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昨日クビを切り落とされたはずの黒い羊は今日もぴんぴんしているし、それどころか明日もちゃっかり出勤である。ここ3日間の記述はすべて、「黒い羊の幻想」に過ぎない。 そうであればよかったのに。そうあるべきだったのに。 唇をかみしめて、ため息をつく黒い羊に、女が追い討ちをかける。 私には最初から分かっていたわよ、ヒツジくん。だってキミには明確なヴィジョンが欠けているのだもの。現実はね、いつだって理想からものすごい勢いで遠ざかっていくのよ。その遠心力に対抗するには、相当に堅固な意志と、たえまない努力と、それから絶対にゆるがない覚悟が必要なの。キミにはすべてが欠けている。まだしばらくはあの牧場で、自分を見つめなおすといいわ。何かを見つけるまで、ね。キミはまだ、デミアンを探しておろおろしているシンクレールと同じなのよ。 「自分の信じない願いに身をまかせてはなりません。あなたがなにを願っているのか、私は承知しています。あなたはその願いを断念することができなければなりません。でなかったら、それを完全に正しく願わなければなりません。自分の心の中で実現を確信するほどに願えるようになったら、実現もすぐです。あなたは願っているけれど、また後悔し、不安をいだいています。そういうものはすべて克服されねばなりません。」 知ってるでしょう? エヴァ夫人がシンクレールに言って聞かせた言葉よ。完全に、正しく、願いなさい。もう一度、はじめから、やり直し。 ・・・その通り。もう一度、はじめから、やり直し。何度でも、何度でも、やり直し。何万匹、何十万匹の羊が軽やかに柵をこえていくのを見送りながら。 (引用部分はへルマン・ヘッセ「デミアン」新潮文庫 p.185)
午後9時半を過ぎた頃、儀式ははじまる。 祭壇の上の黒い羊は、何枚かの書類に署名、捺印し、ずっとずっと首にかけられていた黒いストラップをはずす。牧場に入るためのセキュリティカードを返却する。慣れ親しんだヒツジたちが集まってくる。送別のための花束が手渡される。 長かった。本当に、本当に、いろんなことがあった。たしかに黒い羊はこの牧場で正確無比なタイピングを取得した、おそらくは電話応対に関してもかなりの饒舌さを身につけただろう、それでも、 たしかに女が言い放ったとおり、無駄でないことなど、何一つない。何もかもは、この牧場を出たならその瞬間に無に帰するだけだ。 失った、いろんなものを失った、黒い羊の視力は大幅に低下したし、身体中の筋という筋は単純作業の繰り返しによって傷んだし、不規則なシフト勤務のせいで体内時計は乱れに乱れて腸を病み、そしていつしか両耳の奥にはメニエールというやっかいな龍が棲みついて身体の均衡と聴力を奪っていった。手を伸ばせばそこにあったはずの結婚も、疲労を理由に黒い羊が身体の交わりを避けているうちに空中のパイになった。 けれどそんなものだ。女は正しい。無駄でないことなど、何一つないのだ。 黒い羊は微笑みさえたたえながら俯いた。想い残すことなど何もない。 ネズミ男は黒いストラップを失った黒い羊の細い首めがけて一気にナイフを振り下ろす。 斬首。 飛び散る鮮血。 暗転する世界。 羊はもういない。
でもこんなこともあとほんのわずかの辛抱だから。大丈夫、大丈夫、耐えられる。あともう一度太陽が昇り、沈むまでの辛抱。明日の日没後、儀式は厳かに執り行われるのだから。 「アタシほんまにビョウキになりそう」とほぼ同期のヒツジはビールを飲みながら言った。ブース発注だかなんだか知らないが、とにかくその時間に要請しただけの人数が座ってさえいればいい、と考える派遣先。そのヒツジが実際どれだけの処理をしているのか、なんて誰も管理していない。座ってさえいればいいというのならいっそネコでも座らせておいたほうが場が和んでいいだろう。 そんな不満や不平、矛盾、憤りをすべてその身に引き受けて、明日、黒い羊は逝く。
いろんなことがあった。エスヴイという名の羊飼いと何度も衝突し、一度なんか隣の席のヒツジと少しおしゃべりをしていただけで内線で注意され、そんなばかげた話がありますか、と牧場を去った。それでも他にしたいこともなかったし、新しいことを覚えるのも面倒だったから3ヶ月後にはまた牧場に戻った。4連休までは取り放題、長期休暇も申請さえすれば自由にとれる、という環境は魅力的でもあったからだ。舞い戻ってからはベテランのヒツジとして大きな顔をしてふんぞり返り、処理ランキングに毎日名前を載せて、SからD、そのなかでも1から4に細分化されているオペレータの格付けのなかで常にS1をとり続け、もっとも仕事のできるヒツジとして、わがまま放題―免許取りに行きたいから今月は一日3時間しか働かなーい、だとか(結局免許は取れなかったんだが)、来月から忙しくなるだろうから15連休もーらい(予定していたプラハにも行けなかったんだが)、だとか―を繰り返してきた。 去年の12月に、ついに群れを指導する立場になった。それからだ。牧場のからくりが見えてきて、羊飼いたちの思惑が見えてきて、くだらなさを痛感するようになって、羊飼いの上にいる牧場主の身勝手さを間近で思い知ることになって。 普通のヒツジたちとは違う大層な黒いストラップを首にかけられてはいても、どんどん細かくなり、どんどん幼稚になっていく運用に歯止めをかけることもできず、変型労働時間制の名のもとに一日10時間以上平気で拘束しようとする羊飼いたちを論破することもできず、ひたすら無力感にうちひしがれるしかなかった。 どうせなら、もう少し賢い羊飼いに仕えたい。 もう、あの、真っ白な牧場に、愛想が尽きた。 もう、十分過ぎるほど尽した。 それに今、あの牧場は、黒い羊のスキル、誰よりも早く、誰よりも正確にキーボードを叩くスキル、を必要としていない。 だから、この3月という混沌の只中で、黒い羊は去ることを決めたのだ、たとえ無責任と罵られても。逃げるのか、と謗られても。卑怯だ、と詰られても。 すべての覚悟は、できていた。
眠ることしかできないような休日。 アルコールで潰すことしかできないような休日。 ディスプレイの向こう側に映し出される若者たちの激情、苛立ち、疾走する愛、戸惑い、向こう見ずな理想、それらすべてを、いったい、何処へ、忘れてきた? と問うたとき、黒い羊はそれらすべてをかつて有したことすらなかったことに気づいた。決してなくしてしまったのではない。はじめから、なにも、もっていなかった。もっていたような気がしていただけで、それらがどんなものなのか、触れたこともなければ感じたこともなかった。 怒りも忘れ、抵抗することにも疲れ、愛すること愛されることにも絶望し、美しかったはずの過去は粘着質で不気味な執着にとってかわられ、明日へ繋ぐべき希望にはとっくにピリオドを打ってある、 それでもなぜ、呼吸を続けるのか? ため息にしかならない呼吸を、続けるのか? ・・・それがヒツジだからよ。まったく、キミは、典型的ヒツジ。無害で、穏やかで、従順で。キミが内側に何を秘めているかなんてまったく問題ではないわ。分厚いヒツジの皮にくるまれて、そんなものはまったく誰にも伝わらないのだから。キミはヒツジとしてとても優秀よ。とても、御しやすい、ヒツジ。 黒い羊は今夜、この女の侮辱的ともいえる言葉に反論することができない。
別れた男は電気を消して寝ることのほうが珍しいくらいで、黒い羊と電話をしている最中にいびきをかきはじめたりすることも稀ではなく、そのうえお風呂のお湯をためている最中に眠ってしまい朝起きて浴槽から水が溢れて大変だった、だとかあと5歩、がどうしても歩けなくてスーツのまんまソファで眠り込んだ、だとかいった話をさんざん聞かされた。 最近になって黒い羊もようやく彼の疲弊が分かるような気がしてきた。 さすがにお湯出しっぱなしだけはしないと思うが。 あと何日なんだろう。羊はあと何万匹なんだろう。
なのでこのご時世に常にダブルのスーツそれも似合ってない、のエライ人に黒い羊が属する群れの羊飼い、それも今でこそ羊飼いだが元々は黒い羊たちと同じく田んぼのたにしであったところの羊飼いが、恫喝されて顔をくしゃくしゃにして泣いているところなどを見てしまったら、もうそんなとこ見てられません、手伝えることがあったらなんでもやりますから、 なーんて言っちゃうのである。 そうしてお願いします力を貸してくださいと言われれば、それが黒い羊に向けられた言葉ではなく、ただ単に労働力として、いや、その場しのぎの頭数合わせのためだけに発せられたものでしかないと熟知しているにも関わらず、首を縦にふってしまうのである。 求めよ、さらば与えられん、といういにしえの言葉は黒い羊を相手にした場合において限りなく真実に近いと思われる。求められれば、投げ打つ。期待に、要求にこたえようとして、己をねじまげる。黒い羊は求めない、何も求めないにも関わらず。 求められるような何かを自分が有している、と感じることが自己愛に繋がるから、である。自ら求めることもできぬほど自己を嫌悪している黒い羊はあらゆる「肯定」を他人に委ねることしかできない。そうやって他人から恵んでもらう「肯定」を糧にするしかない、憐れな物乞いの姿をヒツジの着ぐるみで覆い隠しているに過ぎない。 このように頭では何もかも分かっているくせに拒絶する力を持たない、それが黒い羊の何よりの弱点である。
だが、まあ、進退は決まったのだしな。今話題の資格、証券外務員? ふーん、興味ないね、などと思いつつビリビリと封を切ってみた、のは多分離職するという実感がようやく黒い羊にもわいてきたからだろう。 そこで黒い羊はとんでもない事実を知ることになる。 【支払基礎日数が平成18年7月1日から、20日以上から17日以上に変更となります】 な、なぬー!!!!! 3月が異常に忙しい牧場では、4月分の給与を対象外にするために、どの羊も「3月は19日出勤でお願いします」と願い出ていた。もちろん黒い羊も例外ではない。じょーだんぢゃないよ? 今月何時間残業してると思ってんの? おまけに時給も上がっちゃってだよ? こんな給料で確定されたら保険料とんでもないことになっちゃうよ? これは4月、5月と17日出勤を決め込んで残業なども一切せずに4月5月6月の給与平均を引き下げておいてから辞めないとまずいんぢゃないの??? と一瞬思ったが、そこはO型なので、所詮O型なので、1分後くらいにはまあいいか、と黒い羊は思った。裏を返せば1分程度は悩んだ、ということだ。 今より給料あげりゃあいいんだろうがちくしょうめ。 ・・・あと6日。羊は五十一万八千四百匹。
こうして絶対、であったはずのものは相対、に引き下げられていく。ぽろぽろと手のひらから砂がこぼれおちていくように、確信が、信念が、信条が、骨抜きになっていく。 どこかで止めなければ間に合わなくなる、そんなことくらい、分かっているのだけれど。 あと7日。羊は六十万四千八百匹。
考えなければならないのに、身体を動かさなければならないのに、全力でこの状況をなんとかしなければならないのに、 去年の今頃はまだヴェイユを読む余裕があったのに、今年の黒い羊にはまばたきをするだけの気力もない。 ヒツジ的思考の切れ端でさえわきあがってこない。 からっぽ。 あと8日。羊は六十九万千二百匹。
何もかもが確実に去年より悪化している。 これからもっとずっと酷くなるだろう。 やはりもう潮時だ。来年も同じようなことを書くことだけはしたくない。 少しだけ懐かしい。少しだけ愛おしい。 まだそう思える間に去るほうがいい、いや、去らなければならない。でないといつか女が言ったように、本当に何もかもが無駄になってしまう。 あと9日。羊は七十七万七千六百匹。
黒い羊の進退はなにひとつとして決まっていない。とりあえず祭壇にのぼってみたのはいいけれど、あまりに周りが忙しすぎて、誰も注意を払ってさえくれないのだから心もとなくて仕方ない。 まだたったの5日間しか終わっていないじゃないか、と絶望した黒い羊は今、もうたったの11日間、いやいや、今月最後の出勤日は3月30日なのだから10日間、しか残っていないじゃないか、と焦りだす。 ちょっとぉ、ホントにやめさせてくれるわけ? と聞いてみたくてならないのだが皆が皆走り回っているし黒い羊自身もお手洗いに行く時間すらないくらいなのだから、到底無理である。 ねじれてこじれてゆがんだ自負心と。 やり場のない怒りと。 牧場全体に蔓延する諦念と。 何も決まらない、決められないことへの焦燥と。
そうよヒツジくん、と女が囁く。 キミはこれまでだってぶーぶーとヒツジのくせにブタみたいな鳴き声をあげながらなんだって乗り越えてきたじゃあないの、キミのこれまでにおいて明らかに失敗だ、といえることは立命館大学の国際関係学部に落ちたことと京都大学の大学院に落ちたことくらいでしょ、それからこないだのカレーまんと。ほかのことはキミが自分で「失敗」と判定してきただけのことであって、キミはこれまで、いつだって、評価を下されることから逃げてばかりきたのよ。だから自信がない。キミは耐えることができるし、キミは頑張ることもできる。キミは自分で思っているほどひ弱ではないし、根性がないわけでもない。いったいいつになったら「本気」になるつもり? キミの「本気」は隠さなきゃならないくらいスゴイものなわけ? 隠してるつもりでいる間にそれはこっそり盗み出されてるかもしれないし、腐っているかもしれない、それにキミ自身隠してるつもりでいるかもしれないけど、本当の本当はそれがキミの「本気」だったりするんじゃないの? 誉められているのか貶されているのか分からなくなって黒い羊はもう眠ってしまおうとした。 待ちなさいよ、また逃げるの? 私からも逃げるの? それは自分自身から逃げるのと同じなのよ? だいたいこのような会話が毎日、黒い羊の頭の中で展開されている。抽象論はもういいから4月からどうするのかについてそろそろ結論を出したらどうなんだ、と筆者は思うのだが黒い羊と女は今夜も不毛な水掛け論を繰り返しているのでこのへんで一旦切り上げる。
牧場主が作った主語と述語がねじれてこじれて目的語も曖昧で誤読の可能性をそこらじゅうに孕んだマニュアルをかみ砕いて整えて少しでも羊たちが迷わないようにしてやるのが黒い羊のここ数ヶ月の主な仕事であった。あの新しいマニュアルの補足回覧を作成するのはもう、黒い羊の役目ではない。 ・・・おもっくそ寂しいぢゃないか。 群れからはじかれた羊、処遇に困る厄介者の羊、There's a black sheep in every flock、この孤独と疎外感と喪失感を黒い羊はうまく乗り越えなければならない。
22時までおなかがもつわけもなく。 19時過ぎの休憩時、1階に下りた黒い羊はいつものコンビニエンスストア、という名の餌場(何故なら羊たちの大半はここの商品を主食としている!)で、ぶたまんでも買おうと思った、けどぶたまんは売り切れていたので仕方なしにカレーまんを買った。あったかそうで、湯気がほくほくしていて、美味しそうだった、ただの井村屋のカレーまんだが。 そして黒い羊は失敗を犯す。 いざ、と口を開いた瞬間、「ぽてっ」という情けない音を立てて、カレーまんは黒い羊の手からこぼれ落ちていったのだ。ぽてっ、だったかぺちゃ、だったかべちゃ、だったかは正確にはわからないが、とにかく、美味しそうな井村屋のカレーまんは黒い羊が「あ」という声を発する間もなく、コンクリートの床にへばりついているただの黄色い物体と化した。 カレーまんが死にゆく様を茫然と見送っていた黒い羊が視線を上げると、そこには同じようにカレーまんと黒い羊を茫然と見つめている男の顔が二つあった。 多分黒い羊はあの男たちの顔をずっと忘れないし、床にぽつんと転がっていたカレーまんの哀れさを忘れないし、23時の帰り道で思い出し笑いを押し殺しながら歩いたことも忘れない。あの牧場で黒い羊は大きいものから小さいものまで数多くの失敗を犯した。時には怒鳴られ時には逆ギレし時には知らぬ存ぜぬでごまかし通してきたが、いざ立ち去ろうかという間際になってまさか、顧客対応にもならず稟議にもならなかったにも関わらず、「どうあがいても取り返しがつかない」失敗を犯すとは、黒い羊は夢にも思っていなかった。
久しぶりに着ぐるみから解放された私は大丸ミュージアムでパウル・クレーの絵を眺め、普段行かない百貨店に出向いたものだから2時間くらいいろんなショップを冷やかして試着をし、どうやら今年の流行は自分の体型だとか雰囲気だとか好みだとかと合致するところがまったくない、という結論に達して珍しく何も買わずに退散した。やっぱりヒツジの着ぐるみでもかぶっているほうが・・・と気弱になったが周りを見渡せばそこらじゅうに派遣会社の看板があり、転職サイトのポスターがある。ワードとエクセルはすっかり忘れたけどそんなのは1日あれば思い出せるだろうし、パワーポイントもアクセスも今の職場でもういや、ってほど使ってる、左手でもテンキー打てるようなアホはそうそういないだろうし、そりゃ、もう、キーボード打たせたらホントに早いんだから、とかなんとか、自分を励ましながら地下鉄に乗った。 どうにかなるわよ。ねぇ。
出てみなければ分からない。 とにかく今、出たいのだから、出るしかない。 女に、いや、ヒツジに二言はないはずだ。
どうも羊だけあって眠くてならない、今月に入ってから眠り薬も飲まない。 寝坊ではじまった今日も羊らしく、小さく穏やかで無害な休日をすごそう。
「真面目に生きる努力」を常に怠っている。 この辺で女と真剣に議論してみたほうがいいんじゃないだろうか、と黒い羊が思ったときに限って女は沈黙している。 黒い羊は黒い羊になるずっとずっと前から群れの中で自分だけは違うのだ、と思いつづけてきた。群れの中に黒い羊と同じ言葉で話す羊はいなかったし、黒い羊のようにイタリア製の靴しか履かないような羊もいなかったし、また周りの羊たちも黒い羊は頭がいいから、といつも別格扱いにした。そんな中で黒い羊は流離した貴種を気取り、出自が違うわよ、あんたたちと一緒にしないでよ、と羊たちを見下してきた。 はじまりにおいてそこに差異はあったであろう。確かに黒い羊は高等教育を受けた。だがそれが何も実を結ばず、とっくの昔に有効期限切れになっていることは、誰よりも、黒い羊自身がよく知っている。 黒い羊がかぶった、と自分で思い込んでいる墨汁を周りの羊たちが懸命にぬぐってくれているこの現状を前にして、黒い羊の葛藤は深まるばかりだ。
近頃休みの日はいつもこんなだ。眠るために働いているようなものだ、とため息をついた瞬間、また女の声が聞こえた。 あら、ヒツジくん、いいことに気がついたわね、そうよ、結局みんなそうなのよ、食べるため、眠るために働き、死ぬために生きるのよ。それの何が不満なの? ・・・だからもうおまえは黙ってろよ、と黒い羊は呟いたが女の言うことは極論ではあるけれど多分正しい。
無責任であり卑怯であり自分勝手であることは重ね重ね承知しているのだ。それは誰に指摘されるまでもなく明白なことなのだ。何かを途中で辞める、というのはそういうことなのだ。黒い羊は見捨てていくのだ、完全に柔軟性を失った牧場を。2年と半年にわたってまだ右も左も分からない頃から一緒にもがいてきたほかの羊たちを。120人もの迷える子羊たちを。ミスミスと言い立てる狭量な牧場主から身を守る術をきちんと伝えきることもできないまんまに。 そう、見捨てていく。てめえらなんかにつきあってられるか。あとは勝手にやりやがれ。そんな捨て台詞を残して。 このどうしようもない心苦しさを抱えながら、黒い羊は項垂れて祭壇に上がる。
だが幸いなことに今、黒い羊の蹄は先のとがったハイヒールのせいで痛んでいるのだ。片足を祭壇にかけた状態で踏ん張ることなど、できやしない。 ネズミ男は黒い羊の功績を数え上げて目の前に陳列し、美辞麗句でもってして―たとえば黒い羊が研修をしている姿は身震いがするほど素晴らしかっただとかいうような歯の浮く科白を並べてみせて―ほめ殺し、もったいない、此処で降りてしまうのはもったいない、とため息まじりに黒い羊の顔色を何度もうかがった。それでも黒いものは黒いのだ。サフォーク種の羊並みに黒いのだからたとえ顔色がかわったとしても見分けられるはずもない。黒い羊は首を横に振り続けた。 そうして1時間ほどが経過した頃、ついにネズミ男は、分かりました、今までのご尽力に深く感謝いたします、と言って黒い羊の申し出を受け入れたのだけれど、 なんだよこれぢゃあ全然「黒い羊」なんかじゃないじゃないか、今月いっぱいこのシリーズで乗り切ろうとしていた「私」の目論見はいったいどうしてくれるんだよ、と黒い羊は狼狽した。 しかし最大の敵はおそらくネズミ男ではない。
もう覚悟はできている。無責任だと、卑怯だと、罵られる覚悟。それから、何言ってんだい、てめえらが今更何を言っても、無責任だとか卑怯だとかいう言葉に対して失礼なんだよ、と吠える覚悟も。 黒い羊は戦わなければならない、たとえ何もかもが無駄である、という女の声が真実であるとしても。
ある日私は気づいたの、これは無駄でこれは無駄ではない、と考えるとき、そこには救いがたい厚かましさがあるんだ、ってことに。それじゃ聞くけどヒツジくん、もし仮にキミが昨日の休みを何かキミ自身「有意義だ」と感じられるようなやり方で過ごしたとしてみよう、まあ、多分、それって、本を読んだ、とか、映画を見た、とか、その程度のことでしょ? それを無駄でない、と思うのははっきり言ってキミだけなのであって、キミの「有意義」なんかちょっと視点をかえればすぐ「無駄」にとって代わられる。すべての「有意義」は所詮そういうものなのよ。キミが一日眠って過ごしたからってそれを無駄だと思うのはキミ自身がまだ、何か有意義なことができるんじゃないか、って思い込んでるせいでしかないの。いいこと、キミに一つ、呪いをかけてあげるわ、キミには、無駄なことしか、できない。 おいおい、なんだよ、その展開は、と黒い羊は頭を抱える。ズキズキと疼くような痛みが止まらないのはもしかしてこの女のせいなんじゃあないだろうか。
ひどい無駄だ、と黒い羊はひとりごちた。 否、否、ヒツジくん、無駄でないことなど何一つないのだよ、と遠い昔、無駄なことなど何一つない、と言い放ったはずの女が呼びかける。
あと26日間を耐え忍ぶ術を黒い羊は模索する。黒い羊の頭の中で二百二十四万六千四百匹の羊が柵を越える頃ようやく3月は終わるはずだがあまりに数が多すぎて黒い羊は絶望することしかできない。 二百二十四万六千四百匹の羊が柵を越えなくても、たった一匹の黒い羊が夢見るように空を飛べばそれで済む話なのだが。
こちらの羊飼いの言いつけに従おうとすればあちらの羊飼いを裏切らねばならず、あちらの羊飼いの機嫌をとるためにはこちらの羊飼いに悪態をついてみせねばならず、そうして同じ群れに属する羊たちと歩みをそろえるためにはこちらとあちらの羊飼いに向かって草しか食めない平らな歯をむいてみせねばならない。 黒い羊はトリプル・スタンダードとでもいうべき状況に身を置いている。羊でありながら舌先は2枚にも3枚にも割れているのだ。 こうして黒い羊に罪状が追加される。 常に他を欺いていることにおいて、有罪。 そればかりではなく、こちらの羊飼いにもあちらの羊飼いにも仕えたくない、他の羊たちと歩みをそろえるなんてまっぴらごめんだ、という自らの本心を欺いている、ことにおいても、有罪。
黒い、というからには当然その羊は無垢ではない。だが羊、というからには穏やかであり、無抵抗である。ほんの一昨日までは黒い羊もただの薄汚れた灰色の羊に過ぎなかったのだが羊としての属性に忠実でありすぎたため、他の羊たち―潜在的には彼、彼女たちもまた黒い羊でありうる―が心中にじっと抱きかかえ、温めてきた悪意という名の墨汁を一身に浴びた。そうして今日、もっとも卑怯な羊として、あるいはもっとも邪魔な羊としてこの場に登場することになったのである。 冒頭、黒い羊は無垢ではない、と書いた。羊の群れが「3月が来た」、という掛け声を合図に墨汁を吐き出しはじめたとき、黒い羊もまた同じように自らその悪意を表出し、他の羊を穢すことも可能であった。よって、他を穢さなかったということにおいて無罪であったとしても、逃げることを怠った、抗弁を放棄した、ということにおいて有罪なのである。従順を無垢とイコールで結ぶことははるか以前から禁止されている。 要するに灰色の薄汚れた羊は自ら黒い羊たることを選択したのだ。 従って黒い羊に同情の余地はない。
いーやーだー。 ***** 本屋で依怙地になる。 元気の出る物語なんかいらない、心が温まるような物語も、生きる希望がわいてくるような物語もいらない。人間の魂の救済だとか明るい未来を夢見させるような物語もいらない、身体を売る女たちの物語やあざといまでに涙を欲しがる物語もいらない、想像力の限界までアクロバティックな飛行をしてみせる物語にも、家族の絆を確認しあう物語にも、失ったものを再び見出そうとする物語にももう飽きた、小さな日常を優しい視点で見据えた物語、生きとし生けるものへの慈愛に満ちた物語、壊れやすいものを壊れやすい文体で描いた物語、いらない、いらない、そんな物語は受け入れられない。 結局一冊も買えなかった。 私は今日、とにかく切迫した、とにかく残酷な、とにかく深刻でとにかく大仰でとにかく絶望に満ちた物語を探していた。 ***** それでも今日も豆乳の茶碗蒸しを作ったりして小さな満足を口にしたからシアワセな休日だったことに違いはない。
おそらくは通信販売の頒布か何かで送られてきた焼き鳥と出来合いの八宝菜を脇にのけて、久しぶりに料理をした。みりんと料理酒と片栗粉から買わなければならない、とはまあ一体何事か、と愚痴をこぼしながらかぶをすりおろし、棚の奥から蒸し器を引っ張り出して、かぶら蒸しをつくった。とろりとしたべっこうあんと一緒に口の中でふわりと溶けるかぶは甘く、優しく、私はそこはかとない幸せに包まれた。 たかがこんな些細な努力によって、私は真夜中の胃の暴動から逃れることができる。文句を言う前に動けばいいのだ、此処は今のところまだ、私の家、でもあるのだから。 「此処は自分の居場所じゃない」、という馴染みの感覚に溺れているとき、私は同時に自己憐憫に溺れ、根拠のない呪詛や軽蔑に胸をむかつかせながらも、では一体どうすれば此処から逃れられるか、に関しては思考停止に陥っている。おそらく少し動くだけで、ほんの少し動くだけで、居場所などは簡単に見つかるのだろう。あとはいかにして、「此処は自分の居場所じゃない」という甘ったるい言い訳にケリをつけるか、だ。 |