せらび
c'est la vie
目次昨日翌日
みぃ


2005年04月26日(火) 前途有望な日本の若者たちよと呼び掛けたくなる程ワタシは歳を取ったのか

ここのところ新たな役職についた所為もあって、大変忙しい日々を送っている。今更何だという気もするが。

ヴォランティア活動も引き続き週末の習慣にしているし、昨日はヨガレッスンにも行ったから一寸筋肉痛だし、更に職探し関係の連絡作業なども続いているしで、一寸前のワタシには想像も付かない程の多忙振りである。


今日は別のヴォランティア活動の案内があったので、それの集会に出掛けてきた。

というのは、近くワタシの住む街で核不拡散条約に関連した会合が催されるのにあたって、広島や長崎などから沢山のニホンジンの皆さんが訪れる事になっていて、その通訳が要るというのである。

何でも、日本からやって来る皆さんは複数の団体に所属しているそうなのだけれど、それぞれてんでんバラバラにやろうとしていて、こちらのコーディネーターという人がその余りの勝手振りに怒ってしまって、彼らがやって来る日を目前にしてその役目を投げ出してしまったのだという。

それで、それを聞きつけた奇特な二ホンジン留学生のお嬢さんたちが、それは同朋の皆さんもお困りだろうと言って、現地コーディネーターの役目を引き受けたのである。素晴らしい。

ところが、日本からの団体の皆さんは相変わらずてんでんバラバラなので、もう後数日で殆どの団体がやって来るというのに、未だ何時どういうヴォランティアが必要かとか、どういうイベントに参加したいだとかといったような詳細が不明であるというのである。

ただ分かっているのは、何千人だかという単位でやって来る癖に、現地語の出来る通訳は数人しか連れて来ない、という事だけである。

そんな訳で、コーディネーターを引き受けたお嬢さんふたりも困り果てているのだけれど、兎に角その滞在中の数日間、主に通訳として同朋の皆さんを助ける心積もりのある現地在住ニホンジンを募って、今分かっている事だけ伝えて身体の空く日時や連絡先などを控えておきたい、という事で、本日はその会合に行って来たという次第である。


聞けば、今度の日曜にその原水爆関連の大きなデモンストレーションが開催予定であり、そのイベントの一貫として、街の大きな公園にてテントを張っては、そこで広島と長崎が経験した事に付いて説明したり、原水爆実験やその流通に反対する署名を集めたりなどの活動をするそうである。これは、数日間の滞在予定の中での、メインイベントである。

他にも細かいイベントが街中で予定されているそうなのだけれど、何しろ団体が複数なので、どれにどの団体が参加する積りなのかとか、他にもこちらが知らされていないイベントがあるのかとか、そういった事がまるで不明なのだそうである。



もしこれを読んでいる日本の原水爆または平和運動関係者の皆さんは、国内に居る間にもう少し互いに協力して、コーディネートしてから、現地コーディネーターに詳細を知らせて、それから外国へ出掛けていらっしゃる方が諸々都合が良い、という事を理解されたし。そうでないと、色々な人々に迷惑が掛かるのですよ。

こんな事わざわざ言わなくても、普通のオトナなら分かっているだろうけれど。



ワタシは週末、例によって既にヴォランティア活動の予定を入れてしまっているので、それ以外で出来る限りのお手伝いをする所存である。

しかし、コーディネーターのお嬢さんたちの申し訳なさそうな、そして疲れ果てて言い訳染みた物言いを聞いていると、何だか先が思い遣られて、頭が痛い。



ところでその説明会の後、日本から一足早くやって来た大学生の皆さんと、数名のヴォランティアの在住二ホンジンの皆さんと共に、夕食に出掛けた。

ワタシは今時の日本の若者が何を考えているのか、特に日本国内政治の有様をどのように見ているのかに大いに興味があったので、同僚らが皆揃って帰るというのに、いい歳をしてひとりでのこのこと出掛けて行ったのだけれども、これは中々楽しい経験であった。

ワタシの住む国では、以前とある名の知れた博物館で「広島・長崎展」とかいうようなものを開催する予定だったのに、元兵士や航空業界などからの圧力で開催中止に追い込まれる、という事態が起こった事がある。

それでその若者たちに、そういう事が起こるような前途多難な国だけれど、何を訴えに来たのか、また日本の国際連合安全保障理事会の常任理事国入り問題やら中国その他のご近所さんたちの不平問題などについてをどう思うか、といったような政治的問題を問いかけてみた。これをやってみたかったの。

そうしたら、ワタシの期待にそれなりに答えてくれる前途有望な日本の若者がやって来た事が判明して、ワタシは大変喜びましたよ。流石、広島や長崎で生まれ育った若者たちである。

尤も、皆が皆そうという訳ではないようで、中には某教育大学で偶々長崎出身の友人と知り合った静岡出身の若者などもいたので、一概には言えないのだけれど、しかしまあ、広島、長崎、教育大学ときたら、これはもう似たようなものだとワタシは認識するに至りました。大雑把ですいません。

つまり、ワタシは戦後の日本では思想だとか政治に関する議論をするというような訓練を受けず、専ら金稼ぎのハナシばかりが推奨されている訳だから、若者がそんな議論に付いていける訳が無い、と思っていたのである。

しかしそうは言っても、彼らは大きな使命を認識して出掛けて来た訳だから、果たしてこの若者らはどんな考えを伝えてくれるのだろう、と半分意地悪な思惑もあったのである。てへへ。

しかしそれでも、彼らはやはりそこいらの何も考えていない若者とは、一味も二味も違う若者らであった。

何しろ今回の「現地コーディネーターその二」のお嬢さんが彼女の浅い薀蓄を垂れるのを聞きながら、おやおやこれはえらい事になった、日本も先が思い遣られるわいと蒼くなっていたワタシは、その後彼女より五つも六つも年下の若者らが言う事を聞くにつれ、ああワタシは今夜いい歳をして若者の集まりに出掛けて来たけれど、本当に良かった、それを聞いて安心しましたよ、と思わず声を上げたくらいである。

要するに、そのコーディネーターのお嬢さんが言う事ときたら、自民党の幹部が何年もうじうじ言っているのと大差無い「右っぷり」なのである。

「右寄り」な人に日本がいかに「右寄り」かという話をしても、全く埒が開かない、という事を知る。

貴方の主張はその通りだけれど、でもそれだけでは無い、というところが問題なのだよ。そういうのとは別の次元のハナシをしに、この若者ら(と数日後にやって来る予定のオトナの皆さん)はわざわざ出掛けて来たのだよ。だって「戦後」はまだ終わっていないのだから。

という辺りを説明してみたのだけれど、どうやらこのお嬢さんには理解出来なかったようである。頭悪そう、と言ってしまえばそれまでだけれど、そうとばかりも言い切れない、悲しい現実が社会に横たわっているという証拠でもある。全てを教育の所為にしてしまえば簡単ではあるが。


そういえば、似たような気分をついこの間も味わったな。どこだったっけか。あ、あの 郊外の保守的な人々の住む町に行った時だわ。「保守の香り」というやつね。


また、脇で聞いていたもうひとりの現地在住の中間世代のお嬢さん、つまりこのお嬢さんと現地コーディネーターその二は同世代なのだけれども、この彼女もあんまり良く分かっていなかったようで、帰り道彼是と質問して来たから、ワタシは日本の教育システムというものに付いて、一寸ばかし不安になりましたよ。教科書にはちゃんと書いてあっただろう。あったよねえ。ちゃんと読んだの。学校には行ったんだよねえ。「教科書問題」なんて言うけれど、あれは一部の教科書のハナシをしているんだよねえ。そうだよねえ。だって、ワタシの教科書にはちゃんと書いてあったぜ。

などと思ったけれども、しかしこの後者のお嬢さんはまだ良い方である。自分が知らないという事を知っているし、それを知りたいと思う向上心もある。そして、聞くのを恥と思わないで、ちゃんと質問するのだから、ワタシはこのお嬢さんはまだいけると胸を撫で下ろしたのである。

問題は、自分が知っていると思い込んでいて、人の話を聞かないコーディネーター嬢である。この子が通訳なんかやって、序でに自説をぶったりなんかしたら、それは難儀だなと思う。


それにしても、こんなに分かって無い子が原水爆・平和運動関連の「現地コーディネーター」をやろうというのも、興味深い話ではある。

「分かって無い」と言ったが、彼女なりには分かっているのであって、同世代の全く分かって無い子らと比べたら勿論、とっても良くご存知なのではある。

ただ、思想的矛盾に全く気付いていないだけである。または、知ったかぶりをしている割に、その知識はほんの氷山の一角でしかない、という事を知らないだけである。あはれなり。


そんな訳で、ワタシとしては意外とものが分かっている若い世代と知り合う事が出来て大変光栄に思ったので、彼らが彼らの言葉で人々に考えを伝える事が出来るよう、ワタシに出来る限りのお手伝いをさせて貰おうと思った次第である。

コーディネーターちゃんたちは、この際置いておいて。



しかしそれ以外の現地在住学生たちも、意外と質が高い模様であったので、これも収穫である。

これまでワタシは、日本の現地在住の若者らを余り高く評価していなかったのだが、今回出会った数人は一寸異なるようである。

尤も平和活動の為に外国まで出掛けてくる同胞の為に、ヴォランティアをしようなどと思い立つような若者たちだから、それなりの心がけがあるのだろう。


日本もまだまだ捨てたものでは無い。そんな事を思って、ワタシは帰途ひとり微笑んだのである。


昨日翌日
←エンピツ投票ボタン

みぃ |メールを送ってみる?表紙へ戻る?