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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2006年06月28日(水)
『煉獄(インフェルノ)』断片1 蟲

アメデーオが去ってしまったあとで、彼は柱の陰に身を隠すようにして、丸めた自分の手の先を見ていた。つめを、そこに出ているささくれが気になるという風に、もう一方の手で細かく引っかいていたのだ。
無心に手遊びをしている隣へ、何も言わず歩み寄っていくと、彼はその姿勢のままで答えた。

「ヴィットリオ、北部平野の町を討伐するよ」

ひと世代前に始まった定住の牧畜が、そろそろ力を蓄えてきていた。奴隷労働同然の開拓が終わり、優良な羊の放牧地に変わったそこは、攻略しがいのある資源になったのだ。邪宗門と呼ばれたサザン大陸の神を奉ずる部落で、近隣の土豪とのつながりは薄い。なるほど甘い獲物だった。
「五番隊が作戦を行うそうだ。その前に騎士階級のものが査察を行う必要がある。二個小隊に歩兵を加えて、」
「その手はどうした?」
指先に目を落としたまま、彼はふっと押し黙った。

「虫が」

相変わらず朝の光のように明瞭な声だ。
「アメデーオ隊長が北部の地勢について話しているときに、隊長のまなじりに何か動いていてね。見ていたら長い虫がうごめきながら、目とまぶたの間や唇の隙間から這い出してきていたんだ。らせん形に長虫が伸びて、鼻の横に垂れ下がりながらのたうっていたし、袖からは胡麻みたいな蝿が飛んできた」
アメデーオは声高だった。豚と犬の血――特に南岸の貴族が好んで使う、外国人の言い回しだ――を罵る、誇りと確信に満ちた長広舌は、中庭を挟んでいてさえ聞き取れたものだ。
「作戦の基礎構想について話し始めたあたりで、そういうものが私にも飛び散るようになった。それから、爪の間や耳から虫が出てきた。掻き落としているんだが、なかなか止まない」
言うと、きれいに整えられた爪の先を、彼は途方にくれたような顔つきでじっと眺めた。まぼろしの虫を追っている翠の眼球は、よく見なければ分からないほど小刻みに上下に震えて、少しでも座りのいい場所を探しているようだった。

石を切った窓からの日光が、あごを斜めに横切っている。美しい少年だった。彼がこれから、わたしの上官になるのだ。



2006年06月23日(金)
食卓の風景

さて、やっとワンルームが静かになりました。数年前退職して以来、母は最大の趣味であるトム公(トム・クルーズ)の追っかけ以外、中途半端にすることのない日々を送っておりまして、家族でボケ防止をどうすればいいんだなどと話し合っていたのですが、あの減らず口を聞くかぎり今日明日中にどうにかなるってことはなさそうです。

その退職時に、母に真剣な顔で『主婦って何やればいいの?』と尋ねられ、自分も見当がつかないので『さあ……』と考え込んでしまったことがあります。『手の込んだ料理を作ったり、手芸したり、ボランティアとか』など、これも適当なことをぽつぽつ答えてみましたが、『えー、ヤダ!』と渋谷の女子高生みたいな答が返ってきました。まあ、とってつけたようなことを始めるより、トム公の英語のゴシップ記事でも翻訳しているほうが体にはいいでしょうが。

とは言っても、うちの基準での「手の込んだ料理」とは到底他の家の方々が想像するようなものではありません。


1.おかずは鍋二個分まで。(汁物を含む)
2.おかずの皿は一枚まで。(もしくは全員ぶんを全て大皿に載せる)
3.材料に火が通ってさえいれば文句を言わない。
4.知らない料理は作らない。
5.たまにレシピを参照する場合は、分量は見ない。



以上がふだんのごはんの基本です。なぜか「肉の生焼けだけはいけない」というのは厳格に守られており、守られすぎて魚(と、時々ハンバーグも)が出る日はデフォルトでメイン料理を裏返してはいけないことになっていました。もちろん、食べ終わると皿状に残るわけです。炭が。

それでもたまに父が料理を担当する日があるため、「うちのご飯美味しい」で子供の意見は一致していました。これは後で知った話ですが、化学でへたくそな(不正確な)実験のことを隠語で“お料理”と呼ぶんですね。大変有能な実験者であるうちの父は、潜在的に料理は適当に作ってもいいと思い込んだらしいです。なので父担当の夕食の合言葉は、「野菜は生でも食えるんだ!」でした。じゃがいもの炒め物のときにそんな逆切れをされても、幼稚園児ですら納得がいきませんでしたが。

玉子焼きを作ればロシアンルーレットのごとく、かじる場所によって塩加減に異常な差があり、味噌汁には四分割されたネギが入ってます。おかげで話の種には困らないし、確かに消化できさえすれば育つものは育ったんで、マジに文句はありません。家の個性だと思っています。



以前、実家に家族が集まった折、ごちそうということで鍋をやることになりました。中身の調整をやっているところで「出し汁」が足りないのに気づいた父が一言。


父:『あれとって、アレ。ほら、そこの溶液
私:『そうそう、何だっけ、そこの溶媒とって』



*溶媒……溶液の成分のうち、他の成分を溶かしている液体物質。普通は最も多量に存在する液体物質。水だけでなく、シンナーやアルコール等の有機溶剤も含まれる包括的な表現。

鍋は開放系。調理は熱化学反応。味付けの差は誤差範囲内。
そういう食卓です。さすがに私ら以外は引いてます。



2006年06月22日(木)
アゲハチョウ経験値

「どうぶつの森」をゲーム機内ヒキコモリでやっています。

無線LAN環境が無いために通信できず(しようとせず)、ムシトリ村の暮らしは雑草が生え放題ですが、たまに思い出したように立ち上げると義務としてタモを振ります。やはり虫は捕らないと、虫は。

このゲーム、始めるととりあえず業突くタヌ公が押し貸しの取立てに来ますので、実は博物館に納める以外、虫は取引対象として捕っています。これが、よくとれるモンシロチョウモンキチョウは引き取りがしわいです。抱えきれるだけ捕っても数百Gとか。

手間を増やせば何も考えなくても、入る額は似たようなものなのですが、ふとこれは本末転倒だな、と気づきました。リアル時間の問題だけでなく、高級なアゲハチョウとかはやはり、『捕った』感も違うのです。これは中々だな、と心の中で認めていることと、ルーチンワーク化して覚えてもいないこととでは、例え得られるものが同じだったとしても経験値の質が違う、具体的には「次に行きたい」と考える強さが違います。

こないだ、人生初オフ会の主催をやりました。前から何度も言ってるような気がしますが、人と話す練習の発展形です。会自体はなごやかに終了して非常に癒し系だったのですが、開催する前に一つ問題がありまして、諸事情により全員通りすがりのまったく見知らぬ人でした「人見知り+話下手+男性苦手」のトリプルコンボの初挑戦としては、中々設定がヘビーだったと思います。

ただ終わってみると、そういう「ええっとー……(汗)」と約一分考え込んでしまうチャレンジは、五回に一回くらい踏み切るのもいいんじゃないかと思います。それがアゲハチョウであって、ほんの少しだけよそとは違う価値があるから、そして実はその差はアゲハとモンシロくらいのもので、乗り越えがたい壁というほどのものじゃないから、それから、やっぱりアゲハが捕れるとちょっとだけ嬉しいから、です。

あ、でもだからって、アゲハ『だけ』追いかけるのはやめましょう。日常虫を捕る習慣が無いと、いいタイミングで川に落ちます。



2006年06月21日(水)
例えるとバトン

ちょっと前にタカムラさんから回していただいたバトンをジャグリングします。
同様のバトンが太郎飴さんとこにも行っていたので、心情的には二箇所から同時です。


■自分を色に例えると?
白。隠蔽性(*塗料の属性、透明性の逆)の高い白。
前このハンドルを使ってたこともあるので、その影響もあるかと。
お二人の印象を総合すると、ブルー系ではあるみたいです。両方とも知らなかったので検索しました……。嬉しいような、こそばゆいような〜。

■自分を動物に例えると?
ゴキ(省略)
と、ちょっと前までは迷わず答えていましたが、あまりにひどい自己イメージを持っているとよくないので考え直します。少し前までは自分を指して昆虫と言っておりました。ゴ(略)の代わりの単語です。

改め、こういう猫。↓

笑うとこの顔になるそうです。

あるいはトンベリマスター。あれ何の生き物なんだろう。

■自分を好きなキャラに例えると?(漫画や映画何でも可)
自分に似たキャラクターなんて見たことない。

で片付けるのもアレなのでちょっと考え直します。

関口巽(京極堂シリーズ):鬱病の小説家。シリーズに登場する人物中、最低ランクのヒエラルキーに(主に榎木津の手で)組み込まれている。いつ見ても、あと三秒くらいで人格崩壊しそうな顔をしているにもかかわらず、主人公グループを離れない。
ウソップ(ONE PIECE):ウソと射撃と絵が得意な、バケモノ主人公グループ唯一のフツーの人。彼のウソはウソというよりホラ話=創作したストーリーなので、実は最も色濃く作者である尾田栄一郎を投影したキャラクターだと思われる。
ゴードン・ラチャンス(スタンド・バイ・ミー):物語の語り手役。後に作家として大成した、通過儀礼の線路を歩いていく十二歳の少年。友人の死を見送った後で、少年時代を回想することのできる立場、すなわち生き残った一人の男になる。

願望とコンプレックスと自己分析がバッテラのように詰め込まれています。

■自分を食べ物に例えると?
チーズが好きです。
チョコレートが好きです。
じゃがいもが好きです。
ベシャメルソース(ホワイトシチューなどの味付けにするために、バターで練った小麦粉をミルクで伸ばしたもの。決してこれだけ食べるものではない)が好きです。
好きな食べ物を聞かれてるんじゃないと思いますが、濃くてもったりして重いものを定期的に補給します。よっておそらく、中身もそう。

■次に回す5人を色で例えると?

バトン自体は食べます。(もしゃもしゃ)

りるるさん→虹色。一般に七色と言われるが実際は色を限っているわけではなく、可視光の全ての色をバンド状に現している。
太郎飴さん→黒。それも手で押したらその手が手首までもぐるほど濃い黒。
うまむーさん→サーモンピンク。ちょっと上気したような……と思いながらカメラを引いていって、誰かさんの肌の色であることに気づきました。全裸の。
はつもさん→白と紫。昔で言うところの襲の色。何枚も重ねて、色合いや透け方を楽しむ、という遊びの仕方をします。
ベリンカさん→若草色。便宜上の若草でなく、実際草原に生い茂っている草の色。
タカムラさん→淡いピンクにワインレッドのポイント(縁や模様とか)。あくまで布地の質感のピンク。飾りはレースか真珠か白いコサージュでよろしく。
ろーれるさん→織り地で唐草模様の入った濃い緑。本の装丁に使うやつ。見返しは、渋い色合いなのになぜか派手なペイズリー模様です。
六十九連発さん:真珠の白。目を近づけてみないと分からない、固有の微妙な色が入った白。色合いで扱いは変わるが、値段は全て高めで推移する。
山根末耶さん:しっくいの白と樫材の茶色。ブーケや実用品のアンティーク家具の色彩を置いた古い西洋の民家の色。
ゆーからさん:水色。軽くて明瞭で、広がりのあるイメージ。
先生:極彩色の色と光の洪水。見たことのあるものと見たことのないものが物凄い速さで回転するイメージ。この世のものではない。



だんだん色の表現じゃなくなってるような。



2006年06月20日(火)
空いたページにはメモ

日記を一日書き忘れてしまったので、自分用にメモを写しておく紙に使うのです。



認知の歪みの定義


1. 全か無か思考(all-or-nothing thinking)

 ほとんどの問題は, 白か黒かのどちらかに決めることはできず、事実はそれらの中間にあるものですが、物事を見るときに、「白か黒か」という両極端の見方をしてしまうことを「全か無か思考」といいます。


2.一般化のしすぎ(overgeneralization)

 1つの良くない出来事があると,「いつも決まってこうだ」、「うまくいったためしがない」などと考えること。

<例>ある若い男性が、好意を寄せている女性に一度デートを申しこんで断られただけなのに、「いつもこうだ。自分は決して女性とつきあうことなんかできない」と考える。


3. 心のフィルター(mental filter)

 1つの良くないことにこだわってくよくよ考え、他のことはすべて無視してしまうこと。ちょうど1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように。「心のサングラス」ともいう。
なにごともネガティブにみてしまうので、気分は、当然暗くなります。


4.マイナス化思考(disqualifying the positive)

 単によいことを無視するだけでなく、なんでもないことやよい出来事を悪い出来事にすり替えてしまうこと。
「心のフィルター」は、ある出来事の肯定的な側面を無視することをいいますが、「マイナス化思考」は肯定的な側面の価値を引き下げることになり、いっそう悪い認知の歪みのパターンということができます。


5. 結論の飛躍(jumping to conclusion)

 根拠もないのに悲観的な結論を出してしまう

 a. 心の読みすぎ(mind reading):ある人が自分に悪く反応したと早合点してしまうこと
 b. 先読みの誤り(the fortune teller error):事態は確実に悪くなると決めつけること


6. 誇大視と過小評価(magnification and minimization)

 自分の短所や失敗を過大に考え,逆に長所や成功したことを過小評価する。「双眼鏡のトリック」とも言う。

<例>些細なミスをおかして、「なんてことだ。これですべて台無しだ」と考える。(この例では、失敗の意味を過大に考えているので「誇大視」といえる。些細な失敗を犯したことで今までのことが100%の失敗になると考えているとすれば、「全か無か思考」ともいえる。このように「認知の歪み」のパターンは互いに重なりあっている場合も多く、いつもどれか一つの分類だけにあてはまるわけではない。)


7. 感情的決めつけ(emotional reasoning)

 自分の感情が現実をリアルに反映して、事実を証明する証拠であるかのように考えてしまうこと。
 感情的決めつけは、ネガティブな思考、感情が前面に出てきていて、ポジティブな思考、感情が後退しているような場面で生じやすい「認知の歪み」のパターンであることを考えれば、「心のフィルター」と密接な関係を持つことが分かります。


8. すべき思考(should thinking)

 何かをやろうとするときに、常に「〜すべき」「〜すべきでない」と考えると、その基準に合わせようとして自分自身を追い詰めることになります。できなかった場合は、あたかも自分が罰せられたように感じて、自己嫌悪に陥ったり、暗い気分になりやすいのです。「すべき思考」を他人に向けると、他人の価値基準とは往々にして合いませんから、イライラや怒りを感じることになります。


9. レッテル貼り(labeling and mislabeling)

 ミスを犯した時に,「自分は敗北者だ」、「とんまもの!」などと自分にネガティブなレッテルを貼ってしまうこと。レッテル貼りは、「一般化のしすぎ]が極端な形で現れたものです。レッテル貼りをすると、感情に巻き込まれて冷静な判断ができなくなります。


10. 自己関連づけ(personalization)

 何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合でも自分のせいにしてしまうこと。
 他人に100%の影響を及ぼすことは不可能です。よくないことがおこった場合、それを自分の責任と考えるよりは、どうすれば問題を解決できるのかを考えるほうが健全で大切なことなのです。「自己関連づけ」の思考パターンを繰り返すと、罪の意識を感じることになり、その結果自己評価が低下してしまいます。




注:以前トレーニングのために病院でもらったもの。



2006年06月19日(月)
ふんどしに関する覚書*警告・下品です!*

何でこんな話になったかはお察しください。




ふんどしの具体的なラインナップと形状、構造については以下のサイトをご参照願います。

『九州屋』

よく言われる話ですが、日本のふんどしには普通六尺と越中の二種類があります。両方とももちろん布のみで構成された衣類で、越中の方が構造はうんと分かりやすいです。上記サイトをチェックしていただければお分かりかと思いますが、違いは『締め付け』の度合い。越中は”かけている”という感じになりますが、六尺はまさにふんどしを締めてことにあたる、という古い言い回しの通りになります。

その昔は実用的な意味で、この二種類の差は重要なものだったのでしょうが、現在では実用性は二の次です。つまり、問題はナチュラルTバックでお尻が丸出しになることです。特に六尺のほうで。

今はどうなのか知りませんが、八十年代くらいの『薔薇族』『さぶ』『サムソン』全盛期のグラビアで、六尺ふんどしは定番のアイコンでした。各地のハッテン場で開催されたゲイナイトでも、六尺ナイトはスタンダードに人気のある企画で、角刈り+筋肉+髭+六尺といったら、まさにさぶやろう兄貴の完成形であったものです。



向かい合えば、中央の盛り上がりが目に飛び込み、男の魅力をムンムンと見せ付ける。
左右よりはみ出した陰毛が色気を醸し出している。
いつも珍棒から金玉を上から強く押え付け、アリの戸渡りを捻れた晒しが上より常に押え付け、尻の穴付近までギュツと締め上げる感覚、一度締めた経験者には、たまらなく忘れられない股倉の感触で有ろう。


ふんどし情報 より>



この感覚が本当に標準的なものなのかどうかは力いっぱい置いといて、全体的に締めることと、構造的に前の部分を包み込む感じになることがポイントであると思われます。



本日の日記にはオチはありません。まとめようがなかったのです。



2006年06月18日(日)
覚え

寂しいのに、人に近くにいてほしくない。
「(個人名)にここにいてほしい」というのが、寂しいということです。
その気持ちが病んでしまったり、かみ合わなかったりすることが、この頃のスタンダードだと思う次第。



2006年06月17日(土)
止まるな危険

ほぼ日からのいただきの表現です。
走り続けている間はできることも、いったん休むと何故かできなくなる。元気印つけたところで一瞬つまずいたら、実感しました。

とりあえず近況のみ。毎年恒例トム週間です。

母に古いほうのPCを貸したところ、いきなりひとんちのコンピューターの上に紅茶をたっぷり零してくれたので、罰としてネットを取り上げました。責任の入り用なことに勝手に子供の名前を使ったり、どうも行動が眼に余るので再教育です。ぷんぷん。



2006年06月12日(月)
W杯観戦終了

生まれて初めてワインのミニボトル一気飲み。


2006年06月11日(日)
夏だ。

梅雨宣言もたけなわな今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は元気です。というか元が鬱気質なので、プラスマイナスでたぶん”普通”です。

これがいつまた元に戻ってしまうか分からないもので、今のうち体によいことを片っ端からやってしまおうと企んでいます。沈んでいる状態のとき、何かしら貯金がないときついものですから。

手の込んだ食事もするし、小説だって書きます。遊びに行く計画も――これはコミュニケーションの貯金ということで――待ってられないから自分で組みます。反動が起こらないように注意するべきですね。

詳しく説明したくありませんが、春、竜魂が終わって緊張の糸が切れたあたりの調子はほんと酷かったです。”殴り倒されたような”とはこのことかという感じで、毎年毎年こんなことだと困ってしまうのですが、木の芽時という言葉もあるくらい一般的な現象なので、どうしようもありません。慣れるしかないです。
(もう腹をくくって春になったら医者にかかるという発想もあります。これは去年そっちの方が回復が速かったからで、来年は検討します)

別の理由があって改名したハンドルネームですが、今になって意味がついたようで嬉しいです。”夏が来る”。やっと来ました。あほなキリギリスにならないように、夏の間に必要なものを確保しましょう。冬が終わらないわけじゃないことを覚えておくためにも、このネーミングはとてもいいと思っています。



2006年06月10日(土)
ある夜の原宿

山手線が来るのをぼーっと待っていたら、向かいのホームに気づきました。原宿駅はプラットホームが上りと下りの線路の間にあるタイプで、ホームは一つしかないはずです。
現に向かいのホームには誰もいないし、階段も案内表示もないし。

『あのホームは何のためにあるのでしょうか』

ちょうど隣にいた女性に聞いてみました。

『あれは、天皇が明治神宮に行幸するときのためだけに設置されているホームです』

確かに、言われてみれば向こう側のホームの壁は生垣になっていて、よく見えませんでしたがその間に一部通路が開いており、神宮の暗い森の中に消えていました。おりから紫陽花の咲ききそう生垣の足元には、何かの花からこぼれたらしい白いがくが降り積もり、そこには誰の足跡もついていなかったものです。

からかわれたんでしょうか。








更新ですが、エロが足りません……色気が足りません…



2006年06月09日(金)
ワタシハ加藤夏来デス



ワタシハとむ・くるーずノ大ファンデス(カタカタ
とむハはんさむデス。すたいる抜群デス。世界最高ノ俳優デス。(カタカタカタ
奥深イすとーりーニ迫真ノ演技、さーびす精神タップリノ最高ノ映画!(カッタカッタカッタ
みっしょん・いんぽっしぶる・3トとむ・くるーず、バンザーイ!!(カクククク


……。
(加藤さんは何かに魂を売り渡す練習をしています!)



2006年06月08日(木)
水を歩く日

少し前のことになりますが、実家に帰った折高校の頃の友人数人と久々に会いました。随分な年数で久しぶりの人もいたのですが、誰もが基本的には変わっていなくて、天ぷら衣をつけた海老を見ているような感覚でした。

中高はずっと同じ学校で、それは周り中がそうでしたが、私の周りではさらに世界が限定されていました。じつに六年間ずっと、わたしはほぼメンバーの限定された同じグループに所属していたし、その他のクラスメイトが何に関心を持っているかさえ、よく知らなかったものです。

その頃は行く場所も、話す内容もほとんど決まっていて、世界に明らかでないことはほとんどないように思えました。時間が過ぎたための錯覚かもしれませんが、ある日ふと立ち止まって、何年か経ったらこんなに何もかもが明瞭な高校時代を、自分は忘れてしまうのかと不思議な気持ちになったことは、はっきり覚えています。

話は戻って、お約束として卒業アルバムも引っ張り出してきて皆で眺めましたが、その中にはやはりまったく覚えのない風景や、名前を思い出せない人がたくさん入っていました。不思議な気持ちでしたが、それと同時に願望も覚えます。忘れたくない、失くしたくないと。

もちろん実際には、日々流れ込む情報を歩いていく内に、私たちは少しずつそれらを失っていきます。人間はずっとそうやって生きてきましたし、人を情報の塊だと考えれば、人類そのものが情報の流れだということになるでしょう。長く記憶に留められる偉人もおります。ごく普通に生きて、数世代のうちに忘れられる人も――というかそれがほとんどです。

映画『トロイ』ではありませんが、それを流してしまえない種類の人が、世の中にはいます。また、自分自身が忘れられることに耐えられても、何かの想いを残さないことには死んでも死にきれない人もいます。先に人自体を記憶に例えましたが、何もそれはヒトという種族に限ったことではありません。脳を持った全ての動物が、それぞれの形で記憶を持っているでしょう。ただし、脳内の微弱電流と化学反応という本来の記憶の形を、別のものに転化させることができたのは、人類だけです。

記憶がヒトを超えようとしたとき、言葉は生まれました。
想いがヒトを超えようとしたとき、物語は生まれました。

留まれ。消えるな。忘れたくない。自然の流れに反する願望でしたが、それがヒトを他の生き物から分け、人の尊厳を作り、人の業を生み出したと私は思います。

いつか消えていってしまうことの中に、忘れたくないことがいくつかあります。それを形にしようと思うと、私は文字に向かい、小説を書きます。いつも師匠が口を酸っぱくして言うのですが、長編小説と短編小説には明らかな違いがあり、私はまだ長編をものしていません。それにもきちんと意味はあったと、今更のように思っています。行為をもって想いを積み重ねる以外に長編を作り上げる方法はなく、それはヒトが人になる過程を忠実になぞることではないかと思うもので。



2006年06月07日(水)
思い出してみると

いきなり蘇ってくる記憶というのがあります。

昔々の幼稚園年長組さんの頃。親の都合で半年早く突っ込まれた私は、ずいぶん保母さんたちに可愛がっていただいた子供でした。
ある日、多分担任の先生がお疲れ気味だった折だと思いますが、何だかうなだれている先生を、私は一生懸命慰めていました。以下うろ覚えの会話です。


先生:「本当はね、先生宇宙人だから、自分の星に帰ってゆっくり休まないと元気になれないの。××先生(隣の組の担任の先生)は大きい紙(今思うと、工作の時間に使っていた模造紙だったと思われます)を持っているから、それでUFO折って帰れるんだけど、先生は持ってないから、壊れちゃったUFOが直せないんだよね……」

私:「大丈夫だよ先生! 私鍛冶屋さんの場所知ってるから、鍛冶屋さんでUFO直してもらってくるね!」





多少説明しますと、当時のハウス名作劇場でペリーヌ物語だか何だかをやっていたのです。そしてこの時の私は、本当に大真面目にナチュラルに鍛冶屋に行く気でおりました。どうも当時ほぼ完璧に、空想の世界と現実の世界の区別がついてなかったようです。

そういう会話があってからだいたい一年後か二年後に、小学生の私はいきなりこのことを思い出しました。つまりそれまですっかり忘れておりました。そして、ひたすら罪悪感に怯えました。この頃になると、中途半端に知識が成長していたようです。


私:「どうしよう、アニメに出てくる鍛冶屋だから行ったことがないし、鍛冶屋にUFOなんて直せるはずがないのに、ウソ教えちゃった……先生は宇宙に帰れなかったに違いない!


というわけで、小学校の前半くらいずっと、『行ったこともない鍛冶屋のウソ情報を流したこと』は懺悔の対象になっていました。


……ここまでの経緯の記憶が戻ってきたのが、大学生のときです。
その場で額に手を当ててしばらく笑いをこらえました。何せ間が完全に抜けている記憶なので、当時の焦る感情まで見事に戻ってきてしまったものですから。

さて、当時二十台前半くらいだった先生は、何のUFOに乗ってどこへ帰りたかったんでしょうね。先生の年齢も越してしまった今、まったく意味の無いことながら、記憶の中の先生に向かって『頑張れ』と言ってあげたい気持ちです。






拍手レス

ろーれるさん>
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます! アワビの本場や京劇の本場は素敵ですが、執事の本場はビジュアル的にキッツいですね。人事ながらこの経営者さんは、自国の伝統文化をここまでおちょくって国内で追われる身にならないか、微妙に心配です。
>「女性客?」
ってさらっとおっしゃいますが、これ客が男だったら多分報道不可能ですよ……。

マルククスラッシュの情報もありがとうございました。何でしょうね、メリケンの萌えポイントは我々とは違うんですかね……? 白人男性のマルチェロコスってすごく似合うと思うんですが、電車の中で出会える可能性がなくてとても残念です。そのうち日米腐女子サミットなど開かれるようになりましたら、カップリング論争の日本側のパネラーはろーれるさんにお任せしますのでどうぞよろしくお願いします。
また遊びに行かせてくださいね! ご訪問ありがとうございました。



2006年06月06日(火)
あごから下の筋肉が引きつった


英国の執事喫茶(?)


ろーれるさーーーーーん!!!
やっぱ探さんでいいですーー!!(絶叫
これ見る限り客は女性のようですが、毛唐の考えることはマジに理解できません。

「この仕事は最高です。お尻が丸出しだなんてすぐに忘れてしまいます」

そこは覚えとけよ! 人として!
お騒がせしました。お好きな方は写真の保存などいかがでしょうか。ああびっくりした。



2006年06月05日(月)
世界名作劇場「桃太郎」

昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。二人は貧しくて、子供も授かりませんでしたが、村はずれに仲良くつつましく暮らしていました。

ある日のこと、いつも通りおじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけました。おばあさんが川原に腰を下ろし、洗濯板を使って一生懸命着物を洗っておりましたところ、なんと、川上からどんぶらこっこどんぶらこっこと、大きな桃尻が流れてきたのです。

……。
どういう状況か分かりませんか?

つまり、立位体前屈の要領で体を折り曲げて、尻が体の頂上になってるとこを想像してください。全裸で。その格好のままで体の大部分が水没しているので、岸からは尻が流れてきたよに見えるわけです。

普通に死ぬんじゃないかと思われますが、色艶といい肌の張りといい、どう見ても土左衛門ではありません。先ほどどんぶらこっこと表現しましたが、実を申しますと桃尻は近づくに従っていい感じにスピードが緩まり……というか不自然に流れに逆らって……どうやら実は流れてるわけじゃなく川床を歩いているようです。一応流れている風を装っているのですが、どんどん岸に近寄っているのは疑いありません。

おばあさんは年季の入ったシカトをかましました。

いつも炊事洗濯に使っている川にこんなもんが漂っているのは不愉快ですが、拾う作業を具体的に考えるともっと不愉快です。だいたいおばあさんは、吉本系の自然さのない突っ込み待ちが嫌いでした。尻を出して笑いをとるのは、同時代に一人までで十分です。レイザーラモンのHGが出てきたら江頭の席は無いではありませんか。

などと関係ない思案の間も、桃尻は近寄ってきます。
ついにおばあさんのまん前でぴたりと停止し、にらみ合うハメになりました。尻はやなことに男で、頭は向こう側です。やたら張り切ってるので、裏側とか一部見えます。最低です。ややあって、おばあさんは手近なところに得物を探しましたが、洗った洗濯物くらいしか見つからなかったので諦念の域に達しました。

「まあなんておいしそうなももじりなのかしらおじいさんにもみせてあげないと」

無表情におばあさんは言い切りました。他人に押し付けることにしたようです。





数時間ほどして、おじいさんとおばあさんはお互い正座したまま、仲良く無言無表情で向き合っていました。二人の間には大きな桃尻。何をマジに家まで持って帰ってきとんだという殺気のこもった目つきのおじいさんと、一人で処理させられてたまるかという気合十分のおばあさんの間で、本気の火花が飛び散っています。

「……おい、そこの尻」

おじいさんがドスのきいた声をかけると、びく、と、二人の視線の先でぷるんぷるんの桃尻がひきつりました。そうです。岸に上げられてなお、尻は臀部のアピールに余念が無かったので、二人が正対している真ん中あたりにはピンクの物体が持ち上げられて、そのほかの部分は四つんばいというかおねだりポーズでいざなっているのです。一応きゅっと引き締まって尻の谷間とか隠そうとしているのが、唯一の救いでしょうか。書いている当人もいい加減後悔しています。

「つうか、お前よ。いい加減どっかで退けや。桃太郎―っつって、このあとどうやって太郎出すんだ。尻割っていいのか? あぁ?」
「そうですよ。出オチにしちゃ引っ張り過ぎだし、リアルに想像すればするほど単に気持ち悪いじゃありませんか。第一あまりに長いこと肛門向けられると段々イライラしてくるのですよ。SMオチになってもいいのですか?

尻がおずおずとこっち向きました。……じゃなくて頭が……まあいいかどっちでも……。

かなり年いってました。
しかもどっかの会社の重役っぽい立派な面構えと下腹部の持ち主でした。

二人はドン引きしました。

「……ぷるんぷるんの、桃尻です……」
「いや、お前……」
「おじいさん……やめてあげましょうよ……ね?」

少女のように目を潤ませる桃尻には、人生の悲哀が漂っていました。中高年層の意に染まない営業には、誰もが身につまされるようなペーソスを感じるものです。結局二人はあまりの盛り上がらなさっぷりに、しんみりと三人で語り合いながら仲良く暮らしたのでした。
尻、向けたままで。



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……どじょう掬いそこねました……
一応本日も更新しています。



2006年06月02日(金)
ちょっと前に考えたこと

子供の頃、兄と私は本当に仲の悪い兄妹でした。二歳差ですが、幼児にとってこの差は果てしなく大きいです。男の子二人を育て上げた祖母ですら肝をつぶすほどの大喧嘩をするので、大きくなったらどうなるんだろうと母は本気で泣いておりました。

私にしてみれば、兄にかなうことなんぞ金輪際あり得ない事態に思えましたので、喧嘩して負かされるたびに遅く生まれた不幸を呪っておりました。兄は絵が上手く、友達が多く、口車が恐ろしく早い子供で、当然ながら力や何かも、家の中で本ばっかり読んでいる妹とは比べ物になりません。劣等感が激しかったせいか、正月のカルタで負けた程度のことで何時間も泣いている始末で、息子とは違った意味で娘は両親にとって困ったもんだったのではないでしょうか。

その流れが成人まで続いていたので、迂闊なことにだいぶ後になって気づきました。もしかしたら、兄は兄で、妹に劣等感を抱いていたのではないかと。

これは掛け値なしに歯牙にかけていなかったことなのですが、私は兄よりも勉強のできる子供でした。本ばかりで青白かった報いに、国語に関しては二歳の差にも関わらず兄より知識があったし、中学受験から後の学歴はどの時点で比較しても兄より上です。なまじいい学校に入ってしまったために、またもや国語以外は追試ばっかりで、『ああアホ兄弟だわうち』で片付けていたのですが、今この社会の価値観で見れば、ことに成長すればするほど面白くない気持ちを抱いたとしても、少しも不思議はありません。

優越感、劣等感というのは厄介なものです。それぞれ外からは見えない価値観に支えられているにも関わらず、時々その他のもの全てを優先して発動したりします。「自分のテリトリーを守る」という本能的な部分を元にする、という原因はそれとして、自分に対しても他人に対しても制御を行い無意味に刺激しないための技術は、ことにパワーバランスの世界ではかなり重要なものになるでしょう。

分かりやすい例を引けば、「人をバカにする」という行動があります。バカにされて気分のいい人は一人もいないし、バカにした当人にとってもいいことはひとっつもないんですが、人はかなり頻々とこれをやります。見方によっては、人間は他人をバカにするために努力している、とさえ言えます。これが自分の価値観において人よりも上の立場に立つこと、優越感を満たすことを意味しているからです。事実どっちが優れているかはひとまず別の問題として、これが自然な現象であることは異論の余地がないと思われます。

自然に起こる現象を予測し回避するのが、先述の技術です。これは愛読している本からのいただきですが、『正論はコミュニケーションにとって障害である』という記述がありました。間違ったことを言えば何も分かっていないと腹を立てられ、正しければ相手のプライドを傷つけ、誇りを失わせる。正論自体が悪いというよりも、それが先に上げたような優越感と劣等感の戦いの構造に簡単に組み込まれてしまうということです。正論を語ること自体が当初の目的ではないことを考えると、これは不利以外の何物でもありません。

人付き合いと言い、気遣いと言います。個人的な感想ですが、それはかなり大半の部分がケーススタディからくる技術に依存しています。「ちょっとだけ」引いた観点を持つことが、この場合は役に立つツールになるんではないでしょうか。








拍手レス

うまむーさん>
こんばんは、応援ありがとうございます。ていうか応援せんでください! 勃起!(爽やかに
ほんとにうちの先生の天才ぶりには、毎回首がとれるばかりです。転がってばかりもいられないので、田懸神社のご神体にお神酒でも上げて祈ろうと思います。東京Ver.もそうですが、ED治ればこれも上手くイかせてあげられると思うので、頑張って治したいですね。……何で最近××繋がりが多いんだろう……そういう趣旨じゃなかったと思うんだけど……。
それでは、バイアグラ代わりに兄弟ものネタでも飲んで精進しようと思います。また真鍋さんを拝みにいかせてください。ご訪問ありがとうございました〜



2006年06月01日(木)
マルクク好きさんに二十の質問

初心に返って己の萌え追求。


バトンじゃなく、ネットで拾った質問集です。


1.貴方のH.Nは?
 加藤夏来


2.貴方は物書きさんですか?それとも絵描きさんですか?
 文。


3.貴方はマルチェロの事を普段どう呼んでいますか?
 ○


4.ではククールの事はどう呼んでいますか?
 クク


5.マルチェロ×ククールにいつ頃ハマりましたか?
 ゲーム終了から二三ヶ月後、今はなきURA−Qさんのマルククを読んでから。


6.ゲーム中具体的な年齢は出ていませんが、マルチェロは何歳ぐらいだと思いますか?
 34・5。30は過ぎてるだろうなと。


7.ではククールは何歳ぐらいでしょうか?
 17歳か19歳。ゲームの設定無視で、なぜか自分で二次創作するとこのどっちかに落ち着きます。


8.ゲーム中でこの二人に関するイベントで好きなものは何ですか?
 二人とも登場シーンの気障遺伝子っぷり。ゴルドイベント。煉獄島まわり。特に、腕刺し。「うおさすがだこの根性の入った性格の悪さ!!」と感動した記憶が。


9.マルチェロのセリフで最も好きなものは何ですか?
 台詞じゃないけど指パッチン。台詞じゃなくて言葉遣い台詞回し全般。


10.ではククールのセリフで最も好きなのは何ですか?
 「それでも、おれは。忘れたことはなかったよ」
 「……」(煉獄島)


11.この二人はお互いの事をどう思ってますか?
 マルチェロ:「死ね」
 ククール:「 」


12.ぶっちゃけて二人に肉体関係はありますか?
 マルチェロがククールを強姦してそうです。


13.もしあるならそれはお互いが初めてでしょうか?
 ククールは初めて。マルチェロは男はたくさん。
(ククールはこの後で女性相手に経験がどんどこ増えていく。マルチェロは途中からインポになる)


14.マルチェロの拷問はキツイらしいですが具体的にはどのような拷問でしょうか?
 昔の学校や貴族が子弟にやっていたような鞭打ちの、タガがはずれたやつ。あくまで導入は教育。


15.二人の境遇が違っていたらお互いの関係はどうだったでしょうか?
 違うバージョン1→淑女シリーズをご覧ください
 違うバージョン2→兄でなくて姉。姉への愛情の奴隷。女領主と密通する腐敗神官。入れ替わり立ち代わり現れる姉の夫に冷たい視線を注ぎつつも、みじめな思いが捨てきれない若者。
 違うバージョン3→ 非兄弟。何もかもがどうでもいい、単なる同僚。
 違うバージョン4→兄と、聖なる娼婦の妹。別名バージョン・クリスティーン。妹が寝所で兄の陽根を切り取って逃走し、指名手配中。
 違うバージョン5→追い出されない妾腹の兄と、若領主の弟。兄にお屋形様と呼ばれる弟が、小さい頃仲良く遊んでくれた兄の面影を忘れられず、癇癪起こしたり泣きついたりわがまま言ってみたり慰められたり。
 違うバージョン6→姉と妹。聖堂騎士改め宮廷騎士。半ば権力者の情婦扱いで宮廷闘争に深入りする女将軍の姉と、姉に反発して剣と魔法で成りあがろうとする妹。実は王子と恋仲になったり捨てられたりするとなおよし。
 違うバージョン7→兄がどこかから購入してきた観賞用ペット。羽根がついているのも耳が生えているのもいい。安易に性に奉仕させないほうがいい。尋ねてきた客が、真っ白な体をさらしているうさぎVerククの尻をねっとり眺めながら、「うさぎの旨い料理の仕方」とかをねちねち語ってくれると嬉しい。
 違うバージョン8→現代東京。前妻が連れて行った子供と再婚した妻との間に生まれた子供。ククールが両親に死なれた後に兄がしぶしぶ扶養。引き取ってみたら前一回はずみで援交した男子高校生。オヤジをバカにしながら体売ってたクク、仰天ならびにときめき。……指輪の話に続く。

いつの間にかどえらい方向に話が行ってるので打ち切らせていただきます。


16.告白はしてると思いますか?したならどちらが?
 ククールが四六時中している。


17.この二人の弱点は何でしょうか?肉体的、精神的どちらでも構いません。
 マルチェロ→精神がやばい
 ククール→頭が悪い


18.このカップリングで一番萌えるシチュエーションは何ですか?いくらでもどうぞ!
 拷問……


19.こっそり「これはマルククだ!」という歌があれば教えて下さい。
 反射的に浮かんだのは、「赤とんぼ」(汗
 赤いのが透き通ったきれいな羽根を広げて、すごいスピードで自分のもとから逃げていくのです。


20.お疲れ様です!では最後にマルククに対する想いを書きなぐって下さい!
  二人へのメッセージでも構いません。
 15番の項目だけ他と明らかに密度が違うのが、我ながら怖いです。