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どろどろと滴り落ちるトマトソースで口の周りをべたべたにしながら、糸を引くモッツァレラチーズを舐めるようにして掬い取り、宅配ピザを貪り食うおまえ。脂でぎとぎとになった手で缶ビールをつかみ、たるんだ腹に流し込んでげっぷをするおまえ。豚以下、だ。
2007年05月30日(水) |
he sewed his eyes shut... |
瞼を縫い合わせたように、一日を眠りに眠って抹消した。目を合わせれば睨みつけてしまうし、口を開けば罵倒してしまうから。さながら狂犬のようだ、なんて言われちゃったし、いちご大福を食べてまた眠ることにする。いっちょまえに慰めてるつもりらしい。ふん。地獄で会おうぜ(笑)。
死んだらそれですべてが終りか。責任からも重圧からもそして罪からさえも解放されて。後は頼むと首をくくったらそれですべてが終るのか。なんて華々しい葬列なんだろう。狡い死者だ。そして、羨ましい死者だ。
2007年05月28日(月) |
why do you get all the love in the world? |
何もかも、すべてが、あらゆることが、といった言葉を安易に並べるのは何も考えていない証拠だ。じゃあ具体例を挙げてみな、と言われたらできないに決まってる。許せること、愛せるものを探すことだ。猫、猫、猫…。
2007年05月27日(日) |
too fucked up to care anymore |
筋肉痛さらに倍、のところへ起きるなりハンガーラックを組み立てろといわれて激怒。おまえがやれ。そこらへん蹴りまくったせいで皿が何枚か割れた。知るか。やけくそで飲みまくったら帰りのタクシーで気分悪くなって路上にうずくまる始末。声をかけてきた男に向かって顔も上げずに「NINE INCH NAILSって知ってる?」と聞く。知ってる、と答えたら寝たのに。ばかみたい。最悪。最低。何もかも。
箪笥やら本棚やらを運び出すために、マニキュアを落とし、短く切りそろえた爪を見ていると、うっかり涙が出そうになる。何のために、誰のために、大好きなことを、あきらめ続けているのか。納得できる理由さえあればこんなに悲しくないだろうに。
2007年05月25日(金) |
パターン黒、鬱です。 |
「精神汚染はじまっています!」「パターン黒、鬱です!」「なんですって!セロトニン強制射出、急いで!」「ダメです!ノルアドレナリン、活動を完全に停止しています!」…阿呆なことを書いて気を紛らわせようにも、失笑する気力すらない。おまけに全身筋肉痛。ついでに明日粗大ゴミ。
まったく酔っていないにも関わらず朝まで遊び歩いたせいで胃袋が完全にグロッキー。ライブ前に生ビール、ライブ後にジントニック、居酒屋で生中2杯、場所を移してジントニック2杯にクルボワジェのソーダ割り、あ、けっこう飲んでるか。そろそろ無理がきかなくなってきたのかな、なんてしょんぼりすると老けるからやめとこう。
「ではすぐ確認して折り返しご連絡させていただきます」しか言えないくせになかなか折り返しの電話をかけることができないボケ営業…1匹。わがまま老婆の干物…1枚。連帯保証人の印鑑証明および住民票…各1部。現金…適宜。以上を水1ウォッカ3のだし汁に放り込み煮込むこと約3週間、仕上げに携帯電話のみじん切りとNINE INCH NAILSのチケットを浮かべて完成。
2007年05月22日(火) |
ただむなしく時を待つか |
それでもやっぱり目は覚めてしまう。このせっかくの24時間を、誰かほかの人なら、もっと上手に使うことができように。任意の一点からもう一度はじめる気力が持てない。朝の鳥が啼く。この季節、朝はいつでもすがすがしい。なのにどうして動けない。
時折、もうこのまま、何も食べず、何も聞かず、何も読まず、このまま、このまんま、永遠に、目覚めることがなければ、と、思うのだった。おやすみ。
スパムとキャベツを炒めてスクランブルエッグを添え、トーストを焼いて珍しく苺ジャムなど乗っけて「こういう朝ごはんがいいよな」とか言いながらビールを飲んだのは夜の12時を過ぎた頃で、それが今日はじめての食事であったりする。おかげさまで胃がさっきからしくしくと痛い。でも、おなかがいっぱいだと、思考が鈍るから。
『博士の愛した数式』を観た。文字の雄弁がたまらなく愛しくなって、慈しむようにしながら文庫本を読み返した。配役もぴったりだし、あんなに美しい景色を撮っているのに、この欠落感はいったい何なんだろうか。ラストシーンのとってつけたようなブレイクの詩のなかに言葉とモノの間に拡がる無限の空隙を見たような気がした。
2007年05月18日(金) |
街頭インタビューにこたえて |
「もっと分かるように説明してもらわなねぇ」って言うけど、もしも本当に分かりたかったら自分で調べるなり読むなり聞くなりすれば良い。テレビの前に座ってるだけで一体何が分かるというの。分かろうともしないですぐに分からないという、甘えきったメンタリティが本当に嫌い。
2007年05月17日(木) |
日々を書き残すということ |
音を消して使っていたはずのテレビのリモコンが、何かのはずみで設定がかわったらしく、またピッピッピッと耳障りな音を立てるようになった。何かと何かを押せば音を消せるはずだったがさてどのボタンを押すんだったか、と悪戦苦闘30分、「そうだたしかそのことを日記に書いたんではなかったか」と思い至る。もう一度バカ正直に日々を書き残すことをはじめてみるのも悪くないかもしれない。
思い出なんて、他人から見たらただのガラクタ。捨てられなくなってしまう前に、とっとと見切りをつけなくては。
給料給料お給料、と、浮き足立ちながら、経済システムの周縁部付近で小銭をかすめとっては落とすだけの、優雅さを欠いたダンスを。
本当はぜんぜん繋がっていないのに、さも、すぐ近くで、より緊密に繋がっているかのように思わせる便利なツールのせいで、昔より、今のほうが、ずっとずっと、みんな、孤独。
最近何かを書こうとするたびに、そんなことはどうでもいい、そんなことは書く必要がない、そんなことは書いても意味がない、という声が聞こえて手が止まる。年に数度は訪れるおなじみの「無価値の雲」である。回を重ねるたびに追い払うのが難しくなってきているような気もする。
2007年05月12日(土) |
sad but true |
身内と書いて敵、と読む。
2007年05月11日(金) |
なんにもおもしろくない。 |
喜劇というのは外から見ている他人にとってだけおもしろおかしいのであって、その只中にいるものにとっては悲劇でしかないのである(その意味であらゆる悲劇、惨劇は簡単に喜劇に転ずる)。突き放して笑うだけの残酷さを持ち合わせていない。はたから見たらさぞおもしろいのだろうなぁ、と想像する自虐性ならたっぷりあるのだが。とにかくなんにもおもしろくない。
2007年05月10日(木) |
分からないことは聞くほうがいい。 |
昨日の続き。何故「ブーツストラップ」なのかといえば、とある人がとあるときに「ブーツストラップだよ」と唐突に言ったのだけれどもなんとなく分かったふりをしたくて、曖昧に笑ってごまかしたので、いつかあんなふうにさらりと「ブーツストラップだね」といってみたくてならない、という、ただそれだけのことなのだった。多分相互依存/関係性/始源の不在、みたいなことなんだろうとは思うが何故それがブーツの紐と関係あるのかがどうしても理解できないのである。
2007年05月09日(水) |
スラップスティック−または、もうブーツストラップ |
もともと狭量な胃だが他人の新鮮なわがままが毎日潤沢に届けられるのでもうおなかいっぱいいっぱい。そのうえさらにヴォネガットの『スラップスティック』を読みながらビールを飲んでいたのでもはや破裂寸前である。おかげさまで今後スラップスティックという言葉を誤用しないですみそうなのだが、実はもうひとつ、使ってみたいのだけれどどうにもその意味をうまく把握できない言葉がある。「ブーツストラップ」。いや、ちょっとだけ語感が似てた(?)から。
ヤフオクで10円余分に送料をいただいてしまったので封書に10円切手を同封して返したら、60円送料が足りなかったと後から請求するような出品者もいるそうで、とても喜んでもらえた。自分が狭量でも業突く張りでもないのだと、証明してみせたかっただけか。することがいちいちいやらしいな、と今こうして書いてみて思った。
2007年05月07日(月) |
Neoconservatism |
そんなに毎日毎日前言を翻すから、ついに何もかもがいやになって何もかもをさぼって、ひたすらビールを飲んでいた。無尽蔵に心が広いわけでなし。いわゆる社会的弱者であれば何もかもが許されるのだなどと決して思うな、移民に厳しい移民の大統領が誕生したこの時勢、常に自分を律する者にとっておまえたちは皆邪魔者でしかない。
午前4時ごろからしとしとと雨。少し肌寒い。窓を開けてじっと雨の音を聞く。車が通るたびにざぁっという音が大きくなる。夜明けの薄明かりのなかで本を読む。今日が雨で良かった。予定は全部キャンセル。最後の日だけやっとこさ、休みらしい一日。
正論を吐き続けることにいいかげん飽きた。連休中をいいことに、膠着状態の只中で邪論ばかりが肥え太っていく。何故それを押し留める手段がないのか。あまりの無力さに指1本動かすことですらだるく感じられる。明日はうるさいだまれと叫んでやろうか。
9インチの釘をわき腹にねじこんで。頭がおかしくなりそうなノイズ。復活まであと少し。裏切りはあと何度。why do we crucify ourselves everyday?
ときどき、こんなに頑丈な心なんか壊れてしまえば良い、と思うのだった。だから以前、一度自分で壊してみたのだけれど、不十分だったので、今またこうして、壊れてしまえば良いのに、そしたらそれなりに、取り扱いに注意してもらえるかもしれないのに、と、恨みがましく思っている。でもそんなのはプライドが許さないんだろう、ってことにも、気づいている。
いつもいつも許してしまうのはいつか自分が許されるためであるのに、それはいつもいつも結局つけこまれるような形でしか作用しない。耐えたことはすべて無駄であった。そして年月も戻らない。ひたすらに虚しい。
2007年05月01日(火) |
そうはいってもやっぱり飛べない |
ふたつの生命を秤にかけて、どっちが重いのかを競いあうようなことの結果、今回もまた飛べそうにない。42キロではどうにも軽すぎるんだろう。いったん取得した利権はなかなか手放せないもの、仕方がない。いいけどね。ちっともよくないけどね。でもいいけどね、と言う。
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