日記っぽいモノ。

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嘔吐。
2006年02月28日(火)

最近、嘔吐する事がよくある。
風邪でもないし、食中りでもないし、
勿論、摂食障害が再発した訳でもない。

どうしてこんなに嘔吐が多いんだろうと考えを巡らせていたら、
過去の記憶に関する自分の気持ちの整理をしている時に嘔吐する事が多い事に気付いた。

気持ちの整理とは言っても特別にそういう時間を作っている訳ではなくて、
何かをしながら、
「統合前は●●だったけど、今の私なら××の経験を生かして○○だな」
なんて、頭の中で言葉にするまでもなく行動してる時だったりする。

受け容れたつもりの記憶でも、本当に心の底から受け容れる事が出来ていないのだろうか。
それとも、
受け容れられたからこそ、その常軌を逸する生々しい事実に吐き気がするのだろうか。



……

………わからないや、お手上げ。


今度の通院日に主治医に聞いてみよう。


2004年02月28日(土) 面接(なお)
2003年02月28日(金) 母からの情報(朱夏)

中身。
2006年02月27日(月)

11日の日記に書いたシャボン玉は、
外から見てこそ一つのシャボン玉になっているけど、
中には、雲の様なふわふわした不透明な“何か”がある。

その“何か”が、
時々シャボン玉の中で激しく動いて、
シャボン玉の膜を中に引き込もうとしたり、
外へ出て行こうとしたりする。


でも最近は、
シャボン玉の膜に変化が現れた。

丈夫で、柔軟性があって、よく伸びる。

“何か”によって中に引き込まれても、
“何か”が外へ出ようとしても、
ゴム風船みたいに、びょ〜んと伸びて、すぐ元に戻る。


問題は、戻って来た勢いで、
膜が一時的に反対側まですっ飛んで行く事。

膜を鍛えるだけじゃなくて、
“何か”を上手く消化していかなきゃいけないみたいだ。


2005年02月27日(日) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年02月27日(金) クタクタ〜(なお)
2003年02月27日(木) 犯人情報(ゆり)

洗濯物。
2006年02月26日(日)

私は、
過去の受け容れ難い記憶を、
今までは無理矢理受け入れて来た。

例えば、
過去の記憶が干されている乾いた洗濯物で、
それを取り込んでは、くしゃくしゃに丸めてカサを少なくして、
押入れの中に詰め込み、見えないようにしていた。

最近では、
無理矢理受け入れた記憶の整理が少しづつ出来る様になって来ていて、
振り返って考え直したり、記憶の順番を整理したりして、
受け容れられるようになって来ている。

例えば、
くしゃくしゃに丸めた洗濯物を押入れから取り出して、
綺麗にアイロンを掛けてから、大きさをそろえて畳み、
押入れには衣類ケースを入れてやって、種類ごとに仕分けして収納する。
必要に応じて取り出し、使用することも可能になった。

まだまだ全部片付いた訳では無いけど、
自分がここまで出来るようになるとは思ってなかったから、
なんだかちょっと嬉しい。


2004年02月26日(木) 何だか新鮮(なお)
2003年02月26日(水) どうにかなんないの!?(朱夏)

再演。
2006年02月25日(土)

18日の日記に、
フラッシュバックの連鎖でフラッシュバック状態が長引く事があるって書いたけど、
どうもフラッシュバックが長引く理由はそれだけじゃないみたいだ。

昨夜、私が数時間にわたるフラッシュバックを起こしていた時、
偶々居合わせた母から聞いた話によると、
フラッシュバック状態で、当時の交代を再現しているようだったという。

具体的には、
他の人格に向かって話し掛けていたりする状態を声に出していたり、
外の人と話しているんであろう状態でブツブツ言っていたりする時の口調が急に変わったり、
といった状態らしい。

解離性同一性障害の症状が進んで来てからの心的外傷のフラッシュバックの場合、
交代を再現するだけではなく、当時の意識内でのやり取りも再現している事があるようだ。

統合前のフラッシュバックと比べると、
この状態も体力を物凄く消耗するし、終わった後の頭痛も酷い。

この場合も、
フラッシュバック状態の連鎖を起こした時と同様、
数日間寝込む事も多いし、回復が間に合わない事もある。

せめてそのフラッシュバックの内容を思い出せれば、
人に話したり、自分でゆっくり考える時間を取る事で、
フラッシュバック時の体力の消耗を抑えられるんだけどな。


2004年02月25日(水) いじけ【なお】(なお)
2003年02月25日(火) 右手が…!!(朱夏)

通院日。
2006年02月24日(金)

昨夜から今朝にかけてフラッシュバックが酷くて、
朝中々起きられ無かったけど、何とか起きて支度して、ギリギリに出発。

待合室でダウンして、
患者さんが少ないのをいい事に、
長椅子を占拠して横になって診察を待った。

診察では、
先ず生活状況について話し、
そこから、
フラッシュバックに関する話と、
統合後の人格の状態に関する話を、
かなり具体的にじっくり。
統合した後のイメージを聞かれて、上手く説明出来る自信が無かったので、
11日の日記をケータイから呼び出し、読んで頂いた。
(メール下さった方、お陰で助かりました。ありがとう。)

それから、お薬の相談。
抗鬱剤を増やす事になって、
今飲んでるSSRIとSNRIのどちらを増やそうかと聞かれたので、
以前そのSSRIを今より飲んでいた時に、副作用が強く出た事を話したら、
SNRIの方の量を増やして、SSRIは減らして下さった。

今日の診察で、統合前に比べて、
症状や経験を上手く話せる様になった自分に、我ながらビックリ。
でもそれが、
着実にいい方に向かっている証拠の様な気がして、
何だか嬉しくなった。


2004年02月24日(火) 幼馴染はお泊り…しなかった(なお)
2003年02月24日(月) あたしの英語(朱夏)

訪問。
2006年02月23日(木)

今日は親友から電話が掛かって来て、
引越しした自分の家に来ないかと誘われたので、
行って来ました。

以前彼女が住んでいた家では、部屋の区切りなどがハッキリせず、
自分と他の家族とのいろんな意味での境界線が乱れていた印象だったけど、
今の家では、部屋数が増えたり、それぞれに仕切りを上手く作ったりしていて、
彼女がどう思っているかは別として、私は何だか安心した。

彼女とそんな話をしたり、
可愛い猫ちゃんと遊ばせてもらったり、
彼女の妹ちゃんも交えてお喋りしたり、
午前中からお邪魔して、夕方まで居座ってしまった。
二人共、どうもありがとう★

今日、妹ちゃんが吸っていたタバコが統合前に私の一部分が吸っていた銘柄で、
何だか無性に吸いたくなって、一本頂いて吸ってみたら、
無意識の内に複数の内の一つの人格として行動していた頃の姿勢や仕草になっていて、
自分で気付いた時、ちょっとドキッとした。

でも、交代した訳じゃ無いし、
(今じゃ交代する相手もいないし/笑)
まだマーブル模様がある状態だから、そういう事があっても仕方無い。

それから、今までは一対一会って話してばかりで気付かなかったけど、
今日、二対一で会話をしてみたら、相手が複数いる所為か、
咄嗟に言葉や姿勢なんかの統一性を欠いてしまう事がまだある事に気付いた。
例えば、
それまで落ち着いて話してたのに、
急に若者言葉ではしゃいでしまったり、お行儀の悪い姿勢になっていたり。

今日は二人共親しい女性のお友達だからよかったけど、
出来るだけ気をつけて、少しずつでも落ち着いて行かないと。


2004年02月23日(月) 【沙羅】ちゃんは鳥目!?(なお)
2003年02月23日(日) 嬉しい事(朱夏)

無意識。
2006年02月22日(水)

フラッシュバックを起こした後、
その時の記憶が無くなる事は大分減って来た。
でも、まだすっかり記憶が吹っ飛んでしまう時がある。

そういう時は、
自分の体を引っ掻いてしまう事が多くて、
何か気分悪い気がすると思ったら、
自分が蚯蚓腫れだらけになってたりする。

蚯蚓腫れの位置から想像するに、
どう考えても性的な事が関わっているのは間違いなさそうなんだけど、
後でいくら思い出そうとしても思い出せない。

フラッシュバックを起こしても、それを後で思い出せる場合は、
落ち着いてゆっくり考え直したり出来て、それを繰り返したり、
人に話したり書き出したりして言葉にして外へ出す事で、
その記憶はフラッシュバックを起こす程では無くなって、
ただのあまり嬉しくない思い出になっていったりしているんだけど、
忘れてしまっていては、そのやり方が通用しない。

まだ、私に受け入れる準備が出来ていないって事かも知れない。

でも、他にも自分で整理して行かなければならない、
目に見えない課題は沢山あって、なかなか思い通りに進んでいないので、
そっちの問題から先に片付けて行こうと思っている。


2004年02月22日(日) 右目占拠の犯人は?(なお)
2003年02月22日(土) 2/23書き込み(朱夏)

シークレットバトン。
2006年02月21日(火)

実子ちゃんから、
ちょびっとやっかいなバトンを受け取ってしまった。
問題は書いちゃいけないんだとか。
だから“シークレット”なのかな?

兎に角、答え。

A1
これどっちとも言えない。
最初ちょこっとくわえてちゅって吸ったりするけど、ほぼなめてる。

A2
結べる。
ちょっと噛んでやると簡単。

A3
飲める。
感想は「な〜んだ、もっと不味いのかと思った。」

A4
意識した事ないから、
何をもってそういう事にしたらいいのか基準が判らない。

A5
「母乳の次は○○でした」
っていう何年も前の某メーカーのCM。

A6
Sがいいけど、
最近あんまり選べるの見かけない。

A7
それと判るなら長さなんてどうでもいい。

A8
約5時間。

A9
立たないけど、騒ぐ。

A10
どこに?
状況によって変わるでしょ。

A11
消す。
間接照明はつけっぱなしの時もある。

A12
右手の時も左手の時もある。
大抵あいてる方の手で何か他の事してる。
両手の事は滅多に無い。

A13
気温や気分にもよるけど、
軽く汗流す位はしないと気持ち悪い。

A14
縄。

A15
まわせる人が5人もいないよ(泣)

イモちゃん!とか思ったけど、忙しそうだしどうかな?

ユウヤさん見てるかな?
男性がこれ答えてるの見た事ないけど、どうです?


他にまわして欲しい方いたら、こちらから連絡下さい。
問題をメールします。


これ、答えるの結構時間掛かった。
問題凄い簡単な割りに答え書くのに凄い気を遣っちゃった。
こんなんでよかったのかな?

誰かさんみたいに変なのが釣れたりしません様に!!


2004年02月21日(土) 今日は左目だけで泣く(なお)
2003年02月21日(金) 【朱夏】初めてのカウンセリング(悠宇)

久々。
2006年02月20日(月)

入院や統合のどさくさで大分長い事連絡取ってなかったお友達と、
久し振りに会って、ファミレスでお食事。

彼とは男性人格だった頃に会ったり話したりした事の方が多くて、
統合後、髪も伸ばしてすっかり女の子(?)になった私は、
相手の接し方も心なしか私が男性人格だった頃と違う様な気がするし、
どんな風に対応していいやら判らなくて、初めはギクシャク(汗)

でも、お食事をしたりしながらお話をしている内に段々慣れて来たのか、
気が付けばファミレスに居座る事、三時間強。

今まで私が知ってた以上に引き出しが沢山ある人で、
色々お話を聞かせてもらったり、逆に聞いてもらったり、
話題が尽きなくて、凄くいい時間を過ごさせてもらった。

私の持ってた健常な人に対する誤解について、
例を挙げて色々説明してくれたり、正してくれたのが印象的。

どうもありがとう。
よろしければまた是非★


2004年02月20日(金) 泣いているのは誰ですか?(なお)
2003年02月20日(木) ごめんなさい(朱夏)

体形。
2006年02月19日(日)

最近、体形がやっと落ち着いて来た。

DIDだった頃は、主人格が変わる度に、体形まで大幅に変動していた。

体形が変わるなんていうと、
交代した途端に変わると勘違いした方から、
「そんな訳あるか!!おかしな情報流すな!!」
とかいうクレームが来そうなんで、
先ず、私の場合、どういう状態でそうなっていたかを具体的に書く事にする。

勿論、交代した途端に別人のようになってしまう事は無い。
体形が変わるには少なくとも数ヶ月は掛かる。

では、どういう事が体形を変えていくのか。

先ず、食べ物。
食べ物の好みが変わる事によって、食べ物で変わる範囲で体形が変わる。
単純に、沢山食べれば太るし、少ししか食べないと痩せる。
それから、その人格の食べ物の好みによって髪質が変わったり、
同じ体重でも、皮下脂肪の割合なんかが変わる。
よくテレビなんかで
「○○を多く摂取すると女性らしい体形に」
とか言ってたりするのを、無意識にやってるような状態。

それから、大きいのが、姿勢や運動関係。
人格毎に歩き方なんかの癖が変わるから、
時間を掛けて少しづつ骨組みがずれていったり、筋肉のつき方のバランスが変わっていって、
身長や足のサイズまで変わる。
具体的には、
重心が足の外側に掛かる歩き方をする人格では、
O脚になって、脚が外側に反った分(2cm程)だけ身長が縮む。
あまり歩かない人格だと、
足の裏の筋肉が弱って、ベタ足になったりバンビロになったりするから、
靴のサイズが変わったりもする。
歩き方や姿勢が変わって長期間(数ヶ月単位)経つと、
筋肉のつき方が変わるので、
その分、脚が太くなったり、ウエストが細くなったりもする。

それから、顎のかみ合わせの問題。
顎のかみ合わせに癖がある人格は顔付きが物凄く変わる。
主人格交代後はそれほど目立たなくても、
そのかみ合わせで毎日食事を摂っていると、見た目にかなり影響が出て来る。
歯列矯正のBeforeとAfterの写真位変わる事もあった。
それから、これは整体の先生に聞いた話なんだけど、
かみ合わせは姿勢に大きく影響があり、背骨のラインなんかが凄く変わるらしい。
背骨のラインが変われば、当然身体を支えている筋肉のバランスも変わる訳で、
これも見た目に影響を及ぼす。

それから、趣味でダンスやスポーツをやっていた人格は、
その種類に合わせて姿勢、重心を置く位置、鍛えるべき場所の筋肉の増加など、当然の変化があった。

一つ一つを取れば、大して体形に影響が出るものでもないし、
この中の幾つかを、ダイエットや健康法として意識している人も多いのではなかろうか。

ただ、それが幾つも積み重なって、
更に、その人格の気の持ちようで、無意識に仕草や表情も変わるから、
外から見たら、体形が別人のように変わっている事もあったという訳。

で、本題はここから。

統合してからの私は、
歩き方の癖なんかを何パターンも受け継いでいて、どれを日常的に使うのかが定まっていなかった為、
気分やシーンによって、無意識の内に、姿勢等が派手に変わってしまっていた。

そのせいで、体の方はそれについて行かれない状態になってしまって、
一番酷い時期には、
かみ合わせが合わなくなって歯並びがガタガタになって、顎関節症になったり、
体中に凝りや筋肉痛が常にあったりした。

それらの不調が、気が付いたら無くなっていて、
今は、体重も安定しているし、歩いていて感じる違和感も殆ど無くなった。

いつの間にか、今の私のスタイルが出来上がっていて、体もそれについて来てくれてるみたいだ。

まだ、何時間も歩き続けるとか、立ち仕事を続けるとか、そういう事はやってみてないけど、
日常生活で不自由を感じる事は、今はほぼ無い。

これからは、体とよく相談しながら少しづつ運動量を増やして、
色々な事に耐え得る“私の”体形を作って行きたい。


2004年02月19日(木) 【さくら】ちゃん(なお)
2003年02月19日(水) 昼夜逆転生活(悠宇)

連鎖的。
2006年02月18日(土)

最近、一度フラッシュバックを起こすと、
そのフラッシュバックが他のフラッシュバックのトリガーになって、
また別のフラッシュバックを起こして、
そのフラッシュバックがまた次のフラッシュバックを引き起こし・・・と、
連鎖的に長時間、様々な種類のフラッシュバックを、
数時間に亘って起こしている事が多い。

統合前は、フラッシュバックを起こす様な記憶っていうのは、
人格毎に、多くても数個しかなくて、
フラッシュバックの回数が多い状態の時期はあったけど、
今の様に、“フラッシュバックが別のフラッシュバックを引き起こす”って言う状態は無かった。

困った事に、こうなった時の体力の消耗が半端じゃなくて、
酷い時は、フラッシュバックがおさまってから、数日間寝込む。

フラッシュバックを起こす事自体は、
回復に向けての必要なプロセスだと思っているからいいとして、
回復に時間が掛かってしまうって所が困ってしまう。

しかも回復し切らない内に、
次のフラッシュバック連鎖状態が来たりして、
気分は緩やかに下降線。

解決策が思い浮かばなくて参っている。


2005年02月18日(金) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年02月18日(水) 私は厄介者?(なお)
2003年02月18日(火) 何でだよ!?(朱夏)

自信。
2006年02月17日(金)

15日の日記に書いた親友と会った。

彼女と一緒に、
実家に連れて来られてから一度も行っていない、
私のアパートに行った。

雨戸を開けて、空気を入れ替えて、
彼女にはお茶を出して待ってて貰って、
荷物を整理して、
アパートの事を少し話してから、
近所のカフェに行ってランチ。
牡蠣フライ♪

その後お茶しながら、
昨日(16日)の日記に書いた事について話した。

彼女には、書き掛けの状態を見せてあるんだけど、
それだけでも、彼女にはショックだったと聞かされて、
自分の記憶に益々自信が無くなった。

でも、その事を話すと、
彼女は私の過去の話を聞いてくれる、と言った。

私は、彼女になら、と、
聞いてる人を不快にさせるであろう内容の過去の話を長々とした。

彼女はあっさり信じた。
しかも、
その話を聞いたら私の過去の言動との結び付きを思い出し、
色々な事に納得が行くとまで言ってくれた。

私は、気付いたら、ぽろぽろ泣いていた。

それまで、家族にも、治療サイドにも信じて貰えず、
しかも、自分自身でも信じてあげられなかった自分を、
彼女に認めてもらえた気がして。

更に、彼女は、そんな私を見て、
「ごめんね、辛い昔の話、無理にさせちゃったね」
と、気遣ってくれた。

その気遣いが嬉しくて、
私は、泣き止んで泣いた理由を説明する事が中々出来なかった。

彼女のお陰で、
少しだけ、自分の記憶に自信が持てた。

どうもありがとう。
また会おうね。


2004年02月17日(火) 忙しくはないんだけどね…(なお)
2003年02月17日(月) 今後のあたしの課題(朱夏)

ストップ。
2006年02月16日(木)

自分の過去の事を書き出していたけど、筆が進まなくなった。

一言で理由を言っちゃうと、“書くのが辛くなったから”なんだけど、
ここらでちょっと、“どうして書くのが辛くなったのか”考えてみようと思う。

先ず、書いてる時の私がどういう状態なのか。
繰り返し、書いては消し、書き直しては消し…ちょっとだけ泣く。

なぜか。
多分、
事実として認めなければいけないとは思っても、
認めたくないor受け入れたくない気持ちがどっかにあるから
だと思う。

今まで文章にしてみた事が無かった事を文章にしてみると、
思っていた以上に酷い事の様に感じてしまったりして、
統合したとはいえ、自分の記憶に自信が無い状態を20年以上も続けて来たせいか、
この記憶は本当にあった事なのか、と自分の記憶が信じられなくなって来る。

誰にも話した事の無い事や、治療サイドに疑われた事がある記憶なら尚更。

でも、
時間を掛けてでも、
受け入れて行かなきゃ本当の意味でよくなったとは言えないんだろうから、
書けない自分も受け入れた上で、焦らず、書ける時が来たら再開しよう。


2004年02月16日(月) まだまだですか?(なお)
2003年02月16日(日) 【なお】≪Bエリア≫に常駐決定!!(悠宇)

繋がり。
2006年02月15日(水)

親友から電話が掛かって来た。

彼女とは、小学校からの付き合いで、
お互いメンタル面で問題を抱えてはいるけど、
もう16年も上手くやって来ている。
(今自分で書いてて“16年”て所で驚いた。)

最近の彼女とは、
治療とは何かとよく話をする。

私は、精神科医療の提供してくれるモノは、全て対症療法で、
治す為には自分の意思の力が不可欠だと思っている為に、
メンタルサイトでは、厳しいと言われてしまう考えを持っている様なのだが、
彼女とは、そういった話が具体的に出来る。

例えば、
「淋しい、助けってっていう人って、何で自分が“淋しい”って感じてるかをよく考えるべきだと思う。」
とか、
「障害や病気を利用して、努力しないで利益を生み出そうなんてとんでもない。」
とか
「障害を詐称して年金貰おうとしてる人って軽蔑する。」
なんていう、
個人のメンタルサイトの掲示板で発言しようものなら荒らし扱いされるであろう、
私個人の考えを話しても、
それについて二人で掘り下げながら、お互いに自分を高め合う様な会話を続けていかれる様な相手なのだ。

勿論、いつも意見が一致するとは限らないけど、
それでもお互いに話をし合って、違う考えを持った相手としても認めていかれる仲だ。

こういう繋がり、大切にしていきたいな。


2004年02月15日(日) まだですか?(なお)
2003年02月15日(土) ちょっと淋しい…(悠宇)

第二のお父さん。
2006年02月14日(火)

私には、“第二のお父さん”と慕っている人がいる。

私が学生の頃には、
あまりよろしくない目的の為の「お父さん」が何人もいるという知り合いがいたが、
そういう意味のものではないので、そこは絶対に勘違いしないで頂きたい。

私の“第二のお父さん”は、近所のカフェのマスターだ。

私はこのカフェにかなり長い事通っていて、
家に居づらい時なんかには、コーヒー一杯で何時間も店に居座ったりと、
迷惑がられても仕方ない程そこでの時間を過ごさせて頂いていた。

治療中に働く事になった時に勤めていたのもこのカフェで、
不安定で主人格交代を繰り返しながら働いていたり、
休みを貰わなければならなくなったりする事も多く、
迷惑を掛けまくっていた筈なのに、
障害を理解しようと努力して下さったり、
普段から気を遣って悩みを聞いてくださったりと、
それまでの私の周りには居なかったタイプの大人で、
私は色んな事でマスターを頼ってしまっていた。
“第二のお父さん”と呼ぶようになったのはこの頃だ。

今日は、久し振りにそのカフェで、
“第二のお父さん”とゆっくり話が出来た。

私は今、治療の関係から仕事は出来ていないし、自分のアパートに帰る事さえ出来ていないし、
仕事をしている友達に会った直後で、
頭では焦ってもよくならない事は判っていても、実は内心ちょっと焦っていた。

でも、“第二のお父さん”に近況報告をして、
話して下さる事を聞いていたら、不思議ととても落ち着いた。

夕食をを済ませて、コーヒーを頂いて帰る頃、
「もう少し落ち着いて、暖かくなったら、食事にでも行こう」
「今働けない事は気にしないで、いつでもお店においで」
と言って頂けて、嬉しい反面、何だか申し訳無い気もしたけど、
私がこのカフェが好きな事実は変わらなくて、
「また来ま〜す!!」
と言っていた。


2004年02月14日(土) ブーツ探しのハズが…(なお)
2003年02月14日(金) 【まりや】(悠宇)

編集中。
2006年02月13日(月)

近頃、DIDの治療中に書いてた日記を編集し始めた。
編集っていっても、本文はほとんどそのままで、
治療中の私の事を知らない人にもわかる様に、
人格の名前なんかに目印を付けていっているだけだけど。

治療中の事を考えていて、ふと、
その時ネットで一番したかった事ってなんだろう?って思って考えてみたら、
自分より治療の進んでいる人から、具体的な話を聞きたかったって事を思い出して、
時々話を聞きたいとメールを下さる人も居るし、
思い切って過去の日記を公開してしまおうか、と思ったから。

治療中の人の日記は探せばネット上に沢山あるけど、
緩解とか統合したって人の治療中の日記って、あんまり見ない。

私にも、
統合以前の未熟な自分を見せる事を恥ずかしく思ったり、
形振り構わずだった頃の自分を知っている人と会うのを躊躇したり、
そういう気持ちが無い訳じゃないけど、
それも認めて行かないと、
自分をまるっと認めた事にはならないって思うし、
忘れようとなんてしたら、再発の可能性を自分で高めちゃいそうだ。

だから、
先ずは、自分の為に、
次に、ちょっと前の私と同じ事を考えてる人の為に、
過去の日記の再公開を考えてる。

連絡に使ってた掲示板の記事も残ってるから、
一緒に整理するのも良さそうだな。

結局は、自己満足なんだろうけど、
“自己満足”さえも難しい事に感じる今の私には、
これで自己満足出来たら、また少し、自信がつきそうな気がする。


2004年02月13日(金) 遅刻ギリギリ(なお)
2003年02月13日(木) ???(涼音)

根競べ。
2006年02月12日(日)

統合をしてからの私は、色んな方法の自傷行為の衝動と、連日根競べを繰り返している。

リストカットは自傷行為の代表選手だったが、
以外にもコイツは結構早い段階でコテンパンにのめす事が出来た。
もう二度と立ち上がれまい。

次に挑んで来たのは、顔を掻き毟るヤツだ。
私は過去の経験から、自分の顔に必要以上のコンプレックスを持っていた為、
顔じゅうを血が滲むほど掻き毟ってしまう事があった。
唇が乾燥している冬なんかには、唇の皮も引っ剥がした。
コイツに対しては“「美人だね」と褒められた記憶”を武器にし、
統合出来たからこそとも言える勝利を収めた。

次に来たのは、口の中を噛むという行為の衝動だった。
頬の内側や舌を腫れ上がり、時には血が滲む程、力を込めて噛むのだ。
コイツとは、幼児園時代からの付き合いで、少々名残惜しい気もしたが、
それだけ嫌な思い出との繋がりが多いと気付いたら、忌々しい行為だと思える様になり、
それ以来姿を見せなくなった。

次に来たのは、大人になるにつれて現れる体毛の、剃り落とし行為の衝動。
コイツは中々手強くて、負けそうになり、少々毟ってしまったが、
剃り落とし自体には至らなかったので、引き分けという所だろうか。
悔しいが、これに関しては他の行為の衝動よりも、複雑なモノが色々と絡み合っているから、
時間が掛かっても仕方無いだろう。

今日来たのは、嘔吐行為の衝動だった。
初めは、テレビを見たり、体操したりして気を紛らわそうとしたり、
関連の深いトイレへ行くのには気を遣い、用を足したら駆け足で戻ったりしていたが、
どうやらコイツの持久力は今までのヤツらとは比べ物にならないくらいあるらしく、
三時間経っても衝動は治まらない。
ここらで、ふと、
「これじゃ逃げてるだけじゃんか!!」
と気付き、なんだか無性に腹が立って来た。
私はトイレに向かうと、便器の前に胡坐を掻いて座り、
「来るなら来い!!今度こそ私が勝つんだから…」
等と一人でブツブツ呟きながら、立て篭もった。
「吐いて堪るか!!」
という思いに反して勝手に口の中に出て来る酸っぱい唾液は、
あまりよろしく無い仲間とつるんでいた時に覚えたやり方で、
思いっ切り便器に吐き付けた。
繰り返し繰り返し。
三十分経っただろうか…ゲップが出始めた。

内科の先生曰く、私の場合のゲップは、何かを受け入れた時に出る物らしい。
私の場合、過去の記憶や、在りのままの自分の一面を受け入れられた時、
食べ物を自分の体の一部として認める時に機能する内蔵が、勘違いして働き出し、
大量にゲップを生産してしまうそうだ。

つまり、嘔吐の衝動に勝った事になる。
何だか心持ちかお腹も空いた気がして、残り物を漁って食べた。

私は今まで、これ以外にも、人格毎に様々な方法で自傷行為をして来ているから、
この他の衝動と戦わなければならない時もいずれ来るだろうけど、
いつか必ず勝って…つまりは、在りのままの自分を受け入れて、愛して、生活出来る日が、
必ず来ると信じて、乗り切ってみせる。


2004年02月12日(木) 幼馴染にお守りを頼む(なお)
2003年02月12日(水) 心配(涼音)

私の場合。
2006年02月11日(土)

昨夜、サイトにあるFAQへのリクエストのメールが届いていた。
内容は「統合したら人格達が居た時に過ごしていた建物とかはどうなるのですか?」というもの。

自分の事ならわかるんだけど、私以外の統合した人の話は聞いた事が無いから、
サイトのFAQ内に書こうかどうしようか、かなり悩む。

リクエストのメールを下さった方はここを覗くかな、と思うので、
取り敢えずはここに私の事だけでも書いておこう。


私の場合、意識下での部屋や家具、アイテムなんかは、
人格達が適切な距離を保つ為の物だったり、
人格達がコミュニケーションを取りにくい状態から、それぞれを意識する為の物だったり、
人格達のコミュニケーションを促進するものだったりだったので、
治療開始時からは増え始め、
いざ統合という所まで治療が進むとどんどん減った。

例えば、
派手なファッションは、自己主張をして、他の人格に自分という人格を印象付ける為の物だったし、
自分の部屋は、必要以上に共有したくない部分を守る為にあったし、
椅子やテーブル、お菓子やお酒は、落ち着いてコミュニケーションを図る為の物だった。

だから、
他の人格が自分の存在を認めてくれる様になれば、
服はシンプルなワンピースになったり、シャツとジーンズになったりしたし、
自分の部屋からは、自分だけが使うバスやトイレなんかは無くなって、部屋の外で他の人格と共有したり、
自分の部屋に仲のいい人格を招いたりしたし、シェアリングを始める人格も出て来た。
慣れて来た人格とは、
座ってお菓子やお酒を楽しみながらじゃなくても落ち着いて話が出来る様になって、
椅子やテーブルなんかも無くなった。

そういった訳で、
先ず、アイテムが少なくなって、
それから、リビングみたいな部屋は無くなって、
それぞれの部屋の中は透けて見える様になっていって、
階層を具現化していた建物の床や階段は無くなって、
何も無い広い空間にシャボン玉の様な透明な膜に包まれた人格達が浮いている様になった。

話したい人格の所へは自由に行かれる様になって、
膜をくっつける事で記憶や意識の共有が出来る様になった。

そんな状態で一定期間過ごした後、
シャボン玉にそれぞれのイメージカラーが滲む様に付いて来て、
中の人格の姿はぼやけていった。

人格が意識下で人の形をしていたのも、
外の人間と同じ様にコミュニケーションを取れる様にして、
仕草から気持ちを推し量ったり、言葉で話したりして、
スムーズにコミュニケーションを取る為の物だったんだろうな、と今は思う。

さらに時間が経つと、シャボン玉からはすっかり人の形は消え、
いろんな色のシャボン玉が浮いている様になった。

統合初めの頃は、
数個くっついたままのシャボン玉が浮いていたり、
シャボン玉をくっつけたり離したりしていたけど、

統合が進んで来ると、
シャボン玉は常に一箇所にまとまって、
どこかが必ず誰かとくっついている様になった。

更に時間が経つと、
シャボン同士をくっつけた時のそれの様に、
くっついた部分から、二つ分の大きさの一つのシャボン玉になる様になった。
シャボン玉がまとまったばかりの頃はそれぞれのイメージカラーはマーブル模様で、
落ち着いて来ると色も落ち着いて一色になっていった。

そんな事を繰り返して、今の私は、大きな一つのシャボン玉になっている。
まだ所々にマーブル模様があるけど、これから、
“一つの体に一つの人格”
という経験を積んで行く内に、マーブル模様では無くなって行くんじゃないかと思っている。


2005年02月11日(金) 私用掲示板への書き込みのみ。
2004年02月11日(水) ツルツルたまご(なお)
2003年02月11日(火) ゲームと視力(涼音)

通院日。
2006年02月10日(金)

病院に自分で行かれたのは久し振り。

自立支援医療への移行の為に、
主治医に「重度かつ継続に関する意見書」を書いて貰う様にと、
役所の人に言われていたので、書類の記入を依頼。

現在の主治医は、退院してからもここに通いたいと言った私に、
「私の診察は短いよ」
と言っていたけど、短いのにしっかり要点を抑えて話をして下さるし、
生活面の事についても、私が話す前から、問題になっている事を質問して下さる。
そんな訳で、診察中は、ドキッとさせられる事も多いけど、診察後は気分スッキリという不思議な診察だ。

今日も、突然に父との関係について質問されて、私は鯉みたいに口をパクパクしてしまった。

四年程前に、このDrは、
家族を変えるのは私だと、私が必要以上に実家を離れたがっている時に言っていたっけ…等と振り返り、
記憶が繋がっているという当たり前の事が、どんなにありがたい事か再認識。

父と話す事は出来るけど、父を変える為に働き掛けをするエネルギーは今は無い事と、
自分を安定させる為に、自分を知る為に、自分の過去を振り返って書き出している事を話して、
自分のアパートに帰るタイミングについて相談すると、
もうちょっと安定してくるまでは実家に居る様にと言われてしまった。

主治医は、解離性同一性障害では無くなっても、
外部に対しての私の状態が安定していないのもお見通しだった様だ。

お薬の変更は無し。
どうやら一ヶ月前に処方して頂いたSNRIは私に合っているみたいで、長期的に飲み続ける事になりそう。

返って来た書類に書いてあった診断名は、『解離性転換性障害』と『鬱病』の二つ。
今更過去の診断を書き出す気は無いけど、四年前に比べると随分少なくなったなぁ…なんて、
何だか嬉しい気分になって、帰り道、一人でニヤニヤしてしまった。


2005年02月10日(木) 困ったなぁ...(苺)
2004年02月10日(火) 足の親指がぽんぽん(なお)
2003年02月10日(月) フルーツバスケット(涼音)

サイトマスターバトン。
2006年02月09日(木)

実子ちゃんから受け取ったバトン。


1.サイト名の由来があれば教えて下さい。
 ⇒バラバラになった自己を束ねるのが目標だったから。
  つまり駄洒落。
  日本語だとまんまだと思ってフランス語にしたけど、
  意味を聞かれるから結局日本語も表に出てる今。

2.サイトのジャンルはなんですか?
 ⇒作った当初から意識していないけど最近はメンタルサイトとか言うのになるのかも。
  ただなぜかメンタルサイトを名乗る管理人さんには総じて嫌われる傾向にある。

3.サイトのメインはなんですか?
 ⇒いろんな意味での情報。

4.サイトのこだわりはなんですか?
 ⇒病気や障害を扱っていてもダークにしない事。

5.バトンを回したい人は?
 ⇒ここ見た人で答えたいと思った方はご自由にお持ち帰り下さい。



この日がサイトを冬眠から叩き起こした日なので、
ここに挿入してみた。


2004年02月09日(月) ふにゃ〜ん(ゆり)
2003年02月09日(日) 心の中身(涼音)

メールマガジンVol.19より。
2006年02月08日(水)

こんにちは。

寒い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
管理人の自宅の側では先日、この地方では珍しい事に粉雪が降り、
僅かですが積もっていて、何だか嬉しくなりました。

私は年末から鬱状態が酷く寝込んでいましたが、
最近やっと調子が上向きになって来た為、これを書くに至っています。


統合してから数ヶ月が経ちますが、解離症状は落ち着いて来ているものの、
まだまだ色んな面で不自由を感じている状態です。

何かをするのに、今までの人格のして来た行動の中からどれかを選び出して行動してばかりだと、
記憶は繋がっていても、見た目は変わらないので、誰が見ても良くなった様にはとても見えないんですね。

それで、今までのそれぞれの人格でアクションを起こした時の周りの反応を思い出しながら、
新しいやり方を一から構築し直して行かないといけないんです。
この作業が中々捗らなくて、
初めの頃は、咄嗟の時には低い声で汚い言葉を吐いてしまったり、子供の様に泣いてしまったり、
逆に、反応が出来なくて固まってしまったりと、自分でも引いてしまう位に言動が滅茶苦茶でした(汗)

極最近は少し慣れて来た様で、日常生活は安定して来ましたし、
少しづつですが、新しい自分が出来上がって行くのを感じています。

ただ鬱状態だった事もあり、あまり社会との接点を持っていないので、
外に出て行ったら、また色々な面で新しい自分作りをして行かなければならないんだろうな、と思うと、
なんだか気が遠くなりそうですが…(笑)


話は変わりますが、体調と生活のリズムが安定して来たので、
iらんどの年表機能を利用して、記憶の整理をする為に自分史紛いの事を書き始めました。
(まだトップからのリンクは貼っていません)
書き始めて見ると、自分の人生って長かったんだな、と感じてしまいました。
今まで人格が分かれているなりに、二十年以上生きている事を考えてはいましたが、
そんなのとは比べ物にならない位の容量で、こっちもまた気が遠くなりそうです。

でも、どの人格の時の事を考えても、焦って上手くいったためしがないので、
焦らずのんびり、自分が好きになって行かれる様に気持ちをコントロールして行きたいです。


2004年02月08日(日) 顔まで腫れた!!(なお)
2003年02月08日(土) ふぇっくしょい!!(涼音)

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