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2006年03月15日(水) 左利きのストレス(前編)

友人との待ち合わせまで時間があったので、ネットカフェに入った。指定の席に着き、ブラウザを立ち上げようとしたところ。
あれっ、マウスがない。
……と思ったら、キーボードの左側に発見。どうしてこんなところに。
「あ、そうか、左利きの人が使った後なんだ」
マウスを所定の位置に戻し、余ったコードをまとめながら思った。左利きの人は自宅以外の場所でパソコンを使うとき、こうしていちいちマウスを移動させなくてはならないんだなあ。

* * * * *

左利きの同僚にその話をしたら、
「マウスだけじゃないで。世の中のもんはたいてい右利きの人向けに作ってあるから、左利きは損やねん」
と返ってきた。なるほど、いままで考えたこともなかったけれど、たしかに社会は右利きをスタンダードとして、あらゆるものが右利きの人にとって都合のいいように設計されている。
たとえば、そこのコピー機は操作パネルも手差しトレイも本体右側についている。パソコンのテンキーもキーボードの右端。これを左手で打つのは至難の業だろう。キャビネットを開けるときは右の扉から。左から開けたら右も一緒に開いてしまう。

帰り道、駅の自動改札を通りながら、左手で切符を入れるためにはうんと体をねじらなくてはならないことに気づく。
公衆電話の硬貨の投入口、釣り銭の返却口、プッシュボタンはすべて右手寄り。左利きの人が無理のない体勢で左手で操作しようとしたら、体の右半分が右隣の電話の前にはみだしてしまうだろう。
受話器が左についているのも、右利きの人がそれを持った状態でボタンを押したり会話中にメモを取ったりといったことがしやすいようにだ。そういえば昔の黒電話のダイヤルも右利きが回しやすいように時計回りだったっけ。
レストランに行けば皿の右側にナイフ、左側にフォークが並べてある。左利きでもカトラリーは入れ替えずに使うのがマナーだが、もし私が利き腕でないほうの手でステーキを切れと言われたら、かなり苦労するに違いない。

では家に帰ればそんな不自由から解放されるかというと、そうでもなさそう。
というのは、左利きになったつもりでキッチンに立ってみたら、「あれ、これ使えないぞ!?」と驚きの連続だったからだ。
片手鍋を左手で持ち、中のものをざるにあけようとする。するとあら不思議、いつもは手前にくる注ぎ口があちら側にいってしまったではないか。持ち手のついた計量カップもしかり。どうすりゃいいんだ。
片刃の包丁を左手で握ると刃がなくなる。ミトンは本来なら手の甲にくる側を手の平側にしてはめなくてはならないので、デザインが台無しに。急須でお茶を淹れられない。コーヒーなら問題ないかというと、マグカップのイラストがあちらを向いてしまう……。

トイレのウォシュレットの操作パネル、自転車のベル、車のエンジンキーの差込口、すべて右側だ。この持ち方でカメラやデジカメのシャッターを押すことができるのは右利きの人だけである。“右利き用”はちょっと注意をしてみたら、暮らしの中にいくらでも見つかった。
これまでなんの疑問もなく使ってきたものが左手でやろうとしたとたん、使い勝手が悪くなったり機能しなくなったりするのだということに私は初めて気がついた。

「左利きってほとんど無意識とはいえ生活の中で常にストレスにさらされてるから、右利きの人より短命って言われてるねんで」

同僚が冗談とも本気ともつかぬ口調で言う。もちろんそんなことはないだろうが、そういう説が出回るのはわからないでもない。
マウスを移動させたり、体をねじって改札を抜けたり。ひとつひとつはわずかな手間に見えても、なにかをしようとするたび人より一工程多くかけなくてはならないというのは面倒なことに違いないもの。 (つづく)