Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2008年03月26日(水)  Preserving the old ways from being abused

訳したばかりのYMOの'Citizens Of Science'をiPodで聴きつつおもてを歩く。外で聴くと妙に古臭い。1980年リリースだからではなく、当時の最先端の無機質さを描き出そうとした曲だからなんだろう。2008年の東京の風景の中で聴くと、その違和感が際立つ。
ビートルズが古臭くならないのはそこだろうなとも思う。彼らは実は時事ネタを扱う時でも、普遍的な事柄になぞらえて歌ったから。ビートルズが古びてしまうことなんかあるんだろうか。それともやはり既に、若いイギリス人の感覚からしたら、日本人の私には感じ取れない微妙さにおいて古臭いんだろうか。
ふと、同じイギリスのキンクスを思い浮かべる。・・・キンクスが新しかったことなんてあるんだろうかw

夜は2週間ぶりにYO(b)の授業があり。後の授業がないからお酒を出してあげたりして。
私はこの子を今後どう扱うかさっぱり考えてないな。ま、いっかw

Preserving the old ways from being abused (古いやり方が損なわれぬようにしている)  *The Village Green Preservation Society / Kinks (1968) の歌詞。



2008年03月25日(火)  Memories should always match the video tape.

昨日、メールで翻訳のリクエストが来ていたYMOの'Citizens Of Science'を一気に訳してサイトにアップしたら、今日リクエストをくれた方からメールが来て、「翻訳とっても、分かりやすいです」とのこと。
「わかりやすい」と言われるのは何より嬉しい。英語の歌詞はフィーリングだから意味不明で当然と思い込んでいる人が多いが、それは多くの場合翻訳が雑なのだ。
以前レッチリを訳した時に、「歌詞カードの訳を見て何だかわからなかったけど、Bunnyの訳を読んですっきりした」とママ(友だち)に言われて嬉しかったなあ。

CBSのニュースがヒラリー・クリントンを攻撃している。彼女が演説で、1996年にボスニアを訪れた際に「飛行機を降りるなり狙撃された。空港での歓迎セレモニーも中止になって、頭を低くして車まで走った」と述べたことが、全くの間違いであったからだ。CBSは当時のニュース映像を執拗に流し、クリントンが無事に飛行機を降りて、歓迎セレモニーを受けた様子を見せる。
クリントンは以前からそうしていたように、自分はオバマと違って外交経験が豊富であると強調したかったらしいが。記憶違いと誇張が重なったのか、逆に失点をこうむったわけだ。・・・ああ、この人はなんて軽率で調子に乗りやすいんだろう。かつての自分を見ているようで胸が痛む。プライドが高いから、こういう反論のしようのない失敗に彼女がどれだけ打ちのめされていることか。それを、これでもかと「映像」で間違いを証明してみせるニュース。明らかに非難と揶揄を含んだキャスターの言葉。「事実を報道する義務がある」という大義名分のもとに、人が人にこんなことをしていいのかよという気にすらなる。
それにしても。CNNによれば、このオバマとクリントンの泥仕合(主にクリントンが煽っているとは思うが)のせいで、両候補の支持者たちの多数が、もし支持候補者が民主党代表に指名されなかった場合、共和党のジョン・マッケインに投票すると言っているというのだ。今回の選挙は実質上、民主党代表選出イコール大統領決定かと思っていたら、思わぬ「漁夫の利」になりそうな気配が出てきた。―――そんなことになったら、せっかくのマイノリティー対決がぶち壊しだ。

Memories should always match the video tape. (記憶は常に映像と一致すべきだ) *CBSニュースの、傲慢極まりない結びの台詞。



2008年03月24日(月)  The Return of the Black Widowers

二日前にアーサー・C・クラークの訃報に接した。これで、SFのビッグスリーが全員逝ってしまった。ひとつの時代が終わった気がする。

あとは、ファンタジイ方面で、ブラッドベリという大物がいる。現在87歳で、今でも作品を発表し続けている。
SF以外なら、サリンジャーが89歳だ。だが彼はもう半世紀近く書いていない。
ブラッドベリは、1988年頃から作風が変わった気がして、それ以降のものを殆ど読んでいなかったが。やはり今のうちに残りも読んでおこう。生きて執筆しているうちに読むのが、礼儀だという気がしないでもないから。

今はアシモフの'The Return of the Black Widowers'を読んでいる。彼の死後11年を経た2003年に出た、「黒後家蜘蛛の会」シリーズの第6巻にあたり、最後の6作と第5巻までのベスト11作から成る。これの日本語訳は未だに出る気配がないので、今回原書を購入した。
まずはベスト作から読んでみたが、最初の一作が、シリーズ一作目である'The Acquisitive Chuckle'(邦題=「会心の笑い」)だった。あの忘れえぬ台詞――"If any man in all the world knows that chuckle and can recognize it, even behind a closed door, that man is myself. I cannot be mistaken."(世界中で、例え閉じたドアの向こう側からでも、あの笑いの意味を聞き取れる人間がいるとしたら、それは私自身だ。間違えようがない)を読んでぞくぞくする。いやあ、もうこの作品、日本語で何度読んだかわからないというのに。(ちなみに私が同じ本を再読することはまずない。サリンジャー、アシモフ、フレドリック・ブラウンくらいだ)
ラストのヘンリーの決め台詞は――もうすっかり暗記しているにも関わらず、やはりまたじーーーーんとなる。
「黒後家蜘蛛の会」――知識と教養の饗宴でありながら、予定調和的な規律のある娯楽作品――を読むのは、この世に生きていて最高の愉悦だと思う。ねえ、元ダンナ?

The Return of the Black Widowers (「黒後家蜘蛛の会」再び)  *アイザック・アシモフの著書。(2003)



2008年03月23日(日)  Wrong Girl

22時に南阿佐ヶ谷のBROCKへ。SC(p)と飲む。昨夜久々にBITCHでばったり会い、今日はBROCKに行くとメールが来たので、来てみたのだ。
着いたらマスター(g)と二人でセッションの最中。SCがベースを弾いていた。で、私もしばらく飲んでから、二人と合わせて遊んだ。SCが好きなビートルズを歌う。何とSC、'Abbey Road'のアルバムを、曲順通りに次々と弾きだす。おお、そんなん出来る人(しかもべーシストでもないのに)なかなかいないぞ。
―――帝王さま(b)ならきっと出来るなw

ロックは全く知らないという女性客が、「オノ・ヨーコって、(日本の火サスのような)TVドラマでいつも怖い役ばかりやっている」と言い出したので、全員でそれは誰か別のヨーコだと諭すが、絶対にそうだと言う。オノ・ヨーコがジョン・レノンの妻だから有名ということも知らなかったと言いつつ、そう言い張るのだ。
―――とはいえ。酔っ払いのタワゴトを「絶対ない」と皆ではねつけてみたら、実は合っていたという経験もあるので。
3時半に帰宅後、一応Wikipediaで確認はしてみましたw

Wrong Girl (別の女だよ)  *Jane's Addiction の曲。(2003)



2008年03月22日(土)  Or try not to neglect you

21時に西荻でMickey(アイルランド人)と会う、筈が。15分遅刻。あちらは20分前に着いたってメール来てたし。

西荻ロックバーBへ。隣にいたほっそりした女性客(クミコちゃん)に「Bunnyさんですか? 一度お話したかったんです」と話しかけられる。うわあ嬉しい。いい気になって名刺をお渡し。

ところでMickeyに会うのは何と15ヶ月ぶりにして二度目。新宿ロックバーMで会って、一緒に新宿ロックバーCに移動して放置しただけだから、殆ど話もしていない。だけどメールだけはよく来ていて、何度か飲みに誘われては断っていたのだ。
「君の彼氏どうした?」と訊かれて一瞬きょとんとなる。あの時一緒だったNobu(b)のことかと思い出し、「あれは彼氏じゃない。うちの元べーシスト」と答える。あの日はNobuのことも完全にカウンターに放置して、私は一人フロアで踊ったり他の客と話したりしていたっけ。彼氏だったらあんなにほったらかしたりしないわよ・・・と言いかけ、いやCでなら実際したことあるなと思い出す。
15ヶ月も会っていないので―――というか会った翌日にはもう顔を忘れていた(&ブサイクかと思っていた)Mickeyだが。久々に会ったら結構好印象で。ロックにかなり詳しいし、真面目だわで、いいひとって感じだ。

で、そのいいひとに有り金はたかして飲んじゃった。(本当に財布がカラになったので、電車賃を200円あげたし) これに懲りてもう連絡ないかと思いきや、明け方には「今日は有難う」と次回デートのお誘いメールが。・・・いいひとだなあ。
・・・今日会ったのは、久々に英会話がしたかったから、なんて言えないよなあ。

Or try not to neglect you (彼氏なら放置しないわ)  *Locomotive / Guns N' Roses (1991) の歌詞。



2008年03月19日(水)  Complete the motion if you stumble

振替授業のため新宿のカフェへ向かいつつ、iPodでレッド・ホット・チリ・ペッパーズのハイドパークのライヴを聴く。耳がいかれてもいいわ、ってなフルボリュームで。
'Can't Stop'を聴いていて、初めて気づく。この曲のギターって、イントロでのキメのフレーズを一瞬弾いてしまえば、あとは何をしててもいいんじゃないか。後は全部、ベースとボーカルがきっちりと基本のメロをやってくれる。メロディ展開は単純な曲なのだ。実際ライヴにおけるジョンは、口をあいて放心して腰をふって、好きに弾いているように見える。
レッチリというバンドは4人(しかもボーカルが楽器を持たない)なのに、ライヴでもサポートを加えない。(これはものすごく評価する。ロックバンドで、ステージ上に妙にサポート要員が多いとウンザリする) だからスカスカになっても不思議はないのに、4人でおそろしくしっかりと空間を埋める。普通こういう場合、「足りないけどそこがまたいい」という感じになりがちなのに、「足りなく」ないのだ。

チャドが完璧な仕事をしているというのもある。レッチリを聴けば聴くほど、チャドの貢献度を感じる。呆れるほどの技術を持ちながら決して余計なことをしないこのドラマーは、「構築」という言葉を思わせるがっしりとした音を叩きだす。そしてリスナーの期待する決め所は絶対に抜かない。
しかし一番コアに感じるのは、アンソニーフリーの二人の「律儀さ」だ。特にアンソニーは、ライヴにおいて(前もって変更したところ以外は)殆どアドリブをしない。メロはおろか歌詞も変えない。
'Can't Stop'でさえそうなのだ。スタジオでジャムっているうちに出来たというあの曲は、アンソニー本人が言っている通り、まったく歌詞に脈絡がない。一行ごとにばらばらだ。だからあの歌詞をその通り歌うのは、他の曲に比べてかなり大変なのだが、それでもアンソニーは何とか毎回再現してくれる。

比較するのも間違いかもしれないが。例えばレッド・ツェッペリンのライヴにおけるロバート・プラントのボーカルラインの肩すかしっぷりを思えば、アンソニーの、リスナーの聴きたいものを再現しようとする誠実さは、胸を打つものがある。
同様に、バンドで一番の個性を持ちながら、一曲一曲の構成をメロディを少しも適当に流さず大事に演奏しようとするフリーの真面目な努力。このへんが、しっかりとファンを熱くするんだと思う。

そして、安心して好きに遊び暴れるジョン。幸せなギタリストだなあ。

そしてそれを聴ける私たち。幸せです。ありがとう。

Complete the motion if you stumble (つまずく時でさえそれを最後まできちんとやり通せ)  *Cant' Stop / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。



2008年03月17日(月)  The Stars My Destination

アルフレッド・ベスターの短編集、「ピー・アイ・マン」読了。ベスターは「虎よ、虎よ!」で有名な作家としか知らなかったが。この絶版本をヤフオクで入手して読んでみた。
―――文章はこんな具合。
「みごとに放送しているあらゆるもの。電磁気スペクトルを上下して。紫外線からは見えずに赤外部へは強引に割りこむ。悲鳴を上げる超短波。力づよいアルファ、ベータ、ガンマ放射作用。そして行き当たりばったりに、かつは気楽に、ぼーうーがーいする電磁波妨害物。ぼくはいま心安らかだ。イエス・キリストよ! 心安らかな瞬間さえ知っているとは!」
―――私はとても心安らかではない。そしてこれは散文詩ではなく「小説」なのだ。
久々に、体力を要する小説に出会った。いや、最近私がそういうものを避けていただけなんだけど。
全くSFというジャンルも、「ロック」と同じくらい幅広い。実際SFの細かいジャンルには「ニュー・ウェーヴ」も「(サイバー)パンク」もある。何なら「(スペース)オペラ」や「バロック」も。

ラストの「昔を今になすよしもがな」という作品。世界最後の女(自分が世界最後の人間だと思っていた)が世界最後の男を車で轢きかけて、交通法規を無視するなと怒鳴りつける。男は、TV修理屋を探す為に、女を置いて南へ行きたがる。
―――やっぱりこれは詩だな。何かが決定的にうつくしく欠落している。暗く笑ってすませられないものがある。

小説を読むという行為がどれだけ深いものか、今一体どれくらいの割合の人間が理解―――いや、想像すら出来るのだろう。
そして私は自分をその行為の熟達者だなどと間違っても思っていない。私は最低レベルの筈だ。この程度には達していないと話にならない。
私は未だに眼が開いておらず、ロバート・シェクリイの奇妙なロマンスにぼんやりと感動する。

The Stars My Destination (私の行く手にある輝くものたち)  *アルフレッド・ベスターの著書。(邦題=「虎よ、虎よ!」)(1956)  *本来の意味は「僕の目的地である星々」



2008年03月14日(金)  おまえはおまえの責任で食え。俺だって辛いんだと、全力でヘタレを言え。

奥田民生を好きかと訊かれれば、かなり微妙ではある。いや、実は一度この日記でけなしてすらいる。
日本でトップクラスのアーティストであることは間違いない。しかし同時に日本のロックのレベルが英米と比べて相当に低いという事実もある。――――いや、事実だってば。ここで自分の好きなバンドを思い浮かべて反論したってしょうがないだろう。自分がどれだけ心酔出来るかと、「レベル」は違う。そもそもロックは欧米で生まれ育ち、日本では歴史も土壌もないのだ。一方、日本人なら、日本語で日本人のことを歌うロックがぐっと来るのは当たり前だ。ところが日本人感覚に共感する奴に限って、「ロックに歌詞は関係ない」とか言って、洋楽も理解しきっているような顔をする。「言葉」は興味があろうがなかろうが脳が一番素早く理解する要素であって、それを無視するのは無理だ。だから英語が苦手なら――いや例え英語が堪能であっても、日本語の歌は日本人の心にしみやすい。

そして時々日本のミュージシャンは自分のかっこ悪さを前面に押し出したりする。欧米には殆ど見られないことだ。奥田民生もその一人で、私だったらあの格好で煙草を買いに出るのも真っ平だと思う服装でステージに上がる。

で、この、映像である*該当ライヴの映像が削除されてしまいましたが、要は[Live Beautiful Songs」のバージョンです。他のライヴだと感動しません。 これを見つけたのは去年で、矢野顕子の検索で引っかかったのだ。(「ラーメン食べたい」は矢野の曲)
―――――いやあ。泣いたわw
勿論これは、天才矢野のつくった曲の底力が大きい。よく出来た曲というのは、誰が歌っても絶対に真価を損なわない。負けないのだ。だからこそ、全てのカヴァーは、「本人に勝つ」という気概を持ってやらねばならない。甘っちょろい「リスペクト」(おおこの「日本語」大っ嫌い)なんかしちゃいかんのだ。俺のものにしてやるという気持ちこそが、曲に対する愛である。

今夜、3/10の日記のタイトルに「ラーメン食べたい」の歌詞を使い、曲をYouTubeで聴こうとして、久々にこの映像に出会う。またもじーーーんとくる。
・・・ああまったくこのダサいナリ。1980年頃の田舎の高校生じゃあるまいし。ストレートなギターはいいが、それとは裏腹に上っ面に搾り出すような発声が好きになれない。だけど。
女も辛いけど、男も辛いのよ」―――いやあ。ここ。ここ、いいなあ。何回聴いても涙ぐむなあ。
元の歌詞は「男も辛いけど、女も辛いのよ」で、ここがこの歌の最大の山場である。そこまでずっと、ただラーメン食うだけのことを微細に語ってきて、このサビになるや突然、「辛いんだ」と言うのだ。ただし矢野は、全て悟りきった母性的な女のやさしさでそれを言う。
そこを奥田民生は――このダメなヘタレは――「俺だって辛いんだってばよぉ」と全力で音(ね)を上げてみせるのだ。
女はそうこられると弱いんだよ。
汚い奴だな、と思う。そういえば昔ユニコーンの「大迷惑」を初めて聴いた時もそう思った。私はあの手のバンドを大概軽視していたんだけど。あの曲がコンビニでかかって、おちゃらけたAメロの後のサビで、急に切ないメロに乗せて「この悲しみをどうすりゃいいの」と来た時、「・・・きったねえ」と言ったのを覚えている。こんなことをやられたら、ぐっときちゃうに決まってるだろう、って。言葉の意味の問題ではなく(いずれもたいした言葉ではない)、それを曲としてどう差し出すかだ。
同じことを、ブルーハーツの「人にやさしく」の出だし「気が狂いそう」を聴いた時にも思った。説明しない、捨て身の凄さを感じた。

やっぱ、ニホンゴの歌はいいわ。
(3/16up)

おまえはおまえの責任で食え。俺だって辛いんだと、全力でヘタレを言え。 (この日3/14の夜に、この日記の冒頭部分に上の映像のリンクだけを張って、そこに私が書いた言葉)



2008年03月13日(木)  Come again get me excited

'By The Way'はおそろしくよく出来た曲だと思う。軽く間をおいてから、'Heavy glow'と歌う時のぞっとするような快感。アンソニーの声はこの曲が一番合っていると思う。そういう意味なら、この曲のギターとボーカルは同じ楽器のように聞こえる。いや、リズム隊の絶妙な抑え加減もあって、全てが一定に聞こえる。
全体で5回繰り返されるサビは、毎回わずかずつ顔を変え、そのたびに新たな意味を加える。おかげでクライマックスとなる4回目のそれはもう感動以外の何ものでもなくて、そこで初めて出てくる言葉"I KNOW YOU"で頂点に達する。「繰り返す」ということの意味がこんなにある曲も滅多にない。全く遊びがない。
・・・って言ってたら、乗っていた電車が荻窪を飛ばしていくのに気づいて驚愕。・・・やべえ、またiPodで'By The Way'(アルバム)聴いてて、電車乗り越しちゃったわ。何コレ特快? 一体どこまで行くの??
・・・ま、'By The Way'があるなら何だっていいか。

結局三鷹で停まったので、西荻まで戻る。BITCHのドアの前に立って、フルボリュームの'Can't Stop'を最後まで聴いてから、中に入る。

Come again get me excited (おかげでまた我を忘れちゃったわ)  *Don't Forget Me / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。  *アルバム'By The Way'より。



2008年03月11日(火)  You dont have to put on the red light. Those days are over

ABCのニュースによると、アムステルダムのレッドライト地区が、浄化されつつあるらしい。あの有名な飾り窓の多くが、ブティックのショーウィンドウになってしまったとか。昨年、大手売春宿のオーナーが事業全体を売却したのがきっかけではあるらしいが。

狭い通りにずらりと並んだ飾り窓。つまりガラス張りの部屋。中には一人、まれに二人の下着姿の女が、通行人に流し目を送っている。ガラスにその裸身を押しつけて、手招きするのもいる。客がついた部屋は、カーテンを下ろす。暗い夜に、赤いライト。
あれを実際に見られたのは良かった。観光客も女も一人も歩いていないブラック・ゾーン。そこを、コーヒーショップ(マリファナを吸わせる店)の店員に案内させて歩きまわったのは、かなりの得がたい体験だった。2002年にロンドンへ2週間旅行した際、ふと思いついてアムスに一泊旅行した時の話。

「あれ」は私には出来ない。からだを売ることは簡単かもしれないが、あの、ずらりと陳列された中の一人になるのは無理だ。
しかし「あれ」は、私に何とも鮮烈な印象を残した。

2005年に、私に溺れていく彼氏を見て、これを書いた

私は何というか単純に、あれが無くなってほしくない。レッドライト地区は、その実情と裏腹に、見ていて美しかった。「悪徳」という言葉――私が心から嫌悪する日本のお笑いじみた風俗産業には絶対に存在しない美しい言葉が、とても似合った。
あれがなくなるのは、私にとっては、何か綺麗な生き物が絶滅するようだ。

You dont have to put on the red light. Those days are over (もうレッドライトはつけなくていい。状況は変わったんだ)  *Roxanne / Police (1978) の歌詞。



2008年03月05日(水)  Whisper secrets for me

この頃、眠くなることが多くて。おおどうしたんだ私。で、4日前にまるちゃんに音源を送ってもらったスマッシング・パンプキンズの'Adore'(正規アルバムでこれだけ持っていなかった)を聴くたびに、PCの前でうとうとしてしまう。1曲目の'To Sheila'がいけないんだろうな。催眠剤のような弛緩作用がある。

これでは全然曲が聴けないじゃないか。ということで、今日はiPodに入れて街に持ち出す。するとこれが、見事なくらい外の風景を変える。というか、さえぎる。
以前この日記に、「スマッシング・パンプキンズが個人の耳元で囁き、キンクスが生まれた街の中だけを歩き、レッチリが共感できる限られた仲間達に呼びかける時、R.E.M.は哲学の美学の観念をもって世界を見渡す」という文章を書いたが。
あれからしばらくたった今も、やはりスマッシング・パンプキンズは、私一人、私一人だけに歌いかけているように感じる。だから私を、街の中でこうやって切り離す。
こういうバンドは、最初から決して「ビッグネーム」にはなれないのだ。売上枚数や動員数がどうであろうが。

私だけに直接呼びかけ、意識をぼやけさせたり、浮き上がらせたりする。

Whisper secrets for me (私だけに囁いて)  *Pug / Smashing Pumpkins (1998) の歌詞。



2008年03月02日(日)  Eureka!

見つけた。5年も探していた映像。有難うYouTube。
1990年、Pinkpop、ブラック・クロウズ
5年前に哲(b)が一度うちに持って来てくれたブートビデオ。あまりのかっこ良さに痺れ、彼と別れた後にも見たくなったが、何年のどこの映像だかわからず入手出来ずにいたのだ。それがようやくわかった。
カカシ並に痩せたクリス(vo)、王子様みたいなリッチ(g)、イジーを思わせる渋いジェフ(g)、くるくる可愛く動き回るジョニー(b)。(ドラマー太ってるんでコメントないっす)

さて、ようやくどの映像だかわかったが。
・・・現物が探せない。ネットであちらこちらのブート屋のリストを見るが扱っていない。西新宿エ○ーズにはさすがに置いていたが、画質がプロショットのBクラス(やや悪)。
誰か、プロショットのAクラス探してえ!!!

Eureka! (見つけた!)  *アルキメデスが金の純度を測る方法を発見した時の言葉。



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