せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年04月26日(火) 前途有望な日本の若者たちよと呼び掛けたくなる程ワタシは歳を取ったのか

ここのところ新たな役職についた所為もあって、大変忙しい日々を送っている。今更何だという気もするが。

ヴォランティア活動も引き続き週末の習慣にしているし、昨日はヨガレッスンにも行ったから一寸筋肉痛だし、更に職探し関係の連絡作業なども続いているしで、一寸前のワタシには想像も付かない程の多忙振りである。


今日は別のヴォランティア活動の案内があったので、それの集会に出掛けてきた。

というのは、近くワタシの住む街で核不拡散条約に関連した会合が催されるのにあたって、広島や長崎などから沢山のニホンジンの皆さんが訪れる事になっていて、その通訳が要るというのである。

何でも、日本からやって来る皆さんは複数の団体に所属しているそうなのだけれど、それぞれてんでんバラバラにやろうとしていて、こちらのコーディネーターという人がその余りの勝手振りに怒ってしまって、彼らがやって来る日を目前にしてその役目を投げ出してしまったのだという。

それで、それを聞きつけた奇特な二ホンジン留学生のお嬢さんたちが、それは同朋の皆さんもお困りだろうと言って、現地コーディネーターの役目を引き受けたのである。素晴らしい。

ところが、日本からの団体の皆さんは相変わらずてんでんバラバラなので、もう後数日で殆どの団体がやって来るというのに、未だ何時どういうヴォランティアが必要かとか、どういうイベントに参加したいだとかといったような詳細が不明であるというのである。

ただ分かっているのは、何千人だかという単位でやって来る癖に、現地語の出来る通訳は数人しか連れて来ない、という事だけである。

そんな訳で、コーディネーターを引き受けたお嬢さんふたりも困り果てているのだけれど、兎に角その滞在中の数日間、主に通訳として同朋の皆さんを助ける心積もりのある現地在住ニホンジンを募って、今分かっている事だけ伝えて身体の空く日時や連絡先などを控えておきたい、という事で、本日はその会合に行って来たという次第である。


聞けば、今度の日曜にその原水爆関連の大きなデモンストレーションが開催予定であり、そのイベントの一貫として、街の大きな公園にてテントを張っては、そこで広島と長崎が経験した事に付いて説明したり、原水爆実験やその流通に反対する署名を集めたりなどの活動をするそうである。これは、数日間の滞在予定の中での、メインイベントである。

他にも細かいイベントが街中で予定されているそうなのだけれど、何しろ団体が複数なので、どれにどの団体が参加する積りなのかとか、他にもこちらが知らされていないイベントがあるのかとか、そういった事がまるで不明なのだそうである。



もしこれを読んでいる日本の原水爆または平和運動関係者の皆さんは、国内に居る間にもう少し互いに協力して、コーディネートしてから、現地コーディネーターに詳細を知らせて、それから外国へ出掛けていらっしゃる方が諸々都合が良い、という事を理解されたし。そうでないと、色々な人々に迷惑が掛かるのですよ。

こんな事わざわざ言わなくても、普通のオトナなら分かっているだろうけれど。



ワタシは週末、例によって既にヴォランティア活動の予定を入れてしまっているので、それ以外で出来る限りのお手伝いをする所存である。

しかし、コーディネーターのお嬢さんたちの申し訳なさそうな、そして疲れ果てて言い訳染みた物言いを聞いていると、何だか先が思い遣られて、頭が痛い。



ところでその説明会の後、日本から一足早くやって来た大学生の皆さんと、数名のヴォランティアの在住二ホンジンの皆さんと共に、夕食に出掛けた。

ワタシは今時の日本の若者が何を考えているのか、特に日本国内政治の有様をどのように見ているのかに大いに興味があったので、同僚らが皆揃って帰るというのに、いい歳をしてひとりでのこのこと出掛けて行ったのだけれども、これは中々楽しい経験であった。

ワタシの住む国では、以前とある名の知れた博物館で「広島・長崎展」とかいうようなものを開催する予定だったのに、元兵士や航空業界などからの圧力で開催中止に追い込まれる、という事態が起こった事がある。

それでその若者たちに、そういう事が起こるような前途多難な国だけれど、何を訴えに来たのか、また日本の国際連合安全保障理事会の常任理事国入り問題やら中国その他のご近所さんたちの不平問題などについてをどう思うか、といったような政治的問題を問いかけてみた。これをやってみたかったの。

そうしたら、ワタシの期待にそれなりに答えてくれる前途有望な日本の若者がやって来た事が判明して、ワタシは大変喜びましたよ。流石、広島や長崎で生まれ育った若者たちである。

尤も、皆が皆そうという訳ではないようで、中には某教育大学で偶々長崎出身の友人と知り合った静岡出身の若者などもいたので、一概には言えないのだけれど、しかしまあ、広島、長崎、教育大学ときたら、これはもう似たようなものだとワタシは認識するに至りました。大雑把ですいません。

つまり、ワタシは戦後の日本では思想だとか政治に関する議論をするというような訓練を受けず、専ら金稼ぎのハナシばかりが推奨されている訳だから、若者がそんな議論に付いていける訳が無い、と思っていたのである。

しかしそうは言っても、彼らは大きな使命を認識して出掛けて来た訳だから、果たしてこの若者らはどんな考えを伝えてくれるのだろう、と半分意地悪な思惑もあったのである。てへへ。

しかしそれでも、彼らはやはりそこいらの何も考えていない若者とは、一味も二味も違う若者らであった。

何しろ今回の「現地コーディネーターその二」のお嬢さんが彼女の浅い薀蓄を垂れるのを聞きながら、おやおやこれはえらい事になった、日本も先が思い遣られるわいと蒼くなっていたワタシは、その後彼女より五つも六つも年下の若者らが言う事を聞くにつれ、ああワタシは今夜いい歳をして若者の集まりに出掛けて来たけれど、本当に良かった、それを聞いて安心しましたよ、と思わず声を上げたくらいである。

要するに、そのコーディネーターのお嬢さんが言う事ときたら、自民党の幹部が何年もうじうじ言っているのと大差無い「右っぷり」なのである。

「右寄り」な人に日本がいかに「右寄り」かという話をしても、全く埒が開かない、という事を知る。

貴方の主張はその通りだけれど、でもそれだけでは無い、というところが問題なのだよ。そういうのとは別の次元のハナシをしに、この若者ら(と数日後にやって来る予定のオトナの皆さん)はわざわざ出掛けて来たのだよ。だって「戦後」はまだ終わっていないのだから。

という辺りを説明してみたのだけれど、どうやらこのお嬢さんには理解出来なかったようである。頭悪そう、と言ってしまえばそれまでだけれど、そうとばかりも言い切れない、悲しい現実が社会に横たわっているという証拠でもある。全てを教育の所為にしてしまえば簡単ではあるが。


そういえば、似たような気分をついこの間も味わったな。どこだったっけか。あ、あの 郊外の保守的な人々の住む町に行った時だわ。「保守の香り」というやつね。


また、脇で聞いていたもうひとりの現地在住の中間世代のお嬢さん、つまりこのお嬢さんと現地コーディネーターその二は同世代なのだけれども、この彼女もあんまり良く分かっていなかったようで、帰り道彼是と質問して来たから、ワタシは日本の教育システムというものに付いて、一寸ばかし不安になりましたよ。教科書にはちゃんと書いてあっただろう。あったよねえ。ちゃんと読んだの。学校には行ったんだよねえ。「教科書問題」なんて言うけれど、あれは一部の教科書のハナシをしているんだよねえ。そうだよねえ。だって、ワタシの教科書にはちゃんと書いてあったぜ。

などと思ったけれども、しかしこの後者のお嬢さんはまだ良い方である。自分が知らないという事を知っているし、それを知りたいと思う向上心もある。そして、聞くのを恥と思わないで、ちゃんと質問するのだから、ワタシはこのお嬢さんはまだいけると胸を撫で下ろしたのである。

問題は、自分が知っていると思い込んでいて、人の話を聞かないコーディネーター嬢である。この子が通訳なんかやって、序でに自説をぶったりなんかしたら、それは難儀だなと思う。


それにしても、こんなに分かって無い子が原水爆・平和運動関連の「現地コーディネーター」をやろうというのも、興味深い話ではある。

「分かって無い」と言ったが、彼女なりには分かっているのであって、同世代の全く分かって無い子らと比べたら勿論、とっても良くご存知なのではある。

ただ、思想的矛盾に全く気付いていないだけである。または、知ったかぶりをしている割に、その知識はほんの氷山の一角でしかない、という事を知らないだけである。あはれなり。


そんな訳で、ワタシとしては意外とものが分かっている若い世代と知り合う事が出来て大変光栄に思ったので、彼らが彼らの言葉で人々に考えを伝える事が出来るよう、ワタシに出来る限りのお手伝いをさせて貰おうと思った次第である。

コーディネーターちゃんたちは、この際置いておいて。



しかしそれ以外の現地在住学生たちも、意外と質が高い模様であったので、これも収穫である。

これまでワタシは、日本の現地在住の若者らを余り高く評価していなかったのだが、今回出会った数人は一寸異なるようである。

尤も平和活動の為に外国まで出掛けてくる同胞の為に、ヴォランティアをしようなどと思い立つような若者たちだから、それなりの心がけがあるのだろう。


日本もまだまだ捨てたものでは無い。そんな事を思って、ワタシは帰途ひとり微笑んだのである。


2005年04月20日(水) 諸雑事

ここのところ、俄かに忙しくなってしまって、一日がどんどん過ぎていく。

職探しというのを久し振りにやっているのだけれども、これはまた随分慌しいものである。

これを期に、新しく名刺を作成したり履歴書を書き直したりなどして備えているのだが、実は名刺が手元に無いのに人に会う機会が相次いで、折角のネットワークの機会も台無しであるという事が判明したので、先日大急ぎで新たに作成した次第である。

中途半端な時期に注文するので、自分で所属団体付きの印刷会社のウェブサイト上でロゴをアップロードして、それを上手い具合に所定のテンプレートに載っけて作る。このロゴのサイズ合わせというのに思いの他時間が掛かったけれども、何とか上手い具合に出来上がったので、一安心である。

こんな面倒な作業、向こうでやってくれればいいのに。


問題は履歴書作成である。

これは日本の一般的な「履歴書」というやつとは少々様子が違っている。この国の法律で、例えば性別だとか生年月日だとか出生地だとかいった、自力で変更が利かない事項に関しては記入出来ない、若しくは問われない事になっている。当然、自分の写真を貼り付ける必要は無い。

それから、これはワタシのような高等教育機関に幾つか行った人間の場合に限るかも知れないが、大学以降の履歴が主であって、それより以前の教育機関に付いて記す必要は無い。何処の小学校へ通ったかなどという情報は、現在のその人の業務執行能力には、余り関連が無い。

そして、職歴や学歴を只順繰りに書き連ねるのではなくて、どういった業務内容に従事したのか、どういった学位や専門分野の経験があるのか、などの事柄を二三書き付けるのが習いになっている。それも只書けば良いというのではなくて、自分をより良くアピール出来る様に心掛けて、相応の表現を取り入れた文章でなければならない。

ワタシの場合、職務経験に少々の空白があるので、それを埋めるべく、細工をする必要がある。それで、課外活動的な経験も含めて、見栄えの向上を計ろうという趣向である。


などという事を考えながら何度も書き直したりするので、随分手間である。

今日は新規に就職活動をする若者向けに、そのような事柄についての講習会のようなものが開催予定であったので、ワタシも若作りしてそれに潜り込む予定であったのだが、直前に取り止めになってしまったので、残念である。

しかし、同僚らが二三パーティを予定しているので、そちらに出掛ける事にする。何しろ、ネットワーク作りは欠かせないからね。と言って、遊びに出掛ける口実にする。



ところで新しいポープ、意外と早く決まったようですね。つまり特に不満に思う人が少なかったという事だろうから、それはそれで良かった。七十代後半という点でも条件を満たしているという事で(縁起でも無いが)、ビバ・ポープ!



それから先日嘆いていたワタシの「確定申告」だけれど、夜を徹して頑張ったお陰で、翌朝には完成した。ワタシ個人的にもビバ!

その後腹ごしらえをして、コピーを取りに近所のコピー店へ出掛け、隣の某有名コーヒー店にてカフェイン補給をして、そのままポストへ投函しても良かったのだけれども、ここまで来て何か事故でもあった場合には埒が開かないと思い直して、そこから五分程歩いたところにある郵便局まで投函しに行った。全てを終えて、ワタシは言い知れぬ達成感に満たされ、心地良く帰途に着いた。



達成感というのは、何とも良いものである。これを毎日感じられると、精神衛生上非常に宜しい訳だが。


2005年04月14日(木) 反省中

明日は、というかもう今日になってしまったけれど、日本的に言うところの「確定申告」というやつの締め切りである。


そして、間際になってもまだ書類を読み返している困ったさんがひとり。


もっと早くに手を付けておけば良いのに、お前さんと来たら、一体何をやっているんでしょう。大体初めての作業じゃないのだから、どれくらい時間が掛かるかなんていう見当だって付いている筈だというのに。こういう事は余裕を持って始めておかないと。早いうちに始めて、さっさと終わらせてしまえば、こんな間際になって慌てなくても良いでしょう。夏休みの宿題と一緒。八月三十一日の泣き面。覚えがあるでしょう。いい年をして、どうしてまたそういう不始末を仕出かすのだろう。自分以外誰も泣きやしないよ。アドレナリンなんて当てにしないで、アルファ波でも出ているうちにさっさとやり終えてしまった方が、精神衛生上どれだけ良かったか知れないのに。どうするつもりなの。これ、今日中に送ってしまわなかったら、出来ませんから期限を延ばして下さいって、そういう書類も送らないといけないんだよ。その分利息も取られるんだよ。何が何でも今日中に出さないと。全くお前さんという人は、どうして過去の経験から学ばないんだろうね。確かこれまでにも二三度当日になってもまだ終わらないで、泣きを入れていた事があっただろう。今日付けの消印貰うのに、夜中も開いてる本局まで行かなくちゃならないっていうのに。あの辺は薄暗いし、夜中は危ないから、そういう事にならないうちにさっさとやってしまいなって、あれほど言って聞かせたのに。お前さんて人は、本当にどうしようもないね。どうするの。




・・・という様な事を、夜中に自分に言い聞かせています。


こういう時に限って、コーヒー豆を切らしているという、不手際その二。


2005年04月13日(水) 盲目の民よ

先日の日記でも少し書いた例のトロいオトコノコが、やっぱりトロかった、という話を先ず。

まあ、若者が経験不足なのは彼らの所為ではない、という点に付いては、ワタシも認める。

しかしワタシにはそういう若者を調教する趣味は無いし、彼らは彼らに見合った人々と付き合って経験を積んでゆけば良いと思う。何もワタシにそんな手間を求めなくとも良いのでは、という事である。


つまり、先日出会った例の若者は、ワタシがいずれまたお会い出来るといいですね、と極々慣例的に書いた返事にまともに反応して、では何時なら会えるのかと日に度々メールを寄こしたのである。

すっかり面倒になってしまったので、ワタシは幾つかのメールを読むなり破棄して、返答を怠っていた。

そしたら前に送ったメッセージは読んだのか、どれくらい頻繁にメールのチェックをするのか、何時なら会えるのか、などなど、相次いで質問を寄こしたので、お姉さんとうとう切れてしまいましたよ。



仕事の邪魔をするな。




ワタシはメールやインターネットを多用した生活をしているので、メールのチェックはそれなりの頻度でやる。

しかし一日中暇を持て余している訳ではないので、優先順位の高いものから順に返事を書いていく訳であって、(ついこの間出会ったばかりの、しかも特に接点も見出せずに世間話をした程度に過ぎない)貴方がわんさと送ってくるメールに、逐一返事など出して居られないのである。

そういった事情を、一寸は解せ。


という様な事を書いて送ってやったら、それきりになりましたよ。ああ良かった。これでお互い誤解は無くなっただろう。一件落着。




ところで、先日来中国本土では「反日デモンストレーション」というのが勢いを増しているそうで、ワタシも思わず上海に居る友人にメールを打って、安否確認をしたところである。

(ね、こういうメールの方が、ワタシには優先順位が高いのだ、若者よ。)


友人曰く、上海という街は、もはや「中国ではない」らしい。

そういえば、紐育という街も亜米利加ではないと言われるけれども、同様の事態が上海でも起こっているのだろうと想像する。

上海も紐育も、それぞれ独立国にしてしまえばいいのに。



ワタシは実際中国という国には未だ出掛けた事が無いのだけれど、ワタシの住む街には多くの中国系移民が住んでいて、彼ら独自の集落を形成しているので、彼らには日常的によく出くわす。

また、ワタシの育った街にも彼らの大きなコミュニティがあって、例えば散歩の序でに角の店で「肉饅頭」をひとつ買って、それを頬張りながら徘徊する、というような事をよくやっていたので、個人的には彼らの存在は「ご近所さん」という感覚である。

なので、遠い海の向こうで起こっている両国間の問題は、文字通り「遠くの出来事」という風にしか想像が付かないのだけれど、それにしても今回の件では驚いた。日本の国際連合における安全保障理事会の常任理事国入りを擁護する「総長発言」の直後に勃発した事からすると、恐らく彼らは、日本が国際舞台で認められる存在になるのが疎ましいのだろう。

聞くところによると、中国の若者の多くは、日本政府が近隣諸国に戦時中の不届きな行為を詫びたり、保障の意味で開発援助や円借款などをしてきた事に付いて、どうやら知らないか都合良く忘れてしまっているようである。それこそ「教科書問題」(正確には教育問題または情報統制問題)と言って良いかも知れないと思う。

更に聞けば、近年の経済発展に伴い、地方から都市への労働力の流出が激しいそうで、そこへ持って来て、お上の手下である公務員の職権乱用や汚職が相次いでいて、人々の間に不満が溜まっているという。

様子を見ていると、どうもこの後者のお上に対する長年蓄積された不満というのと、貧乏生活に対する不満や将来への不安などが原動力になった暴動ではないかという気がしてくる。丁度タイミングよく「総長発言」があり、そしてその頃政府が言論統制を意図的に緩め、また特別な暴徒抑制策を取らなかったという点からすると、中国政府の陰謀か?と勘繰りたくもなる。


そういえばワタシは数年前、ワタシの一寸左がかった父という人に、日本国はそろそろ一連の対中経済援助を止めた方が良いと思うと言った事がある。

何しろその使い道は、知らぬ間に弾道ミサイルだかロケット開発だかに費やされ、またご覧のような軍事費連年大拡大という有様で、それが近い将来日本に対して使われない事を祈るのみであるけれども、その癖日本は過去の不始末について一向に謝らないなどと有らぬ事を言われ続けていては、面目も立たないでは無いか、というのがワタシの主張であった。

ところが彼は、金ではない別の方法で何とか援助は続けていかなければ、という主旨の事を言ったので、ワタシは吃驚した。日本に住んでいると、日本がかの国からどれだけ舐められているか、という事が見えないのだろうか、と思った。

ワタシの父という人は、その昔「ある種」の文学青年であったので、ワタシも多少その影響を受けてはいるのだけれども、それにしてもかの国の仕業は、一寸許しがたいものがある。神社にお参りにばかり行っている右寄り首相も困ったものだが、しかしかの国の援助金の使い方は、今に始まった事ではない。

この度の騒ぎを見るにつれ、これは恐ろしい事になったと縮み上がっているのは、ワタシだけではあるまい。

余所の国では、ここのところ首脳選挙に絡んだ反対デモンストレーションなどがよく見られるし、その群集が暴徒化するという事も間々ある訳だが、それが中国という中央権力の人民統制が甚だしく強い国で(つまり非民主主義・全体主義国で)、しかも複数の都市でそれが行われているという事態は、名目上民主主義を貫いている国に住んでいる身としては、大変恐ろしい出来事である。

抑圧された人民の不満が、いずれ中央政府に対して爆発する日が、そう遠くないと思わせる出来事でもある。

天安門再び。どこへ行くのか、中国。



それにしても、情報統制によっていつどんな外交的大事件が起ころうとも、何も知らされない中国人民。四月十三日付けの 朝日の社説でも述べているけれど、本当に何とかならないものだろうか。


尤も、あちらばかりを責めて居る場合では無くて、国内でこれだけの右傾化を招いている二ホンジンにも、ワタシはぞっとするばかりである。右寄り政治家を首相とならしめ、これだけの外交的損失を招いて来た責任を充分に問わずに、未だにその位置に座らせている二ホンジンにこそ、この機会によくよく考えてみるが良いと言わざるを得ない。


2005年04月12日(火) オリーブ・パンとズッキーニ

このところヴォランティアワークをしに行った先で、余り物のパンや野菜を貰って帰る週が続いていて、ワタシの家の冷凍庫はパンだらけである。

事に、オリーブの実が沢山入っているパンというのがあって、これが目下ワタシのお気に入りである。

これを適当にぶつ切りにして、オリーブオイルを撒いてから、ガーリックパウダーというやつをぱらぱらと振り掛ける。それらをオーブンに突っ込んで、一寸放置しているうち、香ばしい匂いが部屋中を満たす。

これに齧り付きながら、安物のワインをくぴくぴとやると、中々気分が良い。

(ちなみに「ファット・バスタード(Fat Bastard)」という英吉利的名前の仏蘭西製安ワインを、先日興味本位で買ってみたのだが、これは誠に不味いので、読者の皆様にはお薦めしない。)


このオリーブ・パンを、先々週に丸ごと二本と半分ばかし貰って来たものだから、まだ大量にある。一先ず全て切り刻んで袋詰めし、冷凍庫で保存する事にする。

先週末に又同じところへ出掛けて、今度もまたパンが余っているから是非持って帰れと言われて、又しても同じオリーブ・パンと、それからその他のが取り合わせてある袋詰めを持ち帰る事にした。

その序でに、なんと一部押し潰されたズッキーニもあったので、そこから二本ばかし貰って来た。


日曜の夜はこのズッキーニと、先日マーケットで買って来た新鮮な農家直販の玉葱とツナ缶で、パスタソースを作った。久し振りにまともな料理をしたような気がする。

これと、例のオリーブ・パンで、久し振りにご馳走をたらふく喰って、ワタシは大変満足である。



基本的にワタシは貧乏人なので、どなたか奇特な方が食材や残り物を分けてくださるという時には、有難く頂戴する事にしている。これは貧乏な学生時代を経験した人々なら、大いに自然な成り行きであり、誰もそれに後ろ指など指さない筈である。

街に食事に出て、大量の食べ物を余らせたら、当然持ち帰る為に袋やら入れ物やらに詰めて貰う。店の方でも、金を払った客がそれを何時何処で食べようなどという事には関知しないので、当たり前のように詰めてくれる。

今回はワタシは「ヴォランティアワーク」というのをしている訳であり、それはつまり基本的には無報酬で時間や労力を提供するというのが本来なのだけれど、時折思いがけずご褒美が出たりする事がある。

パンや間引き野菜などの余り物ではあるけれど、これでワタシが数日間凌げるのだから、これは馬鹿にならない。

この間などは、ある会合の準備や誘導の手伝いに行ったのだけれど、薄謝としてピザと飲み物にありついた。

そんなものである。


ところで、このところそうやってパンばかり食べていたので、気付いたら吹き出物が出来ていた。恐らく野菜不足だったのだろう。

ズッキーニ取得のお陰で、それらは回復に向かったようだから、やはり人はパンのみに生くるに非ず。



ところで先日、この国の野菜が種類も多い上味もしっかりしていると絶賛している奇妙なニホンジン女性を発見した。日本で一体どのような食生活をしていたのだろうかと、哀れに思う。食は文化なり。文化は教養なり。


2005年04月11日(月) 日中天気が良いからと薄着でうろうろしているのに、日が沈むと急に寒くなって慌てる

週末にヴォランティアワークをするのが、常になりつつある。

多分ワタシは、自分の努力とか人にした親切などが自分に直ぐ返ってくる、成果が目に見える、というのを見たいというか感じたいのではないかと思っている。

ワタシがやるのは、主に家の無い人や低所得の人に食事を提供するプログラムなのだけれど、そもそもワタシとしては指示された通りに仕事をしているだけなのだが、あれやこれやの食べ物を与えると、受け取った人々の多くは有難うとか貴方に神のご加護がありますようにとか貴方は良い人だとかいったような事を言ってくれるので、何やら照れ臭い。

身なりは悪いが彼らも普通の人間なので、こちらも世間話に付き合ったり、スープが冷めたと言えば暖め直してくるから一寸待ってて頂戴などと言ったり、皿を下げてしまった後なら手掴みではなく紙ナプキンの上にケーキを載せてあげたりという様に、それなりに彼らの身になってみる。そして出来るだけ笑顔でやってみる。

するとまた、彼らも笑顔を返してくれる。

来週も又来るのかと聞いてきたりする。


ワタシは長らく、誰かがワタシの存在に期待しているという事態に出くわさなかったので、ああそうなのか、と大いに驚いている。

ワタシはあくまで歯車の一部であり、その部品ひとつが欠けたところで誰も気付きはしないし、換わりは幾らでもあるのだから、誰もその損失を残念がったりしない。

ワタシはずっとそう思っていた。


春が来た。




ところで春で思い出したが、先日ヴォランティアワークで一緒になったオトコノコがどうやらワタシの事を気に入ったらしく、時々出掛けたりしませんかと言って来た。

しかし彼はあんまり頭が回らなそうな子で、多分ワタシの事を二十歳そこそこにしか思っていないだろうけれど、ワタシが二十代の頃であったとしてもこいつと一緒じゃあ疲れてしまうだろうなと思わせるくらい、ワタシたちには「接点」というものが見事に無かった。

仕事中からそのボケ振りは垣間見えていて、例えばチームリーダーという人が色々と指示を与えるのだけれど、何度言われてもそれが頭に入っていないらしくて、事ある毎に聞き返していた。

指示と言ってもそんなに小難しい話では無くて、例えば今日の配給はサンドウィッチ、ジュースのパック、オレンジは各二個ずつで良いけれど、牛乳が手薄だからこれだけは一個ずつ、といった様なものである。

それから、もしもっとくれろと言われた場合には、一通り配給が終わってからもし残っていたら上げますよと言って、その際にはひとつずつ上げて良い、というものである。これは、次の配給地点で配る物が無くなってしまうと困るから、ひとつずつなのである。

それなのに、彼は牛乳もふたつずつ上げてしまったり、余分を上げる際に幾つも上げてしまったりしたので、リーダーに再三注意を受けていた。

また、ワタシが担当していて既に上げた品物まで、何故か彼がまた手を伸ばして来て同じ物を上げたり、つまり彼自身の担当物で無いのまでお節介をして手掛けようとして、その結果物がダブったりした訳である。

自分の力量を超える事をわざわざやろうとするこの馬鹿さが、ワタシを何度か苛立たせた。何とも息が合わないというか、おつむの回転が合わないというか、一緒に仕事がやり難い相手ではあった。どうせこれっきりだと思うからこそ、また相手は若造なのだからここはひとつワタシが大人に、と思うからこそ、乗り切れた事である。

こんな単純な仕分け供給作業で有能も何も無いけれど、しかし能力の差とか適正とかいうのはちゃんと存在するという事が良く分かった。こんな大した事の無い作業ですら、スムーズに出来ない人というのがいるのである。

この時のチームリーダー氏は、偶々ワタシの居た学校が所属する連盟内の短期大学で物理を教えている先生だったので、ワタシたちはそんな身内限定的なネタで話が弾んだ。同時に、恐らく頭の良さそうなこの人にもこの若者のトロさは既に伝わっている事だろうと思われた。

なのに、その若者は全く気付いていない様子で、シングル?良かったら何処かへお出掛けでもしませんか、と言って来た訳である。


ワタシは基本的には「シングル極まりないシングル」、「シングル中のシングル」である事には違いない。

それにあくまで「お出掛け」であり、「デート」とは言っていないのだから、断る理由は無い、と当初思ったので、聞かれるままに(携帯電話の)電話番号を教えてしまったのだが、すると彼はもうノリノリで、じゃあ何時頃なら電話しても良いかとか趣味は何だとか彼是聞いてきたので、ワタシは俄かに圧迫感を感じ始めた。

(そういう事は、本当に気が合う人同士だったら、一々聞かなくてもつうと言ったらかあで、自然に響きあうものではないですか?)

それで、実はワタシは普段余り電話というものをしない性質なので、出来ればメールにしてくれないかと言って、メールのアドレスを教える事にした。

そのうち彼は、君は某有名大手本屋でのんびりするのは好きか、と聞いてきた。

は?

まあ昨今では、バアやディスコティックなどで知り合おうと試みるのは野暮で、カフェだとか本屋だとかマーケットだとかで知り合う人々の方が成功率が高い、という話ではある。

気持ちは分かるけれど、ワタシは生憎日々吐く程本を読まされた生活が何年も続いたので、本が目的で無いのに、時間潰しの為にわざわざ本屋に行く気にはなれないのである。

しかもおつむの弱そうなオトコノコと本屋で逢瀬。

多分手に取る本も全く違うだろうし、時間を掛けて覗きたい区域も全然違うだろう。ワタシが気に入ったのを見つけてもう一寸目を通したいと思ったとしても、連れが居てはおちおち本なんか読んでいられないだろうし、そうするとひとりの時に又戻って来なくてはならないだろう。

それは二度手間だなあ。

いっそその場で、相すいませんけどワタシは今これを読みたいので、一寸の間放っておいてくれませんか、脇で下らない事を囁いたりなんてしてくれなくて結構、一人遊びも得意ですので、なんて言って、突き放してしまおうか。その方が手っ取り早そうだ。


・・・などの事柄を瞬時に考えたら、途端に面倒になった。

適当にして別れて、帰宅した。



翌日曜、ワタシが昼まで寝こけていたら、恐るべし、携帯電話がぷりぷりと鳴るではないか。

電話は好きじゃないからメールにしてくれとあれ程言ったのに、聞いていなかったの?お馬鹿さん。

気が乗らない時は、居留守作戦である(当然ですよね?)。


後程起きて来てメッセージを聞いたら、今度の金曜日に本屋で過ごそうと言っていた。貴重な金曜日に、どうして貴方と?だらだらと時間を潰さねばならないの?何が悲しくて?そんなに暇そうに見えますか?


その夜、今度はメールがやって来た。

そうそう、そうしてって言ったのよ。頭の悪い子は、お姉さん嫌い。

ところが今度は文法がぐちゃぐちゃ。本当にこの国で生まれ育ったネイティヴなのだろうか。

せめて外国人のワタシよりはまともな文章を書いてくれ、とワタシは頭を抱える。そういえば、口語も意味不明だったなと思い出す。てっきりこいつは最近やって来たばかりの移民かと思ったくらいである。

例のリーダー氏もえ?あ、そうなの?と驚いた様子だったから、恐らく同様の印象を持ったのだろう。


そうそう、ついでに思い出したけれど、 先だって「ホームステイ」させて貰った家の仮母も、何やら意味不明な文章を書いて寄こしたっけ。話が彼方此方へ飛ぶので、この婆さんもまた分裂症かと思ったよ。

まあ要するに、そういう事なのだろう。この国は高等教育や研究機関などは誠に優れた人材と設備を備えているけれども、それが国民に満遍なく行き渡っているという訳では全く無いのである。高卒・職業訓練校卒・専門学校卒程度では碌な文章も書けず、他人に意味が通じるような話し方も出来ない癖に、ワタシなどが一寸言い詰まったりすると、途端に外人扱いして大騒ぎする。

ワタシは余り日本語訛りが無い現地語を話すので、通常は外人扱いというのをされないで済むのだけれど、それに長い事この国で暮らしている事を伝えると、人々は大抵納得してそれなりの扱いをしてくれるものだけれど、それでも外国籍と聞くと必要以上に外人扱いしたがる輩というのは、何処にでも居るものである。

その前にお前のその外人まがいの下手な会話や文章力を何とかしろ、と思う次第である。



そんな訳で、ワタシはそのおつむの回転の遅そうな若者に、生憎金曜は用事が詰まっているのでご一緒出来ませんが、いずれまたお会い出来る日を楽しみにしています、と形式的な挨拶を返しておいた。

これを文字通り受け取って、それではいつ会えますか?などと聞いてきたら、その時は本物のお馬鹿さんという事で、認定しようと思う。


2005年04月07日(木) 春の雨がだらだらと続いて洪水注意報出る

あーあ、今度はモナコのプリンスも逝ってしまった。

ね、言った通りでしょう。最近人がどんどん死んでいくのです。厳しい冬を越したので、春になると老人には体力が残っていないのかしら。

レニエール三世(レーニエかも)という人は、グレイス・ケリーと結婚した事で有名だけれど、その在位年数が長い事でも知られているそうな。

とは言え、グレイスも早くに死んでしまうし、娘たちはスキャンダル多いし、禿げの一人息子は嫁さん貰う気も無さそうだし、家庭的にはあんまりツキが無かった人のようである。君もゆっくりおやすみレニエール。


ところでヴァティカンでは、「ポープ・フィーバー」が偉い事になっているらしい。

まるで民族大移動みたいな巡礼信者の数が、伊太利亜は羅馬の人口に匹敵する程押し寄せているという。

お上だけでは対処し切れていないらしく、ヴォランティアが町中を警備したり具合の悪くなった人を救護所へ連れて行ったり、また宿泊施設が足りないようで、一般市民に宿の提供を求めたりなどしているらしい。

信者でないワタシには、死人の身体をわざわざ見に出掛けていくという神経が良く分からないのだけれど、聖者の一員に新たに加えられる事になった(?)人物の死体なので、それはそれでご利益があると思われているのだろうか。これを「フィーバー」と言わずして何と言う、という印象である。



さて、増え続ける死人を他所に、このところのワタシは、次の職探しの為の情報収集に精を出している。

現在手掛けている課題が終わればワタシは晴れて自由の身となるので、次の山が押し寄せて来る前にさっさとズラカろうという企みである。尤も今の場を去る意向は既に伝えてあるので、早い所食い扶持を探さねばならないのである。

しかしいざ職探しとなると、何処からどう手を付けたら良いのやら、迷ってしまう。

先ずはCVとかレジュメとかいう、所謂履歴書のようなものを書き換えるのが先決なのだけれど、それと新たにやって行きたいと思っている職種との関連が上手く付けられないで、頭を悩ませているところである。

また、そういう訳で一寸未知の世界に入って行こうとしているので、その為のコネクションというものも一から築いていかねばならないので、知り合いという知り合いのツテなどを今片端から当たっているところでもある。

そんな事をしていると、果たして自分にそれだけの能力があるのだろうか、とふと考え込んでしまう。

長い事この業界に嫌々住み続けて来たので、自分の能力とか適正とかいうものに対して、甚だしく悲観的になってしまっているワタシが居る。

新たな業界に自分を売り込んでいかねばならないのだから、そんな弱気な事ではいかん、と思うのだけれど、そして自分がこれまで培って来た経験などを総合すると、そんじょそこらのガキンチョらには負けないものを持っている筈だ、とも思うのだけれど、しかしワタシには彼らにある「若さ」や少々の事では挫けない「打たれ強さ」というようなものは、既に無い。

そんなへなちょこな事では、手に入るものも入らないではないか、と自分に渇を入れながら、しかしこのご時世、そう簡単に仕事なんかないだろうなあ、などと弱気になったり、ここ数日そんな事の繰り返しである。



明日は同僚らとまた飲む事になっているので(それも相当珍しい話ではあるが)、余り期待はせず、しかしそれとなく彼らの取って置きの「職探し術」などを聞き出してみたいと思っている。


明日はエクリプスなので、予想外の展開になるやも知れず。期待半分。


2005年04月04日(月) ゆっくりおやすみキャロル

中々逝かないで、未練がましいじいさんだ、なんて悪態を付いているうちに、とうとう逝ってしまいましたね、ポープ(Pope)。日本的には、「教皇またはローマ法王、ヨハネパウロ二世」という人。

「キャロル(Karol Wojtyla)」っていうのが、本名なんですって。可愛い名前。

(そうそう、キャロルと言えば、その昔ワタシは「舘ひろし」という人が好きでしたよ。時代を感じますね。) (きっと彼も今頃は、一寸見ない間にとんでもねぇ相当のじじい年配の方になってるのでしょう。残念ですが、夢が壊れます。)

(あ、ちなみにうちの地方では「キャロル」と読むけれど、多分地元では「カロル」と呼ばれていると思う。波蘭にお住まいの読者の方がいたらお知らせください。)


ワタシ個人的には、ここ暫く続いていた「デス・ワッチ(Death Watches)」に収拾が付いたので、よかったよかった、これで人々は尋常な人間性を取り戻せる、と一安心しているのだけれど、この機会に各メディアでは「カソリック特集」というか「明日のキリスト教特集」というか、何しろ今後のキリスト教会のあり方とかカソリックの課題などに付いて、色々と解説を載せ始めているので、どれワタシもひとつ、 記憶の中で殆ど霞と化している例の「長編小説」の話と共にそれらに目を通し、この件に付いてじっくり考えてみようではないか、などと思っているところである。

ところがこの週末はまたヴォランティアワークをしに出掛けたので、そして今日は久方ぶりにヨガレッスンに行って来てすっかり疲れ果ててしまったので、残念ながら今のところ深いお勉強の時間が取れないでいる。

しかしそうやってワタシがもたもたしているうちに、 モモリーネさんちの日記にこの件が詳しく述べられているので、勝手にご紹介する事にする。とても分かりやすく書かれているので、ワタシなどが口幅ったくあれやこれやとやるより話が早いと思う次第である。

モモさん、もしこれを見ていたら、ブログまがいにリンクしてしまいましたよ!



さて、明日のポープは誰だ?というのが、巷の人々(主にキリスト教徒と宗教学者や政治学者)の話題になっている訳だけれども、それはここ数日内に決定を見て、「黒い煙」から「白い煙」となって知らされるそうなので、請うご期待。

ついでに、ポープの葬式当日にチャールズとカミラが本当に結婚式を挙げる気でいるのかについても、請うご期待。(*と書いた後に、「挙式は九日に延期」というニュースが入って来る。今週忙しいな、チャールズ。)

(八日はちなみにエクリプス(日食)だけど、いいのかな。そもそもこの日を結婚式に選ぶとは、随分呪われたカップルだと思っていたけれど、葬式がこの日なんて、棺桶ひっくり返ったりしそうで、何だか嫌なものを見せられそうな予感である。)



ところでワタシは最近まで知らなかったのだけれど、カソリシズムというのはラテンアメリカとかアフリカなどを中心に、ヨハネパウロ二世時代にまた随分と信者を増やしたのだそうである。

プロテスタントでなくカソリック・・・

それも彼の精力的な巡業の故だろうか。

今や 全世界の17パーセントがカソリック教徒なんですって。そして 全世界のカソリックのうち三分の二は発展途上国の住民ですってよ、奥さん。

ワタシにはどうも、その昔「黒い人」とか言って蔑んでおいて今更何さ、という辺りの矛盾が気になるのだけれども、信者獲得の為にはこの際、細かい事は言っていられないのだろう。何事にも本音と建前というものがあるからね。

それで例えばメキシコ、ブラジル、ナイジェリアなどの有力なカソリック国から次のポープを選出するとなると、それはつまりカソリック教会が所謂「第三世界」問題を重視するという意思表示であり、つまりローマ・カソリック教会は最早欧州だけのものではない、という明確なメッセージにもなる、という話である。

これはEU加盟を目指すトルコなんかにしてみると、中々上手い展開ではないかと思う。何しろ西欧諸国が「人権問題」の所為だとか言って(つまりそれを何とかしたら入れてあげてもいいよと言って)いる脇で、ヴァティカンがしつこく「あれは欧州じゃないから」と言い続けていたお陰で、トルコはいつまでもEUの恩恵に与かれないでいた訳だから、「目の上のたんこぶ」というのはまさにこの事だろう。

(尤も、現代の欧州が言い難い事をヴァティカンがはっきり言ってくれた、という見方もあるかも知れないが。)

もしくは、これまでの例に倣ってイタリア人にポープを戻すとか、西欧や北米から選出する(亜米利加からというのは九分九厘有り得ない話だけれども)とすれば、それはこれらの西洋先進国の人々を「資本主義的物質主義」から解放して「キリスト教的モラル」に立ち戻らせる、という意図と解釈されるそうである。

西欧資本主義の起源とプロテスタンティズムは大いに関連があるので、これはつまりカソリック教会内部から、価値観や理論の再構築により多くの力を注いで行く方針、という意味である。

今後教会としてこの路線を重視するという事になれば、ヨハネパウロ二世時代以上の保守化の波がやって来る訳で、中絶その他の家族計画やらホモセクシュアリティ、安楽死、女性の聖職授任などは何が何でもダメ!という事で、これまで以上に活発な反対運動なども行われるかも知れない。

(ならばオーソリティ溢れる神父様が、いたいけな少年たちを次々と犯して来た事実は、どう説明してくれるのでしょうね。)

まああとは、年齢の問題が上げられていて、例えばヨハネパウロ二世の様に若いうちから教皇にしてしまうと、長々とその地位に居座られてしまうので、次はもう少し「じじい」にしたいという意向があるらしい。そうすると七十代半ば以降というのが好ましいそうで(何だか嫌な言い方だな・・・)、それ以下のは却下という事になる。

しかしまた、それと同じくらい若返りを望む声もあるそうで、この辺りは教会がどういった問題に焦点を当てていくかに掛かって来るのだろう。



そういった諸事情を考慮に入れると数人の候補が居るそうだけれども、しかしこれだけ政治的なポープの後釜は、中々見当たらないだろうよと思う。一宗教人がこれだけ政治に口を挟んで、彼是と意見を言って来た例は、他にそうないだろう。

尤も世の中には、一宗教人がアンスラックスなんかを作り出して、地下鉄にばら撒いたりなんかする例もある。これはまあ「テロリスト行為」であって、「政治行為」とは言わないのだけれど。

そう、参加すれば良いのにね。自ら意見を表明する事で、一宗教人だって政治に参加する事が出来るのだから。(・・・そういえば、一応参加してましたね。)

そういう意味では、ヨハネパウロ二世という人は、宗教人というより「政治人」と呼んで良いだろう。実際自分とこの信徒が過去に犯したミステイクをちゃんと認めたりして、筋は通したところもあるのだから、中々侮れないじいさんであった事は確かである。

また彼方此方へ出掛けて若者たちと関わるのが好きだったとの事だけれど、それも不届きな神父様のようなのとは違って、若かりし頃の自らの地下組織的宗教団での経験を重ね合わせての事だろう(と信じる事にする)から、辛い戦争体験を潜り抜けた心根の若いじいさんならではの所業とも言えるだろう。

またそれは、彼方此方から苛められ続けた波蘭人ならではの、この人の政治信条の所以でもあるだろう。



兎に角、貴方の時代は一先ず終わったから、ゆっくり静かにおやすみキャロル。

後の事は若い者に任しとき。


2005年04月02日(土) Death Watches

昨日の日記で死人の話を書いたけれど、今うちの界隈で一番の話題と言ったら、「尊厳死問題」もしくは「デス・ワッチ(Death Watches)」ではないかと思う。(後者はつまり、人々が死ぬのを今か今かと皆して眺めている様子の事で、皮肉である。)

この時点で既に亡くなった方の「尊厳死問題」については、先日イースター休暇の際「ホームステイ」させて貰った家でも関心の的で、暇があると仮父はテレビに見入っていた。そこから話が発展して、仮父のつい最近亡くなったお父さんの話だとか、もう数年前に膝の怪我が元で病院送りになってそのままそこで死ぬ羽目になったうちの祖父の話だとかに発展して、「死」とか「死に方」についての話で大いに盛り上がったくらいである。

保守的なキリスト教徒の多いこの国では、恐らく何処へ行っても、皆様々な感情を持ってこの事件に注目しているのだろうと思う。

ちなみに「保守的」と一口に言うけれど、これは直ちに「カソリック」という意味ではなくて、「プロテスタント」の宗派のうち特に保守的なのを含むという意味である。元々この国にはカソリックは少なくて、「**正教」と呼ばれる、所謂オーソドックス・キリスト教徒も幾派かいるが、主なところはプロテスタント各宗派である。


ところで、テリー・シャイボ(Terri Schiavo)さんと言うんですって、例の十五年間だか植物人間状態で、フロリダのホスピスで暮らしていた女性は。

ここ数日話題は見聞きしていたけど、まさかこれほどの大騒ぎになるとは思わなかったから、名前なんか覚えてなかった。ワタシがいかに信仰の徒でないかという事が、益々はっきりする。

なんでも、彼女には心臓発作だかの後遺症で脳にダメージがあって、目は開いてるけど意思表示は出来ない状態だったそうな。そこのところが、非常に微妙な点である。

ひょっとしてこのニュースで盛り上がっていない地域にお住まいの読者の皆様の為に掻い摘んでご説明すると、要するにダンナが、彼女はこのような状態でいつまでも生きている事を望んでいない筈だと言って、延命装置を外してくれと再三言ったのだけど、彼女の両親はそれは殺人行為だと言って、長い事裁判で争って来た。これまでにも、その裁判の結果によって二回くらい装置が外されたのだけど、その後知事の介入などですぐに判決が覆ってまた装置を付けたので、彼女の生命機能は止まらないでこれまで生き永らえていた。

つまり、非常に個人的な事柄の決定に行政が介入している、という訳である。

今回は連邦議会が週末返上で新法を制定してまで食い止めようとしたのだけれど、それを州裁判所が跳ね除け、両親の救済措置申し立ても連邦控訴裁判所や最高裁判所が棄却して、装置を付けたり外したりという混乱から免れた彼女は漸く永遠の眠りに付いたという訳である。

全く部外者のワタシからすると、ああやっとこれで落ち着けるね、テリちゃん、ご苦労さん、と声を掛けてやりたいところである。


ところでフロリダ州というのは、その暖かい気候の所為で、老人人口が大変に多い州である。

彼らは州全域に生息しているけれど、例えばディトナビーチなんてのは、春休みに北部の大学生が大挙して訪れて羽目を外す事で知られるけれども、その時期を外すと老人ばかりが徘徊していて、ある意味目のやり場に困ったりするところである。

当然死人も日常的に出るし、尊厳死というのにも関心が高い地域である。

ここでは、例のキリスト教原理主義者である大統領の実の弟が州知事をやっている。ジェブと言うのだけど、彼は上手い事ヒスパニックの奥さんを見つけて、大票田のフロリダ州に多いキューバ系移民の票獲得の準備も万端にして移り住んだ。

彼はここの州裁判所に圧力をかけたりして、何とかして延命装置を外す許可を出さないようにと働きかけたのだけれど、た・ま・た・ま現職の州裁判所の判事がリベラルな人だったから、今回の件では夫側の主張を採用して、尊厳死を認める判決を出した。

この国は両端の州(沿岸州)は比較的リベラルだから、もしこういう状況でホスピスに入る事になるなら、それを心得ておくのも良いだろう。尤も前回の選挙では、民主党は北東部沿岸州と加州くらいしか取れなかったし、フロリダはジェブのお陰で又もや接戦だったのだから、今回のフロリダの判決はかなり「ラッキー」だったと言って良いと思う。
 
そういう意味では、ジェブ・ブッシュまたはブッシュ家にとって、フロリダは票田がでかい上、保守とリベラルがギリギリで競っていて、加州や紐育州などと比べると比較的リベラル度が低いから取りやすいという事情もあり、これは早い段階で是非押さえておかねばという算段だった事が伺える。

こうして見ると、国内政治とは正に「陣取りゲーム」のようなもの。槍や鉄砲が飛んで来ないだけ、国際政治よりまだやり易い。


まあそういう訳で、もっと保守的な裁判官を雇う事にしようなんて声が上がっている。議会も大統領もノーと言ったのに、それに従わない州判事って生意気!などと憤っている議員もいる。

(司法は行政や立法機関から独立している筈なのに・・・)

この国は、元々そういう憲法に基づく建前に非常に忠実な国なので、今回の件は本当に異例中の異例である。

しかしここには合衆国憲法の第十四修正条項である「人民の基本的人権に関する宣言」というのがあって、これにより合衆国政府は他の人民や政府機関による不当な行動による人民の人権侵害(ここでは生きる権利の侵害)を阻止しなければならない事になっているとして、一連の介入を正当化する理由として使われている。

それで、大半が保守的な全米のお茶の間の皆さんは、この様子を大いに関心を持って見守っているという訳である。

(普段はあんなに時事に無関心な癖に・・・)

宗教が絡むと、この国はこれだけ動くのだという事を、またしても認識させられる。



はっきりしないなら人命を優先すべき、という主張は一件尤もらしいのだけれど、そうすると宗教が抱える矛盾に辿り着く。西洋医学なんてのは実際、宗教倫理と真っ向から対立するのではないかと思う。何しろその昔、欧州の「大学」という神学に基づく学び舎にて医学を学んだ人々は、女性の身体を診るのに目隠しや覆い等をしていたというし、十九世紀辺りまで精神医学は解明されず「異端」とか「魔女」とか言って犯罪者と一緒に括られていたのだから。

「科学」という新発見がこの世にもたらした大いなる功績。そしてそれ無しに、この世が葬ってきた人々の数。

これは現代の欧州社会では、恐らく過去の反省を活かして人類を前へ進めていこうという姿勢があるようだけれども、亜米利加社会ではどういう訳か逆行の途にあるようである。

「神」というものは人間に対して「地に満ちよ、地を従えよ、〜 全ての生き物を治めよ(Be fruitful, and multiply, and replenish the earth, and subdue it: and have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over every living thing that moveth upon the earth. Genesis 28. King James Version, Holy Bible. 1962.)」と言って、まるで神に準じる万能のもののごとくに人間を造った、そうである。

(人間はしかし、「天地創造」や動植物創造の後、一番最後に作られた創造物だというのに、その癖その他全部を治めるというのは、順番的にどうも納得が行かないのだけれど、その辺りはキリスト教徒の皆さんには気にならないのだろうか。)

(ちなみにワタシがこの間訪れた町では、ダーウィンさまの「進化論」については、学校でも家庭教育(学校にやらずに家で教える方式)でも教えていないらしいので、つまりワタシたちは甚だしく異なる世界観を持つという事である。)(コドモの多い家庭に「ホームステイ」しないで済んで、本当に良かった。ワタシの事だから、つい「裏の世界」をバラしてしまうところであった。)

そういう存在だから、生きられるなら何時まででも生きるのが良い、という事なのだろうか。

いや、でもその生命の有限性というのはまさしく人間ならではのもので、つまり「神」では無いのだから、何時までも生きている訳にはいかないだろう。脳にダメージが出来て自らの身の回りの世話が出来ないとか意思を伝える事が出来ないというような状況になって、それでも「生きている」というのか。何を持って「生きている」とするのか、これは個人の定義次第だろうと思う。

しかし誰がそれを決定するのか。ある人々はそれは「神」だと言い、その存在を信じない人々は、我々「自ら」にそれを決定する権利があると言う。

ここまでは非常に亜米利加的展開。

しかし今回の件は、「自ら」がその手段を持たないので、何故か「政府」がそれに介入し決定すべきだという話になり、しかし「司法」はその介入を不当と判断した。

亜米利加的結末をみて、ワタシは暫しほっとする。



先だっての大統領選挙で論点になったのは、実は戦争でもテロリズムでもなくて、同性愛者の婚姻とか人口妊娠中絶とかいった、所謂宗教的価値観と対立する話題である。思いの外多くの亜米利加人が、これらの問題にゴーサインを出す心の準備が出来ていなかった訳である。

そして此処へ着て、また尊厳死というデリケートな問題が持ち上がってきた。メディアや議会での動きなどを見ると、この話はまだまだ始まったばかりという感がある。


ワタシが死ぬ頃には、お上にとやかく言わたりせず、穏やかに死にたいものだと思う。



きっとポープも、静かに死なしてくれと思っているかも・・・ これも尊厳死問題か。

それにしても、彼は中々逝かないね。余程この世に未練があるのか。そんなに持たせて、これだけ人々が待ちかねていたら、却って逝き難いんじゃないかと思うのだけど。


2005年04月01日(金) 死者続出のイースター明け

このところ、人がよく死ぬ。

イースター休暇から帰ってきたら、かつてお世話になった教授の一人息子が無くなったという知らせが届く。

どうやらイースターの日曜、ベッドで寝たまま心臓発作だかで逝ってしまったらしく、そしてまた一人息子という事で、余りの突然の出来事に家族は言葉も無く、途方に暮れているとの事であった。

一人息子といっても、彼には他に娘さんたちがいるのだけど、やはり文化によっては男の子の方が女の子より重宝される訳で、「彼のたった一人の息子が」というくだりを読むとなんとも居心地悪いが、致し方無い。

だって、ねえ、ワタシなんて正真正銘の一人娘なのだから。

幾つも兄弟がいる家と比べたら、理論的には両親はさぞ落胆するだろうという事になるのだけれど、こう離れて暮らして音信も無く過ごす日々を何年も続けていると、多分ワタシなんかがある日異国の地でぽっくり逝っても、誰も悲しいなんて思わないだろうという気がする。それはそれで哀しい事である。

それでお花代というのか、まあ幾らか集めようかなどと仲間内で相談しているうちに、今度は別の教授のダンナさんが無くなったという知らせが届く。この先生とは直接関わりが無かったので、個人的にはどうでもいいやと思うが、タイミングの良さに一寸驚く。

そうしているうち、今度は卒業生でどこぞの大学で教鞭を取っていた某氏が亡くなったという知らせが届く。これもワタシは直接知らないので、氏のバイオグラフィを読みながらへえと感心して終わる。


こう続いてくると、次はいよいよヴァティカンのポープ(Pope)かなという気がしてくるのだけど、縁起でもないですか。

いや、反キリスト教だから言う訳ではないけれど、ニュースを読んでいると、彼も今回ばかりは無理だろうという気がしてくる。

尤も老人だから、一寸した事で風邪とか肺炎とか感染症とかを起しやすいし、それが元で逝ってしまうというケースは多いのだけど、彼ももう充分それらの様々な症状に耐えてここ数日やって来たようだから、もうそろそろかと・・・


しかし老人は兎も角、若者で、身体が彼方此方悪くて入院だ手術だとやっていた親よりもっと早く、突然に逝ってしまった息子というのは、確かに残念だわな。


という事で、ワタシたちはご子息の遺志を尊重して、お花の代わりに、彼が携わっていた南アフリカのHIV・エイズの遺児を集めて世話しているホスピスに寄付する事にした。

「お花代」と言って集めていた頃より、「寄付」と言った後の方がより多くのお金が集まったというのは、ワタシ自身も含めて、よく存じ上げなかった故人を偲ぶよりはいい事をしたいって人、多いのねと思う。


昨日翌日
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