せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年05月24日(火) 金が無いと言えば何でも済んでしまうと思ったらそうはイカの金玉

忙しさにかまけて日本事情から一寸遠ざかっていたが、それでも新聞などで読んでは気になっていた事がある。



昔々、ワタシがまだ日本で学校に通う子供だった頃、ある前代未聞の惨劇が起きた。

夏休み中だった事もあって、ワタシはその事件に関する新聞記事などを一切集めて、一寸したリサーチペーパーを書いて夏休みの宿題のひとつとしたので、大変よく覚えている。あれは、何とも衝撃的な事件で、連日テレビや新聞のトップを飾っていた。

その頃のワタシは、まさかその事故を起こした会社の関連会社で将来働く日が来ようとは、まだ夢にも思っていなかったが。


後に大きくなったワタシは、ある関連会社に派遣されて数年働いていたのだが、そこで知り合った仲間に、例の事故当時、親会社の整備部門担当部長だった人物の息子というのがいた。

こいつは某有名私立大学へ付属校から順繰りに上がって来たボンボンで、また帰国子女でもあった。その所為か、相当鼻持ちならない糞生意気な小僧だったのだけれども、同い年だったのと多少の海外経験があるという事で、ワタシには特に馬鹿にしたような態度なども寄こさずそれなりに敬意を払っている様子だったので(随分薄っぺらい奴ではある)、ワタシたちは一応の友人関係を保っていた。

彼の話によると、おとっつあんはそういう訳でタイミングの悪い時に整備部長などしていた関係で、責任を取らされ左遷の憂き目に遭ったそうな。彼方此方の部署を順繰りに回っている一幹部候補企業人としては、悲劇である。

それでその頃は、ある子会社の出向社長みたいな地位にいたようである。何年かしてほとぼりが冷めたら、また戻ってこれるさというような、よくある話である。



「その頃」というのは、この親会社は実は随分と新入社員採用数を減らしつつあった時代である。

それは何処の会社でも当時そうだったのだけれど、「バブル」というミステリアスな時代が終わりつつあった当時、日本中の会社が先行きに大いなる不安を持っていたのである。

この会社は元々古い体質を引き摺って長年やって来た所為もあって、中身の改善には目が向かず、まずは新人を減らす以外に遣り様がなかったのだろう。思えば日本の大きい会社は何処でもそんな風だった。

華やかな業界だけに一際応募が集中したが、とうとうそのうち「今年は新卒募集ゼロ」などと言い出す年がやって来た。

この業界というのは、華やかな部門だけでは決して仕事にならない、意外に厳しい業界である。日の目を見ない部門というのも沢山あるのだが、それらも含めて募集が大幅に減らされたようである。

会社の体質など中身の活性化がされないという点において、つまり「問題の先送り」をするという事に関して、この新規募集ゼロという策は、非常に危ない経営方針である。

しかしそれより、そもそも会社運営の資金自体も、底を付き始めていたのである。「抜本的改革」という使い古された言い回しがまだ聞こえ始めた頃の、それが何処よりも必要な、正に旧体制的な会社だったのである。

子会社だったワタシの働く会社も、幾つかの支社が閉鎖されたり人が減らされたりしていた。そこは直接人の命には関わっていないから良いようなものの、親会社の方は人手が足りなかったり運営や整備の資金が滞ったりしてはまずいだろうなと、若いワタシはぼんやりと思ったものである。





ワタシはこのところの相次ぐ飛行機事故に関して、それらを最早日常茶飯事の如くに聞くにつれ、いよいよ当時のツケが回ってきたかと空恐ろしく思われてならない。



そう思っていたら、モモリーネさん絡みで知ったJIROさんのとこで、関連事項が幾つか載せてあった。ここでその昔々の事故当時の音声が聞けるというので、ワタシも行ってみた。

当時リサーチをしながら震え上がった若き日のワタシを思い出しながら、そのワタシが生きているくらいだから、これはそう言う程大昔の出来事では無いのだと、改めて思った。



「金が無い」という言い訳は、何処の世界でも面倒な相手を黙らせるのに良く使われる。ワタシの居る業界如きですらそうだ。笑わせるぜベイビー。



という訳で、ワタシはこれまで同様、例の会社の飛行機には国内外路線を問わず、一切乗らない事にする。

友人に仕事で乗らねばならないのがいるから、こう言うのは心苦しいけれども、しかし嫁入り前のイタイケな乙女であるワタシは、自分の命が惜しい。


尤も彼女なんかは「バイト」扱いから入ったから、花形部門の従業員を正規で雇えなかった当時の会社の様子を思い起こすと、随分月日が経ったものだとは思う。


2005年05月23日(月) 満月周辺で金策に苦しむ

ここのところ、予想外の出費が相次いでいて、見る見るうちに残高が減って行くので、悲しい。


ひとつには、近いうち例のヴォランティア活動の一環で、キャンプサイトの手入れだとか低所得家族の子供たちと一緒にハイキングだとか、そういった夏向けの企画が色々目白押しである、という事情がある。

それならば彼方此方穴の開いたハイキングブーツはこの際お釈迦にして、思い切って新しいのを購入しようではないかとか、雨が降っても活動出来るようにしっかりしたレインスーツが要るだろうとか、はたまた中途半端な大きさのに無理矢理詰め込んで不自由していたのをよして、丁度良い大きさの鞄を購入しようとかいう様に、気が付いたら色々と物入りになっていた。

尤もこういった物はいずれまた使うのだから、持っていて特に損は無いのだけれど、しかしそれらを一通り購入した後はたと気が付いたら、ワタシはこの夏ひとつ外国語の訓練を受ける予定になっていて、その授業の申し込み締め切りがなんと明日であった事に漸く今日気が付いて、大急ぎで申し込みをしに出掛けたら、その授業料も意外と馬鹿にならない金額である事が判明した。

更に頭が痛いのは、明後日には例によって下の歯を抜いて貰いに歯医者へ行く事になっているのだけれど、これは保険で少し割引になるだけで、残りは自腹で支払わねばならないので、それが二本となるとまた随分思い切った金額になるという事である。

恐らく受付嬢は、先週上の歯を二本抜いた際、ワタシの保険分差し引くのを忘れて請求したのではなかろうかと思う。今度行ったら、そこの辺りをしっかり確認せねばならない。

金が無いと、何だか妙に疑い深くなってしまって、いけない。


そういう訳で、これらの支払いが日頃のワタシには一寸似つかわしくないケタでどかんどかんと続けて出て行くものだから、ワタシは明細と残高とを見比べながら、深く深く溜息を付いているのである。

それ以外にも同僚の送別会だとか新しく出来た友人らと共に映画を観に行く予定などが入っていて、そういった社交上の出費も嵩みそうである。



一体どうした事だろうと占いを見ると、どうやらそういう時期らしいという事が書いてある。

魚座に火星と天王星がランデヴー状態なので、そこでの予想外の過剰な活動が見られるという訳だが、これはワタシの場合偶々おカネを司る部屋なので、今まさにその通りの事態に見舞われているという次第である。


読者の皆さんも、ひょっとして今特にある一分野において何やら過剰な傾向が見られたら、それはこの魚座の火星と天王星の所為かも知れないという事を疑ってみても良いかも知れない


そして嫌な事を言うようだけれども、この傾向は今年後半から来年に掛けてどうやら続くらしいから、その心積もりをしておくのも一案。



2005年05月22日(日) 歯が無いのと眉毛が無いのは、どちらが醜いだろうとふと思う

瞬く間に日が過ぎて行く。

気が付くと充分な時間が取れず、折角エンピツさんのページを開けるのに、実際日記を書くのは後回しという日が続いている。


先日とうとう、上の歯を二本抜いた。そして今週には下を二本抜く予定である。

これがまた、本当に「瞬く間」に抜かれてしまったものだから、ワタシは吃驚である。

何と腕の立つ歯科医だろう、とワタシは、歯を抜いた後に詰め込まれたガーゼの塊を噛み締めながら、不自由な口でもって彼を褒め称える。なんて事は無いさ、と彼は顔色も変えずに言う。

次回も是非彼にお願いする事にする。


かくしてワタシは現在、幾つかの歯が無いので、人前では出来るだけ大口を開けないように心掛けている訳だが、これは意外にも自意識過剰であった。

上の五番と十二番の歯というのはつまり、犬歯の直ぐ外側にある歯たちなのだが、これは無くてもそれ程目立たないという事に数日して気付いた。

しかし今週抜く予定の下の歯たちは、これは喋ったり笑ったりなどの用事で口を開ければ直ぐ判明する程、上の歯より幾分手前寄りの位置にあるので、こればかりはもう致し方無い。

早く矯正装置を付けて誤魔化してしまわなければ、と思ったのに、矯正部門へ予約を取りに行ったら、担当のヘボ医者矯正医はもう一週間程は連休と予約で空かないそうで、そうするとワタシは、歯抜けのみすぼらしい姿で一週間も人目に晒されなければならない羽目になる。

それを思うと、今から憂鬱である。引き篭もり化について、暫し検討中。



2005年05月12日(木) 言いそびれた愚痴を垂れてみる

欧州では、各国からのVIPを交えて、終戦記念日関連の式典が目白押しである。


これが別の大陸へ行くってぇと、何事も無かったかのような静けさで満ち満ちているという、皮肉。

お陰で、国際連合本部で開催中の核不拡散条約見直し会議の議場では、閑古鳥が鳴いているという。予定していた各国の代表者らが、まだ到着していないか、他の用事で忙しくて、核問題の議論どころではないらしい。

そりゃそうよね。主だった核保有国の首脳は皆、今頃欧州にいるんだもの。

予定されていた分化会議なんかも随分遅れているそうで、だからこないだワタシなぞはそれに関連して、例の「コーディネーターその一」嬢から、謂れも無い説教を喰らったところである。

言いそびれたから、今頃愚痴りますよ。


ワタシは 先日の食事会当日だったか前日だったかに読んだ新聞記事で、漸くNGO関係の大きな会議が国連で開始された、という話を見たよと、その「とある国連絡みのNGOでインターンをやっている」という彼女にわざわざ話を振ってあげたのだが、そしたら「それはとっくの昔に始まってもう終わった〜!(語尾上げ気味)」とぴしゃりと、しかも溜息混じりにやられちまったという訳である。

何にも知らないのねこのオバサン、とでも言いたげな口調で、そりゃあオバサンおねーさん毎日関連施設に通い詰めてるインターンじゃないんだから、知りっこないんだけど、もうびっくりしちゃった。なあに、あれ?何様?

それで、いや確か今朝だか昨日だかの新聞で「今日始まった」と書いてあった筈なのだけど、と食い下がってみたのだが、「だから〜ぁ、国の代表者たちがまだ集まりきってなくて、そっちはまだ始まってないけど、NGOはとっくの昔から集まってて、その会議はもうとっくに始まってる〜(再び語尾上げ気味)。」なんて言われちまったのである。

(じゃあ、あの新聞記事は一体…?)

ひとり頭の中を真っ白にして、ぼんやりと話を聞いているワタシ。こんな事象のデスクリプションで嘘書いても仕様が無いだろうに、妙だな。ふむ。

しかしワタシには、彼女のお答えはワタシの質問と微妙に合致していない気がするのだけれど、いかがでしょうか。

若しくは、仮にワタシが読んだ記事かワタシの記憶の間違いで、それは「始まった」のではなくて「本日で終了した」だったとして、それでも何も知らない部外者に対してもちっと柔らかい訂正の仕方もあったのではないかと思うのだけれど、どうでしょう。


それ以降彼女は、誰も聞いていないのに、如何に国々の集まりが悪いかだとかその日のスケジュールがコロコロ変わるかだとか、はたまた某国のNGOはお膳立てだけしておいて実際のコーディネーションを碌にやらないだとかいった、まあ所謂内部事情に関する愚痴をいつまでもずるずると続けていた。

あれは自慢だったのかしら。

そのお陰で、ストレスから顔中に吹き出物がこのように出来てしまっているでしょ?と言うので、そこで初めて、ワタシは彼女の顔をまじまじと見てみたのだが、ああそう言われてみればてんてんしてるわねえ、といった程度で、特に酷い顔だとは思わなかった。

(というより、その眉間に皺を寄せて神経質そうに話す様子の方が、どちらかと言えば醜い気がする。)

とは、勿論思っただけで言わなかったけれど。

しかしそんな彼女の様子を見ているうち、ああそういえば初めて会った頃には、随分ネガティブで言い訳がましい子だと思ったっけと思い出し、きっとこの子もまた、周りの無関係な人々に突然八つ当たりしてみたり、かと思うと泣き言を言っては可哀想がって貰いたがっている、余程自分に自信の無い情緒不安定な子なのかしら、と思わずにはいられなかった。

そういや、 似たようなのをよく知ってるわ、おねーさん。「がみがみガール」っていうんだけど。面倒よね。ネガティブな態度って伝染するから、周りから嫌がられるのよね。

あ、蟹座じゃない?ひょっとして。


まぁ、ワタシたち、もう二度と関わり合う事はないだろうけれど。


そういえば、あの食事会に来ていた「その二」の友人という男も変な野郎で、人が喋ってるのに畳み掛けるようにべらべらと捲くし立てたりして、随分自分勝手な喋り方をしていたっけ。

だから今説明してあげてるんだから、人の話を聞きなさいっての!

と何度言おうと思った事やら。


あれも情緒不安定の成せる業か。

類は友を呼ぶ。


まあそんな話はさて置いて、巷的には今更かも知れないが面白いフラッシュサイトを見つけたので、呑気にそれで遊んでいたら、芋のサラダ用に茹でていた芋をまんまと焦がしてしまって、今では家中焦げ臭い。さっきから、なんか臭いと思ってたのよね。


火の元には御用心。


2005年05月11日(水) 真ん中以外で右と左が交差するところ

この間の日曜には、例の 「コーディネーターその二」宅で、ヴォランティア通訳活動に参加した皆さんを招いて夕食会、というのがあった。

先日の日記でも書いたような次第で、ワタシはこのコーディネーターその一、その二共に、実は余り好きになれそうに無いお嬢さんたちだなあと思っていたのだけれど、とは言え折角人々が集まるのだからネットワーキングは大事だし、また少々「怖い物見たさ」のような感覚もあるしで、とりあえず前菜を持参して伺いますと返事をしておいた。

そう言ってしまってから、実は週末に掛けてすっかり忙しくなってしまったのと、会自体も大して面白くなかったのとで、これは失敗したと後悔した次第である。



金曜には某機関にお勤めの人物との会合があって、これはワタシがいずれ就職出来ればと願っている関連分野でもあるので、ワタシ的には就職活動的要素も含めた重要会議であった。

前日まで必要事項の検討をしたり、また着ていく服の算段など諸々の準備に追われ、また当日の会合自体も相当真剣な内容だったので、お陰で昼過ぎにその会合が終わった頃には、ワタシはすっかり疲れてしまっていた。

ワタシはそれから歩いてオフィスへ出向いて、午後はざっと連絡などを済ませてから少し作業をしていたのだけれども、そうしたら同僚が、これからバアで遅い昼飯とビールで少し寛いでからまたオフィスへ戻って来る予定というので、それに付いてワタシもビールとジャガイモにチーズやベーコンなどを乗っけて焼いたやつを食べて、一通り雑談をしてから、オフィスには戻らず街でぱりっとしたおズボンを一着新調して、早めに帰宅した。


土曜には、街の小さな動物園にて、渡り鳥に関する子供向けの教育的イベントがあって、ワタシはその手助けをする事になっていた。

そこでは子供たちが興味を持ちやすいように、色々の羽を貼り付けて作るサンバイザーだとか、水で貼り付けるシールのような鳥の刺青だとか、迷路やサイコロゲームだとかの、幾つかの余興ブースが設けられていて、それらを通して渡り鳥の生態に付いて学べるように工夫されている。ワタシも訪れた子供たちと同様、それなりに楽しんで過ごした。

そしたら、翌日の同じイベントのヴォランティアの数が足りない、という話を聞きつけたので、それなら例の食事会に出掛けるまで間に合うからと、ワタシは両日を動物園で子供と触れ合う事にした。

これが、実は結構疲れた。年の所為かしら。

土曜は曇り気味だったのだけれど、日曜は上手い具合に晴天で、人出も多かったのである。

「母の日」だから、と言われたのだけれど、確かあれは五月の第二日曜日ではなかったかしら。

何年も家族との交流が無いと、母の日だとか父の日だとかいったものも、すっかり忘れる。


ところで世の親という人々は、随分勝手なものである。

自分の子供は特別だと思っているのや、モラルというものを教えないのがいて、嫁入り前の若い娘であるワタシは、この週末そういう人々の様子を垣間見て何やら戸惑い、また後味の悪い思いをした。

学校の先生という人々が苦労するのも、これならば無理も無いだろうと理解出来る。


例えばゲームに一通り参加すると、そのご褒美に鳥の鳴き声の出る鳥型の笛を貰える事になっているのだけれど、その為のルールを説明しているワタシの目の前で、さあ好きな色の笛をさっさと選んで、もう行きますよ、などと声を掛けている親がいたりする。

ゲームを全部やり通したら好きな色の笛をあげますよ、とワタシが繰り返すのだが、その脇でまた、いいからさっさと笛を選んでいらっしゃい、などと子供をどやすのである。

また、てんでんバラバラにやって来る子供たちとその親たちに、ワタシは同じ主旨説明を繰り返すのだが、中には順序通りにゲームをやって来なかった人々もいる訳で、そういうのには年齢に応じて、小さい子はそのまま最終ゲームに参加させたり、字が読める子たちには先に最終ゲームをやってもいいが一つ前のブースに戻ってそちらのゲームもやって来るようにと指示したりしていたのだが、そうして戻って来たある親は、先程貴方が言った様に、うちの子供たちはあちらのゲームも仕上げて来たのだから、さあ笛をもうひとつおくれ、という。

ちなみに、笛は参加した子供ひとりに付きひとつ、という決まりで、参加しなかった子は、残念ながら貰えない事になっている。例えば今日来れなかった近所のお友達にひとつ、などというのは認められない。

また小さい弟や妹がいて、彼ら自身が乳母車にいたりして、参加出来ないくらい小さいけれども笛が欲しいという場合は、代わりにその親に参加するようにと言って、それからご褒美を与える事になっていた。

つまり、あくまで「参加賞」であり、そもそもの主旨は渡り鳥についての子供の知識を深める事にあるので、お勉強せずにご褒美だけ頂戴というのは認められない、という訳である。

その辺りを全く理解していない親たちというのが、随分多かった。こちらの説明も聞かないで、何でもいいからさっさと済ませてしまえ、というのや、子供にやらせずに自分でどんどん手を出してしまう親たちも、また多かった。

じれったい気持ちも分かるけれど、そういう親に育てられる子供たちも可哀想である。

勿論中には、実にのびのびと育ち、かつ自主性に富んだ子供たちというのもいる訳で、それは傍でほんの数分見ているワタシでも分かる程、明らかな違いがあった。


それからこの笛というやつは、ある一定の線まで水を入れると、ぴろぴろと鳥の鳴き声を出すようになっているので、水を入れてから吹くようにと説明しているのだけれども、それを聞いていないガキども子供たちもいて、そうするととてつもなく甲高い不快な音だけが響き渡るので、辺りはしばしば喧騒と混沌に満たされた。

それで、そういうクソガキ子供を見つける度に、ワタシは水を入れないうちは本来の音が出ないから、吹かないように、と一々注意しなければならなかった。それでも理解しない馬鹿たれ子もいて、このガキ子の親はどこにいるのだと叫びたい気分に何度か駆られた。



そういう訳で、動物園で子供相手の慌しい週末を過ごし、更にもうひとつヴォランティア活動の予定を済ませ、ワタシは食事会の為の前菜の材料を買って家路に着いた。

帰宅後それらを切り刻んで「グァカモレ」なるものを作り、それがニホンジンの胃袋には少々重たいという事に気付いて急遽「サルサ」も作り、それらを暫し放置して味を馴染ませた。


(何故このようなメキシコの食べ物を作ったのかと言うと、木曜日には「ちんこ・で・まよ(Cinco de Mayo」という、メキシコから来たお祭りがあった関係で、ワタシの頭はメキシコ付いていたからである。ちなみに本来は「しんこ」と言った方が近いのだけれど、それにしても「ちんこ」で「マヨ」だなんて、なんと想像力を斯き立てるお祭りなのだろう、と感慨深く思われてならない。)


そして道すがら、それらを載せて食べる「トルティーア・チップス」を調達して、夕食会会場へ出掛けた。



結論を言えば、この「夕食会」は土壇場で来ない事にした人々もあり、参加者は全体数からすると随分少なかったという事と、それから主催者であるコーディネーター嬢らの不手際などもあり、相当詰まらない会合であった。

個人的な経験から言うと、酒飲みで無い人の家で飲み会やら食事会やらいうイベントをやると、大概自分が飲まないから人の飲み具合にも気が回らないので、飲み物が空になってもそのままという事態に陥りやすいようである。

今回もワタシが到着してから、普通はとりあえず飲み物を勧められるものだが、そういった配慮も無く、それよりまだ準備自体が整っていない様子で、ワタシなどもゲストにも関わらず野菜を刻んだりなど手を貸したりして、何とも後手後手な感じであった。

まあ、その辺りは不慣れという事で納得するとしよう。

そのうち人々が集まり出して、彼らが痺れを切らして飲み物を所望し出したので、その辺りから漸く会合が始まった。出て来た食べ物は、自称大阪出身の「コーディネーターその二」嬢お手製のお好み焼きとかソース焼き蕎麦などであった。

ところが、お好み焼きは外側が丸焦げで中が軟らかく、焼き蕎麦は茹で過ぎてぶよぶよの麺が固まって、団子状になっていた。

既にグァカモレとサルサの味見でそれなりにお腹をなだめておいたのは、正解であった。



その飲食の途中で、「その二」は何やら思い出したように、堅苦しい日本の歴史に付いての右翼派の見解を述べた日本語の本を数冊持ち出して来た。そして、ワタシにこの辺りから何頁読め、などというのである。


飲んでる時に日本語の活字なんて、読めません。

しかもそんな、事実とも知れない、偏った物。

和やかなパーティーで、余計な頭を使わせないで頂戴。


そこから先は、結局彼女の好きな右翼思想の話になり、日本の戦争漫画をアニメーション化・翻訳したDVDの上映に続き、被爆地出身の「コーディネーターその一」が帰宅するなり「その二」に劣らぬ生意気振りで説教を垂れ始め、ワタシはいよいよこの会合でこのお嬢さんたちとの関わりも潮時だと溜息を付いた。



驚いたのは、以前ディナーを一緒にした際、歴史認識に疎いと言っていた別のヴォランティア嬢が、何時の間にやら「その二」にその手の右翼本を借りる程の仲良しさんになっていた事である。


ワタシは、性質の悪い新興宗教みたいなものだから、気を付けてね、と忠告してあげようかと迷った。

しかし本を糺せば、ワタシはこれらのお嬢さんたちとは友達でも何でも無い訳で、彼女らが道を誤ろうが無神経な発言を被爆者や他国の被害者らの前でしたところで、ワタシの知った事ではない。

しかもそういった「プチ・右翼」というのは、最近の日本の流行だとも聞くから、放っておけばそのうち収まる類のものかも知れないとも思われた。

ワタシはついに黙っている事にした。


話の種に参加したまでなのだから、とワタシは自分に言い聞かせる。ワタシには彼女らの目を開かせる義務は無い。無教養な者に教養を身に付けさせるのは、ワタシの役目では無い。聞く耳の無い者に幾ら言って聞かせても、馬の耳に念仏。縁あれば、また袖擦り合う事もあろう、と願うしかない。


それにしても、左翼(の筈)の「コーディネーターその一」と右翼の「その二」は、どうして一緒に左翼集会の手伝いをする気になったのだろう。流石に「その一」は自分のやっている事が分かっているのだろうと買い被っていたけれど、案外どっちも理解していなかったようである。


まあとりあえず、十も年上のおねえさんにタメ口で説教垂れるのは止しなさいね。今回はパーティーだからと堪えておいてあげたけど、次に会った時は容赦しないから、そのつもりで。



2005年05月10日(火) 同時通訳というもの

予定がぽっかり空いて遅ればせながら休日気分、などと先日の日記に浮かれて書いた直後、「コーディネーターその二」嬢から電話があった。

翌日に隣町の高校で、被爆者の皆さんが講演会をする事になっているのだけれど、その通訳がひとり足りないので、都合は付けられるかという話であった。

それからワタシは方々へ電話をしたら予定の変更が出来たので、快く承知して、翌日は早朝から出掛けていった。

ちなみに早朝というのは、朝六時半集合である。

金も貰わないのに、こんな朝っぱらから出掛けて行ってやるワタシ。本業にもそれくらい精を出そう。



来いと言われたホテルのロビーに行ってみると、日本から被爆者の皆さんを引率してきた担当者という人物は、まあはっきり言うと全然「コーディネーター」としての役割を果たしていなかった。

そういえば電話でも、こちらから彼是と質問をしないと必要な要件が出て来ないという状況だったので、怪しいとは思っていたのだが、実際会ってみると本当に口が遅いと言うか気が利かないと言うか無能と言うか、中々仕事が始まらない人であった。

一寸言い過ぎかしら。

でもホラ、何しろこちとらお金貰って無いから、ダラダラ仕事されたら困るのよ。


それで、挨拶してから暫く待っていたら、「本日の通訳活動に必要な書類」というのを手渡された。これを目的地に到着して活動が始まる前までに読んでおけ、というのである。


はっきり言いましょう。

それは無理。

一枚や二枚なら分かるけれど、それは「束」だったのだから。

そういう予備知識が必要なら、もっと早くに連絡を寄こしなさい。昨夜の今日でいきなり、これを読んでおけ、というのは、無神経過ぎ。「プロフェッショナリズム」という言葉を聞いた事がありますか?


仕方が無いので、その場で立ったまま少し読み始めたのだが、如何せん難しい漢字が含まれていたり、聞き慣れない日本の法律や条約の日本語訳などがあって、斜め読みでは頭に入らないので、中々読み進められない。

そこへ、その前の週末に会った現地人の女性で、日本を何度か訪れた事があるという学者が、別の二ホンジン通訳女性を連れて到着したので、挨拶をしがてら、ところで今日はどういった算段になっているのでしょうかと聞いてみたのだが、そうしたら彼女も、私も良く分からないのですと言うので、ふたりして顔を見合わせた。

それからその通訳嬢とも挨拶して名刺交換をしてみたところ、彼女は日本の某団体職員であった。彼女の現地語は比較的現地的(ネイティブ並み)であったので、恐らく留学経験があるのだろうと思われた。大変真面目な人で、きっちりと厳密に訳そうとしている様子が、如何にも二ホンジン的だった。

彼女は全く別口でこの街にやって来たところ、通訳が足りないと言われたので急遽参加しているというのだが、彼女は既にその「書類」を前日に入手していたので、昨夜ざっと読んでおいたと言っていた。

他にふたり通訳がいて、その人々は被爆者の皆さんと殆ど一緒に活動している様子ではあったが、彼女らの訳すのを聞いていると、発音問題はさて置いても、訳語や意味に随分間違いがあったので、ワタシは一寸不安になった。

しかしワタシは身の程をわきまえる事にして、余り出しゃばらないように、言われた事だけやるようにしておこうと決めた。



その高校は十一歳から十八歳までの若者が通う私立学校で、これは中々行き届いた教育を施している、恵まれたエリート養成校であった。

その所為か、子供たちは大人しく話を聞くし、この為に既に学習していると見え、色々と優れた質問もするし、中には被爆者の体験談に涙する感受性の強い子もいたそうである。これらの反応は、被爆者の皆さんには概ね好感を与えたようである。


結論から言うと、色々の不都合はあったものの、ワタシ個人としては初めて公の場で「同時通訳」というものを体験し、それがこれ程難しいものだったのかという事を知る良い機会になった。

これは教室内で限られた人数に向けて通訳する分には、同時進行で充分賄えるのだが、これを大きな講堂などの、音が反響したりマイクロフォンを使用する必要があるような状況でやるとなると、どうしてもヘッドフォンやらイヤーフォンやらの聴覚機材が必要になるのである。

そういった機材の準備が無かったので、講堂で同時通訳をやろうとしたところ、マイクを通した自分の声で講演者の声が聞こえなくなる、という事態が発生し、所々話を聞きそびれてしまった。

それで、その辺りは少々誤魔化して適当に話を繋げたのだけれども、これは大変後味が悪かった。恐らく聞いている現地人には意味不明な箇所もあったろうし、また他の通訳にはその誤魔化しがバレていただろうと、終了後ワタシは大変恥ずかしく思った。


しかし一寸言い訳をすると、その講演者は通訳の時間も含めてこの時間では足りないと、講演時間が短すぎる事について苦情を訴えていたのである。既に時間が押しているところへ持って来て、その後この集団は街へとんぼ返りして別の集会に参加するという次第になっていたので、どうにもそれが精一杯の時間であった。

そうなると後は、通訳であるワタシが通訳の時間を削る以外に、やりようが無かったのである。

それで、他の通訳のように講演者が一文話し終わるのを待ってから通訳を始めるやり方では間に合わないと判断して、(日本語の主語が聞こえた途端に現地語訳を喋り始める)「同時通訳」でやる事にしたという訳である。



あのよく見かける、通訳者のヘッドフォンやイヤーフォンなどというのは、「伊達」では無くて、ちゃんと意味のあるものだったのか!という、発見。


それと同時に、ワタシもそういえば長年外国暮らしをしているうち、知らぬ間に「同時通訳」などという技も使えるようになっていたのか!という感慨。


日頃「翻訳」というのをする機会はあるけれど、「通訳」というのは、また別の技術がいる代物であった。


2005年05月02日(月) 右も左も

やれやれ、彼方此方大忙しの週末が終わって、今日はぽっかり明いた休日である。月曜だけど。


先日も書いたように、この週末は核不拡散条約見直し会議関連で、日本から多くの反核・平和運動家の皆さんがやって来ている。その通訳ヴォランティアとしての活動と、以前からやっている方のヴォランティア活動とで、両日出ずっぱりの週末であった。お陰で一寸小声で言うけれど、何故か筋肉痛で、足腰が痛い

しかし実際事が終わってみると、今回の一件ではワタシたちには余り知らされていなかった様々な「裏事情」というのがあり、その証拠に今日明日と折角空けておいたのに突如用無しになってしまったワタシは、一足遅れの週末を謳歌しているという訳である。



土曜日には街のとある大教会にて、日本からの反核・平和運動家の皆さんが集合して、決起集会と言って良いのかどうか分からないが、何しろでかい会合が催された。後で聞いたところに拠れば、一週間前までこの会場すら決定していなかったそうだから、如何に事が纏まっていないかという様子が知れる。

ワタシたち現地在住ヴォランティアはそこで、この現地の同朋の皆さんがお手伝いをして下さいますよと紹介される、という話だったので、ワタシもそれに出掛けて行った。

先約が迫っていたので、ワタシはほんの一時間程で退散したのだけれども、後で聞いたところによると、ワタシたちはそこで随分な扱いを受けたそうである。

司会者氏が簡単な紹介を述べた後、「現地コーディネーターその二」とその他数名の現地ヴォランティアが会場前方へ進み出て、コーディネーター嬢がいざスピーチをとマイクを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、司会者氏は見事にそのままマイクを握り返して、さて続きましては、と話を継続してしまったそうである。

つまりわざわざ会場前方へ出向く必要は無かった訳である。飛んだ無駄足。


その前日にも、街の某大学で別の集会があった。そこには平和活動や被爆者関連の主だった団体のリーダーたちが終結して、色々と参加の主旨などを語る機会があったそうなのだけれど、そこでも我が現地ヴォランティアに対する言及は無かったそうである。

それでその集会が終わってから、コーディネーターその二が、まあワタシたちは期待されていないかも知れませんが、勝手にやらして頂きますので宜しく、といったような事を、全体を取り仕切っている某団体の幹部に告げたそうである。

要するに、ワタシたち「現地在住邦人ヴォランティア」は、ひょっとすると必要なかったかも知れない、という話である。



昨日の大集会後に数人の仲間たちから集めた情報を総合すると、漸く今回の一件の全容が見えて来る。

まず「コーディネーターその一」というのがいる。「とあるNPO(Non-Profit Organization 企業のように利益を求めない類の活動をする)団体でインターンをしている学生」と名乗っているのだけれども、しかし誰が聞いてもその詳細を述べない。何処のNPOか、何処の学生か、何を専攻しているのか、何時卒業するのか・またはしたのか、といったような情報には、全く触れないか聞かれても言葉を濁すのだそうである。大変ミステリアスな女性である。

そこで他のヴォランティアたちの聞き出した情報から想像するに、つまりとある反核関係の日本のNPOというのがあり、彼女はその現地事務所にて過去数ヶ月ほどの間インターンをしているのだが、しかし彼女の上司は他の日本の反核・平和運動NPOらと何らかの衝突があった所為で、表向き彼らの今回の一連の活動には参加・交渉し難い事態になっている。

しかし彼女は自身が被爆地出身でもあるので、自分の所属するNPOとは離れた形で、個人的に手伝いたいという意向があったようである。

それで現地の某左翼団体(というと聞こえが悪いかも知れないので、若しくは)・反戦団体が企画した「メイ・デー」でもある日曜日のデモンストレーションに、日本から平和運動家や被爆者らが参加するという話を取り付け、現地団体との間の交渉を引き受けるという形で関わる事にしたようである。

そして現地ヴォランティアを取り纏める作業については、彼女の同居人である「コーディネーターその二」に頼んだ、という次第のようである。

しかしこの「コーディネーターその二」は「その一」とは全く異なる政治・思想的観念を持っており、つまりとんでもない「右翼者」若しくは「国粋主義者」だったのだけれども、そしてその歴史知識は並外れた「セレクティブ・メモリー(selective memory)」といって、大変都合良く取捨選択されたものなのだけれども、しかし何故かこうした左翼団体(若しくは反戦・反核・平和主義団体)の活動のお手伝いをする事に同意して、更になんと自腹で必要経費を捻出してまで頑張って取り組んだという訳である。

この辺りの経緯が、ワタシにはどうしても理解不能である。

ワタシは初めこの「その二」嬢は、左翼団体のイベントに爆発物を持ち込んだりなどして混乱を来たそうという意図の右翼者か、と警戒しようかとも思ったのだけれども、よくよく話を聞いているうち、恐らく自説の思想的矛盾に気付いていない無知なる熱い若者に過ぎないのではないかと思い直して、特に反応しないで置く事にした。

これに付いては、昨日の集会後に一緒にお茶を飲んだ、数人のヴォランティアらとの会話の中でも話題に上ったのだけれども、ワタシが先日若者たちと夕食に出掛けた際の出来事と似たような吃驚仰天的右翼発言が、他でも続出していたそうである。だからワタシが言うまでも無く、他のヴォランティアたちも「その二」嬢の爆弾発言を何らかの形で聞き及んでおり、「やばい発言をしていた」と口々に言うのである。


ところでこれに加えて、むしろワタシたち的に「やばい」事態というのがあった。

昨日の集会中にテレビや新聞等のメディアの取材が何回か訪れており、その度にワタシたちのブースでの通訳活動中の写真を撮って行った訳だが、それ以外にワタシが気付かなかったところで、この活動のリーダーとして「その二」嬢がそれらの「インタビュー」に答えていたそうであり、また特に現地の日系ミニコミ新聞や日本の某新聞社の地方支局などでは「一面記事」扱いでワタシたちの活動の様子を載せる予定との事で、つまりそれらには「その二」嬢の発言がそのままワタシたちヴォランティアの活動主旨・目的として取り扱われている、というのである。

つまり、ワタシたちは個人的に集められた集団に過ぎず、何も「その二」嬢の意見に賛成したから休日返上で無償労働をしに来た訳では無いのに、あたかもそのように報道されてしまう危険がある、という訳である。


「右翼」が「左翼活動」の手伝いに来る、という、この何とも矛盾に満ちた、鼻白む行為。全くのお笑い草である。

ものが分かっていない愚かな一若者の穴だらけの意見が、まるでワタシたちの総意であるかのように捉えられ、分かっているワタシたちまでもが分かっていない人呼ばわりされてしまうという、この不条理。


折角良い事をしたと晴れがましい気分に浸っている頃になって、漸く分かりかけた「全容」が、ワタシたちに何とも言い難い無力感をもたらす。


皮肉なのは、そこで全容を知ったワタシたちの多くは、国際政治や歴史、社会問題などの関連分野で学ぶ大学生や大学院生たちだったという点である。




皮肉と言えば、例の大教会での集会に出掛けた際の事である。

そこには数千人の二ホンジンの反核・平和運動関連の皆さんが詰め掛けた訳だが、そこでワタシは目を疑うような人物を発見した。

彼はビジネススーツを着込んでいる割りに、その髪が黄色く着色された奇妙な男性だったのだが、なんとこの国の国旗を模したネクタイを締めていたのである。



この街では、数年前大きなテロリズムが起こった直後に、さあ皆で力を合わせて立ち上がろうという意味を込めて、国旗を方々で掲げるという行為が、よく見られた。

しかしその後のこの国の政府の政策は、国民の意図とは少々異なる方向へ向かってしまったので、それが明らかになるに連れて、折角掲げた国旗を下ろす人々が続出した。政府のやる事には必ずしも賛成しないぞ、という意味である。

だから、それ以降に国旗を模った服やアクセサリーなどを身に付けている人、というのはつまり、現在の政府のやる事を全面的にサポートします、という意思表示をする人、つまり「右翼」若しくは「(盲目的)国粋主義者」と見做されている。

しかもこの街というのは、この国の中でも特に左拠りの街として有名な土地柄なので、そこで右寄りな人というのは相当暮らし難い訳であり、当然ながら現在国旗ファッションを見る機会は相当少ないのである。


そこへ持って来て、この日本からやって来た反核・反戦・平和活動家若しくはそれをカヴァーするマスコミ関係者である筈のこの人物の、このファッションである。


ワタシは、その集会が今まさに始まらんとする状態でさえ無かったら、つかつかとその頭の黄色い見ず知らずの若者の傍へ寄って行って、誠にお節介かとは存じますが、生卵がぶつけられる前に、または拳銃で撃たれる前に、その「国粋主義的ネクタイ」は外すが良かろうと思いますし、この街で反核・反戦集会に参加している間はそれを身に着けない方が身の為ですよと、一言説教を食らわしてやりたいと思ったくらいである。

いや、もっと言うと、後ろから馬鹿たれ!と、すぱこん!と一撃食らわしてやろうかと思ったくらい、ワタシは憤慨したのである。

だってそうでもしなければ、彼は街中をその成りで歩き回って人々から大顰蹙を買うだけでなく、折角反核・平和運動家が訴えている主張がその信憑性を無くし、ぶち壊しになってしまうからである。彼自身が馬鹿者呼ばわりされるのは一向に構わないが、その所為でワタシを含めた他の人々にまで迷惑が掛かるのは耐え難い。




無知なる故の無神経な振る舞い。


それは致し方無いとは言え、笑って済まされる類のものでは無い。

ワタシは、この「国粋主義的ネクタイ」を締めた目立ちたがりの若者の行為と、軍国主義思想へ国民を導くのに重要な意義を担わされた神社に、今では平和主義を唱える(事になっている)一国の主が足繁く通い詰める行為というのは、同一線上にある無神経行為であると思っている。

そういう無神経な輩の行為というのは、過去に痛い思いをさせられた人々の神経にやすりを擦り付ける様な仕業であり、普通の神経を持った人間ならば当然その他人の痛みに気付く筈なのだから、それが分からないのなら、それは人格上大いなる欠陥のある人物と言わざるを得ない。

そんな人物をそもそもその地位にのさばらして置いて、それで特に問題を感じないでいるニホンジンの皆さんというのが貴方、ワタシには一向に分からない。

更に、そいつそのような人物の公私に及ぶ様々な所業に拠って、日本国が国際関係上大いなる信頼の失墜だとか国益の損失などを被っているという事態にも関わらず、それを国民の皆さんが特に問題だと思っていないらしい事に対して、ワタシは更なる衝撃を受ける。



尤も、そういう無神経なネクタイをして「反核・平和運動」をしに来てしまうようなビジネスマンが居るくらいだから、今時のニホンジンというのは、そういう無神経な人々なのだろうか。

何度も言うようだけれど、ワタシはそんな人々と一緒くたにはされたくない。


昨日翌日
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