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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2006年07月31日(月)
言い訳です。

こんばんは。さて、昨日のアレの説明というか、言い訳です。別場所で「何を言いたいのかよく分からない」という意見を頂きました。分からないなら分からないなりに、魅力があれば読ませるものになるのですが、この展開にはそこまでの力はありません。ただ今のところはここが限界のようです。

まず基本的な構造から説明しますと、ユーナーン王はビザンツ帝国の人です。つまり、この国全体がキリスト教徒です。それに対してターバンを巻いているドゥバーン博士は、一人だけ紛れ込んだイスラムの人です。それほど強固な信仰を持っているわけでもなさそうですが、少なくともファラスの人にとって重要なのはそこです。未だにやってますがこの二つの宗教は歴史的な敵対関係にあり、当然砂漠で戦ってきたというユーナーン王の相手も基本的にはイスラムになります。

ってそもそもここまでの説明を本文でしないといけないのですが、それだと本筋を外れすぎですし、読んでいただいた方はお分かりかと思いますがこの話、ネタ自体は非常に小さいのです。

かといってテーマを削ってしまうと骨だけになってしまうため、死に対する対立した考え方、というところだけ何とかシンプルにまとめようとしてみました。二人がキリスト教とイスラムの話をしているという事実からしてできるだけシェイプアップして、単に殺されようとしている男と殺そうとしている君主、まで持って行きたかったのですが、ここでやりすぎちゃってもやもやしたものが残ってしまったようです。

ただ、基本的な思想は本文中で王自身が言っている通りです。「何故それがそれほど大事なものだったか、人には分からない」。いかに生き、いかに死ぬべきかなんていう根本的な哲学は、精神の世界すなわち死の国に置くしかないし、それを人に発する場合、一番そのままの方法は『分からない』という状態そのものを伝えることです。構造的な問題ですね。

例えばドゥバーン博士の行動の意味づけをこれこれですよ〜と言い切ることはできますが、それは実は私が言いたかったこととは真逆の行為になってしまいます。

ただそれ以前に凄くすごく根本的な問題があってDQ8マルクク同人を見に来てる閲覧者にこんなの見せてどうすんだと……。いや、はい、サイトを整理すればいいだけです。前向きに検討します。



2006年07月30日(日)
更新

貼る前に沈む可能性を忘れてました。予告通りのオリジナル短編の更新です。


「アルフ・ライラ・ワ・ライラより ドゥバーン博士の首」


自分的に忸怩たるものがあるのですが、説話文学に当たります……。そして主に未消化なのが原因ですが、テーマが非常に分かりづらいです。こないだから言っていたアラビアン・ナイトの行き着く先がこれです。
「しょうがないんだけど、見事に救いの無い話だなあ」という評価をいただきました。明日になったら説明と言うか言い訳をつけておきますが、本日はとりあえずこのままで。







拍手レス

うまむーさん>
お祝いありがとうございました!(笑) めっちゃ嬉しかったです。○○○ケーキの中心線に沿ってずらっと蝋燭を立てて食べたかったですね★ お飲み物はもちろんカルピス、プレゼント包装はカムフラージュ用の「書籍」「雑貨」表示で!(アダルトグッズの通販サイトが、サービスでこういうことをしてくれます) 日一日を貴重に思って、精一杯生きていこうと思います。



2006年07月27日(木)
更新?

そういや報告し忘れておりましたが、キーボードは金にあかせて何とかしました。修理に出したバカSはそのうち戻ってくるので、代替機として使おうと思っています。

あとは……えーと丸ごと一本短編があるんですが……オリジナルであまり需要が無い上にHTMLファイルの送信設定その他、色々やり直さないといけないんですね。あまり凝ってもアレなので、前のの使いまわしでシンプルに上げられるようにちょっと手早くやってみます。寝る前に気力が尽きたら、一旦この下に貼り付けて晒します。



2006年07月26日(水)
壊れたボールペン

<いつもの創作教室にて>

「わたしは五年間も、きみに何とかして自信を持たせようとしてるんだよ」


(´・ω・`)


「自分はこれでいいのかとか、これを書く意味はあるのかとか、迷わなくていいの。文章も技術も確立されてる。元があったって無くたって自分の考えてる方向へ行ってるでしょう。それでいいんだから」





私は、可愛がられてたんだなあ、としみじみ思いました。考えてみれば基本的に周りにいる人はそうです。赤ん坊の頃から何故か「笑っていないときは泣きそうである」という顔だったせいか、随分色々な人に親切にしてもらいました。

お世話になったことも数知れず、回りに人がいなくなると物にまで頼っています。「みんなのお蔭様」と感謝する気持ちの裏側に自分に対する自信のなさがあり、「自分の力でやり遂げなければ」という覚悟の裏側に人を信じる力の欠如があります。どっちも程度問題です。そのちょうどいいペースも、個人の性質のさじ加減で変わるところが多々あります。

ごひいきのほぼ日刊イトイ新聞手帳には、とっても書き味のいいボールペンがおまけでついてきます。これでもって手で文字を書くのが楽しみになり、ボールペンのお蔭様で手書き→タイピングのスタイルを確立しました。数年を遡りますが、手帳の提供する「一日一ページで何を書くのも自由」というテンプレートがきっかけになって、どこへ行くにもA4上質紙を持ち歩いて思ったことをメモする習慣を得ました。両方とも与えられたものです。「採用する」以上の努力はしておりません。そして、自分の力で打ち立てたものでない限り、真の自信を得ることはできないとよく言います。

そうは言っても、私は現在身の周りにあるもので、与えられたものか、与えられたものの上に生い茂ったものでない何かというのを考えつきません。だいたいが、今綴っている文章の中にすら、自分で発明した文字は一つも交じっていないのです。そして、それは生きものの基本的な姿です。与えられた土の上に落ちた種が、やがて花を咲かせることは、みっともなくもなければ許されないことでもありません。

これは、意識の様態の問題ではないかと思います。育ったんだから花そのものだけ見ていればいいという見方もありだと思います。ただ、私の場合は土や周りに生えている植物、少し引いた視点からでないときちんと物事を捉えられた気がしません。ただの癖もあるし、生きてきた歴史もあるでしょう。人それを個性と申します。

ついこの間、手帳のおまけのボールペンはぶっ壊れました。というかインクが無くなって書けなくなりました。去年まではちょうど一年くらいで使い切っていたのですが、書きすぎてその期間が短縮されたようです。芯を入れ替えればまだ使えるんですが、別のに代えてとっておくことにしました。これは私の育てた花です。どこで咲いたか忘れたくありません。

本日で二十九歳になりました。いつも見てくださっている訪問者の皆様、お世話になっております。お蔭様で大変充実した一年でした。これからも精進して参りますので、今後ともよろしくお願いします。



2006年07月13日(木)
ある、晴れた日に

キーボードいかれました。
よりによって字書きのパソのキーボードがいかれました。



無限にsをうち続けるのでしまいにsキーを引っぺがしましたが、それでもらちがあきません。

というわけでsssssちょsっとの愛sだs
shsっせんs


ごめんなさい。



2006年07月11日(火)
『煉獄(インフェルノ)』断片3 七ツ

「きみ、すまないが、」

彼の声で足を止めた。真昼の修道院の城壁だった。二重に石壁で囲われている、このマイエラの神と法の砦は、大河エイナールの中洲、聖エジェウス島の上に巨大な船のような姿を見せている。マイエラ地方の最大の軍事力である僧兵聖堂騎士団を擁し、半ば以上強制的に土地の権力者たちの服従を要求する威容は、あたりまえの君主の城砦となんら変わりない。そこに満ちている兵が、鎧にも衣類にも三叉矛を模した黄金の十字架を刻んでいることを除いては。

そのときわたしを捉えた奇妙な感覚は、その点にあった。つい先ほど説明した事実に反するが、わたしは体のどこにも十字架を掲げていない。聖職者の一人として数えられていない、したがって賎民として扱われる雇用の歩兵である。しかしかけられた声音は、命令するのでも投げつけるのでもなく、遠慮がちに呼びかけるものだった。

「何か」
歩み寄ると、一人の少年が城壁上の見張り通路にたたずんでいた。階級章は従騎士。ようやく十代半ばか。隣に立つときに履剣の銀の細工がちらりと光り、無言で彼の俗世における立場を訴えてきた。それがなかったとしても、きれいに短い黒髪を撫でつけた端正な顔立ちは、農夫の子と見まごうようなものではなかったが。

「丘の上に杜松の木がある。何本になるか数えてくれないか」
日差しはぎらぎらと痛かった。私は言われるままにエイナールの対岸を透かし、川べりの丘陵に繁る大木を数えた。それらは対岸のドニの町外れに門衛のように整列し、悠久の水の流れを監視している。
「三本」
「……ありがとう」
声の間に小さなため息が交じったのが聞こえた。どうにも妙な子供だった。
「おかしなものを気にされる」
「そうだろうか」
当たり前ではないだろうか?




「少なくとも他の若殿方は、屍を吊るした木なぞ一顧だにされませんな」




そのときの彼の表情に、わたしは先ほどからの感覚をいっそう強くした。正確には、表情の『無さ』に、だ。そして自分が何に異常を感じているのかも、遅ればせながらはっきり意識しつつあった。枝に吊るされているのは、南岸に蜂起した反逆者である。勇猛をもってなるアメデーオ隊長の剣騎兵隊が、生きたまま首謀者を連れ帰り、皮を剥いで体とともに吊るした。

修道院を汚してはならないというので、南の川原で行われたその処刑に、多数の騎士が参列していたし、不必要なまでに苛烈をきわめた仕置きの様子を、誰もができるだけ早く忘れたがっていたのだ。なのに、城壁から木を望む少年の表情には何事もなかったかのような平安しかなかった。

しばらく戸惑ったように黙り込んだ末、子供は決まり悪げな、短い笑い声をたてた。
「いや、すまない。実を言うと、私はまだまだ腰が落ち着かないんだ。死体を見れば震えが来るし、むごい仕打ちからは逃げ出したくなる。そんなことでは騎士はつとまらないので、せめて少しでも慣れるよう、こうして眺めていたんだけど、どうにも我慢できなくなってね……」

履剣の柄の上に置いたこぶしが、小さく痙攣していた。黙って見下ろしていると、少年はやはり仕方無さそうに笑った末、明快な声をたてた。

「本当は誰でもいい、傍にいてほしかったんだ。こんな言い訳しか思いつかなかったのが情けないが。だが、まあ、分かってくれ。恐ろしい光景だと思わないか」
「……」
「ああしてずらずら並んでいると、まるで醜い果実がなっているようだ。しかし彼らの誰についても、魂があり、人生があった。それがひとしなみに物のように吊られている。恐れで人を打ちのめす力にしても、ああも数が増えてしまうと、大きすぎてかえって無意味のように思えてしまうんだよ」
「いくつになりますかな」

見上げる気配が感じ取れた。日差しを額に構えた掌で避けながら、わたしは子供を見下ろさず、同じ問いを繰り返した。

「杜松の木の屍は、あれはいくつになるでしょうな」
下からいぶかしげな、短い間が来る。
「七つだ」
わたしはゆっくりと、丁重に腰を折った。






「若様、屍は一つしか下がっておりません。そもそも罪人が一人しかいなかったのですから、それは当然のことです。何故にあなたの目には、それほどたくさんの屍が見えるのでしょうか」


少年の顔から、無表情が剥がれ落ちた。



2006年07月09日(日)
アラビアン・ナイト*反転伏字多いです。苦手な方はご注意*

「加藤さんは後姿はとってもきれいだねー」
という評価をいただきました。つつしんで後姿美人を追及したいと思います。ポイントはどうやら、背筋と尻です。





というわけで……何がどういうわけか分かりませんが……そのアラビアン・ナイトからの収穫を持って来ようと思います。
思い起こせば中学時代に既に、アホで純真なガキどもはこの原本(文庫)にむちゅうでした。雑誌で「アラビアン・ナイトの文庫本だけはひっきりなしに借りられている」という投稿を見かけたこともあるくらいで、アラビアン・ナイト=エロというのは、実はこれが興味本位に西洋の貴族社会に紹介された当時からのお約束だったみたいです。調子のいい翻訳者になると訳ついでに勝手にエロ場面を増やしたりする始末。

有名な話ですが、アラビアン・ナイトは自分の妃が留守中に乱交パーティを繰り広げているのを見た王様が、”女なんぞ信用できねえ!”というのでヒステリーを起こし、国中の女を殺して回るところから始まります。認知の歪みの典型的なパターンですね。「一般化のしすぎ」です。

いっちゃった王様に教訓的なお話を聞かせて、まともな道に引き戻すのが目的ですから、かの有名なシャーラザード姫が語るのは、アッラーの神がしろしめす法の支配する世界の物語です。の、はずです。実際には王様の興味を引くためという大義名分がありますので、その内容は冒険とお楽しみと恋愛のエンタテイメントに満ち溢れています。だいぶ最初のほうに入っているくだりを引いてみましょうか。



『門番の娘は立ち上がり、するりと衣装を脱ぎ捨てて真っ裸になりました。(中略)やがて水から上がってきて、荷担ぎの膝の上に身を投げかけ、「ねえ可愛いかた、これは何というもの?」といいながら、自分のかくしどころを指しました。荷担ぎが「あなたのラヒムですよ」と答えますと、女は、「あっはっは、あなた恥ずかしくはないの?」といい、男の襟首をつかんでぶちました。それで荷担ぎが、「あなたのファルジュですよ」といいますと、女はなおも打ちかかり、(中略)とうとう男が、「いったいあなた方はなんとよんでいらっしゃるのですかい」とたずねますと、いちばん年かさの女は、「土手のめぼうきって言ってるのに」と答えました』



この場面は似たようなやりとりをつごう三回繰り返します。数えてみたら、女陰を表す単語は八種類、男根を表す単語は四種類出てきました。はい皆さんご注目。この手法、現代のエロビデオにいたるまで連綿と受け継がれています。すぼまりだの薔薇のつぼみだの後ろだのその部分だのアレだのもちろんペニスだのアヌスだの、肝心な部分を表す単語のアイデアが尽きたからといってぼやいていてはあきませんよ。我々のご先祖さま方も、みんな通った道なのです。その昔から、実はみんな苦労しっぱなしなのです。

また別の場面から引きますと、お姫さまの美しさを表現するために七回のお色直し場面を、ドレスの色形にいたるまで毎回描写し、しかも全部に詩をくっつけた上での初夜の場面、というのがあります。



『そして両腕で首を抱き、その両足をわが腰に当てさせると、砲をかまえ、要塞に肉薄するや、城壁を打ち破りました。それで、この娘がまだ孔をうがたぬ真珠、誰も御したことのない馬であることが分かりましたが、かれはその純潔をうばい、かの女の青春の泉を楽しみました。それからひとまずは退いて、軍器をととのえると、さらに攻撃を繰り返すこと前後十五回におよんだので、ついに相手は彼の種を宿しました



……さすがに、書き写していて自分で自分が嫌でした。十五回って言われても、どうコメントすればいいのかよくわかりません。
ついでにこの花婿どの、じゅばんみたいな下着いっちょうで妖怪に誘拐され、往来の真ん中に大の字で寝込みます。



『こうして群集が、かれのことについてなにやかやと取りざたにふけっていたところ、突然にサッと風がバドルッ・ディーンを吹き過ぎ、その肌着の裾をおなかの方まで巻き上げたものですから、その下からまるで水晶細工のような腹部やほぞの凹み、それから腹部や太ももなどがむき出しになりました。群集は「うわーっ、こりゃ素晴らしいなあ」と叫びました』



何を感心してんだか知りませんが足側からのビジュアルを想像して嫌な気分になったのは私だけではないと思います。

そろそろ自分の品性を公開するのはやめときまして、昔話が好きな人間として、確かにこの本は大変面白かったです。注釈一つとっても想像もつかないような習慣のことに触れられていて、エキゾチック趣味をくすぐります。図書館を活用する方法としては、第一のお勧めです。


追記:美人を延々描写する場面で、「眉毛がつながっている」なる表現がありました。アラブの感性がよく分かりません。



2006年07月06日(木)
脳を引っ掛けるための釣り針

「社会は戦場ではないし、
みんなが勉強ができたわけじゃないし、
働きが悪くても飢え死にすることもないし、
規則をつくったからって守れるとは限らないし、
説教好きな人びとには、まことに怒りたくなる世界が、
昨日も今日もおそらく明日も、厳然として存在するけれど、
そういうものでしょう、もともと人間の世の中って。」


「ろくでもなさを許せる世界」 ダーリンコラムより)




わりとほぼ日のお世話になってる気がします。そもそも、上記のフレーズが愛用の「ほぼ日手帳」の床下コメントに載っていたことから探す気になったコラムです。自己申告しておくと、まさに自分の中のろくでもない部分が落ち着いたからこそ、価値が分かった文章だと思います。

もともとここのサイトを読み始めたこと自体、当時好きだった人が愛読していると言っていて、まさに「もてたいがため」にひもといた経緯があります。結局その目的はお約束のように頓挫してしまったため、しばらくほぼ日を好きでいること自体しゃくに障って仕方なかったのですが、そんな事情ももう遠くになりました。

「もてたい」、「他人に気に入ってほしい、できれば相手より上のポジションに行きたい」というろくでもない動機は、確かに入り口として誰にでもあります。そして、永遠にそのままで落ち着いているわけでもないです。その時その時に、身の丈にあった動機はあって、それは植物のように、目に見えないほどちょっとずつ変化しているもんではないでしょうか。

前ギリシャ悲劇について勉強しようと思い立ったとき、「歴史を知らなければいけない、当時の慣習について飲み込まなければいけない、そして深い理解に至らなければいけない」と思いながら資料を当たっていったところ、見事に頓挫しました。題材自体に難があったわけでもないと思います。原文はすらすら読んでしまいましたし。

ただ、その前提は考え方自体がよそからの借り物で、せいぜい「カッコつけたい」程度である、当時の自分の素の部分には合っていなかったんだと思います。昔話や神話は好きなんだから、そこんとこだけ楽しんでればよかったんですけどね。

多少必要があって、最近今度はアラビアン・ナイトを読んでいます。エロいシーンが出てくると熱心に資料を当たります。まあ、そればっかりでもなく、ふと気づくと気がかかった部分は、自然に調べ物をしたりしています。どこからろくでもないことでなくなったんだかは分かりません。そういった区分にもあまり意味は無いです。

ここでいう不純な動機、ろくでもないものが何かというのは、各個人の価値観です。「そういうだらしなさや下らない自分を甘やかす、けじめのなさが嫌なんだ」という方も、もちろんいると思います。それはそれで厳しさが澄んだ美しさにもなりますが、自分の個人的な経験から言えば、選別することよりも許すことのほうが、たくさんのものをもたらしてくれたような気がします。

何か実際に形のある物事を作り上げるまでには、摩擦力みたいなものがあります。始める瞬間のエネルギーは、動き出してからのそれとは全然システムが違います。「えっちなのがいいのv」でも「もてたい」でも「カッコつけたい」でも、ま、とりあえずいいんではないでしょうか。「結果をごろうじろ」という台詞もあることですので。



2006年07月04日(火)
考える技法

Q.
『かけっこが遅い』
という理由で悩んでいる子がいたとします。どう答えますか?

A.
『足が速くなればいい』




正しい答えです。根本的で、最終的です。理想でもあり、真摯です。

ですが、役に立ちません。それができたら最初から悩んでいるはずがない。

しょっちゅう悩み事にはまり込んでいる人間の常として、私は頻繁に人に相談を持ちかけますし、逆に人からの相談も受けやすいです。そういう話し合いは、突っ込んで真剣になればなるほど、何故か暗礁に乗り上げやすい傾向があります。その一つにこのパターンがあると思います。つまり、理想的な状態にこだわり過ぎるあまり、現況がおろそかになるという意味で。

「理想」とは、もともと「信念」のたまものです。
「信念」は、率直に申し上げて「個人的な思い込み」です。
さらに率直に言うと、「信念」以上に個人の確立にとって重大なものはありません。だから厄介だし、複雑にもなるのです。

大事なもののことだと思えばこそ、そうそう目先を変えることはできないかもしれません。しかし、一歩引いた視点で見ると、それは単に役に立たない議論です。それよりも、今何が問題なのか? それは何が原因か? そのために、具体的にはどうすればいいのか?
分析し、解決していくためには、まず自分や相手の立場を理解しないことにはやってられません。

「努力する以外に道は無いんだから、そんなことごちゃごちゃ言っても仕方ない」という男らしい意見も見られます。

が、努力というのは、はっきり言ってすればいいというものではありません。挑戦は、投資と同じです。状況を分析し、的を絞り、正しい方向性を常に模索しながらでなければ、注ぎ込んだものが無駄になるどころか、何もかも失って首をつる以外になくなることだってあります。というか、必死になって考えても、大災害なみのアンラッキーをこうむることはあります。さらにこの上分析さえ放棄しては、まっさかさまにもなりかねんのではないでしょうか。



別の体験から言いますが、状況が違うということは、場合によってモノが違うくらいの差を見せます。右と左が違うだけで、医薬史上に残る大スキャンダルにもなりえます。→
いわんや、人自体が違ったらそこに生まれる差は、どれだけのものになるか見当がつきません。いちいち状況をよく見て、何が適しているかアタマを使うこと。迂遠なようでも結局それが、一番の近道なんではないでしょうか。




個人的な回答。

A.
どう悩んでいるのか聞いてみる。判断はそれからする。







拍手レス

ろーれるさん>
こんばんは&いつもありがとうございます〜
「これ、分かるかなあ……」とびくびくしていたので、そう言っていただけると木に登ります、ほんとに(涙拭 ていうか出しておいて難ですが、私DQ8をクリアしたことがないので、もしかしてあのアイテムがエンディングで壊れる描写とかあったら大変申し訳ありません……問題はそれ以前の部分にありそうですが。
ちなみに、頭部が砂漠化していると書くと正体を見破られるククールが大変哀れでした…(笑)
こちらこそ、いつもご訪問ありがとうございました。期限までたくさん遊びに行かせていただこうと思います。それではまた!


うまむーさん>
鳥にコメントありがとうございました。何気にこの枚数でやっちゃいかん詰め込み方をしてしまい、反省しきりです。もう、「ククールに羽根が生えて愛玩されている」という場面さえ書ければいい根性なので、イメージを楽しんでいただけるのは嬉しいです。ブラック・タイ……さすがにコアなプレイをチョイスされますねv
いつもご訪問ありがとうございます。また遊びに伺います〜



2006年07月03日(月)
『煉獄(インフェルノ)』断片2 橋の魔

明け方にねぐらを出た。院の聖職者はエジェウス島で賎民が寝起きすることを嫌っていて、わたしは橋のたもとに居を定めている。それだけの理由ではなく、ばかばかしいことに、自分たちで雇い入れておきながら、彼らはわたしを忌み嫌っていた。
大河エイナールの向こう側から、人馬のたてる鎧轡の音が聞こえてくる。それが自分の配されている剣騎兵隊のものであると、わたしは自分の剣をとって橋を渡る。どうしてかと聞かれても困るのだ。寝床にいようが酒をくらっていようが、それは聞こえ、判った。だが、何の前触れもなく橋の上にわたしを見出すことになる騎士たちにとって、わたしは不審を通り越して不吉な剣士と映ったらしい。

『橋に立つ者は迷い歩く魔である』

南岸部落の古い言い回しを、わたしはかなり後になって知った。土着の迷妄に耳を傾けてはならないと教えられる、当の南岸出身の騎士にとって、さぞ悩ましい伝説であっただろう。逆にその畏れがために、わたしを手元から離したがらない部隊長もいたのだから、よいことか悪いことか分からない。

「ヴィットリオ!」

馬上から若々しい声が呼びかけた。わたしを無視するか、せいぜい歩兵の中に交じるのを不気味そうに見守っているだけの騎士たちの中で、その姿はことさら清新に映った。逆の方向からは、橋の魔に何気なく声をかける少年の姿が、どのように見えていたのだろうか。
地勢と道に関する実務的な質問に短く返答しながら、思いがけずわたしは胸の躍るような感情を楽しんでいた。鬼、畜生を従えるのは、異界に生まれた者がふさわしい。陳腐な連想だったが、奇怪なものに苦しめられているからこそ、ひとの怯える存在にも脅かされないという彼のありようは、何がなし子供の頃の、誰かと秘密を共有する埃っぽい喜びも呼び覚ましていたのだ。

「笑っているのか、ヴィットリオ?」
質問を終えると、彼はそう言ってまじまじとわたしを見つめなおした。聞かれると同時に、本物の笑みがこみ上げてくるのを感じた。
「どう思う?」
「笑っているな」
「その通りだ」
「彼らは怯えているのか?」
二つ目の質問は少し低く発せられた。騎士も歩兵も時々こちらを見る。誰からも表情は読めない。わたしは衝動的に手を伸ばすと、少年の手甲の上に口付けた。

「それも、思ったとおりだ」




いぶかしげに首を傾げながらも、彼は馬を進め、隊列は北へ動き出した。