みみずのたはごと

2007年03月31日(土)  しづごころなく。

待てと言ふに 散らでしとまるものならば 何を桜に思ひまさまし
桜花 散りぬる風のなごりには 水なき空に浪ぞたちける

…というわけで金曜日、仕事上がりに職場(愛宕山付近)〜青山霊園〜信濃町(JR)と、港区を徒歩縦断して参りました。
目的は、「花見がてら圭介のお墓参りをするという名目で日頃の運動不足を解消するという尤もらしい口実を設けた花見」(…)
職場〜青山墓地の道筋には飯倉公館があるので、外交史料館の『岐路に立つ外交官』展をついでに覗こうと思ってたら、臨時休館中でした…。ちッ!
総踏破距離は概算で3.7キロほど、ただし墓地の中を縦横無尽に闊歩したので、たぶん4キロちょっとは歩いてるのではなかろうか。所要時間は散策も含めて、2時間弱。職場〜青山までは30分くらいで着いてしまいました(墓地にどんだけ長居したんだお前…)。

朝降った雨はすぐ止んで、曇りがちながら空は晴れていたのですが、風がもの凄くて真っ直ぐ歩けないほどでした。寒かった。プラス時間が早め(5時過ぎ)だったこともあって、宴席は殆ど設けられてませんでした。
それでも既に数組の花見客に占拠されていた圭介の墓前…(なぜか宴席銀座なんですよねあそこ…。通路が比較的広いからか?)。直近の屋台は、焼鳥屋でした。あらまあぴったり!(笑)

適当に散策していただけなのに、大隈or馬場関係者のお墓邂逅率が妙に高かったです(当社比)。何の予兆だ。中江兆民のお墓を偶然見つけた瞬間は、うっかり吹き出しそうになりました。中江さんが悪いわけじゃない。偏った知識「しか」ない私の脳内が悪いんだよ。でも「馬場のストーカー」というイメージが…どうしても…(震笑) や、すぐに謝りましたよ。お墓に向かって。ついでに、「馬場を大事にしてくれて有難う」と余計なお世話なお礼も。
圭介のお墓は、花見客を避けて裏から回りこんでお参りしてきました。実は、きちんとお参りするのは今回が初めてだったりします。以前来たときも花見客が目の前に陣取ってて、恥ずかしくて心の中だけでお参りしたのですよ…。今回は、「何こいつ」的な視線をビシバシ背中に浴びつつ(…)しっかり手を合わせて、「いつも呼び捨てにして済みません。好き勝手言ってて済みません。捏造話書いてて済みません。大好きですvv」と謝罪(??)してきましたです。
勿論、みちさんと次郎さんにもご挨拶してきました。

桜は、おそらく前日がちょうど見頃だったと思われ。少し開ききっちゃってました。私は染井吉野は八分咲きくらいがいちばん綺麗だと思ってるので、ちょっと残念。でも、頭上を覆う花の雲から風にひらひら散る様は、文句なしに風情がありました。まあ、ちと風が強すぎたけどな…。


さて、そんなわけでいよいよ4月です。別に身辺にゃ何も新しいことはござんせんが、4月です。普通に忙しいです。――11日を目処に何かはしたいと思ってはいます。思うだけは、とりあえず。



2007年03月27日(火)  昭和が消えていく…。

植木等さんの訃報にふと、そんなことを思いました。
とりあえず生きた時間としては昭和と平成、トントンどころか平成のほうが長くなりましたけれども。
でも自分は「昭和の子」だなあと縷々思います。考え方やものの見方が昭和的。
新聞読み始めたのが小学校2年だったからねえ。世間と自分とを対比させる定規は、やはりその頃に基礎ができたと思うし、何より「天皇陛下」という呼称でまず思い浮かべるのは、昭和天皇だ。
たった7日間で昭和64年が終わり、昭和という長い時代に幕が下りた時の不思議な感覚は、今でも憶えてます。テレビも新聞も大喪の礼尽くしで、恐ろしく退屈でした。(笑)
私はお笑いには詳しくないですが、昭和の笑いと現代の笑いとの最大の違いは、「自分を笑う」か「他人を笑う」かではないかという気がしています。自らを進んで物笑いの種にする、道化じみた笑いには、他人を傷つける要素がない。チャップリンのコメディなどにも通じる精神ですが。私は、そんな優しい笑いが好きです。

月曜日は仕事上がりに、就活中でお忙しい織方さんを、「息抜きも大事ですよ」と悪魔の囁きで誘い出して銀座デートでした。(社会人の風上にも置けない)
明治新聞人のファンなら見逃せない「尾張町一丁目の四辻」(ようするに銀座四丁目交差点)と交詢社ビルを回って、アイリッシュパブでお夕食。久々のパブミールだったので幸せでした。(英国の食事はマズイと巷で評判ですが、葛生さんはその英国の食事が大好きであります…)(正確にはイングランドとスコットランドとアイルランドでは微妙にパブミールも違うんだけど、そのへんはどれでもいい)(エールとサイダーとウイスキーがあればそれでいい…!)(…)
大野さんや田中さんの逸話を色々お伺いしました。当然の如く圭介話も吹っかけました。(お前…)
滝川18歳ショックを(まだ)引き摺ってたので、「若造滝川捏造ストーリー」でやけに盛り上がり、続いて「当時の距離と時間の感覚をリアルに再現しようとすると大変」という創作技に関する話から、伊庭歳で遠距離恋愛ネタに発展。携帯がまだない時代なので、伝令が行き来するたびに特定の私信がこっそり行き交うんだよとか。当人たちはバレてないと思ってるけど、周りはとっくに知ってるんだとか。YスHサさんが書いてくれないかなあとか(伏せてない)、御当人の預かり知らぬところで話題にしてました(ごめんなさーい)。
慶喜さんの言動に一貫性を見出せないのは我々が庶民だからで、殿様理論ではアレは問題ないんじゃね?みたいな結論にも至りました。
ええと分家の件、改めて考えてみたら、親子が一緒に任官しないのは主家に金がないという現実的な理由があったわけで。だから別に「一緒に任官しちゃいけない」というわけではなかったんじゃないかと。分家の理由は違うっぽいですねー>私信

閑話休題。
ずーっと以前(2月)にしのさんから回していただいたバトンに答えてみました。相変わらず函館山の裏から攻めかけて下さる御仁です(意表を突くの意)
 →「10cm江藤バトン」(本当にもうねえ何の罰ゲーム!?)

●メッセージ返信
3/22 2:44 I潮様
 ご教示有難うございますー!/ 復古記を確認してみたところ、官軍から江川さんに「管内の地図と戸籍を提出せよ」との命が2月3日に出て、江川さんがそれらを手ずから藤沢の総督府に届けたのが同21日でした。圭介は1月28日に江戸城で歩兵頭に任ぜられ、2月28日に江戸城で歩兵奉行の昇進辞令を直接受けているので(藤岡屋日記)、小田原に行ったのはその間でしょうね。/ 小田原は江戸から20里、普通に考えて所要2日。小田原⇔韮山は箱根越えをするのでしょうか…韮山の手前の伏見(清水町)までで9里(小田原と往復すると18里)。伏見→藤沢が17里。21日に藤沢宿の総督府に出頭するためには、江川さんは少なくとも19日朝までには韮山を出立していたことになります。圭介の使者と途中ですれ違ってたりして…(切ない) にしても、藤原まで官軍が出張ってきている状態で、小田原まで行ったんですね、圭介…。/ 最近、何はなくとも歩兵隊や圭介に事象を結びつける癖が出てきました。幸せです。(…)



2007年03月25日(日)  春の夜の夢の如し。

本出そうかなーと印刷所の小部数発行金額を見比べるところまで行って、体裁を考えるのが億劫になって帰ってきてしまいました。
武田同人時代の経験で、30〜50部刷りが可能な印刷所さんを幾つか知ってるんですけど、ええと…入稿までのあれこれの手続きがね…。データ入稿もできるし、当時(10年前)に比べればかなり簡素化されたと感心しつつ、それでも面倒なものは面倒だ。昔は何ということもなかった細かな作業が只管面倒で仕方ない。歳だなあ。
表紙の体裁も、絵は描けないしデザインセンスもないから苦痛。
ウェブだとそのへん悩まなくて済むので楽なのですが。

ええと、唐突に「本」などと考えたのは、今書いてる話が妙に後書きが長くなりそうな気がしたからなのでした。ていうか後書きで説明したい元ネタが多すぎるんだ。それだとサイトの体裁と合わないので、じゃあ本か…という単純な動機。
でもよく考えたら、圭介と伝習隊の脱走裏話なんてニッチ市場、お客さんがどんだけ居るってんだよ、と我に返りましたのことです。
5人くらいか?(爆)
需要のないところに無理やり供給しても、在庫オーバーで後で死にそうになるのは武田時代に経験済みなんですよね(笑)
コピー10冊限定という手もあるけど、それならウェブでいいかなあと思わなくもない。本という有形の作品は、それはそれで魅力的なんだけどね。うむむ。

今週末のスポーツは、日韓大学サッカーを除けばまあ満足です。サッカーA代表勝ったしな!(それだけで機嫌がいい)(試合としてもまずまず面白かったのではないかと)
そして大河。ついに高坂が登場しました。でも年齢とか「あれ?」ってなった。ので、深いツッコミはまた後日あらためて。

S宮さんの花見お誘いに心惹かれました。ただ、その週末は在宅仕事の〆切直前。残念…。
悲しみを堪えつつ、金曜あたり仕事帰りに青山に寄ってこようかと画策中しとります。



2007年03月21日(水)  さくらさく。

そして私の心には、開花の報せと相前後して猛烈な春の嵐が訪れました。
え、ちょっと何、滝川の脱走時の年齢が18歳って、ええええ…!? Σ( ̄ロ ̄;;)←入潮さん調査結果。
お…大川と同年代だとばっかり思って た ・・ ・ 。..orz
じゃあもうあれだ、年下で後から陸軍入りしたのに態度でかくて、でも口ほどの事はやってのけるし実家(バック)は強いしで周囲を黙らすお坊ちゃんと、陸軍発足時からの正真正銘叩き上げ、燻し銀の実力派の先輩が、年齢も立場も全く違うのに妙に意気投合しちゃってイエイ!って方向で行こう。そうしよう。お坊ちゃんな滝川は強気で傲慢に見えてどこか甘っちょろくて素直なんだよ、たぶん。で、クールを装って実は人情家な一面のある大川が放っとけなくて嫌々世話焼くうちに、親しくなっていくんだよ。うん、きっとそうだ。ほら、高校出たばっかりの生意気な新人とチームの大黒柱な超ベテランが実は仲良しとかそういうの、あるじゃないか。な!
(な!って言われても…)
(先生先生、何か痛々しいほど可哀想な人がいますよーっ!)
…………現実的に考えれば、鳥羽伏見で一緒に戦ったあたりで大川が「へえ、こいつやるじゃん…」みたいなのが最も有り得そうな展開なんだけどね…。

ところで明日は、亡き祖父の誕生日です。私とちょうど1ヶ月違い。思えば私の人格形成は総て、彼を背骨としてかたちづくられたのでした。
話題転換がちょっと無理やりすぎるんじゃないかとか、そんなことは気にしないでください。

●藤岡屋日記
1月20日に近藤さんと土方が会津屋敷を訪れて、2千両借金してた。借金っていうか、「戦争用に軍備増強しなきゃなんだけど資金足りないから出して」っていうかんじ。
担当してくれたのは石沢民衛という人。近藤さんたちの申し出は「至極尤もに相聞こえ、それがため勇気をくじくようなことがあってはならない、寸刻の猶予もならない」として、「すぐさま2千両を融通した、京都時代と事情は違うけれども緊急事態ということで対応したので、京都時代と同様の形式で、公用金扱いということで処理して欲しい」という要請の手紙でした。
現代風に言えば、領収証の処理依頼みたいなもんか。本来なら費目が立たないんだけど、事情が事情だし何とか取り繕って経費で落としてよ、みたいな。(実も蓋もない)

にしても十五代様…市井の人気、本当に無かったんですね…>慶應4年当時
色々な物語に仮託して、駄目将軍呼ばわりされてます。
あと、薩長もこてんぱん。
とくに笑った落首を2つ。

 御直参、皆(みんな)暇(いとま)で乞食さん
 つるでのさばり実になる気でも、すへ(末)にゃ丸あげ(揚げ)薩摩芋

●更新
>大鳥文庫: 「鳥飯」に『藤岡屋日記』で見つけた歩兵隊ネタ2つ
 有名な2月の脱走の話ではなく、それ以前と以降の話。ネタ自体はたぶんそんなに面白いものでもないと思うのだが、それに伝習隊やら圭介やらを(脳内で)(勝手に)絡めてみたら楽しかった。というネタです。(何のことやら)



2007年03月18日(日)  悲喜交々

…な週末でした。スポーツ的に。(そっちか)
詳しくは特には語りませぬ。話し始めるとそれだけで終わっちゃうから。

先週は確定申告に始まって、仕事したり仕事したり『藤岡屋日記』(貸借物)読んだり『大鳥圭介とその時代』(コピー)読んだり仕事したり『江戸幕府役職集成』(手持ち)を確認したり『藤岡屋日記』読んだり仕事したり、してました。

『藤岡屋日記』は、返却が迫ってるので必死こいて読んでます。借りてるのは第15巻(慶應3〜4年)で、この内容なら手元に一冊あってもいいなあと思って古書検索かけてみたのですが、全15巻揃え(最安値16万円也)しかなく。桁が違う以前に、15冊も置く場所がありません(爆) どうせ同じ15冊セット買いするなら、復古記を選びますよ。(どのみち置場がない)
よく、くだけたネタの紹介でソースとされてる史料なので、よほどそういうネタが多いのかと思ったら意外と堅い内容が中心でした。候文のオンパレード。幕府内部の辞令や老中の登城状況なんかが判ります。
慶應4年2月になると、もの凄い勢いでお偉方が「病欠」しまくり、やがて病気を理由に請願退職していくのがこう、何とも言えない。圭介の抬頭がこれと反比例するのが、また。…この状況で、素直に「御引立て賜った」と喜べるのは、よほど能天気な人だけだと思いますのことですよ。(つまり厄介を押し付けられてるのは、圭介自身よくよく解ってたのではないかと)

『大鳥圭介とその時代』は、圭介の夢を見たので(笑)引っ張り出してきたもの。時代背景(大局的な政治情勢)と圭介をめぐる出来事が同時解説されてるので、目から鱗的に広い視点で時代を捉えられる良書です。新撰組を把握するにあたっての『歴史の中の新選組』と似た感動を覚えます。生野義挙やら池田屋やら禁門の変やらに触れられた部分では、つい局所的な感傷に引きずり込まれたりも。
それにしても、こんな良書が限られた図書館に埋もれているなんてつくづく勿体ない。…一部、圭介に夢を抱きすぎではなかろうかと思われる記述もございますが(笑)

もうすぐ4月なので、懲りずにまたぞろ脱走関係を穿りかえしてます、という近況報告でした。(今年は時代背景や情勢の側から攻めてみてます)



2007年03月11日(日)  すべてアイツの所為

アイツってのは頭痛です。今晩和。
昨夜(というか今日未明)のうちに更新準備を1つ済ませて、明日も1つやって纏めて発表しようという魂胆で寝て起きたら、見事な頭痛と眩暈に襲われて即刻布団にUターンしました。またか…。
原因としては仕事柄、眼精疲労くらいしか思いつかないんですが、最近はわりと調子よかったのになあ。年度末にかけて在宅仕事が佳境に入りつつあるというのに、本日は案件に一指も触れることができず。をのれ…。
図書館から借りてきた『藤岡屋日記』もまだ1/3しか目を通せていないですし、F1も開幕するし、仕事と合わせこれから暫く忙しくなりそうです。18日の春コミに遊びに行く計画もパァになりました。あっは!(壊れた)

いいよもう、来月の信玄公祭り(@甲府)を心の支えに生きていくから。
(行く気半々でいたら、武田同人時代の相方から「どうする?」って行くのが当然なメールが来ました。「どう」の内容が、行くか行かないかではなく、「どこに泊まってどういうスケジュールで動くか」というものだったのには、ちょっと感動しました。お互いもうジャンル違うってのに何て電波的な。これがお屋形様パワーなんだろうか…)

●今週の板垣
今週のっていうか、ここんとこお休みしてましたけど。今夜はのっけから悲鳴上げました。だって最初の画面だと、甘板2人で夜の密談vv…に見えたんだもん(笑) 飯富が映った瞬間、舌打ちしちゃったよ(アンタ…)
折角の板さんの「一心同体」発言も、飯富が一緒じゃあなあ、と思ってたら甘利にしてやられた。甘利の「一心同体」は、板垣に向かって言ってるようにしか聞こえなかった!(でもこの甘利は受けっぽいよねー)(何を言い出すのか)
板垣も、少し大人しすぎてちょっと野心が足りないな〜なんて思いつつ見てます。もっと腹黒くていいのに!(笑) 晴信の傅役としての彼はとても懐の大きい男ですが、後年の逸話を見ると、狭量で自己中な面も垣間見える気がするのですがね…。
あと馬場美濃(=教来石民部)が出て来たので、心の中で「ばばみの!ばばみの!」ってシュプレヒコールしてた。さあ、そろそろ(時代的に)高坂や秋山の出番だぞ!
―――ところで、この大河の主人公って誰なんでしょうか(笑)


●更新
>『大鳥文庫』: 鳥飯追加1つ、小栗ドラマ再放送記念ネタ
 公共放送で小栗上野介ドラマ『またもやめたか亭主殿』の再放送が始まったので、記念として、先日ご紹介した小栗邸のその後に関する東京都・都市紀要13の記事をば。ドラマは、「この隣に滝川@少年時代が…!」と妖しい楽しみ方をしていました。や、だってまだ圭介の出番が来ないからさ。



2007年03月06日(火)  啓蟄です。

私の脳内は年がら年中、"萌虫"が沸いてますが。

先週のおでかけ感想文を書いていたら突発的にオノババオノな気分になって、萩原先生の『馬場辰猪』をパラ見してるうちに、ババタツの系譜の初っ端が「父は甲州武田家仕馬場美濃守」という衝撃的な一文に出ッくわしました。今ちょっと魂抜けてます。え、ちょ、何、待って、え?
武田家中で「美濃守」の名乗りを許されたのは僅かに二十四将の2人、大河でおなじみ「鬼美濃」こと原美濃守虎胤と、武田四名臣にも数えられる名将、馬場信春だけです。馬場美濃はかの長篠合戦で恰好よろしい最期を遂げるのですが、享年61歳なのでまあ息子は当然いたろうと。…武田側では見かけないですが(爆)
や、もう本当、世間って狭い。怖い。

●ものっそい今更な先週のおでかけの話。

2月24日(土)に、『紫雨のゆりかご』の織方さん、明治サイト『華胥之夢』の洛芭さんと、六本木に『長州ファイブ』を観に行って参りました。
12時〜の回で観て、後は周辺を散策して晩餐、という予定でお店の予約もしていたんですが、何が吃驚したって、10分前に既に満席、完売御礼だったという事実です。目の前で売り切れました。「はい、3名様ですね〜…お席ばらばらになっちゃいますけど宜しいですか〜…あッ!…お客様、大変申し訳ございません、今完売してしまいました…」(実況中継)
仕方なく、先に周辺散策をして、次の回(5時〜)を観るということにしました。

六本木界隈には古いお寺や有名な洋館が点在しているので、俄仕込みの怪しい知識を披露しつつお散歩。お品書きはこんなかんじ↓です。

 ・東洋英和女学院 (昭和8年ヴォーリス設計の校舎)
 ・賢崇寺 (佐賀藩菩提寺、2.26事件受刑者の墓) ※お寺の場所のみ確認
 ・善福寺 (アメリカ公使館跡、福澤諭吉の墓)
 ・安藤記念教会 (言わずと知れた安藤太郎ゆかりの教会)
 ・有栖川宮記念公園 (南部盛岡藩下屋敷跡)
 ・専称寺 (沖田総司の墓)
 ・六本木ヒルズ (長府毛利家上屋敷跡、乃木大将生誕の地)

時間にして1時間ちょいで回れちゃいます。坂が多いので途中休憩を挟むといいかも。
…本当は、折角の長州5鑑賞なので、聞多のお墓(長谷寺)にも行こうと思ってたんですけど、この日は風がもの凄くて寒かったので、六本木ヒルズでお茶して残り時間を消費してしまいました。(ちなみに、青山霊園も六本木から余裕で徒歩圏内です。今回は全員すでに訪問経験アリということで割愛しました)
お茶の話題は、明治初期政治家と民権家で、テーマは「電波」でした(何)。主な俎上は木戸様と尾崎とW大周辺とババタツ。…途中からむしろオノババオノ。馬場の愛称「タティン」が、本人自称@アメリカだったのは存じませんでした…。馬場…何てかわいそうな子…!(あッ)

肝心の映画の感想は…おっそろしく長たらしくなったので、別立てにします。こちら(2/25の日記)からどぞ。

映画後は、新宿に場所を移して宴をば。
W大は高☆早苗の呪いで創設者愛がもの凄いんだとか、むしろ彼が創設した宗教だとか、その根源は☆野梓の怨念だとか、いい加減なことばっか言ってすみません(→織方さん)。前触れもなくアクロバティックな話題転換で安富のマイナー情報収集に走ってすみません(→洛芭さん)。
織方さんが長州5マンガを持ってきて下さったので、一頻りネタにして盛り上がりました。いや、それ以外にもちゃんと映画話もしましたよ! …たぶん。(たぶんって…)
あんまり遅くなれないとリクいただいてたのに、結局は11時まで呑み明かしてました。本当に申し訳ない(→織方さん)。

そんなこんなで、楽しさてんこもりな一日でした。お付き合い下さったお二方、重ね重ねどうも有難うございました!m(_ _)m

●更新
>枝折: 新たに1軒、大鳥系サイト様をお迎え
 史実大鳥を大プッシュな素敵サイト様がまた1つ…! 実は昨年中からファンだったんですが、漸く勇気を振り絞りました。(遅) とあるコマのリアル系圭介爺が超!可愛いですvv



2007年03月04日(日)  今日も今日とて一敗地に塗れ…

昨日ごっそり気力が削がれてしまったがゆえ、本日纏めて2日分の日記です。(気力喪失の理由は昨日の日記をご確認くださいませ…)

本日は、のそのそと確定申告をしようとして、最後の最後で書類が足らないことに気がつきました。何たること…! 簡易保険の領収証が見当たらない。結構な額になるので、こいつがないと非常に苦しい。部屋中ひっくり返して探しまくった挙句、結局、再発行手続きをしまし、た…。嗚呼ふつふつと湧きあがる敗北感…っ。
問題は、再発行が間に合うかどうかなんですよね。15日までなんで。…いやその、今頃になって腰あげる私が悪いんですが。そして書類を無くすのがいけないんですが!
頼む間に合って く、 れ ・・ ・。orz

―――すみません先週のおでかけの話なぞしようと思っていたのに、↑のおかげで時間切れです。書きかけのものはあるんですが、とても終わりそうにありません。ので、明日以降に改めまして。
…くくく、漲る敗北感…ッッ!



2007年03月03日(土)  鳥歳愛ノ宴

よっしゃー週末ー更新ーJ開幕ー!…とウキウキしつつ朝(ってかもう昼だ)に新聞広げて、直後、気分が盛り下がりました。
だってTV欄のどこにも瓦斯の試合中継予定がねえんだもの…!(うんまあその程度のカードだってことなんだよね東京vs広島なんてね…ブツブツ…)
おまけに裏番組(違)の横浜戦をぼんやり見てる間に逐一入ってくる他競技場の中間結果報に、ずんどこ気分が急落。試合が終わった時にはすっかり、先月27日のニューヨーク市場株価も真っ青の大幅下落となってました。(判り難い例を出すなや)
まあいいさ。今日の磐田に比べたら2点返しただけマシさ…!
(ごめんネ磐田サポの皆さん…福西奪っといてこんな不甲斐ない結果でさ…orz)
(ていうか瓦斯の登録選手…やたらMFが多くて課題のDFの補強ができてないてのはどうなのか。確かに昨シーズンは不安定だったとはいえバックスの鍵だったジャーンを放り出してこの体たらくというのはどういう料簡なのか。怪我で主力2人欠いたからって徳永CFはねえだろうよ!←注: 徳永くんは右ウイングな子です)
(ふっ…もーこーなったら博実ちゃんマジックしかないな…!)
注: まだ開幕戦です。


金曜日は、柴宮さん誘って新宿で2日遅れの圭介お誕生会でした。最初はきっかり28日を予定してたんですが、急に葛生さんが木曜早朝出勤になってしまったので延期していただいたのです。
待ち合わせまでアルコットのBK1stで資料立ち読みしてました。買うと3千円以上するので(必要なのは精々10ページ)、3回くらい同じところ読んで記憶にインプット。…酷い客だな全く。
酒席では、古文の文法の話からスタートして、「同時代人の他の記録物に比べて南柯紀行は読みやすい。圭介が配慮して万民向けに易しい書き方をしたんじゃなかろうか」という内容がいつのまにか、「そうか! 南柯紀行はつまり現代風に言えばラノベなんだな!」という訳の判らん結論に落ち着いていたり。
葛生さんが図書館で借りた井黒センセの『榎本武揚伝』(欲しい情報はなかったんだけど折角なので読んでる)に、歴史同人の極意を垣間見たり。
や、この本てばまえがきからして、「この本のひとつの重点は、黒田と榎本を密着不離のものとしてみていくということ」とか、「黒田と榎本とが形影相伴う仲」とか、「黒榎一体論はすでにできており」とか、凄い断言が並んでるんですよ…。本の末尾も凄い。『榎本伝』なのに、大通公園の黒田とケプロンの像が冬の夜空に語り合ってるらしいとか、そこに榎本の像がないのがさびしいとか、既に妄想の世界。アレ、何やら既視感…?
というわけで、つまり史実を証拠として交えつつ400ページ以上の説明をすれば、萌えも立派に研究たり得るのだという確証を得た我々。『榎本伝』の表現のあちこちを、「大鳥」と「土方」に置き換えてきゃっきゃ遊んでました←居酒屋の個室で(莫迦)
400ページは無理でも、40ページくらいだったら柴宮さんが何とかして下さるそうです。楽しみです。すっげえ楽しみです! 無論、友情出演で資料提供や談話提供は幾らでもいたします。代理執筆も少しだったら引き受けます。さあ、皆さんも柴宮さんに念や電波を飛ばしましょう!
柴宮さん、ヨ・ロ・シ・ク…!(はぁと)


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