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2006年03月31日(金) 夫婦の“家事”観

帰りにお茶を飲んで行こうよ、と同僚が言う。夫婦ゲンカの最中で、早く帰るのがしゃくらしい。
ケンカの原因は家事にケチをつけられたことだという。
彼女の夫はとてもきれい好きで、休みの日は頼まなくても掃除機を出してくるような人。ダイニングテーブルのイスを引っくり返し、一本一本足の裏についた埃まで吸い取るというから、掃除に関してはかなりの上級者である。
が、「そこまでしてくれたら助かるね」と感心する私に彼女は首を振る。いいことばかりではない。その分、妻の家事にもチェックが厳しいのである。
部屋にあれこれ物が出ている状態が嫌いで、出かけるとき、寝るときにはすべて引き出しなどにしまう。夕食の片づけが終わった後の調理台が濡れているのも気に食わない。昨夜はシンクの中にスポンジが転がっているのを見つけた夫に「こんなとこに置いとくなよ、汚いだろ!」と怒鳴られ、「転がり落ちただけでしょっ」「やることがいつも中途半端だからそう思われるんだ」と言い合いになったのだそうだ。
家事能力に長けた夫を持つと、それはそれで苦労があるらしい。

彼女の愚痴を聞きながら、私は夫の先輩が家に遊びに来たときのことを思い出した。
酒の肴を並べ、しばらく席を外してダイニングに戻ってきたら、テーブルの上がやけにすっきりしている。ふとシンクを見ると、空になった皿が積まれていた。
夫の仕事でないことは明らかだ。食べ終えたはなから下げなくてはならないほどテーブルが混雑していたわけでもないのにどうしてかしら?と不思議に思っていたら、先輩が夫に言った。
「おまえもたまには皿くらい洗えよ。それが嫌なら、食器洗浄機買ってあげるとかさ」
驚いた。彼の奥さんは専業主婦と聞いている。なのにお皿洗ったりするんですか?
「もちろん。俺ね、汚れた皿とか鍋とかすぐに洗わないと気がすまないの。テーブルの上とか流しにほうっておくのって気持ち悪いんだよね。彼女、食べるの遅いから、さっさと洗っちゃうんだ」
食べている横でカチャカチャと洗い物をしたらせわしない気分にさせてしまうだろうと思っていたのだが、そんな気遣いは無用のようだ。
こういう男性はときどきいるらしい。村上春樹さんのエッセイにも、奥さんから「片づけは後でいいから、もうちょっと座ってて私の話を聞いてよ」とよく怒られるとあったっけ。

さて、慌ててスポンジを掴んだ私はあっと声をあげた。
「さすがだわ、家事をする男性はやっぱり違う……」
油物の皿とそうでない皿を分けて重ね、水につけてあったのだ。
夫も半年にいっぺんくらい自分からすすんで食器を下げてくれることがあるが、悲しいかな、カレーの器と麦茶のコップを重ねたりする。水はたいていかけ忘れている。「こうしておけば洗いやすいだろう」という想像力は自分で洗った経験がないと生まれようがないのである。
その先輩は帰るとき、空き缶は水ですすぎ、ペットボトルはキャップを外してゴミをまとめてくれた。世の中にはこういう男性もいるのだ。


……とはいうものの。自分の夫がここまで気が利くというか家事に細かい人だとちょっとしんどいかもしれないなあと思ったのも本当。冒頭に書いた同僚夫婦のように、夫のほうが求めるレベルが高い場合はなおさらだ。家事をするのに抵抗がないとか上手とかいう夫はありがたいけれど、「この程度でよしとしよう」という合格ラインはだいたい一致していないと困る。
「自分も家事をやる代わりに妻にも注文をつける」と「自分はやらない代わりに少々のことには目をつぶる」となら、夫は後者のタイプだったほうが気楽。私は埃で死ぬ男の人より、埃じゃ死なない男の人のほうがいい。

もっとも、うちの夫ほど家事能力が欠如していたらそうも言っていられないけれど……。
男性が家事をする夫になるかどうかは、父親の家事参加度と結婚したときの状況によるところが大きいという。義父はタテのものをヨコにもしない人である。加えて結婚当初、私は失業手当をもらいながら職業訓練校に通うお気楽主婦だったため、家事の分担について話し合うこともなかった。いま思えば大失敗であった。

しかしながら、最近田辺聖子さんのエッセイを読んで一条の光が見えたような気がした。家事能力ゼロの男性と結婚した女性の話である。
結婚後、夫が卵を割ることもできない人だと知って目の前が真っ暗になったが、「一年にひとつ、何かできるようになってもらおう」と気を取り直し、最初の一年は「読んだ新聞を元通りにたたむ」を目標にした。すると夫は二年目にはふたつのことができるようになり、三年目には四つか五つのことができるようになった。そうして女性は少しずつ夫の生活自立度を高めていった……という内容だ。

「まあ、うちと同じレベルだわ。だったらうちも望みがないわけではないのかも」
そうだ、夫にも結婚生活五年半のあいだに妻に口うるさく言われ続けた末にできるようになったことが三つもあるのだ。
「風呂上がりにバスタオルをベランダに干す」
「自分が先に起きたとき、リビングのカーテンを開ける」
「脱いだワイシャツを洗濯カゴに入れる」
二年でひとつという恐るべきスローペースではあるが、千里の道も一歩から。五年後くらいにはトイレットペーパーが切れたら交換してくれる人になっているかもしれない。

私は夫に家事を手伝ってもらおうなんて大それたことは望んでいない。ただ、卵くらい割れる人になってもらいたいだけ……。
と言ったら、
「そのくらいできる」
と夫が憮然として言う。
「割るっていっても、叩き割るとかそういう意味とちゃうよ」
「バカにするな」
あ〜らそう。じゃあ今度やってみせてもらおうじゃないの。


2006年03月29日(水) 家族にわだかまりが生まれるとき

読売新聞の月曜のくらし面に「転ばぬ先に」というコラム欄がある。
財産管理や相続に関する読者からの疑問や悩みに弁護士が回答するコーナーなのであるが、私はそれを読むたび、ちょっと信じられないような気持ちになる。毎回のように「骨肉の争い」が繰り広げられているからだ。
もっとも最近読んだのは、
「三女の自分に全財産を相続させると書かれた父の遺言状を見て、姉たちが『父の字ではない』と言いだした。裁判所に訴訟を起こし、筆跡鑑定で決着をつけようと言われ、悲しい」
というもの。
年金が振り込まれる通帳を取り上げた娘を相手に法的手続きを取りたいとか、親の遺産相続で兄弟と揉め、縁を切ったとかいう相談者たちの言葉には驚かずにいられない。
お金が絡むと、それなりに円満にやってきた親子や兄弟でも憎しみ合うようなことになってしまうのだなあ……。
両親にもふたつ下の妹にも不信感など抱いたことのない私にはあまりにもぴんとこない話である。


……とはいうものの。
ある出来事をきっかけにそれまで保っていた、あるいは何十年もかけて築いてきた家族のバランスが崩れてしまう------それはどこにでもいるごくふつうの親子や兄弟のあいだにも起こりうるのだ、ということは最近なんとなくわかるようになった。

先日、夫の実家に帰省したときのこと。義母とふたりでお茶を飲んでいたら、義妹の話になった。
「この頃A子が、実家に帰りづらいって言っててね……」
としんみりと義母。
義妹は昨年、いくつかの理由で猛反対する父親とすぐ上の兄を説得しきれぬまま結婚した。義妹と“友だち親子”の義母は理解を示したが、義父と義弟は結婚式に出席しなかった。一年経ったいまも義妹の夫は身内と認められず、法事などの席でも義父と義弟から完全無視されている。
私はそういう場に居合わせるたび、「周囲の反対を押し切って結婚するとはこういうことなのだ」と思い知らされたし、義妹夫婦が気の毒でならなかった。
けれど、その状況はそう長くは続かないだろうとも踏んでいた。子どもが生まれたら彼らも変わる、と思っていたのだ。義父は頑固な人だから、実はいま頃、振り上げたこぶしを下ろすタイミングを探しているんじゃないだろうか……と。
もしかしたら義母や義妹夫婦もそう期待していたかもしれない。

しかし、現実にはなにも変わらなかった。それどころか、事態は複雑になったようにさえ見える。
義母は愚痴を言うような人ではないのだけれど、このあいだはたまりかねたように私に言った。実家で顔を合わせても、義父や義弟だけでなく義弟の妻B子さんまで義妹の赤ちゃんに知らん顔をするのだという。
義弟夫婦には小さな子どもがふたりいるが、B子さんは仕事を続けている。毎日保育園から連れて帰り、実家で夕飯を食べさせ、義弟かB子さんが仕事帰りに迎えに来るまで預かる。義母や義妹が協力を惜しまなかったから可能だったわけだ。
それなのにB子さんは自分の子どもをあんなにかわいがり、面倒をみたA子ちゃんに「おめでとう」の一言もない。それが義母は悔しくて、悲しくてたまらないという。

A子ちゃんと兄嫁であるB子さんのあいだに以前はなかった距離感があることには私も気づいていた。
ふたりが会話しているのを長らく見ていなかったし、今年の正月、B子さんが私に「離縁される覚悟で結婚したのに里帰り出産っていうのは甘えてると思う」と棘のある口調で言っていたから。
「実家に帰ってくるのに遠慮なんかすることないじゃない、とは言ったんだけどね……」
義母にそう言われたところで、父や兄、兄嫁がいる前では子どもや夫の話には一切触れられないというのでは義妹に以前のような居心地は戻らない。
そして義母にとっても、娘の家に遊びに行ったり孫の話をしたりといった楽しみを夫と共有できないのはさぞかしつらいことだろう。

* * * * *

初めて夫の実家を訪ねたとき、夫婦仲も兄弟仲もいい、素敵な家族だなあと感心した。その印象は結婚した後も長く変わらなかったが、ここにきてちょっと心配。

義父はひとり娘である義妹を本当にかわいがっていたから、彼女の将来を案じて反対したのだ。義父の怒りや失望には理解できる部分もある。
「だけど、もう結婚しちゃったんだから。こうなったら応援してあげなよ」
ということは、きっとたくさんの周囲の人も言ったに違いない。
けれど、人の心は理屈ではない。義母とともに義妹の理解者である夫にもどうすることもできないようだ。
時が解決してくれるのを待つしかなさそうなのが切ない。子どもに物心がつくまでになんとかなることを願っている。


2006年03月27日(月) 就職活動の思い出

カフェでひとり、遅めのランチをとっていたら、突然「わたくし、○○大学××学部の△△と申しますっ」という大きな声が耳に飛び込んできた。
ぎょっとして隣りのテーブルに目をやると、女の子が携帯を耳に押し当て、緊張した面持ちで誰かと話している。
「わたくし、旅行業界を志望しておりまして、御社の既成概念にとらわれない発想力に大変興味を持っております。つきましては御社のセミナーに参加させていただきたいと思い、本日お電話いたしました」
なるほど、黒いスーツに黒いパンプス、黒いバッグという“いかにも就職活動中”な格好をしている。

しばらくのやりとりの後、セミナーの予約を獲得すると、彼女はすぐまた別の会社に電話をかけ始めた。
「旅行業界」の部分を「情報通信業界」にチェンジして話しているのを聞きながら、私はつぶやいた。
「いまは携帯があるから便利だなあ」

* * * * *

先日テレビで、大学生の就職活動を特集した番組を見たのであるが、十三年前の私のときとはずいぶん事情が変わっていて驚いた。
あの頃は建前としてはまだ存在していた「卒業年次の七月一日以前の会社訪問は禁止」「正式内定は四回生の十月一日以降」といったいわゆる“就職協定”が廃止されたため、企業の採用活動が早期化、現在は三回生の秋から就職活動をスタートする学生も少なくないという。
「教育実習」の会社員版とも言える、インターンシップ制度を導入する企業も増えているそうだ。

が、私がさらに時代の流れを感じたのは、資料請求や説明会参加のエントリーがインターネットでできるようになっていることである。
私たちは三回生の終わりに自宅に送られてくる就職雑誌から興味のある企業のハガキを切り取り、一枚一枚書いていったが、二百枚書いた私はあの作業にどれほどの時間とエネルギーを費やしたことか。書き損じて修正液を使ってしまったときなどは「印象悪くないかなあ……」なんて不安になったりして。
しかし、パソコンならそんなこともない。しかも名前も住所も自己PRも志望動機もコピー・ペースト可能なのである。

そうそう、資料請求ハガキといえば思い出すことがある。
当時は応募を受け付ける学部を限定したり、「来年度の採用は男子のみ」と表明したりといったことをどこの会社もわりと堂々としていた。そのため、誰でも名前を知っているような大手企業のハガキが満載の就職雑誌はつぶしのきかない文系学部の女子のところには送られてこない。よって、関心を持っている会社のものが手に入らないことも多かった。
四回生になったばかりの頃、こんなことがあった。地元で就職活動をするためしばらく帰省するという友人から、
「この時期にポストをほうっておくと大変なことになるから、時々たまった郵便物を玄関に放り込んでほしい」
と頼まれた。彼のマンションは私の行きつけのスーパーの隣り。じゃあ買い物のついでに寄ったげる、と快く引き受け、鍵を預かった。
そうしたら驚いた。三日と空けずに行くのに、その郵便物の量ときたら……。封書だけではない、電話帳ほどの厚さの就職雑誌が毎日のように届き、ポストに入らないそれらが地べたに積まれているのである。
「そりゃあこれを放置してたら、他の住人に大迷惑をかけることになるわな」
私はせっせと部屋に運んだ。

さて。
「どうせ捨てるだけだから、役に立ちそうなものがあれば持ってっていいよ」と言われていたので、就職雑誌を何冊かもらって帰ったところ、ショックを受けてしまった。私のところに送られてくるものには掲載されていない、そうそうたる企業のPRページや資料請求ハガキがどっさりついているではないか。
彼は工学部である。募集職種が理系の知識を必要とするようなものであったなら、もちろん納得なのだけれど、「来年度の採用予定」欄を見ると総務、経理、広報、営業、なんて書いてある。理系の学生を選ばなきゃならない仕事ではぜんぜんなさそうなのに……。
そういえば、彼の元に届いていたダイレクトメールの大半が「セミナーのご案内」だった。申し込んでもいないのにあちらから「ぜひお越しを」なんて、二、三こ上の先輩たちから聞いたバブル期の就職活動みたい。こんなのうちには一通も来ないわよおーー。
同じ大学でも男子と女子、出身学部によって市場価値はこんなに違うんだなあと感慨にふけってしまったのだった。


バブルははじけ、空前の売り手市場から一転して買い手市場へ。「就職氷河期」という言葉が流行語になった九十四年に私は卒業した。
けれども、就職活動の思い出はつらかった、苦しかった、だけというわけでもない。
好きな男の子と合同セミナーに行き、帰りに飲んで帰ってくるのなんて「ラッキー♪」以外の何物でもなかったし、OG訪問でお世話になった先輩には入社後もかわいがってもらった。「タイプが違う」と食わず嫌い的に敬遠していた女の子と就職活動を始めてからやりとりするようになったら、すっかり意気投合。彼女は現在もっとも仲の良い友人のひとりである。
就職活動をしていた半年ほどのあいだはかなりのプレッシャーを強いられたけれど、そんな時期でもしんどい、厳しいだけではないなにかしらがあった。

このサイトを読んでくださっている方の中にもこの春大学を卒業し、就職したり大学院に進んだりする方が何人かおられる。それぞれ希望に胸をふくらませているのが伝わってきて、こちらまでうれしくなる。
おめでとうございます。もうすぐだね、がんばって!


2006年03月24日(金) 「あなたと同じ空気を吸いたくないの」

『週刊新潮』に掲載している渡辺淳一さんのエッセイに、定年直後に妻から三行半を突きつけられ、離婚した知人の話があった。
本人が多くを語らないため真相はわからないが、渡辺さんが知る限り、浮気をしたとか酒癖が悪かったといったことはなく、仕事一筋できた真面目な男性である。その彼がこうつぶやいた。
「あなたと同じ空気を吸いたくないの、と言われてね……」
そしてまたぽつり。
「そんなことを言われてもねぇ……」

それを聞いた渡辺さん、この「同じ空気を吸いたくない」は女性ならではのセリフであると思ったという。
男は女性に対してそんな言い方をすることはない。だって、男はいくら嫌いな女性とでも空気くらいは一緒に吸えるから、と。

* * * * *

渡辺さんの「女性は潔癖感が強く、嫌いになった男はきっぱりと、救いがないくらい突き放す」に私は思わず頷いた。
他のことについてはわからないが、男女のことに関しては男性より女性のほうがずっとシビアでドライである、という実感が私にもある。恋愛している最中に情が深いのは女性のほうだが、気持ちが離れるとびっくりするくらい“他人”になれるのも女性である。

時々会って食事をする元同僚がいる。年は私よりひと回り上であるが、気さくで楽しい女性なのだ。しかし、話題が彼女の家庭のことになると私は少し気が重くなる。
彼女の話には夫がほとんど登場しない。「こないだ家族で旅行行ってきてん」の「家族」は自分と長男、長女の三人を指す。夫は仕事だったのかと思ったら、「家におったんちゃう?さあ、知らん」。
たまに夫について語るときは、聞いているのがつらくなるほど愛情のない言葉が並ぶ。
彼女は夫と同じテーブルでごはんを食べるのがとにかく嫌なのだという。夫は毎晩八時には帰宅するが、夕飯は待たない。休日に子どもと出かけるときは家に残る夫の食事は用意しない。
夫は家にいる時間の大半を、彼女の言葉を借りれば「引きこもりのように」自室で過ごす。夫婦の会話はほとんどないそうだ。

そういう状態に至るまでに何があったのか知らないのでどちらの味方になるつもりもないけれど、しかし私が話を聞きながらつい「気の毒だな」と思ってしまうのは彼女の夫に対してである。
彼女が子どもとタッグを組んでいたら、彼は家の中に居場所がないのではないだろうか……。
以前、夫とケンカした私はストライキを起こして夕飯を作らなかったことがある。ふてくされてさっさと寝てしまったわけだが、翌朝テーブルの上に冷たくなったカップラーメンと割り箸を見つけたとき、かわいそうなことをしたと思った。妻に無視をされたとたん、わが家であっても夫にとっては勝手のわからない居心地の悪い場所になってしまうのだ。

新聞の人生相談欄やweb日記を読んでいると気づくのは、「概して男性は奥さんのことをそうひどく言わない」ということ。彼女に対する不満を述べてあっても、あからさまな悪口が書かれてあるのはほとんど見たことがない。
それに比べ、女性の夫に対する言葉はかなり辛辣だ。「顔を見るだけで不快なのよ」が伝わってくる文章もしばしば見かける。
「生理的にだめ」という情け容赦ない言葉を女性はふつうに使うが、男性が口にするのは聞いたことがない。何かを拒絶したり誰かを憎んだりする心は男性より女性のほうがはるかに強く、深いと感じる。


冒頭のエッセイに戻る。
そのうちあいつも淋しくなって戻ってくるかもしれない、とつぶやく知人に渡辺さんは心の中で言う。
「それはない。女は去っていったら、もう終わり。戻ってくることなんかありえないよ」

私もそう思う。リアリストである女性がいったん愛想を尽かした相手の元に戻るようなことはない気がする。
女性と男性、精神的にタフなのはどちらかと訊かれたら、私は迷わず「女性」と答える。ひとつの恋を終えたとき、立ち直りが早いのも未練を残さないのも女性である。別れた相手がいつまでも自分のことを忘れないでいてくれる……なんて甘いことも考えない。
付き合っていた男性と数年ぶりに話したとき、「実は君がいまもひとりでいてくれることを期待していた」と言われたことがある。自分から振っておいて、しかも自分は結婚しているのに、どうしてそんなことを望むのか。
「彼女は俺を忘れない」という思いがあったからだと想像する。これは彼が特別自惚れ屋だったからというわけではなく、男性が抱きがちな幻想なのではないだろうか。
思い出を美化するのは女も男も同じであるが、男性の話を聞いたり書いたものを読んだりしていると、女性よりずっとロマンティストであるなあと思う。その“甘さ”が可愛いところなのだけれど。

女性と男性とでは「耐性」が違う。
よくしなり、かなりの風雪にも耐えられる柳の木が女性。一見どっしりとして頑丈そうだが、柔軟性がないため案外ボキッと折れやすいのが男性。
もろくてナイーブなのは男性のほう、と私は感じている。


2006年03月22日(水) 盗む人

駅の近くで、お揃いのジャンパーを着た中年の女性たちが通行人になにやら配っている。ポケットティッシュよりもかさ高い。なんだろうと思い受け取ったら、自転車のカゴにかけるひったくり防止用のネットだった。
ひったくり件数全国一の大阪だからか、街のそこここに前を通ると「きいつけやー あんたのことやで そのバッグ」とオバチャンの声が流れる立て看板がある。が、こんなものを配っているのは初めて見た。
ママチャリにそれをかけたら救いようなくださくなりそうであるが、半年ほど前、友人がまさに自転車のカゴに入れていたバッグを後ろから来たバイクにひったくられている。警察で調書を取られたと言っていたが、財布にいくら入っているかほとんど把握していない私がそんな目に遭ったらものすごく困るわ……。

* * * * *

実はこのところ、盗難云々という話を立て続けに耳にしている。
数日前、職場の朝礼でロッカーの鍵をかけ忘れていた人のカバンから財布とライターが盗まれたという報告があった。
個人情報を扱う業種なので、社内のセキュリティはものすごく厳しい。執務室にはもちろんのこと、ロッカールームや休憩室にもIDカードがなくては出入りできない。部外者が立ち入ることができない場所でそういうことが起きるのは本当に嫌なものだ。
同僚は最近、自宅前の廊下に出していた子どもの傘をとられたという。
「同じマンションの住人かもしれんって思ったら、気持ち悪くて……」
隣人はそこまで大胆なことはしないのではないかという気がするが、誰の仕業にせよ、その傘をどうするのだろう。何食わぬ顔をして自分の子に与えるのだろうか。

盗難といえば、私は大学時代にかなり怖い目に遭ったことがある。
学内でリュックが置き引きにあった。中には手帳と家の鍵が入っていたため、「そこまで念を入れなくても……」と渋い顔をする大家さんを説き伏せ、私は翌日鍵を取り替えた。
事件はひと月後に起こった。冬休みを実家で過ごし、一週間ぶりにマンションに戻った私はロビーの掲示板を見て血の気が引いた。年末年始のあいだに十戸ほどの部屋に空き巣が入ったと書かれていたのだ。
私のところには連絡がなかったので自分の部屋は無事だということはわかったが、張り紙を読み進め、目を疑った。被害に遭った一室からその部屋の住人の持ち物でないものが発見されたということでポラロイド写真が何枚か並んでいたのであるが、うちの一枚に見覚えのあるものが写っていた。
革製の茶色いリュック。そう、少し前に講義室で盗まれたそれだ。
私のリュックがなぜ同じマンションの別の部屋から出てくるのかまったくわからなかった。しかし、警察署を訪ねて現物を見せてもらったら、それは間違いなく私のものだった。

警察の人によると犯人は空き巣の常習犯とのことで、すでにモンタージュ写真も作られていた。
盗んだ鍵で私の部屋に侵入しようとしたが開かなかったため、手ぶらで帰るのもなんだということでベランダ側の窓に鍵のかかっていなかった部屋を荒らしたのだろうという話だった。炊飯器から布団からスーツから根こそぎ持ち出され、まるで「完了」のサインのようにどの部屋にもソースやケチャップが撒き散らされていたそうだ。
「もしあのとき鍵を替えてなかったら……」
いま思い出しても背筋が凍る出来事だ。

まあ、ここまで大層な盗難騒動には人生長しと言えどもそう何度も出くわすことはないだろうが、店から出てきたら傘がなかったとか自転車を盗まれていたといったレベルの話ならちっともめずらしくない。
友人は「コインランドリーを使うときはいくら退屈でもぜったいそこにいなきゃだめ」と言う。洗濯が終わった頃に戻ってみたら下着だけが消えていた……ということがあったそうだ。

最新号の『婦人公論』の読者コーナーには「自転車のカゴに入れ、紐までかけていたスーパーの買い物袋をちょっとその場を離れた隙に盗まれた」という文章が載っていた。
これは新聞の投書欄でもちょくちょく見かける話だ。「盗んだものを食べておいしいのだろうか」という感じで締めくくられるのが常である。
が、今回の投稿者は違った。泣き寝入りするのはあまりにも悔しく、仕返しをしてやろうと考えた。
発泡スチロールのトレイ、味噌やヨーグルトのパック、ペットボトルに生ゴミや土を詰め、スーパーの袋を満杯にした。それを盗まれたときと同じように自転車のカゴに入れ、しばらく放置していたら……。見事、袋は消えていたそうな。
気持ちはわかる。しかし、姿なき相手に「ざまあみろ」を浴びせたところで空しいだけだろう。


以前、友人が「自転車のサドル盗まれたー!」と怒り心頭で電話をかけてきたことがある。
有料の駐輪場に停めておいたものだから、余計にむかっ腹が収まらないらしい。
「サドルなかったら乗られへんやんかっ。歩いたら三十分もかかるのに!」
と受話器からツバが飛んできそうな勢い。そら腹立つわなあ、災難やったなあ、あんたが怒るんも無理ないわー。
で、家までどないして帰ったん?

「隣の自転車のサドル借りて帰った」

ぜったいこんなことしちゃいけません!


2006年03月20日(月) 草食オトコ。肉食オトコ。

畑正憲さんのエッセイを読みながら、思わずへええとつぶやいた。
「肉食動物と草食動物は「目」の位置で見分けられる」
とムツゴロウさん。ふたつの目が顔の正面についているものは肉食動物、側面についているものは草食動物であるという。してその理由は?
正面に目がある肉食動物は両目でものを見るため遠近感を掴むのが得意、よって獲物との距離を瞬時に把握できる。一方、獲物の立場である草食動物は目が横についているため視界が広く、外敵の姿をキャッチしやすいというわけだ。
私はライオンとサイ、猫と馬の顔を比べ、すっかり感心してしまった。生物の体は自然の産物のはずなのに、こんなにもうまくできていたのである。


話が飛ぶようだが、先日実家に帰省したら近くに住む妹が遊びに来た。彼女の夫が最近部署を変わったと聞いていたのでその後どう?と尋ねたら、帰りがぐっと遅くなったらしい。
「じゃあまたニキビ作っちゃってんの?」
「そうやね〜ん」

義弟は学生時代ずっと体操部に所属していたスポーツマンなのであるが、体質的には少々デリケートなところがあるようで、疲れがたまると顔にニキビが噴き出すのだ。風邪を引くとたちまち一、二キロ体重が落ち、古いものを食べるとおなかを下す。夜六時以降にコーヒーを飲むと眠れなくなり、花粉症の時期には目が腫れあがる。
熱を出しても食欲は落ちず、何を食べてもおなかはへっちゃらな私とは大違いである。

さて、その話を自宅に戻って夫にしたところ、「○○君って、草食動物って感じだよね」。その何気ない言葉に私は膝を打った。
義弟は落ちついたトーンで淡々と話す。はめをはずすほど大はしゃぎをしたり、ごみ箱を蹴飛ばして怒ったりする姿はちょっと想像できない。ギラギラガツガツしておらず、穏やかで優しげな印象。
「草食」という言葉はそんな彼の雰囲気を実にうまく表現していると思った。

とすれば、肉食動物な男性とはどんなであろうか。
自己主張が強く、アグレッシブ。行動的で目立つのが嫌いではないタイプ。有名人でぱっと思い浮かぶところでは村上龍さんは肉食性で、村上春樹さんは草食性。
そして振り返れば、私が付き合ってきた男性は見事に肉食性の人ばかり(村上龍さんはまったくだめだが)。惹かれるのはいつも、華やかで上昇志向の強いリーダータイプの人だった。

とはいえ、この頃は「ちょっと嗜好が変わってきたのかな?」と思うところもあるのだけれど。最近いいなと思うのは草食性の男性であることが多い。
エネルギーがあり余っていた頃は個性の強い味がおいしく感じられたが、いまの私には少々重たい。年をとって刺激よりも安らぎを求めるようになったのかもしれない。

ちなみに、私の夫は十人いたら十人が「すごく優しそう」と言うくらい外見は柔和で草食っぽい。しかし、中身は肉食性よりさらに生命力の強い雑食性だと思う。
私が知る肉食気質の男性たちはそれぞれどこかしらもろいところを持っていた。付き合っていくうちに実は見た目ほどは強くないのだということがわかった。
けれども夫は私が出会った中でただひとり、「この人は、たくましい」と思う男性である。順応性が抜群で、器用でしたたかなのだ。どんなものでも餌にするので、特定の植物や動物しか食べられない草食動物、肉食動物より生き延びられそうな感じ。

* * * * *

では私は……?
男性では草食と肉食の割合は半々か六対四くらいではないかと思うが、女性となると草食が圧倒的に多い気がする。友人知人の中に「この人、肉食やなあ」という女性はほとんど思い浮かばない。
そして、もちろん私も草食である。気性は穏やかでおっとり、きっとみなさんも私について「牧場でゆったりと草を食んでいる羊」をイメージしてくださっているのではないだろうか。

……すみません。いま図々しいこと言いました。
ええ、ええ、私もたぶん雑食性でございます。


2006年03月17日(金) 大人のごちそう

十五日付けの読売新聞の読者投稿欄で、四十代の主婦の、
「子どもの頃、卵とバナナは高級品だった。お弁当に卵焼きが入っているととてもうれしかったし、バナナはお見舞いの品の代表格だった」
という文章を読んだ。

卵がそうだとは知らなかったが、バナナがごちそうだったというのはある年代より上の人からよく聞く話である。
先日読んだ内館牧子さんのエッセイの中にも、幼少期に食べたくて夢にまで見たものとして「バナナ」が挙げられていた。甘食が二個で五円、アンパンが一個十円の時代にバナナは一本百円したそうだ。
けれども、私にとってバナナといえば安い果物というイメージ。近所のスーパーでは果物市の日は一房四、五本のものが百円で買えるのだ。そのため、
「遠足の日にお母さんがバナナを持たせてくれると、友達に少しちょうだいと言われないよう背を向けて食べた」
「おみやげにバナナを買ってくると言って出掛けた父親が、高かったからとお菓子を買って帰ってきたときはショックで泣いた」
といったエピソードを読んでも、ふうーんという感じ。バナナを持ってお見舞いに行くなんてぜんぜんぴんとこない。
きっと若い人たちは、先日の給食話アンケートの中の「もう一度食べたいおかずNo.1は鯨肉のノルウェー風」「いやいや、鯨肉といえば竜田揚げでしょう」という回答を読んだとき、こういう感覚だったのだろうな。

ところで、私の子ども時代に「バナナ」にあたる食べ物はあったのだろうか。
考えてみたけれど、そこまで渇望したものは思い浮かばない。妹がいたのでいつも半分こ、という量的不満足はあったものの、どんなものでも食べる機会はあった。
とはいえ、食いしん坊だった私には食べ物に関する思い出がかなりある。
幼稚園の頃、お向かいのナオコちゃんの家に遊びに行き、ふたりで「クリープ」を一瓶食べたときのことはよく覚えている。ナオコちゃんに勧められて一口食べたら、あまりのおいしさにびっくり。大きなスプーンを代わりばんこに突っ込み、瓶を空にしたときおばちゃんが帰ってきた。叱られるかと思ったら、大笑いされたっけ。
母がお菓子を作ってくれるときにいつも一、二滴垂らすバニラエッセンス。バニラの甘い香りがするあれをどんなにかおいしいものなんだろうと思っていたので、あるときこっそり舐めてみたら、苦くてまずくて驚いた。
風邪で寝込んだとき、母に食べたいものはあるかと訊かれると、必ず「レディーボーデン」と答えた。当時、高級アイスクリームといえばレディーボーデン。いつも食べている五十円アイスとはぜんぜん違う濃厚な味。ここぞとばかりにねだったなあ。

母によると、子ども用風邪薬のシロップをボトル一本(三、四日分)一気飲みしたこともあるらしい。そうそう、あれはオレンジ色をしていてとても甘くて、ジュースみたいだったんだ。
また、アイスキャンデーなんかを食べながら歩いていて転んでも、私はそれを握った右手は天高く掲げ、ぜったいに砂をつけなかったとも言われた。
妹にはそんな武勇伝はないというから、私ばかり食い意地が張っていたのね……。否、子どもというのはそういうものではないだろうか。
夫はリンゴがすごく好きで、剥けば際限なく食べる。このあいだ義母とその話になったとき、「○○(夫)はジャガイモの皮を剥いてても、その音を聞いて隣りの部屋から飛んできたのよ」と言うのを聞いて、なんだ、私と同レベルじゃないかあ!と思った。


その旺盛な食欲というか食い意地というかがめっきり薄れたのは、ひとり暮らしを始め、食べるものを自分で選べるようになってからだ。
「大人になると、“ごちそう”がなくなったよね。食べようと思えばいつでも食べられるから、特別なメニューってべつにないもん」
と友人が言う。
たしかに、子どもの頃は外食がとても楽しみで、チョコレートパフェやエビフライ、ステーキやお寿司……というふうに「ハレのメニュー」がはっきりあった。
自分で作ったお弁当の蓋を開けるとき、「どんなおかずが入ってるかな」というわくわく感はない。スーパーで買い物をするのも調理するのも自分なら、帰り道に「今日の晩ごはんは何かな」と予想する楽しみも当然ない。
なんでも思いのままに手に入るようになることで、失うものもあるんだなあ。

でもその代わり、大人になって得たごちそうもあったけれど。
ファーストフードのハンバーガーでも自宅でお茶漬けでも、缶ジュース一本でもいいの、「好きな人と食べるごはん」が最高のごちそう。
何を食べるか、ではなく、誰と食べるか。
大人になってからの食べ物の思い出には、いつも誰かが登場する。


2006年03月16日(木) 左利きのストレス(後編)

※ 前編はこちら

前回の日記に「私は左利きです」とメールをくださった方の中に、会ったことのある方が二人いらした。
何度もお目にかかっているにもかかわらずどうして気づかなかったんだろうと思ったら、どちらのメールにも「矯正されたのでお箸は右です」と書かれていた。なるほど、それなら気づかないのも無理はない。

最近はどうかわからないが、私が子どもの頃は左利きの子は必ずといっていいほど周囲の大人によって矯正を試みられた。小学一年生のとき、クラスの男の子が「鉛筆はこっちの手でしょ」と先生に始終注意されていたのを覚えている。
同僚がしみじみ言った。

「『右使え、右使え』って親より先生がうるさいくらいで、学校行くん嫌やったわ。べつに左でもええやんかってずっと心の中で反抗してたもん」
「あはは。それでいまもコテコテの左利きなわけね」
「いや、実は右もけっこう使えるねん。図工の時間に絵の具のパレットがどうやっても持ちにくくて、でも絵を描くん好きやったからしょうがなく右に筆持つようにしたら、だんだん右手も使えるようになってん。それからは先生の前では食べたり書いたりは右でしてた」

そうか、そうやって左利きの子は右手も使えるようになっていくんだなあ。
小学生の頃、左利きにちょっぴり憧れていた。右利きの子が左でも字を書けるということはまずないが、左利きの子は右でもオッケーということがめずらしくなかった。どちらの手でも字を書けるというのがうらやましかったのだ。
というのは、当時毎日の国語の宿題に「百字帳」という漢字練習があったのだけれど、両手が使える彼らは私が一ページ書くあいだに二ページ書けるのに違いないと思い込んでいたから(実際に両手に鉛筆を持って左右のページに同時に字を書くことができるのかどうかは知らない)。

けれども、私が「宿題を人の倍のスピードで片付けられていいなあ」と羨望のまなざしで見ていた彼らは、別のことでは人知れず苦労をしたり不便を強いられたりしていたのだ。
同僚は利き腕を右にするためにそろばん塾に通わされたという。あれは左手でそろばんを持ち、右手で珠を動かさなくてはならない。右利きの子はすんなり指使いをマスターするのに彼女はなかなか思うようにできず、たいそう苦痛だったらしい。
いただいたメールの中にも、習い事で困惑したという証言がいくつかあった。
ひとつは習字。私は初めて知ったのだが、たとえば「一」という字を書くとき、右利きは左から右に手を動かすが、左利きは右から左なのだそう。鉛筆ならそれでもかまわないが、毛筆には「とめ、はね、はらい」があるため、筆は必ず右手で持たなくてはならない。それがものすごく大変だったようだ。
もうひとつはピアノ。
「どうして?弦楽器なら利き腕が違ったら教えてもらいづらそうとかボーイングに難があるのかなとか想像できるけど、ピアノには右利きも左利きもないんじゃないの?」
と思ったら。左利きの人は左手のほうが筋力があるため、右手より左手の音が大きくなってしまうのだという。なるほど、メロディー(右手)より伴奏(左手)のほうが目立ってしまうのはちょっとまずい。


ふうむと考える。もし子どもが左利きだとわかったら、私はどうするだろう。
自然のままにさせてやりたい気持ちはあるけれど、やっぱり右を使って生活するようしつけるのではないか。箸や鉛筆は「これはこっちの手で使うもの」と右手に持たせるような気がする。

私が子どもの頃、大人たちが子どもの左利きをなんとかしようと躍起になったのは「人と違うのはいけないこと、恥ずかしいこと」という頭があったからではないかと想像する。しかし、右利きが「正しい」というわけではないだろう。前編に書いたような不便はあるとはいえ、ふつうに生活する分には深刻な問題があるとは思えない。
それならどうしてかというと。低い可能性ではあるが、将来医者や料理人、演奏家といった細かい手先の動きを求められる仕事に就くことを望むことがあったときに不利になるのではないかと思うから。
箸を持ったりマウスを操作したりくらいのことはこなせても、医療器具や調理用具、楽器といったデリケートなものを利き腕でないほうの手で扱うことは非常に難しいだろう。道具だけでなく現場の機械や設備、マニュアルも右利きの人用に作られている。となると余計な苦労をしなくてはならない。ときにはなにかをあきらめなくてはならないようなことも起こるのではないだろうか……。
宇宙飛行士の野口聡一さんは左利き。ディスカバリー号の機体補修のための船外活動の際、メインの作業をスティーブン・ロビンソン飛行士が担当し、野口さんがサポートに回ったのはシャトルに搭載されている工具が右利き用で野口さんには扱いづらかったため、という話は有名だ。

* * * * *

……というようなことを考えた後、左利きの人が集まっているmixi内の掲示板を覗いたら、こんな投稿を見つけてびっくり。

僕は保育園の頃、毎日ランチの時間に「スプーンは右手で持ちなさい」と先生に怒られていました。それで、「右手があるからいけないんだ!」とジャングルジムから飛び下りて右手を骨折させたことがあります。それを見て、親は矯正をあきらめました。


ひゃー!そりゃあきらめるわ……。
改札を通るときの不便さも知らなかったが、この矯正の苦痛もまた右利きの人間は持たない経験なのだよなあ。


2006年03月15日(水) 左利きのストレス(前編)

友人との待ち合わせまで時間があったので、ネットカフェに入った。指定の席に着き、ブラウザを立ち上げようとしたところ。
あれっ、マウスがない。
……と思ったら、キーボードの左側に発見。どうしてこんなところに。
「あ、そうか、左利きの人が使った後なんだ」
マウスを所定の位置に戻し、余ったコードをまとめながら思った。左利きの人は自宅以外の場所でパソコンを使うとき、こうしていちいちマウスを移動させなくてはならないんだなあ。

* * * * *

左利きの同僚にその話をしたら、
「マウスだけじゃないで。世の中のもんはたいてい右利きの人向けに作ってあるから、左利きは損やねん」
と返ってきた。なるほど、いままで考えたこともなかったけれど、たしかに社会は右利きをスタンダードとして、あらゆるものが右利きの人にとって都合のいいように設計されている。
たとえば、そこのコピー機は操作パネルも手差しトレイも本体右側についている。パソコンのテンキーもキーボードの右端。これを左手で打つのは至難の業だろう。キャビネットを開けるときは右の扉から。左から開けたら右も一緒に開いてしまう。

帰り道、駅の自動改札を通りながら、左手で切符を入れるためにはうんと体をねじらなくてはならないことに気づく。
公衆電話の硬貨の投入口、釣り銭の返却口、プッシュボタンはすべて右手寄り。左利きの人が無理のない体勢で左手で操作しようとしたら、体の右半分が右隣の電話の前にはみだしてしまうだろう。
受話器が左についているのも、右利きの人がそれを持った状態でボタンを押したり会話中にメモを取ったりといったことがしやすいようにだ。そういえば昔の黒電話のダイヤルも右利きが回しやすいように時計回りだったっけ。
レストランに行けば皿の右側にナイフ、左側にフォークが並べてある。左利きでもカトラリーは入れ替えずに使うのがマナーだが、もし私が利き腕でないほうの手でステーキを切れと言われたら、かなり苦労するに違いない。

では家に帰ればそんな不自由から解放されるかというと、そうでもなさそう。
というのは、左利きになったつもりでキッチンに立ってみたら、「あれ、これ使えないぞ!?」と驚きの連続だったからだ。
片手鍋を左手で持ち、中のものをざるにあけようとする。するとあら不思議、いつもは手前にくる注ぎ口があちら側にいってしまったではないか。持ち手のついた計量カップもしかり。どうすりゃいいんだ。
片刃の包丁を左手で握ると刃がなくなる。ミトンは本来なら手の甲にくる側を手の平側にしてはめなくてはならないので、デザインが台無しに。急須でお茶を淹れられない。コーヒーなら問題ないかというと、マグカップのイラストがあちらを向いてしまう……。

トイレのウォシュレットの操作パネル、自転車のベル、車のエンジンキーの差込口、すべて右側だ。この持ち方でカメラやデジカメのシャッターを押すことができるのは右利きの人だけである。“右利き用”はちょっと注意をしてみたら、暮らしの中にいくらでも見つかった。
これまでなんの疑問もなく使ってきたものが左手でやろうとしたとたん、使い勝手が悪くなったり機能しなくなったりするのだということに私は初めて気がついた。

「左利きってほとんど無意識とはいえ生活の中で常にストレスにさらされてるから、右利きの人より短命って言われてるねんで」

同僚が冗談とも本気ともつかぬ口調で言う。もちろんそんなことはないだろうが、そういう説が出回るのはわからないでもない。
マウスを移動させたり、体をねじって改札を抜けたり。ひとつひとつはわずかな手間に見えても、なにかをしようとするたび人より一工程多くかけなくてはならないというのは面倒なことに違いないもの。 (つづく)


2006年03月14日(火) 「給食の思い出」アンケート回答一覧


「給食の思い出」アンケート回答一覧
(No.91〜111)

実施日:二〇〇六年三月六日

(アンケートは「私が知らない給食の味」の後編の最後に、
集計結果は「『給食の思い出』アンケート回答発表」にあります)


(No.91) 20代前半 女性 徳島県

「オレンジピラフ」水の代わりにオレンジジュースで米を炊くとか炊かないとか。私はおいしいので好きでした。


(No.92) 40代前半 女性 長崎県

はじめまして。長崎ちゃんぽん、皿うどんが大好きでした♪


(No.93) 40代後半 男性 福井県

嫌いだったのは「脱脂粉乳」好きだったのは「バナナ」です


(No.94) 20代前半 女性 東京都

初めまして。いつも読ませてもらうだけなのですが、懐かしくて、投稿してみたくなりました。印象に残っている給食は、クリスタルゼリー、素麺、ほたて貝のグラタンです。クリスタルゼリーは、缶詰の果物と一緒に汁も固めたものです。透明なゼリーに桃、パイナップル、梨が入っていて綺麗でした。初めて献立表に名前が出たとき、これは何だろうね、と言われてました。素麺は、緑・ピンクの色付き素麺が少し混ざっていて、男子が獲りあってました。みかんと氷も獲りあいでした。ほたて貝のグラタンは、貝が器になっていたことに驚き、妙に印象に残ってます。苦手だったのは、揚げパンです。食べても食べても減った気がしなくて。
あと、給食のおばさんが、牛の指人形をつけて教室に来ることがありました。今日のメニューはどうでしたか、とか聞かれました。おいしかったです、と普段は元気よく返事するのですが、苦手なメニューの時は、返事が小さくなっていました。長々と失礼致しました。


(No.95) 40代前半 男性 兵庫県

給食の思い出で真っ先に思い出すのはご飯ですね。ご飯はいつも家では食べてはいたけど、パン中心の給食の中で、たまに献立で出てくるご飯って結構新鮮味があっておいしかったものです。
ちなみに、僕の上の子供が行っている私立の小学校は給食がないんですよ。いつもお弁当。学校の方針だから仕方がないとは思うのだけれども、給食を体験することなく小学校生活を送るというのはさびしいなあと思いますね。○○より。


(No.96) 30代前半 女性 東京都

鯨といえば私は竜田揚げです。唐揚げなのかな?1cmくらいの小さな角切りにされて揚げられていました。ソフト麺はセンター給食(給食センターで作った給食を各学校に配送するタイプ)になった中学校からお目見えしました。給食が配られてから食べ始めるまでに、ビニールに入ったソフト麺をつぶして遊んでいました。ミルメークはなかったです。牛乳のキャップは小学校低〜中学年くらいまで集めていたのかな。メンコで人差し指の爪の使いすぎて、その当時はかなり薄くなっていたような。家で牛乳を取っている子とかが、学校で出ない牛乳キャップを持っているとがんばったなー。ヨーグルトは大きくて裏返すのが大変でした。懐かしいです。


(No.97) 30代前半 女性 茨城県

私もソフト麺大好きでした!後は瓶に入ったヨーグルトも。それから中華サラダを思い出すとよだれが。。。。(笑 ちなみに私の小学校は食パンでした。


(No.98) 30代前半 女性 東京都

好きだったもの:鯨の竜田揚げ ピーナッツバター パンはいつも食パン、たまにあげパン、クロワッサン。牛乳は三角パック牛乳でした。


(No.99) 30代前半 女性 愛知県

ぜんざいがおかずにつくことがありました。中にはお餅ではなく、白玉がはいっていましたが、小豆嫌いな私には地獄のメニューでした。


(No.100) 40代前半 女性 福岡県

はじめまして 私の地区は中学まで給食がありまして、その最後の給食の日に(卒業間近)当時珍しいクレープがデザートとして出ました これは卒業祝いだと全員大喜びで、特に食い意地の張った男子などはあちこちからもらって(略奪を含む)机にクレープが5個なんて子もいました そして全員が期待して口にしたクレープの中身は納豆でした 当時クレープなんておしゃれなデザートは珍しく、初めて食べる子もいたと思います それが納豆クレープなんて誰が想像できるでしょうか 私の給食人生最後の強烈な思い出が納豆クレープです その後そのメニューが続いたかどうかはわかりません ちなみに、こちらでは納豆はあまりメジャーではなく毎朝納豆を食べるような家庭は少なかったと思います 私自身、その時初めて納豆を食べたくらいですので


(No.101) 20代前半 男性 埼玉県

月に一回、外国の料理がだされる日がありました。その時、一度だけだされたトムヤムクンがとても不味かったのが印象に残っています。小学生の舌にあんなものが合う筈ありません


(No.102) 10代後半 女性 静岡県

揚げパンよりきなこパンのほうが好きです。でも黒パンも捨てがたいの。3種のパンの時には手(他)汚さないようにビニールは忘れません。男子って持ってこないから2枚持っていくの。(手を汚しながら食べるといろいろ大変なの)


(No.103) 30代前半 女性 滋賀県

鯨揚げのケチャップ風味のやつは食べた覚えがあり、たしかに美味しいものだったと記憶しています。ただ、うちではそれに野菜が入らず、鯨単品のメニューでした。名前もノルウェーナントカなんて洒落たものじゃなく、単なる「ケチャップ煮」でした。でも「まずかった!」「こっそり持ち帰ってた!」なんて聞く事の多い鯨の竜田揚げと比べると、かなり恵まれた料理だったのでしょうね〜。
ところで小町さん、神戸では納豆は出ましたか?わたしは東京に嫁いだので今でこそ大好きですが、当時の滋賀の小学校で納豆が出てたときはみんな食べ方がわからず、当然ながら混ぜることもせずにそのままパック容器から食べていました。あの固まった状態の納豆を持ち上げてかじっていたのかと思うと、なんだか滑稽です。納豆自体食べられなくて、持ち帰る子も多かったです。そういう子はおうちでも誰も食べないだろうから、きっと捨てていたんでしょうね。。


(No.104) 20代前半 男性 静岡県

○○です。ソフト麺懐かしいです。ラーメンとかうどんの麺が袋に入ってるんです。そしてソースや汁を配膳して、それに麺を入れて食べるんです。ミルメークもおいしかったです。牛乳は瓶ではなくパックでした。好きだった献立は、牛乳寒です。(牛乳とフルーツを入れた寒天)苦手だったのは、細切り大根のピーナッツ和え(のような感じだった気がします)です。鯨肉のノルウェー風、食べてみたいです。集計頑張ってください!!


(No.105) 40代前半 女性 大阪府

私も鯨のノルウェー風食べてました!好きでした♪私の頃はパンばかりで……今の子供たちはごはんもあるし……ケーキもあってうらやまし〜です。


(No.106) 30代前半 男性 茨城県

こんにちは。○○です。小町さんの学校はソフトめんなかったんですね。僕は大好きでしたよ。カレーと一緒に出てきたときが一番うれしかったな。正式名称は「ソフトスパゲッティ式麺」っていうんですけどね。


(No.107) 30代前半 男性 大阪府

「デザートベース」っていう牛乳を入れてかきまぜると固まるフルーチェみたいなのが好きでした。パンにつけて食べてましたね〜。今考えると気持ち悪いけど。。。


(No.108) 30代後半 女性 福井県 

ミルメーク!なつかしいです。牛乳は好きじゃなかったけど、ミルメークがついてた日はもう一本飲めると思いました(笑)


(No.109) 30代後半 男性 神奈川県 

いつもは読み逃げですが懐かしくて思わず書き込み。「揚げパン・ソフトめん・ミルメーク」は私の給食の思い出御三家です。揚げパンは結構かたくて砂糖が落ちてくるし食べにくいんですが先割れスプーンで格闘してました。もう一度食べてみたいです。


(No.110) 20代前半 女性 愛知県

こんにちは。保育士をしているので、今も給食を食べています(小中学校と同じ給食センターなので、ほぼ同じメニューです)。幸せです。昔と味は変わっていません。メニューで変わったことと言えば、カレーにナンがついたことです。驚きました。それと、うちの地区でもソフト麺が人気ですが、私たちの時代よりも細くなっています。昔は5ミリくらいの太さがありましたが、今は2、3ミリってところです。
小学校のときの驚きメニューは、七夕の特別メニュー、たしか「たなばたコロッケ」という名前だったと思います。星型のコロッケ、具はノーマルの中に、なぜか結構な割合のレーズンが……コロッケは好きだったのでかえってショックが大きかった覚えがあります。変に甘くて、「コロッケなの?デザートなの?」とうんざりしました。当時、残すのは基本的に禁止でしたが、嫌いなもの、好きなものがあるときは、あげたり交換したりすることが許されていました。が、これは誰も欲しがりませんでした……我慢して食べました。
もう一つ、印象に残っているメニューは、納豆汁です。その名の通り、納豆の汁物です。これは、5,6回登場しました。細かく刻んだ納豆が入っていて、汁全体がわずかに糸をひきます。寸胴を開けたとたん、教室中が納豆くさくなり、みんなで窓を開けてくさいくさいと騒ぎました。クラスの数人はおいしいと言ってましたが、それ以外の子は残しました。この日(とその他一部の日)だけ、残しが許されました。担任の先生が納豆嫌いだったからです。後で思うと、結構とんでもない話だったなあと思います。。


(No.111) 30代前半 女性 兵庫県 

最後まで読んでくれてありがとう、小町です!(ってここまで読んでくれた人はほとんどいないと思うけど)
メールのほうでも「アルマイトの食器ではなく、プラスチックのトレイでした(お子様ランチが乗っているアレ)」「いまの学校の献立には鯨肉の代わりにマグロのノルウェー風がありますよ」「『ちゃんと給食代を払っているのだから、うちの子に“いただきます”を言わせないでください』と学校にクレームをつけた親がいる」といった話を聞かせていただき、とても興味深かったです。
懐かしい時間をありがとうございました。またこういう機会があったら、ぜひ参加してね。


2006年03月13日(月) 「給食の思い出」アンケート回答一覧


「給食の思い出」アンケート回答一覧
(No.61〜90)

実施日:二〇〇六年三月六日

(アンケートは「私が知らない給食の味」の後編の最後に、
集計結果は「『給食の思い出』アンケート回答発表」にあります)


(No.61) 30代前半 男性 岩手県

好きだったのはソフト麺ですね。嫌いだったのはナスのヨーグルト和え、紫の生暖かいヨーグルトにナスが入っている代物です。これだけは2回も出たことを覚えています。


(No.62) 40代前半 女性 神奈川県

病気がちな私は、ヨーグルトは高梨だと給食で覚え、病院売店で購入しました。


(No.63) 20代後半 男性 大分県

ずっとヒジキの煮物とコッペパンのコンビネーションはダメだろ と思いながら食べてました


(No.64) 20代後半 女性 福岡県

テトラ(三角)型紙パック牛乳→1滴残さず飲まないとたためない


(No.65) 20代後半 女性 東京都

はじめまして。いつも楽しみに読ませていただいていますが、投稿するのは初めてです!
私の通っていた学校は、給食がおいしいことで結構有名だったらしいです。実際、どれもおいしかった、という思い出ばかりですが、中でも最も好きだったのは、なんといってもジャンボぎょうざ!12センチぐらいの大きな揚げ餃子で、中身は肉ではなくほくほくのかぼちゃ。そしてトロリとしたあんかけがかかっているのです。最高においしかったのですが、ほかの学校出身の人で、このメニューを知っている人に出会ったことがありません。
もうひとつ、「おもしろかった」のは、もち米の五目御飯。これが出ると、みんな必ず箸の裏でご飯を叩いて、もちのようにして食べました。今思うとすごく行儀の悪いことですが、これも本当においしかったんです。あとはあれですね、子どもって「ねるねるねるね」みたいな、何かしら作業を加えるのが好きなので、それで盛り上がってたっていうのもあると思います。もち米五目御飯の日は、教室中が「カッカッカッカッカ!」という音でいっぱいになりました。
なつかしいことを思い出させてくれてありがとうございます!


(No.66) 20代後半 女性 長崎県

好きだった献立て:鶏肉ソテーレモンソースがけ、焼きそば、ちゃんぽん
嫌いだった献立:納豆汁(全校生徒の9割以上の生徒が残してしまった為、学校側から給食を作ってくれている業者にメニューから消してもらうようお願いし、受け入れてもらった)


(No.67) 40代前半 女性 新潟県

楽しみだったのは、ぶどうパンとソフト麺、揚げパンは大好きでしたねぇ。その他、時々きなこパンが出て、これまたおいしかったです。時々プリンがつくのも楽しみでした。


(No.68) 20代後半 男性 北海道

鯨は全く見たことがないですね、北海道なのに魚系はほとんどなかった気がします。小学生のとき一年に一回か二回でる雪印の小さいカップアイスが楽しみでした。


(No.69) 30代前半 女性 愛知県

史上最悪に不味かったデザート。「柿ゼリー」。クラスの8割の生徒が残してました。思い出しただけでも……オェ。


(No.70) 30代前半 女性 山形県

きゅうりとみそ!!(もろきゅう?)えびのしっぽすら、残してはいけない学校だったので、きゅうりが嫌いな私には拷問に近いものがありました。


(No.71) 20代前半 女性 大阪府

はじめまして。毎回楽しく拝見させていただいてます。大阪市内の私の地域の給食では、鯨肉のノルウェー風及び竜田揚げはありましたよ。ただ、ノルウェー風は低学年までしか出ませんでしたが。(禁猟?) でも好きでしたね〜。あと揚げパンは無かったです。コッペパンや黒糖パンはありましたが。付属品としてマーガリン・蜂蜜・ジャム類。。。
あ、好きなおかずのアンケートでしたよね(笑)。ちくわの磯辺揚げです。青海苔入りの衣をつけたあのちくわです。あとカラアゲに白身魚のフライ。(揚げ物ばっかりやわ……) あとモヤシのスープも好きでした。
キライなものはブドウパン。干しぶどうが嫌いなのに、やたらと入っていていかにして他のおかずと紛らわせるか工夫しながら食べてました。あとスティックのかまぼこ。これはウィンナーと同様にビニールのスティックの中身がかまぼこです。これ結構まずかった……。
給食アンケートの集計結果発表は予定されてますか?いろいろな地域の様々な食事内容がとても興味深くて、ぜひとも知りたいです!では、今後も小町さんのブログを楽しみにしています!がんばってくださいね!


(No.72) 40代後半 男性 愛知県

こんにちは。愛知県では尾張地方は中学校まで給食がありましたが、名古屋市内では小学校だけ給食で中学は弁当だったので、微妙にこちらの人間同士で話をしていてもやはり食い違います。「ソフト麺」はこちらでもメジャーな人気メニューでしたよ。知らないというのは、かなり若い米飯給食世代以降みたいですから、小町さんもヤングだから知らないのでは?
一番印象的な給食の思い出は、小学校1年の時だけ牛乳ではなく脱脂粉乳だったことですね。最後の脱脂粉乳世代です。言われるとおり確かに美味しいものではなかったですが、何とか飲み干していました。2年生になって牛乳になって良かったぁと思った覚えがあります。この牛乳に切り替わった時期というのも地方によって微妙に差異があるようですが、大体昭和40年前後のようです。僕も四捨五入すれば50才のオヤジですから、古い給食の思い出です。


(No.73) 30代後半 女性 大阪府

いつもいいネタ見つけてくるなぁと感心しながら読ませて頂いてます。今日は懐かしい話題ですね!カセイのジャムに雑学書いてましたね〜。私も結構楽しみに読んでました。アンケート結果楽しみにしてます!


(No.74) 20代後半 女性 秋田県

今の給食の人気メニューはビビンバだそうですよ


(No.75) 30代前半 女性 愛知県

ラーメンが出ました。


(No.76) 20代前半 女性 大分県

私が中学生のとき位から、デザートにアイスの雪見だいふくが出ました。市販の雪見だいふくは2つ入りだけど、給食バージョンは1つづつカップに入ってかわいかったです。溶けないようにドライアイスがダンボールに入ってるんですけど、それをアイスホッケーみたいに廊下で滑らしたり、水に濡らして霧?を沢山出したり楽しかったです。


(No.77) 30代前半 女性 埼玉県

小町さん、こんにちは〜。ソフト麺、懐かしいです!うどんにもミートソースにもなりました。毎週金曜日はソフト麺の日だったな〜。箸は無く、先割れスプーン使用でした。小学生の甥っ子(私が通学してた小学校へ通ってる)に聞いた所、今も先割れスプーンでソフト麺はあるそうです。


(No.78) 30代前半 女性 北海道

ソフト麺も好きでしたが、「桃缶のホイップクリーム和え」が大好きでした。すごい田舎だったのに、なぜそんなおしゃれメニュー(当時)がでたんだろう?


(No.79) 20代後半 女性 神奈川県

もう一度食べたい献立:ピロシキ(肉の方)(あんことセットなんです)
苦手だった献立:ホワイトシチュー(ホタテの貝柱がダメでした)
ちなみに牛乳は三角パックでした。タカナシ牛乳でストローを挿す入り口をふさいでる紙が赤、青、黄色とありました。パックの模様が青系なのでその紙も青が好きでした。もちろん中身は同じです。パックはつぶして班ごとにまとめるんですよ〜。


(No.80) 30代後半 女性 東京都

私は鶏肉にチーズが巻いてあってそれがアルミホイルに包んであるおかずが大好きでした!形は野菜を芯にした八幡巻のような感じで、調理法が謎ですが、かなり油っこくてホイルをはがす時手がギトギトになってしまいます。そのメニューの日はティッシュが欠かせませんでした。鯨は竜田揚げでしたね〜堅くて噛み切れなかったけど美味しかったです、また食べたいな〜
高校時代友達と話していてソフト麺の話題が出た時私は??となってしまいました。地域が近くてもメニューが違うみたいですね、揚げパンはコッペパンに砂糖のみでココアやきな粉があるのも知りませんでした。私の地域の牛乳は三角パックでした、ミルメークはビン牛乳の地域限定ではないでしょうか?


(No.81) 30代後半 女性 岡山県

いつも楽しく拝見しています。小町さんの『親子にアイスクリーム』に似ていますが、小学校と中学校が同じ給食センターの給食を食べていた私の時代。一ヶ月の献立表に以下の記載。○月○日:パン・牛乳……(略)【焼売
小2個 中3個】 『なんで小さい方が2つで大きい方が3個なんだろう?』って思ってました。そう、小学生は2個で中学生は3個の意味だったんです。これだけは未だに忘れずに市の広報にのるメニューを見るたびに思い出します。


(No.82) 40代後半 女性 神奈川県

いつも楽しみに読ませていただいています。入学式の日、お祝いということで、餅入りのぜんざいが出ました。学校って凄く良いところだ、と翌日から通うのが楽しみになりました。牛乳はなんとなく生臭くて嫌いでした。多分強化食品で、鉄分が添加されていたのではないでしょうか。今の小学校はびんではなくて紙パックの牛乳です。飲んだ後はリサイクルし易いように、きちんとたたんで返すよう指導されています。


(No.83) 40代前半 男性 山口県

苦手だったのは、魚の南蛮漬けと、ほしぶどう(そう時々コッペパンに入る)どーしても食べられない。でもおなかすくそんな時は朝の時点で「きょう牛乳いらないひとーー」と募って3本くらいゲット。中学の時は(弁当だったけど牛乳は選択可)クラブの後よーく「飲んでない牛乳」いただいたよなぁ……はっ?これってどろぼー?


(No.84) 30代前半 女性 神奈川県

いつも楽しく拝見しています。先日、100円ショップのダイソーに、ミルメークが売ってました。懐かしかったので妹に買って行って牛乳嫌いの姪に飲ませてあげてと渡してきました。給食ではソフト麺も揚げパンも私にとっては懐かしいメニューのひとつです。鯨肉も確かに出た記憶はあって、お友達が言っていたように竜田揚げだったように記憶しています。(余談ですが、静岡に嫁に行ったのですが、スーパーでイルカ肉を普通に売っていてビックリしました)
給食の思い出と言えば、「野外給食」でしょうか。アルミホイルに包まれたお弁当?がその日の給食で、いつもよりだいぶ早い時間からお弁当給食を持って少し遠くまでプチ遠足。そして晴れた空の下でお弁当給食を食べるのです。雨が降ってしまうと、なんとも寂しい給食になってしまうのですが、それもまたいつもと違っていて楽しかったことを記憶しています。


(No.85) 20代前半 性別? 新潟県

初めて納豆オムレツがでたのが確か5年の時。クラスの半分がその不思議な組み合わせにおどろき食べもせず残した。今は好きだけど……それっきりでなかったメニュー


(No.86) 20代前半 男性 福岡県

いっぺん、ヨーグルトサラダと御飯の献立だったときがあります。こんなセンスの悪い方献立の方が記憶に残っています(笑)。


(No.87) 30代後半 女性 兵庫県

鯨肉のノルウェー風!?何それ!鯨と言えば「大和煮」ですよ!てか給食の鯨肉メニューなんてそれしか知りません。ちなみに私は生まれも育ちも生粋の宮っ子、兵庫県西宮市出身者です♪(笑


(No.88) 20代後半 女性 新潟県

好きだった:ツナサンド、スープスパゲッティ(ソフト麺のように袋入りのスパゲティがありました)坦々麺(ソフト麺のように袋入りの中華麺というのがありました)
嫌い:納豆、シュリンプカレー、ポテトサンド、おにぎり


(No.89) 20代後半 女性 神奈川県

○○ですこんばんは。後半に出てきた「ソフトめん」(献立の表記がこうだったのであえて)、懐かしくて「おおっ」となりました。そうそう一袋ずつになってるんですよ。ウチの学校ではミートソース風のものにからめて食べました。揚げパンはやっぱり今でも食べたくなる一品ですが、現在たまにお店で見かける「揚げパン」は違うんですよね…。ウチで出たのはああいうパウダー状きなこはかかっていませんでした。ウチの学校に卸していたパン屋さんは知っているのですけれど、一般には売ってくれないみたいで残念です。ちなみに鯨は唐揚げで出ました。小町さんの「ノルウェー風」も美味しそうだけど、唐揚げ単体でも美味しかったですよ。
新たなメニューを提供したかったのですが、揚げパンが強烈すぎて他がかすんでしまいました。あ、いやだったのはぶどうパンと子持ちししゃもの唐揚げ。レーズンも魚の卵もダメなので、牛乳で無理矢理流し込んでいました。


(No.90) 30代前半 女性 奈良県

大好きだったのは、カレーとクリームシチュー。週に2日がご飯の日で、わかめご飯もおいしかったです。ワーストワンは豆腐サラダ。寒天のような豆腐もどきと生野菜がマヨネーズであえてありました。好き嫌いのない私があやうく吐きかけたシロモノです。一度しか出ませんでした。ミルメーク、なつかしいです!


2006年03月12日(日) 「給食の思い出」アンケート回答一覧


「給食の思い出」アンケート回答一覧
(No.31〜60)

実施日:二〇〇六年三月六日

(アンケートは「私が知らない給食の味」の後編の最後に、
集計結果は「『給食の思い出』アンケート回答発表」にあります)


(No.31) 40代後半 女性 静岡県

私は好き嫌いが多くて、小学校1、2年の時はしょっちゅう残されて食べてました。当時はおかずを残すことは許されず、残ったおかずの食器を持って教室から給食室の前に移動し、立って食べさせられました。おかずは冷めてますますまずくなり、それを口に流し込むのはつらかったです(>_<) ま、お陰で3年生くらいまでには何でも食べられるようになりました。
小学校の途中でビン入りの牛乳に変わりましたが、低学年の間は脱脂粉乳でした。これも冷めるとまずくて飲めません。おまけに、時間が経つとアルマイトの入れ物(ボウル状)の底に粉が沈殿して、気持ち悪いのなんの。やがて食器がアルマイトから、プラスチックの凹凸の付いたトレーに替わりました。当然食器を持って食べられませんから、おかずは「犬食い」になりました。先割れスプーンも当たり前のようにいつもありました。私は中学まで給食がありました。揚げパンは美味しくて大好きでした。月に何度か出たけど、いつもとても楽しみでした。人気のメニューでした。
主食では「ソフトめん」というのがやはり月に何度か出ました。少し細めのうどんなのですが、歯ごたえの無いふにゃふにゃの麺です。これが冷たいまま袋に入って出てきて、液状のおかずに合わせて食べろということだったんでしょうが、超まずかったです!懐かしいのは「クジラのヤマト煮」、これは結構イケました。今となってはクジラは貴重ですものね。
大嫌いだったのは「ポークビーンズ」。豚コマ肉やジャガイモ、人参、玉葱、そして大豆(インゲン豆?)の入った、トマト味のシチューです。大人になって、この料理はアメリカの家庭料理だと知りましたが、子供の頃は大豆がシチューに入っているのが許せませんでした(^_^;)
今の子供たちに聞くと、給食は美味しいそうですね。それに好きなだけ取ればよくて、残すのもOKらしいです。羨ましいような甘やかしすぎのような……


(No.32) 30代前半 女性 福井県

初めまして、いつも楽しく読ませて頂いております^
^ 給食で好きだったのは、絶対にソフト麺です。袋の中で半分に切って色んなソースにつけて……。但し麺が少し固めでソースが飛び散るので、給食後は必ず胸にシミを作ってました。あとはキュウリの酢の物に星型のチーズが入っているものと、人参の入ったキャロットパンが好きでした。嫌いな物は口にモリモリと入れて、トイレにダッシュして吐き出しておりました(笑)


(No.33) 30代前半 女性 広島県

年に何回か出るケーキは楽しみでしたよ。でも、一番の思い出は、2年で転校したのですが、それまでの給食にはいつもフルーチェ?とか、ケロッグのコーンフレークとかが出てました。あと、パンにはマーガリンもアリですが、チョコとかも出てました。だから、転校先には無くってびっくりしたのを覚えてますねw あと、冷凍ミカンw そして、冷凍バナナw 今、思えば、旬な時に冷凍した方が安いし美味しいのだろうと思えるけど、子供の時には「なぜに冷凍?」と、思ってましたね。
それから……あーーーんたくさん有りすぎw♪( ̄m ̄〃)♪ 好き嫌いが多かったので、必ずしも楽しい時間ではなかったけど、やはりプリンやケーキアイスが出ると子供的にテンションがあがりますよねw もちろん、揚げパンはありましたよw 広島は普通に有ると思いますが、コッペパンでしたよw ねじり棒タイプではないでーーすw


(No.34) 20代後半 女性 埼玉県

冷凍みかんにソフト麺というのが独特だなぁとおもったり。


(No.35) 20代前半 女性 群馬県

冷やし中華。ぶよぶよのソフト麺に、具はきゅうり、レタス、みかんのみじん切り。スープはお碗に。麺を平皿にあけてスープをかけるのか、麺をスープのお碗に入れるのか毎回悩みつつ食べてました。


(No.36) 30代前半 男性 鳥取県

デザートベースというフルーチェもどきが大好きでした。このときだけは牛乳嫌いのヤツが人気者です。


(No.37) 20代後半 女性 東京都

月に一度だけコーヒー牛乳の日がありました。その日はクラス中(学校中?)朝から「今日はコーヒー牛乳の日だね♪」とワクワクしていたものです。


(No.38) 30代後半 女性 東京都

ワタシは給食が大好きで、嫌いなメニューは無かったですね。ソフト麺のカレーうどん(校内ダントツ人気メニュー)、ひらめのムニエル(5×8くらいのアルミ皿にマヨネーズチーズ焼きみたいなの)、鶏肉のチーズホイル焼き、ポークビーンズ(しかし豚はホトンドは入っておらず竹輪が浮いていた)、などなど。
小学校の卒業式後の最後の給食はなんとホテルフルコーススタイル!ちゃんとどこぞのホテル(?)から今で言うケータリングです。コックさんがいて給仕がいて。嬉しかったけどびびりました。ちなみにウチは私立で給食室というのが独立してありましたので、この技が出来たんだと思います。これはとても良い思い出でした。


(No.39) 20代前半 女性 佐賀県

長崎ちゃんぽん(揚げ麺)が好きでした


(No.40) 30代前半 女性 岐阜県 

「納豆モナカ」をそうと知らずに口に入れた時の衝撃が忘れられません。見た目はモナカアイスそっくり(納豆モナカも凍ってる)。でもアイスクリームの代わりに納豆がぎゅうぎゅう詰めになっている…。献立表には「モナカ」としか書いてなかったので教室のあちこちで悲鳴があがりました。


(No.41) 40代後半 女性 長崎県

ちゃんぽん 皿うどん など


(No.42) 30代後半 女性 徳島県

牛乳に茶色い粉(ツブツブだったかな)を入れてコーヒー牛乳にする日がありました。が、途中で最初からコーヒー牛乳になったような記憶が。コーヒー牛乳の茶色い三角容器のパッケージの記憶があるし。。。小学校、中学校と給食でした。
あと、冷凍みかんも記憶に残ってる。揚げパンもありましたよん。


(No.43) 30代後半 女性 千葉県

年代的に、ごはん給食が始まりだしたせいもあったのか、「わかめごはん」「シーチキンごはん」「ひじきごはん」が大人気でした。また、千葉県なので、よく「みそピー」が白いごはんについてきていました。
私の子供は今小学校1年生ですが、私の頃の献立とあまりに違いすぎてびっくりします。「世界の料理」と銘打って、チリコンカンだのタコスだのトッポッキだのトルコ料理のスープだの、えらくワールドワイドになっています……。


(No.44) 30代前半 女性 栃木県

思い出深いのは鯨の佃煮です。嫌いな子が多かった。わたしは好きだったけど。
今では鯨を給食に出すなんてありえないでしょうね。


(No.45) 30代前半 女性 千葉県

「わかめご飯」が人気のメニューだったからなのか……ある時「わかめパン」というのが一回だけ出たんですが、ありえない味でした。かなりの不評だったせいか一度きりでしたが……。


(No.46) 20代前半 女性 愛知県

思い出メニュー
1.みそおでん といってもどて煮のようなものではなく、茹でられたと思われるこんにゃく・はんぺん・ちくわなどが汁のない状態で与えられ、袋入りのみそだれをつけて食べるという不思議なものです。給食以外でそんなおでん見たこともないですが、けっこうおいしかったです。
2.塩きゅうり 副菜としてあったのですが、きゅうりを2〜3mmに輪切りにしたものに塩がふってあるだけというもの。きゅうり嫌いな私はほとんど食べませんでしたが、高校生になって違う地域の友人に話したら「何それ!動物のエサ並みじゃん!」と言われてへこみました……
メニューではないのですが、私は食べるのがものすごく早かったので、いつも食べ終わって片付けるのはクラスで一番。男子よりも早いのが恥ずかしくて、がんばってもごもご噛み続けて時間を稼いだりしてました。


(No.47) 20代前半 女性 滋賀県

小学生の頃に「焼きレバー」が出てきたことがあって、食べたら味がとてもまずくて、焼いたものは今も食べられません(><)


(No.48) 30代前半 女性 東京都

ご飯が好きだった私は、給食のパンがどうも苦手でした。特にダメだったのはミルクロール。甘ったるいパンが気持ち悪くて、いつも牛乳で流し込んでいました。


(No.49) 30代後半 性別? 富山県

はじめまして、いつも楽しく職場から読ませてもらっています。小学校の頃の大好物給食メニューといえば「鯨の竜田揚げ」です。味付けは甘辛醤油味っぽい感じで細かいピーナッツがまぶしてありました。今は鯨肉があまり出回らないこともあって(あっても高い)作ってみた事はないのですが、あの頃の味は再現出来ないような気がします。出来上がった状態のものをお腹いっぱい食べてみたいです。


(No.50) 40代後半 男性 新潟県

鯨のノルウェー風、ありましたね。唐揚げにした鯨肉を甘辛いタレで和えてありましたが、ミックスベジタブルは入っていませんでした。もう一度食べたい給食メニューの一番です。あの味付け、何をどう使っていたんでしょうね??


(No.51) 20代後半 女性 兵庫県

私も神戸です。鯨肉といえばノルウェー風煮ですね!3〜4年生位になくなりましたが……妹は食べた事がないそうです。揚げシュウマイも好きでしたね。とくれんのゼリーは時々スーパーで5個入りで売ってますよ。たまに買って、妹と食べてます(笑) カレーに大豆の水煮が入ってたのも衝撃でした☆ 当時不評だったのは、粕汁や茄子の味噌煮。私は蛍光イエローの沢庵が嫌いでした…でも、偏食で小食だった私が人並みに食べるようになったのは給食のおかげだったのかなーと思います。


(No.52) 20代後半 女性 愛知県

名古屋に住んでいます。毎年名古屋の日には「ういろ」が出ましたよ


(No.53) 20代後半 女性 茨城県

私の小・中学校では多様な給食が出ました。ご飯も五目御飯、ワカメご飯、麦ご飯、パンでは食パン、コッペパン、黒パン、バターパン、メロンパン、クロワッサン……麺はソフト麺、ラーメンスパゲティが出ましたね。色々なメニューが出ていましたし、とても美味しかったのを今でも覚えています。
イベントにはそれらしいデザートが出ていました。夏にはアイスクリーム、クリスマスにはケーキ、雛祭りにはひなあられ、端午の節句には柏餅。そして学期ごとの最後の給食はお楽しみ献立と言って、その時まで秘密のメニュー(大概ケーキが出ていた)の給食が出ました。これはかなり美味しくてとても楽しみでしたね。
割と恵まれた給食だったと思います。和食、中華、洋食と満遍なく出ていたので、好き嫌いもありませんでした。もう一度食べたいメニューは、ソフト麺ですね。独特のやわらかさ……あれは給食の味です。


(No.54) 20代後半 女性 宮城県

ずんだコロッケ ずんだ春巻(どちらも中身はずんだ餡のみ)


(No.55) 10代後半 男性 新潟県

揚げパンもありました。ラーメンではソフト麺を使いませんでした。


(No.56) 30代後半 女性 岐阜県

いつも楽しくときには共感しながら読ませていただいております。ソフト麺は一度に入れるとかならず器からあふれるので、半分ずつ入れて食べました。もちろん今の給食でも健在みたいですよ。


(No.57) 20代後半 男性 群馬県

とんでもメニューで、牛乳けんちん汁なるものが。不味すぎて今でも忘れられません。


(No.58) 30代前半 女性 北海道

そうですね。好きだったのは前出のソフト麺、ミルメーク、揚げパンはベスト3です。ソフト麺はラーメンのときとスパゲティのときは麺の種類が違いましたが総称でソフト麺と呼んでいました。
嫌いだったのは同じ麺でも焼きそば、ナポリタンのように最初から混ざっている状態で配られた麺です。臭くて食べれませんでした〜


(No.59) 20代後半 男性 和歌山県

ウチの学校では「クジラの琥珀揚げ」でした。料理自体は「竜田揚げ」だったと思いますが。確か、2年生までしかなかったです。当時は取り合いするほど好きでした。牛乳は三角パックだったので「ミルメーク」は無かったですね。たまに「コーヒー牛乳」がありましたけど。「揚げパン」は無かった代わりに、毎週火曜と木曜は白米でした。「カレー」なんかはご飯の日だったので、「カレーパン」などをした記憶は無いです


(No.60) 30代前半 女性 広島県

ノルウェー風かは知らないけれど、鯨はそれも有りましたし、竜田揚げも出てましたし、あと、ソフト麺も普通に出てましたw 普通は給食センターから給食が来たりするのかな?それとも併設の給食室でのみの調理なのかしら?給食センターからの献立を作ってるとあまり美味しくはないらしいです。私よりも2つ上の学年までは独自の献立を食べてたらしくて、そのメニューがとっても美味しかった。と、姉が言ってって悔しかった覚えが……w ソフト麺には私的には、ミートソースが一番あってたと思います(>▽<*)/ ほぼ、ミートパスタですがw 他にも、豚肉とトマトの煮込み?らしき物もグーットwo(≧∀≦o)
ハァハァ(;´Д`)たまらんw って、感じですわw 煮込みハンバーグとかも美味かったw たまーーに、昔の給食を出しますwのお店があるので、機会があれば行きたいけど・・実際は、自分でジミーに再現して終わってますね。ははははっはは。。。くひたひぃ……_| ̄|○ガクッ


2006年03月11日(土) 「給食の思い出」アンケート回答一覧


「給食の思い出」アンケート回答一覧
(No.1〜30)

実施日:二〇〇六年三月六日

(アンケートは「私が知らない給食の味」の後編の最後に、
集計結果は「『給食の思い出』アンケート回答発表」にあります)


(No.1) 20代前半 女性 和歌山県

はじめまして。いつも読ませていただいてます。21歳の大学生です。
保育所時代、イカリングがどうしても食べられなくて、机のなかに隠していたら(残すと怒られるので)それにアリが来るようになり、先生にバレてかなり怒られた思い出があります。今でも両親にこのネタでからかわれています(笑)小学校のころは、週に1度、パンの日がありました。この話をするとたいてい珍しがられます。
また、ひなまつりや七夕などのイベントをフィーチャーした献立も多く、季節感のある給食でした。(七夕にでた星のメロンゼリーというデザートを覚えています)そして、学期末には「お楽しみ給食」と題して、こどもの好きそうなメニューに手作りデザートがついた献立だったり、校庭で手作りハンバーガーを食べたりする「青空給食」をしたりしました。当時を振り返ってみて、とても楽しい給食時間だったなぁ〜とあらためて思いますね。


(No.2) 40代前半 女性 福岡県

こんにちは。○○です。小学校の給食ですが、まずパンは食パン2枚がノーマル。時々ぶどうぱん、ミルクパンというコッペパンと、ビスケットがありました。
ビスケットはビスコのクリームなしといった形状で味はマリー風。なかなか美味しかったですよ。パンのおともはマーガリン、ジャム、チョコマーガリンが日替わりで。チョコマーガリンのときは大切に塗っていたような(笑)メインディッシュではカレーシチューが人気でした。カレーとシチューを足した、というよりゆるめのカレールーにゆでソフト麺を入れて食べるという代物。これ、結構人気でした。


(No.3) 20代後半 女性 東京都

好きだったのはたくさんあるけど「いかめし」!神奈川の学校ではうなぎの蒲焼も出ましたよ、なぜか。


(No.4) 30代前半 女性 東京都

いつも楽しみに読ませてもらっています。では早速、好きだった給食は、今では貴重な(?)鯨の竜田揚げでした。


(No.5) 10代後半 女性 福島県

アスパラとか酢豚のパイナップルが嫌いでしたね〜。ミルメークはありました。
小2まで東京でしたがそっちはビン牛乳、福島は紙パックでした。ビン底持ち上げて吹き出させる遊びが一部ではやってましたよ!(笑)


(No.6) 30代前半 女性 茨城県

年に1、2回しかでなかったあげパン(ココアや砂糖入りきなこのかかっているの)が出るととても嬉しかったですね。ソフト麺も好きでした。というか、マズイと思ったことがなかったですね。小さいながらも給食室のある学校で、給食のおばさん達も同じものを食べていたからかも知れません。同じものを食べて確認しているんだよと、言っていたように思います。


(No.7) 20代後半 女性 秋田県

火曜日が麺の日で、金曜がパンの日でした。どちらも楽しみではあったのですが、麺が、袋に生めんが入っていて、別によそったスープに付けて食べるのですが、どうしても冷めてしまっていまいちラーメンぽくならないんですよね〜


(No.8) 30代前半 女性 東京都

・ 牛乳早飲み競争が毎日開催されていた。
・ 牛乳飲んでる途中に笑わされて鼻から牛乳吹いちゃう人が男女問わずいたものだ。
・ 私の中では「揚げパン」はコッペじゃなくてねじりパン。
・ グリーンサラダ(レタス・キュウリをドレッシングで和えたもの)には何故かいつもみかん(缶詰のやつ)が入っていて残され率ナンバーワンだったが、私は「おいし〜い」と言って喜んで食べてた。
・ ミルメークとかソフト麺は今もあるのかな?
・ 中学の時、給食で「ウーロン茶ゼリー」が出たが、その中に何故か「きくらげ」が入っていて教室内が騒然となった。あのインパクトは20年近く経った今でも忘れられない……。
給食の思い出って語りだすと尽きないですよねー。アンケート結果が楽しみです!


(No.9) 30代前半 女性 大阪府

好きだった献立は、麺素材のアルファベットの形のしたのが入ったトマトスープ?嫌いだった献立は昆布を干瓢で巻いたやつ。掃除の時間まで残されたあげく、先生にぐちゃぐちゃに切り刻まれても食べれなかったです。干瓢は紐に見えて食べ物と思えませんでした。トラウマで今も食べれません。


(No.10) 20代後半 女性 愛知県

教員なので、未だに給食のお世話になっています。わたし、給食のパンが昔から苦手なのですが、昔よりもかなりパン率が下がっています。週5日のうち、パンとソフトめん1日ずつ、あとはご飯、って感じです。(うちの市の場合)パンが少なくて嬉しいです。


(No.11) 30代前半 女性 栃木県

好きだった献立は、五目鶏飯と麻婆豆腐です。具沢山で、味もたくさん作るからか深み?があって、とても美味しかったです。パンは、時々出るマヨネーズパンがけっこう美味しかったです。イカ天丼も、すごく柔らかくて甘いたれがとても美味しかったことを、よく覚えてます。嫌いなのは(食べられないので)納豆の日でした……。
田舎だったので、小学校から中学校まで給食のおばさんが学校の給食室で作っていて、小学校の時は県(郡)でも表彰されたくらい美味しい給食でした。今でも、好きだったメニューはよく覚えていて、ときどき家で挑戦してみたりしますが、なかなか同じような味にするのは難しいです。もう一度食べたいメニューがたくさんあります。


(No.12) 40代前半 男性 青森県

お初、ソフト麺おめみえの時。手順通りやらぬと爆発すると担任がいう。


(No.13) 40代前半 男性 大阪府

○○です。たまに給食にうどんが出ました。カレーうどんや卵とじうどんなど。
麺とかけ汁が別になっていて、給食係が麺の上に汁をかけてくれました。かなり好きなメニューでしたね。カレーうどんはおいしかったけど、カレー汁はまずかったです。


(No.14) 30代後半 男性 福岡県

カレーの具に小さい四角のチーズが入ってて、それが特別な感じがしました。


(No.15) 30代後半 女性 静岡県

初めまして。○○と申します。以前からよく読ませていただいています。読みやすい文体と、共感することの多い内容で(たまに、ええっ!と思うこともありますけれど)、毎回更新を楽しみにしています。
さて、私が小学生の頃の給食の人気メニューと言えば、なんといっても「ソフトめん」です。見た目はスパゲッティのような、だけど真っ白で実のところ細い腰のないうどんのようなものが、ナイロン袋にパックされてホカホカに温められて出てくるのです。ソフトめんの時には、必ずミートソースかドライカレーのようなものがお椀型の食器(ちなみにアルミだかアルマイトだかのもの)に盛られて、袋を破って出したソフトめんをそのお椀に入れて、和えて食べます。当時、給食で唯一麺類が食べられるチャンスだったし、もどきとはいえスパゲッティのようなハイカラ(!)な食べ物を出されるのはすごく特別なことのような気がして、子供たちの一、二を争う人気メニューだったと思います。もっとも、この年齢になって、いろんな味を知った今、食べることがあったとしても当時と同じようにおいしいと感じられるかどうかはわかりません。懐かしいことは間違いないのですが。今も現役メニューなのでしょうか。
ちなみに、2歳年上で石川県出身の旦那はソフトめんを知りませんでした。全国どこにでもあるものではなかったようです。パンで懐かしいのは、バターリッチパン。コッペパンや食パン、レーズン入り食パンなどもありましたが、バターリッチパンはほんのりと黄色くうす甘い味がして、他のに比べていかにもバターや卵を使ったリッチな生地のパンという感じで、とても楽しみでした。そういえば、揚げパンはなかったです。でも、あればきっと人気メニューになっていたでしょうね。語りだすときりがなくなりそうなので、この辺にしておきます。
どんな集計結果が出るか、面白そうですね。今後も小町さんの文章を楽しみにしています。それでは、また。(○○)


(No.16) 20代前半 女性 茨城県

うちの小学校はソフトめんなるものがありました。うどんみたいな。圧倒的に付け汁が少ない時があって味気なかった時もありました。


(No.17) 20代前半 女性 大阪府

りんごを煮たやつは、変な味で、あんまり人気無かったですね。クラスで1〜2人しか好きじゃなかったような。あと、「いかるが牛乳」て名前が印象的でした。


(No.18) 30代後半 女性 愛知県

低学年の頃、食べ終わるまで解放されなくて、掃除中とかにまで食べさせられたのがイヤでした。高学年になって米飯給食が始まりました。多分大抵の小学生が大好きな"カレー麺"、私も大好きだったけど、現在小学一年生の娘の給食にはカレーにナンがついてました……。昨年秋には「給食試食会」ってのがあって、仕事休んで行きました。ご飯が予想よりおいしかったです。


(No.19) 20代後半 女性 福岡県

いつも更新楽しみにしています。ロム専門なんですが、今回はちょっと参加したいです!
私の思い出の給食は、くじらの竜田揚げです。本当に本当に大好物でした。お母さんに頼んで何度か作ってもらったのですが、やっぱり給食の味にはならなくて、小学校を卒業して以来食べてないので、とても懐かしいです。
私の思い出ではないのですが、先日いとこと(18歳・鹿児島)カレー屋に行った時、今ナンにはまってるんだよねーと話したところ「給食で食べたことある。」と言われてジェネレーションギャップを感じずにはいられませんでした。パンは食パン、コッペパン、揚げパン、ブドウパン、黒糖パン等がありましたが。今はナンまででるのですね。ちなみに、変な給食をたずねてみたらクスクスがおいしかったと言われて、いまだかつて食べたことのないアフリカの主食を想像しました。
近いうちに食べたいと思います。


(No.20) 30代後半 女性 東京都

私は小学生の頃、大の給食嫌いでした。あの「あげパン」ですら、恐怖のメニューだったンですねぇ。どうやって、机の下に隠して持ち帰ろうか?と、そんな事ばかり考えていた事を覚えています。(笑) 当時の自分は、家以外で食事をする事がイヤだったようです。なので、小学生の私にとって「給食の時間」は恐怖の時間でした。そんな中でも、好きなメニューが出てくるもので「カレー南蛮」とかは好きでしたね。カレー南蛮に付いて来る、ソフト麺がお気に入りでした。それ以外は大抵ダメで、みんなが喜ぶ「カレー」ですら「あ〜ぁ……」なメニューでした。
今は、小学生の子供がいる身なのですが、時々食べさせてもらう彼等の給食の美味しい事。ホント、驚きでした。食器も、和洋中に合わせて替えてくれるのですよ。至れり尽くせりな給食を見て、今、小学生だったら、給食がイヤで学校サボったりもなかったろうなぁ〜と思います。(笑)


(No.21) 40代前半 女性 大阪府

途中から、予算の関係なのか何なのか食パンが無くなって、黒砂糖パン(コッペパンのデカイ奴)とぶどうパンの2種類だけになってしまって、食パンをこよなく愛していた私は泣きました〜T-T いや……食パンを愛していたって言うより、あのジャムやバターが出てこなくなってショックだったんですT0T パサパサのデカイ黒砂糖パンや、乾しぶどうが嫌いだった私には苦痛でした!
あと楽しみだったのは、クリスマス前ごろに出る、アイスクリームケーキでした〜^0^ 12月の献立表が配られると、「アイスクリームケーキ」の文字を探してはニンマリしてました。だいたい、終業式の前日、前々日くらいだったかな〜。結構大きなカップに入ってて、デコレーションケーキって感じに仕上げてあって、見た目にも素敵でした!勿論、休む人なんていませんでしたよ〜!


(No.22) 20代後半 女性 広島県

学校にキッチンがあってそこで作ってたので大体のものはおいしかったです。
特に好きだったのは焼きそばです。家やお店で食べるようなソース焼きそばじゃなくて、卵が入ってて、そばも太くてやわらかめでした。嫌いだったのは、冷奴と野菜をマヨネーズ和えてあった「豆腐サラダ」です。


(No.23) 30代後半 女性 神奈川県

こんにちは、小町さん。○○です。先日は掲載許可を戴きまして有難う御座いました。
私の記憶に残っているなんともまずかった給食は、ハワイアンライスです。決してロコモコのようなものではなく、その味はご飯に砂糖と塩だけで味付けしたような、レーズン入りのご飯でした。ほぼ全員が給食の時間を終わっても完食していなかった風景がいまでも鮮明に思い出されます。


(No.24) 30代前半 女性 茨城県

こんにちは!いつも楽しく読ませてもらってます。デザートのバナナにシール(ドールとかデルモンテとかの)がついてるときは「アタリ」といって喜んでました。


(No.25) 30代前半 男性 東京都

こんにちは。○○です。給食といえば「三角食べ」を思い出します。牛乳は嫌いではないのですが、米飯給食の日は飲むのが苦痛でしたねぇ。結果楽しみにしてます。


(No.26) 40代前半 男性 東京都

プリンにストローを突っ込んでは引き抜きミミズと言って遊んだ


(No.27) 30代後半 男性 兵庫県

パンの代わりにご飯の給食の時がありました。


(No.28) 40代前半 女性 群馬県

給食は、丁度変化があった時期で、お箸を使う様に為ったり、牛乳がビンから三角の紙パックに為ったり、後、お休みの同級生の家には持ち帰れそうな物は持ち帰って届けた記憶があります。今は残飯に為るのが多くって良いのかなって思いますね。


(No.29) 40代前半 女性 東京都

一番好きなのは、鯨の竜田揚げです。今でも食べたい!それからクリームシチューにサツマイモが入っていて、甘くて美味しかった。今では子どもが小学生だけど、親の昼食より良いモノ食べてるな〜って思います。


(No.30) 40代前半 女性 東京都

好きだった献立は「かぼちゃのそぼろあんかけ」(真似して作るがどうも違う)。コッペパンが苦手だったので、うどんの日が嬉しかった。途中からごはんも出るように。揚げパンは知りません。夫とは同じ歳で同じ区の公立小学校出身、給食の話は合います。区歌も一緒に歌えたりして(笑)。


2006年03月08日(水) 私が知らない給食の味(アンケート結果発表)

前回の「私が知らない給食の味」で「あなたの給食の思い出を教えて」と呼びかけたら、103名の方が応えてくださいました。どうもありがとう!
ひとつひとつ読みながら、懐かしいの懐かしくないのって。「そうそう、そうだったよね」と頷きすぎて首がちぎれるかと思いました。

ちなみに、回答者の年齢分布は下図の通り。
この日記の読み手の年齢層が透けて見える気がするな。
けれども、男女比に関しては読み手のそれをそのまま反映しているというわけではなさそう。いくらなんでも読み手のうち男性がたった二割ということはないと思う(思いたい)ので、この差は「相対的に女性のほうが食いしん坊、よって思い出も多い」からであろう……。

それではコメントをご紹介します(スペースの都合上、一部抜粋にさせていただいてます)。

◆ 「残すと怒られた!」 ◆

まず気がついたのは、給食を全部食べ終えるまで食器を片付けさせてもらえなかったことについて書いておられた方がかなりいたこと。

30代前半・女性・大阪府
嫌いだった献立は昆布を干瓢で巻いたやつ。掃除の時間まで残されたあげく、先生にぐちゃぐちゃに切り刻まれても食べれなかったです。干瓢は紐に見えて食べ物と思えませんでした。トラウマで今も食べれません。

40代後半・女性・静岡県
私は好き嫌いが多くて、小学校1、2年の時はしょっちゅう残されて食べてました。当時はおかずを残すことは許されず、残ったおかずの食器を持って教室から給食室の前に移動し、立って食べさせられました。おかずは冷めてますますまずくなり、それを口に流し込むのはつらかったです(>_<)


「えびのしっぽすら、残してはいけない学校だった」(30代前半・女性・山形県)という証言もいただきましたが、いま思えば当時の「残してはいけない」は尋常ではなかったよなあ。でも学校にクレームをつけた親がいるという話は聞いたことがない。子どもたちも反抗しないで必死に食べようとしていたし……たとえばこんなふうに。

30代前半・女性・福井県
嫌いな物は口にモリモリと入れて、トイレにダッシュして吐き出しておりました(笑)

20代後半・女性・神奈川県
レーズンも魚の卵もダメなので、牛乳で無理矢理流し込んでいました。


え、私?ハイ、私は好き嫌いなくなんでも食べる子どもだったので、こういう苦労の経験はありません。

◆ 思い出の献立 ◆

好きな献立は、ダントツで「揚げパン」と「ソフトめん」でした。
揚げパンにはきなこではなくシナモンやココアをまぶしたものもあったそう。ソフトめんは四分の一の回答に「好き」「おいしかった」と書いてありました。……ちぇ、どっちも私の学校の給食には出なかったものじゃないか。
鯨肉のおかずも人気があったのですが、私の好きな「ノルウェー風」はどうやらマイナーメニューのようで、「竜田揚げ」派が圧倒的に多かった。「大和煮」と書いていた方も何人かいらっしゃいましたが、どんな料理なんだろう。

では、「あれだけは二度と食べたくない」トンデモ献立は?というと……。
みなさん、実にいろいろと挙げてくださっていました。「幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はどれもその不幸な顔は違っている(トルストイ)」というやつでしょうか。

30代前半・女性・千葉県
「わかめご飯」が人気のメニューだったからなのか…ある時「わかめパン」というのが一回だけ出たんですが、ありえない味でした。かなりの不評だったせいか一度きりでしたが…。

30代前半・女性・東京都
「ウーロン茶ゼリー」が出たが、その中に何故か「きくらげ」が入っていて教室内が騒然となった。あのインパクトは20年近く経った今でも忘れられない…。

30代前半・男性・岩手県
ナスのヨーグルト和え、紫の生暖かいヨーグルトにナスが入っている代物です。これだけは2回も出たことを覚えています。


うーん、どれもすごいセンスだ。いったい誰がこんなメニューを考えるんだろう。でも次のふたつも強烈です。

40代前半・女性・福岡県
当時クレープなんておしゃれなデザートは珍しく、初めて食べる子もいたと思います。それが納豆クレープなんて誰が想像できるでしょうか。

30代前半・女性・岐阜県
「納豆モナカ」をそうと知らずに口に入れた時の衝撃が忘れられません。見た目はモナカアイスそっくり(納豆モナカも凍ってる)。でもアイスクリームの代わりに納豆がぎゅうぎゅう詰めになっている…。献立表には「モナカ」としか書いてなかったので教室のあちこちで悲鳴があがりました。


わーい、デザートだあ!と思ってかぶりついたら中から糸引く納豆が出てきた……なんてそのダメージは計り知れません。もしこんなのがうちの学校でも出てきていたら、さすがの私も完食できたかどうか。
みなさん、なかなか過酷な体験をしておられるのですねえ。

あと面白いと思ったのは、その土地ならではの献立です。

40代前半・女性・長崎県
長崎ちゃんぽん、皿うどんが大好きでした♪

20代後半・女性・宮城県
ずんだコロッケ ずんだ春巻(どちらも中身はずんだ餡のみ)

20代前半・女性・愛知県
みそおでん といってもどて煮のようなものではなく、茹でられたと思われるこんにゃく・はんぺん・ちくわなどが汁のない状態で与えられ、袋入りのみそだれをつけて食べるという不思議なものです。給食以外でそんなおでん見たこともないですが、けっこうおいしかったです。

30代後半・女性・千葉県
よく「みそピー」が白いごはんについてきていました。


「みそピー」ってなんだろう?と思って調べてみたら、「味噌ピーナッツ」だそう。千葉県はピーナッツの生産高日本一なんですって。
味がいまいち想像できないけれど、ごはんに合うのかしらん。

◆ 最近の給食事情 ◆

20代後半・女性・愛知県
教員なので、未だに給食のお世話になっています。昔よりもかなりパン率が下がっています。週5日のうち、パンとソフトめん1日ずつ、あとはご飯、って感じです。


「私が知らない給食の味」の前編に、「カレーの日は男子はコッペパンの中身をくり抜いてカレーを詰めて食べていた」と書いたら、「カレーの日はご飯じゃなかったんですか?」と何人もの(若い)人に不思議がられた。
えーとですね、米飯給食が始まったのは私が高学年になってからだったんですよ……。

40代後半・女性・静岡県
今の子供たちに聞くと、給食は美味しいそうですね。それに好きなだけ取ればよくて、残すのもOKらしいです。羨ましいような甘やかしすぎのような・・・。


掃除の時間に埃が舞う中、給食を食べさせるなんてことをいまの先生がしたら、教育委員会に訴えられかねないですね。

30代後半・女性・愛知県
現在小学一年生の娘の給食にはカレーにナンがついてました・・・。昨年秋には「給食試食会」ってのがあって、仕事休んで行きました。

30代後半・女性・千葉県
私の子供は今小学校1年生ですが、私の頃の献立とあまりに違いすぎてびっくりします。「世界の料理」と銘打って、チリコンカンだのタコスだのトッポッキだのトルコ料理のスープだの、えらくワールドワイドになっています……。


昔は親が給食を食べる機会なんてなかったよなあ。それに本当にワールドワイドだ。
そうそう、「今の給食の人気メニューはビビンバだそうですよ」(20代後半・女性・秋田県)という情報もいただきました。ビビンバかあ、私なんて大人になってから初めて食べたよ。

30代後半・女性・東京都
今は、小学生の子供がいる身なのですが、時々食べさせてもらう彼等の給食の美味しい事。ホント、驚きでした。食器も、和洋中に合わせて替えてくれるのですよ。


食器を替える!?隔世の感があるわ……。


他にもおもしろ情報やエピソードをたくさんいただきました。匿名フォームなのに名前を書いてくださっている方もいらして、とてもうれしかったです。
で、全コメントを掲載させていただこうと思い、頑張ったのですが……ごめんなさい、ちょっと間に合いませんでした。次回アップさせていただきますのでコメントを送ってくださった方、もうちょっとだけ待っててね。
三回に渡る給食話にお付き合いくださってありがとうございました!


2006年03月06日(月) 私が知らない給食の味(後編)

※ 「私が知らない給食の味(前編)」はこちら

クラス分のおかずが入った大きな食缶にボコボコのアルマイトの食器、給食服を入れた白い巾着に四時間目になると給食室のほうから漂ってくる匂い。私は毎日よほどその時間を楽しみにしていたらしい、もう四半世紀前のことなのにいまだにしっかり覚えている。

牛乳についてはとくに思い出がある。
牛乳瓶のケースはかなり重かったから、運んでくる途中で力尽き、廊下に牛乳を飲ませてしまう子がときどきいた。ガッシャーン!と聞こえたと思ったら給食係がすまなさそうな顔で戻ってきて、何人かが雑巾を持って走ったっけ。
そうそう、牛乳を飲もうとすると必ずいちびりの男子が変な顔をして笑わせようとしたんだよなあ。「鼻から牛乳」なんて事態になったら卒業するまでからかわれるから、こちらも防戦する。
「そんなんするんやったら牛乳キャップあげへんから!」
これはかなり効いた。いまの男の子もあれでメンコ遊びをしているのだろうか。
デザートが缶詰めの半割り黄桃だった日は男子はその汁を牛乳に入れて飲んでいた。女子でそんなことをする子はいなかったから私はその「甘い牛乳」を作ることはできなかったのだけれど、やたらおいしそうに飲んでいたなあ。

* * * * *

さて、懐かしの献立として私が真っ先に思い出すのは「鯨肉のノルウェー風」だ。
いまの子は鯨の肉を食べたことがないのでなんの郷愁もない。そのため、「鯨なんかこのままずっと食べられなくてもべつにいいじゃん」とさらっと言うらしいが、私にとってそれはもう一度食べてみたい給食のおかずナンバーワンである。
これをお読みの方の中に三十代で神戸市内の小学校に通っていたという方がいらしたら、覚えておいでではないだろうか。揚げた鯨肉とミックスベジタブルをケチャップで甘辛く煮たもので、肉はかなり歯応えがあったが本当においしかった。食べた後の器が鯨の脂でオレンジ色に染まっていたことまで覚えているくらいだ。
そこで一昨年の夏、北欧を旅行した際にノルウェーのレストランでこのメニューを探し回ったのだけれど、見つけることはできなかった。ベルゲンという港町の魚市場でもおじさんに訊いてみたのだが、知らないとのこと。
私はこの献立でノルウェーという国を知ったのだが、あれはあちらの料理ではなかったのだろうか。

……と言ったら、同年代の同僚が「そのノルウェー風ってなに?そんなん食べたことない」と言うので、えーと声をあげてしまった。鯨肉といったらノルウェー風じゃないか!
しかし、「給食の鯨といえば竜田揚げやろ」と彼女。えっ、私は竜田揚げなんて食べたことないよ。
「給食の鯨肉、おいしかったよねえ」「また食べたいなあ」と話していても、思い浮かべている味はまったく違っていたらしい。

そう、そうなのだ。
ある人にとっては「給食の思い出といえばコレ!」というくらい印象深い献立でも、私はその存在をまったく知らないというものは揚げパン以外にもいくつかあった。
ひとつは「ソフトめん」。その場にいた三人が「懐かしい」と口を揃えるけれど、私は食べたことがない。それどころか、その名称を聞いたのも初めてである。
ソフトめんのカレーがおいしかったと盛り上がっているので、うどんのことだろうと思って聞いていたら、ミートソースをかけて食べたともラーメンにしたとも言う。なにそれ、ひとつの麺を和にも洋にも中華にも使い回していたということ?しかも、ひとり分ずつ袋に入っていたらしい。
五人中三人が給食で食べたというのだからかなりメジャーな献立のようだが、スーパーで売っているのを見たこともないし、まるでイメージが湧かない不思議な食べ物だ。

もうひとつ、私の思い出にないのは「ミルメーク」。牛乳に溶かすとコーヒー牛乳になる粉だという。
「牛乳をちょっと飲んでから入れんとあふれるんよね」
「もっとたくさん飲みたくて、家に持って帰って牛乳の量を増やして飲んだわ」
へええ、そんなにおいしかったの。
おばあちゃんの家の近くの銭湯でお風呂上がりに買ってもらったコーヒー牛乳やフルーツ牛乳の味を思い出した。


前編を読んでくださった方からおもしろ給食情報がたくさん届いてます(どうもありがとう!)。「うちの学校はこんなんでした」と教えてくださった中には、好き嫌いのない私でも怖じ気づくようなトンデモおかずあり、トンデモエピソードあり。
で、もっともっとたくさんの方のそれを聞いてみたいと思い、匿名フォームをご用意しました。給食時間の思い出、好きだった・苦手だった献立、小学生のお子さんをお持ちの方がいらしたらいまの給食事情を教えてね。



 あなたは   
男性   女性


 小学校は    

コピーペーストできないので、ここに直接書き込んでね。
長くなりそうな時はこちらのフォーム(コピペ可)が便利!




(アンケートの集計結果はこちら


2006年03月03日(金) 私が知らない給食の味(前編)

「ハイ、これお土産」
帰宅した夫が御機嫌で言う。出張先からお土産を持って帰ってくるなんてめったにないことだ。
「懐かしいでしょ。金沢駅で売ってるの見つけてさ、つい買っちゃった」
早速袋を開けてみたら、ものすごく大きな棒状のドーナツが一本入っていた。
えーと、えーと。甘いものは好物だから買ってきてくれたのはアリガトウなんだけど、これの何が懐かしいの?
すると、夫はえーと不満そうな声をあげた。
「ほら、給食に出たじゃないか。うまかったよなあ、大好きだったよ、揚げパン……」

遠い目をしている夫の傍らで、私は「おおっ、これが!」と膝を打った。
というのは、原田宗典さんのエッセイで子どもの頃、転校先の小学校で初めてそれが出てきたとき、「こんなおいしいものは食べたことがない」と感動したという話を読んだことがあったからだ。偏食がひどく給食嫌いだった原田少年に「この日だけは死んでも休まんもんね!」と誓わせる揚げパンとはいったいどんなものなのだろう?と思っていたのだ。

揚げたコッペパンに砂糖ときなこがまぶしてある。夫が言うには、これがまさに給食で出た揚げパンだそうだ。
こんなおやつみたいなものが主食として出たの?と驚きつつ一口かじってみると、見た目通り甘くてかなり油っこい。だけど、素朴な味でおいしい。
いまの私にとっては「これ一本で何キロカロリーあるのかしら……」と考えずにいられないようなパンであるが、もしあの頃給食のメニューにあったら大喜びしただろう。原田少年の学校でも揚げパンが出る日は欠席率が驚くほど低かったそうだ。


……という話を昼休みに同僚にしたところ、二人から「懐かしい」と声があがった。
「休んだ子のパンは家の近い子が届けてあげるんやけど、揚げパンの日はジャンケンやった」
「そうそう。いつもはおかわりとかしない女子も揚げパンが余ったときは参戦してたよね」

学年も出身地もまったく違うところを見ると、揚げパンは地域限定メニューではなかったらしい。
ではふだんはどんなパンだったのかと訊いてみたら、食パンだったという学校あり、コッペパンだったという学校あり、中にはときどきブドウパンが出たというところも。
私は五年生のときに転校したので二つの学校の給食を知っているが、どちらもコッペパンだった。これ以外のパンを食べた記憶はない。でも、銀紙に包まれた四角いマーガリンがたまにチョコレート味になることがあったし、イチゴジャムの小袋に書いてある豆知識(「キリンの首はなぜ長いか」とか)を読むのも楽しみだった。
おかずがカレーや焼きそばの日は男子はパンをくり抜いてカレーパンや焼きそばパンを作っていたっけ。それがすごくおいしそうで、私もああして食べたいと思ったけれど、恥ずかしくてできなかったんだよなあ……。

みなでワイワイガヤガヤ食べる給食の時間が大好きだった。
あるとき、配られた翌月の献立表のプリントを見て私は目を輝かせた。なぜって、ある日の献立が「牛乳 パン きんぴら 親子に アイスクリーム」となっていたから。
「うわあ、お母さんの分もアイスクリームもらえるんだー!」

飛び跳ねるように学校に行ったら、配られたアイスクリームはいつものように一個だけ。隣りの子に訊いたら、彼女はげらげら笑いだした。
「そんなわけないやん、それにどうやって持って帰るんよお?」
「親子に アイスクリーム」は親の分のアイスクリームもあげますよという意味ではなく、「親子煮」という名の鶏肉と玉子の煮物とアイスクリーム、ということだったのだ。
ちょっと考えればわかりそうなものなのに、食いしん坊の私は完全に勘違いしてしまったのである。 (つづく


2006年03月01日(水) 固いんです。

遅ればせながらトリノの話題であるが、いやあ、女子フィギュアスケートの戦いはすばらしかったですね。もちろん私も朝の四時に目覚ましをかけて見たクチです。
うまいだけでは勝てない。スポーツでありながら高い芸術性が求められる。優雅な舞にすっかり見惚れてしまった。

それにしても、あの体の柔らかさはどうだろう。村主選手が体が固いと言われているのだから、ひえーという感じ。
たしかに荒川選手のイナバウアーのしなやかさ、Y字スパイラルの美しさはため息ものだし、ビールマンをするスルツカヤ選手の体はゴム鞠のよう。コーエン選手のI字スピン(前に高く上げた足を胸に抱えながら回るスピン)は体操から転向した人だけあって完全な一直線だ。

学生時代体操部のキャプテンをしていた妹の夫が言うには、体の柔軟性というのは「素質」なのだそうだ。赤ちゃんの頃から訓練すれば誰でもあそこまでになるかというとそういうものではなく、あの柔らかさは持って生まれた才能であるらしい。
だから、体操やフィギュアスケートといった競技でオリンピックを目指すべく英才教育をされている子どもたちは養成学校の入学テストでその素質を持っていると判断された子。世界で戦うためには努力ではどうにもならないレベルの柔軟性が必要なのだ、ということだ。

ところで話は突然変わるようだが、その昔、私は運動神経がとてもよかった。小学校の運動会ではリレーはアンカー、体育の授業では鉄棒でも跳び箱でも球技でも、最初にお見本をさせられる子どもだったのだ。
が、そんな私にもひとつだけ苦手なものがあった。それはマット運動。そう、私はむちゃくちゃ体が固いのである。
足は九十度開くのがやっとこさ。ストレッチで足の裏を合わせたら、膝が床から三十センチ離れる。友達に背中を押してもらって必死で思いで前屈しても、先生に「まじめにやれ」と言われてしまう……。
これだけは屈辱的にだめだった。

しかし、中学に上がったらマット運動はなくなった。
もう「小町ちゃん、マットはお見本しないのお?」とからかわれることもない。私は快哉を叫んだ。
「これで私の人生安泰よ!体なんか固くってもどうってことないもんね〜」

たしかに高校の体育でもマットはなかった。
けれどもそれからもう少し大人になったとき、私は再び「やっぱり体は柔らかいほうがトクかもね……」 と思うようになった。

べつにそうアクロバティックなことをしているわけではないのですよ。決してないのに、足がつりそうになるのは困ります。ゴキッと鈍い音がして、「……ちょっ、ちょっとたんま!アイタタタ!」と叫ばなくてはならないのもかなり萎えます。
ああ、すっかり大人になってからまた柔軟性のなさに不自由を味わわされることになろうとは。考えてみれば、これも「マット運動」みたいなものだものね……。



という話をmixiのお友達にしたところ、「私もけっこうあれこれと大変だったりします(笑)」と賛同してくれた女性があるコミュニティを教えてくれた。
「体がかたい人」というその名もズバリな集まりを覗いてびっくり。私の仲間が四千人もいるではないか。それどころか、掲示板には私のさらに上を行く鋼鉄ボディの持ち主がたくさん集っている。

「足を投げ出して座る体勢がきつい。畳の部屋とかで『どうぞ足を伸ばしてくつろいで』と言われるのがつらいです」
「かかとをつけたまましゃがめない。無理にやると引っくり返るので、和式トイレは前にあるパイプを掴みながらします」
「前屈をお辞儀と間違えられました」

私はアヒル座り(ぺたんこ座り)もできるし、背中で上からの右手と下からの左手をつなぐこともできる。和式トイレだってノープロブレムよ!
自分より悲惨な人を見つけたからといって私が救われるわけでもなんでもないが、ちょっとうれしい。
数日前、「このくらい私だって……」とインリンの例のポーズの真似をして、足がもげそうになった私。
心底あほらしいと思う。思うけれども、あれだけ真横に広げられるなんてすごいような気もする。