれてからほとんどこの辺りに住んでる。
  
Q3.地元で自慢できる事や、ものを教えてください。
  ⇒文明開化の頃の建物が意外な所に残ってたりする。

Q4.では地元で自慢する事ではないがトリビア的なことを教えてください。
  ⇒日本で初めて水道が通った場所らしい。

Q5.今でも地元に住んでますか?
  ⇒住んでる。

Q6.最終的には地元に戻って住んだり仕事したいと思いますか?
  ⇒出来れば。
   同じ海の側でも九十九里にいた頃は何だか合わない気がしたし。

Q7.次に回す5人を指名してください。
  ⇒ここを読んでる方でバトン受け取りたいと思った方、お持ち帰りして下さい。
   掲示板やメール等でサイトを教えて頂けたらこっそり覗きに行きます。
   ケータイユーザーさんで、問題をメールで送って欲しい方はこちらからメール下さい。
  

実子ちゃんと地元同じハズなのに、大分違う答えになってるような気が...。


2004年03月04日(木) お仕事決定!!(なお)
2003年03月04日(火) 春が来た…(朱夏)

逃げ腰。
2006年03月03日(金)

フラッシュバックを起こすのが怖いから、
気持ちがそういう方へ向かない様にする為に何かしらの現実逃避をする。

フラッシュバックを起こすのが怖いから、
大した用事もないのに理由をつけて起きている時間を引き伸ばす。

それでももし思い出してしまって、
それが原因で嘔吐してしまうのが怖いから、
食事を摂らないでやり過ごす方法はないかと考える。

ちょっと“治療に専念する事”に疲れて来たのかも。


2005年03月03日(木) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年03月03日(水) ダルダル雛祭り(なお)
2003年03月03日(月) こんなとこ!?(朱夏)

郵送。
2006年03月02日(木)

役所から、
「今年度から“福祉特別乗車券”を郵送します。」
と連絡があった。

“福祉特別乗車券”は、
私の住んでる地域で手帳所持者に配布されるもので、
バスと地下鉄の運賃がタダになったりする定期券みたいなモノ。

今までは、
決められた窓口へ行って、
手帳の提示と捺印をして受け取るものだったんだけど、
今年度からその手続きが要らなくなって、
手帳申請の時に登録した住所に郵送してくれるようになったらしい。

何でそうなったかは知らないけど、
私にとっては凄くありがたい事だ。

私は、通院でバスやら乗り物を使うくせに、
なかなか“福祉乗車券”を取りに行かれない。

最近は少しマシになって来たとは思うけど、
通院や治療でへとへとになって、他は近所に少し出られる位で、
役所へ行って手続きをする程の気力が無い事が多く、
受け取るのが凄く遅くなってしまうか、受け取り損ねる。

その間のバス代は勿論自腹を切る。
でも病院へは行かなければいけないのでバスを使う。

手帳を持ってるって事は、
そういう社会的な行動に制限があるって事だから、
私と同じような人もきっといる筈だ。

毎回期限が迫るごとに封書で連絡をくれてたんだから、
もっと早く郵送が始まってもよかった様な気もするんだけど、
きっとそこは突っ込んじゃいけない所なんだろう。


2005年03月02日(水) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年03月02日(火) 面会(なお)
2003年03月02日(日) これからは「〜だわさ」が流行る!?(朱夏)

長電話。
2006年03月01日(水)

急に思い出した過去の事が、
どうしても一人で抱えきれずに、
親友に電話を掛けて、思いっ切りぶちまけた。

ついでに、
最近嘔吐が続いている事や、
フラッシュバックが多い事も愚痴ってしまった。

私の診断が現在のものになっているからには、
当然環境はそれなりのモノなので、
過去を思い出したからと言って全てぶちまけるなんて、
“とんでもない”と思い込んでいたんだけど、
彼女には、
私が一人で抱え込もうとしているのが間違いで、
もっと他人に話すべきだと言われた。

彼女に今回話を聞いてもらった事で、
私は、自分の事を他人に話す事に関して、
必要以上に罪悪感を持っていた事に気付かされた。

勿論、相手は選ぶべきだとは思うけれど。


2004年03月01日(月) 嘘も方便?(なお)
2003年03月01日(土) いきなり!?(朱夏)

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