最近(という言葉はものすごく広い)少し面白からぬことがありまして、標題の件について色々と考える機会がありました。上のグループには場合によっては『悩み相談』とか『警告』まで含まれます。よくありすぎて当事者以外には退屈な話です。
誰かについて裏でひそひそ囁くのが卑怯である理由は、基本的にこの行為が抵抗できない攻撃であるからです。それと同時に、大きな目で見れば周囲の信頼関係を犠牲にして効果を上げているからでもあります。流言は感染するし、陰口を叩いても当然であるような空気は集団そのものを陰湿にします。これが拡大していけば最終的に、往古のソ連のような密告社会になるわけです。表に出せないような物件が増えれば増えるほど、人も社会も発展するはずがありません。
とは言え、逃げ出せない人間関係の中で、宿命的にそういう陰湿な害毒と付き合ってきた日本人の遺伝子には、害に対抗するための知恵も多分に含まれているようです。ここで言う知恵とは、小学校の道徳の教科書に載っているような陳腐な建前のことだと思ってください。『建前を大事にしなさい 陳腐でも正しいことを建前と言うのだから』と、これはこないだ読んだマンガから引っ張った台詞です。
陰口をやっている当人は、普通悪いことをしているとは考えません。内実は色々ですが、自分が不当な目に遭わされていると思い、自分にとっての正義を回復しようと思うからこそ人を非難します。それが一方的で不適切な考え方だと思ったら、そもそも他人に言うはずがありません。誰にとっても、自分自身が信じていることが当たり前のことです。自分の価値観や正義を信じること自体は、悪いことではありません。そのために何をしてもいいとは、決して申しませんが。
ついこの間出した結論を繰り返します。敵対するということは、人間関係がたどり着く形の一つです。しないに越したことはありませんが、天然自然にそうなってしまうものは、避けようがありません。誰かとうまくやっていけなかったときに感じる胸の痛みを、忘れる必要はありません。が、そういうこともあるという事実すら受け入れられないのは、傲慢であると考えます。何か対立が起こったときに、『こんなことがあってはいけない』と過剰に考えてしまう袋小路から抜け出すために、上記のような考え方を使うことにしています。
拍手レス(遅いよ!!)
うまむーさん>こないだはありがとうございました。素敵なサイトのご案内ありがとうございました! しかし何だって彼らは学ランで長髪で美少年で脇息にもたれたり大奥に男を召しだしたりしてるのでしょうか。先生と卒業生はどこ行っちゃったのでしょうか。本土に戻ったら突然そこいらの大学生になってたりしたら、ある意味物凄く楽しいですね(笑) こちらもお礼のURLを送ろうと思ったのですが、さすがに直接貼ったら大問題なんで、のちほどメールで失礼します……。
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