| 2007年04月28日(土) |
も う 厭 き た 。 |
仕事のネタは英語の資格試験の教材なので、英語そのものは比較的シンプルですが、内容が非常に文法チックです。文 法 な ん て 中 3 で 挫 折 し た ぜ 俺 ・・・ ? →基本的に葛生さんの英語力は、2年弱の海外生活で叩き込まれた耳コピとフィーリングと当て推量で構成されとります。要するに慣れというヤツです。理屈で系統だって教えられた「オベンキョ」の英語は、中3〜高校出るまで連戦連敗、常に赤点ヤロウでした…(マジで。) そんな葛生さんが現在取り組んでいるお仕事。教材なので事細かく文法が説明してあって、その正誤も確認しなきゃならないので、辞書と首っ引きです。知らない表現もたくさん出てきます。何とか150ページを突破いたしましたが・・・ も う 嫌 だ ! 厭きたよ…疲れたし…(精神的に)。orz
でも頑張らないと3日お預けになっちまうので頑張るのだ。 3日は、2時過ぎ頃から会場周辺でお茶しばいてます。夜はS宮さんとO方さんが釣れた(ヲイ)ので、たぶん新橋あたりで呑んでます。飛び込み大歓迎。 …というのが心の支えな今日この頃。
(脳味噌がいい具合に煮詰まってきたので、妄想したくて堪りません。でも今妄想に走ったら3日は確実にお預けです。ジレンマ…。)
在宅仕事ですげえお約束な事件が発生。 いつも割の良いお仕事を下さる会社(足向けて寝られない)から新規の英文校正依頼が来まして、いつも以上の好条件にホイホイと引き受けたのですよ。したが、今日届いた校正紙を見て吃驚仰天。泡食ってメールする。 「あの、40ページって仰ってませんでしたか…?」 「ええッ!? 400ページって書きましたよ、ね……あ゛。」 「…………。」 どーりで。校正戻しがGW明けっていうから気前がよすぎるとは思ったんだ。(だったらその時点で確認しとけ俺…orz) 実は仕事してるとこの手の数字間違いはよくあります。つい昨日は、とある海外通信社の記事(英語)がフランスの有権者総数を「44.5人」と書いてきてました。←「million」が抜けてた それはともかく。 GWも私は普通に仕事なので(3日だけ休み取りましたが、一日中出っ払ってますから在宅仕事的には休みじゃない)、ええーと…稼動可能日につき、一日あたり50ページずつクリアしていけば何とか間に合うか、な…。(…) まあ内容は簡易なので、一日50ページも不可能ではありません。理論上は。要するに私が飽きなければ。 ………………………頑張れ、俺(の集中力)。
てなわけで、ただでさえ途切れがちな集中力を維持するため、執筆のほうは暫くお休みです。ちぇ、せっかく興が乗ってきたところだったのにな!(自業自得)
20代最後の日々は、部屋の片付けと掃除で過ぎてゆきました…。 ――まあ確かに、とっ散らかったまま節目を迎えるのもなーという気持ちはあったのですが。しかし葛生さんにとって掃除と片付けは鬼門なのですよ…。本気になるとそれしか見えなくなるから。食事するのも面倒なほど熱中するから。(いやマジで) 収納が圧倒的に追い付いてないという問題は如何ともし難いものの、色々工夫して床平積み状態の本をゼロに致しました。コピー資料も9割7分はファイル整理しました。残り3分はというと、買い置きの空きファイルに収まりきらなかったのです(笑) 月曜にでも補充してきます>ファイル しかし床がすっきりして最初に考えたことが、「よし、これでまた本が買える!」だったというのは如何なのか。そんな折も折、パパ上が珍しく「節目記念に何かプレゼントをやる、何でも欲しいものを言いたまえ」と宣ったので、一も二もなく「本棚。」と即答しました。 ………どうなんだよソレ、いい歳した女の誕生日プレゼント(おねだり)としてさあ…。orz 普通はあれだよね、アクセサリーとか服とか豪華な食事とか海外旅行とか、オサレ系に行くよね。滅多に奢ってくれない人が「何でも買ってやる」って言ったら、できるだけ高いもの狙うよね…。 パパ上もそう思ったらしく(笑)少し考えとけと言われました。でも日付変更線まで考えても、今いちばん欲しいものは本棚です。我ながら色気も素っ気もありゃしない。結婚できないわけだよな…。
ちなみに、今いちばん知りたいことは、脱走時に陸軍副総裁を務めていた藤沢志摩守という人の正体です。軍艦奉行から陸軍に転属して、慶應3年5月に歩兵奉行→陸軍奉行並となり、鳥羽伏見の敗戦後(1月24日)に陸軍副総裁に就任。その後の動向は柳営補任にも書かれてないので、脱走時点でも副総裁職にあったと思われるのですが。 検索してみたら『勝海舟の参謀―藤沢志摩守』という本があるようなので、勝派なのかなー…。 1500石のお旗本、領地は相模原の模様。ただ、養子で元は幕府奥医師の三男とか。縄武館→講武所出役→講武所頭取→歩兵頭という出世道で、文久3年頃に小栗さんの「密事」に関わってたという風聞もあるらしい。『福翁自伝』には同じ頃、深川六軒堀の藤沢屋敷で成島柳北など洋学者7、8人で集会をしたとあり、諭吉曰く藤沢さんは「極の西洋家」。維新後は静岡に移り、少参事→(廃藩後)元老院書記官となったそうです。 …わ、図書館で借りられるよ(↑の本)…読んでる暇ないんだけど借りてこようかな…(こうして泥沼はどこまでも広がってゆくのであった)(合掌)
テレ東で始まった藤澤周平原作の時代劇。>ttp://www.tv-tokyo.co.jp/heishiro/index.html 話そのものは娯楽劇ですが、裏話として水野忠邦vs.堀田正睦とか鳥居耀蔵の暗躍などがあるので、今後の展開が少し気になります。原作読むほどの興味ではないが、息抜きにはよいかも。
| 2007年04月19日(木) |
節目という名の日常。 |
29歳の日々にそろそろグッバイです。3日後には1つ若返ります。嘘です。 …おかしいなあ、12歳頃の計画では私、すでに子持ちのはずだったんですが。(ナニ考えてたんだ当時の自分) でも、じゃあ結婚したいのかと言われると、「日々の要請に基いて」としか答えられません。即ち、「早く結婚しろ」と日々突付かれるのが鬱陶しいがために。でも相手がいないのさ。探す気も薄いのさ。圭介とお屋形様がいれば今はそれで充分なんだ。……我ながら痛い奴…。
予定してた会議(仕事)が流れたので、仕事帰りに重い身体を引きずって図書館に行きました(駅と反対方向)。館内整理で休館でした。…くっそー。
あ、来月3日は湾岸をぽつねんと徘徊しております。暇人なので誰か構ってやってください。m(_ _)m
●大河まとめて3回分。 高坂(大河では香坂)が出仕早々「高坂モード」炸裂だったので非常に萌えました。某コバ●ト文庫の小説がきっかけなので(…)、高坂のイメージはあんなかんじです。実は、その手の策謀家な高坂の登場する小説は実在します。斎藤吉見著『武田信玄』。まだ売ってるのか知りませんが、あれは一読の価値アリ。何せちゃんと信玄×高坂だしな!(……) しかし山県昌景(現時点では飯富源四郎)が長身で吃驚した。史実(伝承)の山県は、「袴腰と頭との間、僅か四、五寸」とか書き残されてるほどの小男です…。(つまり胴の長さ15センチ)(馬に乗れないじゃん!と当時武田ファンの間で騒然話題になった…)(お屋形様より8歳年下)(高坂の3歳下)(大河時間ではもう出仕してますけど、実際は天文12年に15歳で出仕のはず) 先週の放送は、馬場(現時点では教来石)(29歳)の間者っぷりがわざとらしくて笑い転げてました。笑ってたら一転大ピンチでハラハラした(笑)。あと、この諏訪出陣の時に私のご贔屓、秋山信友(高坂と同い年)が華々しく初陣飾ってるんですが…。所詮「武田四名臣」じゃないから省略ですか…。この次の伊那攻めでは福与城一番乗りを果たし、天文15年には20歳にして50騎持ちの侍大将に大抜擢されちゃったりする同年輩中屈指の出世頭なんですが…。どーせ省略でしょうね…。(落涙) 四名臣は、3人まで出揃いました。最後の内藤修理は、お父さんが信虎の勘気を受けて殺されてしまい、一家で小田原に落ち延びたという人物。帰参時期には天文11年説と15年説があり、大河は15年説を取ってるんでしょうかね。この人も面白い人物です。(とある合戦の配陣で小荷駄隊(補給部隊)を命じられて、「小荷駄はイヤだ」と渋って信玄直々に諭されたというエピソードが…。でも、通称は「甲陽の副将」。どんな副将だ…。) そんなわけで毎週が楽しいです。画面に現れない裏ネタで盛り上がってます。
●メッセージ返信 3/29 0:59 中野大木のS様 嫌がらせじゃなかったんですか? てっきりそうだと(笑) 嘘です、いつも回答に悩むバトンを有難うございますー。自分の中に数パーセントだけあるエンターテイナーの血が騒ぎます。下手な答えを書いたら呆れられる…!と戦々恐々です。楽しんで頂けたということは、我が軍の勝利でしょうか。勝鬨あげてもよかですか?/ 慶喜公は…圭介の立場で見るから混乱するんだと思います>私。関係ないですが子孫の方が出してる本に興味津々です。余裕がなくてまだ読めてませんが。/ 中野大木、楽しみにお待ちしていますvv いついつまでもvvv(注: 嫌がらせではありません) 4/13 22:05 胸板垣に胸キュン(死語)のH様 板垣と板垣の関係は、甲州側では「〜と自称している」的な扱いです(笑) 乾家の系譜にしか証拠がないそうで。家伝の家系図には怪しいものも多々ありますからねー…そういう意味では馬場も怪しいのかも…。でも本当なのかもしれないです。どうなんだろう。/ 大河は私的には↑の感想のよな印象ですヨ。推して知るべし(笑) 本は…どうだろう。出るのかな…(他人事のように)(をい)
…暫く、脳内が甲斐の国と450年前に行ったっきり帰って来られませんでした。かつて集めた資料とか小説とか読み返してみちゃったりして。 今回の大河も史実(通説?)とズレがあるようなので、調べ始めたら深みに嵌ったカンジです(笑) 簡単な人物紹介と昔書いたSSのリライトバージョンを、特設ページで紹介してみよっかなーなんてことまで考え始めてるよこのヒト。そんな暇がどこにあるというんだろうねえ…。 ま、やるとしても、いま手をつけてる脱走ネタが終わってからですが。というのも当時使ってたPCがキューハチでして(爆)、すでに廃棄処分にしちゃってるんですよ;; SS載せるとしたら、紙原稿から打ち直しでっす(死) でもやりたいなあ。大河の甘板がただのロートル扱い(苦笑)なのが悔しいんだよ…。現在放送段階でまだ2人とも五十前のはずなんだが。(でも「甘利と板垣はもっとこう…!こう…!!」と思いながら『武田二十四将伝』を読み返したら、今回の大河もこいつをしっかり読んで創ってる気がしてきた…orz)
そんな精神状態(笑)ですが、とりあえず昨日、S宮さんにメールで「帰ってこれねえ〜助けてくれ!」と叫んだら自分のやる気が奮起したようです。本日より執筆再開。がむばりまする。
お仕事近所の芝公園周辺で、八重桜が盛りです。夕方5時頃に行くと、増上寺の時の鐘が聞けます。「江戸七分、木更津まで聞こえる」というのはちと大袈裟な気も致しますが、当時はそのくらい静かだったのかも。 現在は、日比谷通りを通る車の音が煩すぎて、100メートルも離れると聴き取り難いです…ちょっと寂しい。
銃撃事件が選挙に絡んだものだったとしたらちょっとかなりショッキングだなあ…。 (政治テロに屈せず自説を曲げなかった明治政治家たちは凄いと思う)
メッセージ有難うございます。大事な糧、エネルギー源ですvv 返信は次回まで少々お待ちを。
今年もまた4月11日が巡ってまいりました。圭介脱走139周年です。…新暦とか旧暦とかは言いっこなしの方向で。 で、ですね。記念日更新はやっぱり無理でございました…。 週末の甲斐の旅が効いた。さらに帰宅後の大河が決定打。頭ン中すっかり四百有余年前に逆戻りでごいす。 お蔭様で、歴史に嵌る楽しさの原点を思い出しましたが。史跡巡りも、歴史上の人物を主人公に創作するのも、武田が最初でしたからねえ。初心に帰った気持ちです。 かつての自分の創作を読みかえしてたら、トークページに「歴史創作は1%の史実と99%のハッタリでいい」とか書いてあって、自分で書いたことなのに目から鱗でした(笑) 十年前の自分の言葉に救いを見出すというのも如何なのか。
甲斐の国は、大河効果で一段と「武田度」が上がってて、すっかりミラクルワールドでした。お前らそんなにお屋形様が好きか!というかんじ。我々も当然、便乗して大いに盛り上がってきました。 私と相方がそれぞれ連れを伴って4人の道行きだったのですが、1日目(土曜日)は途中まで2組に分かれて、私と連れが山梨県立博物館(かいじあむ)の風林火山展、相方とその連れが武田神社の戦勝祈願祭と陣屋めぐりをして、3時過ぎに舞鶴城で合流。情報交換をしつつ甲州軍団出陣式を見て、それから市街に出て、軍団出陣パレードを見学。 パレード中に結構な雨に降られましたが、武者ども(地元青年団や会社役員、社員などで構成)も我々もそっちのけで大フィーバーでした…(苦笑) 軍団の人たちは皆、それぞれ勝手知ったる仲間内で隊を組んでるし、陣屋で酒を呑みまくってるので、ノリのいいこと。面白いパフォーマンスを色々とやらかしてくれます。微妙に統率が取れてないともいうけど(笑) 私も久々の信玄公祭り、相方と昔の話をしたり(ミ●ージュとかな!)(…)、懐かしくも楽しい一時でした。 そうそう、出陣式は、大河に合わせて永禄4年の第4回川中島合戦への出陣、という形式を取ってました。ちゃんと勘介がお屋形様に「きつつき戦法」を進言するのですよー。ただ、可笑しかったのは、「武田二十四将」というのが晴信/信玄の在位中の全武将から時代も年齢も考慮せず選ばれているので、現実には永禄4年にもう死んでる人や、まだ初陣してない人なんかが居るということ。板垣・甘利なんてとっくの昔に討死しとるわな!(笑) 「え、亡霊?」「換生したのか?」とか好き勝手言い合ってた我々…。 パレード終了後は、ほうとうを食し、湯村温泉に宿泊しました。 翌日(日曜日)は、レンタカーで小淵沢まで。風林火山館を見学してから、桃・桜・李の花の満開コンボを眺めながらドライブしつつ、棒道、新府城址、武田八幡宮などに行きました。 風林火山館では、土産物屋に大ウケ。「武川衆」と書かれた看板がありましてね…。「武川衆売ってるの!?」「『おっちゃん、馬場一丁!』『あいよ!』とか?」と爆笑してました(お手軽な…) ↑店名でした。野菜とか漬物とか米とか無造作に並べて売ってる超ローカルな雰囲気の店で、「武川らしい〜」「馬場〜!」とそこでまた大笑い(武川在住の皆様に失礼だお前ら) (何で我々が武川でそんなに盛り上がるかというと、「武田時代の武川衆は、当時の武士なら知ってるはずの誓詞の書き方を知らなかったらしい(思いっきり使用方法を間違えた誓詞が残っている)」からだったりします…) 武川祭(…)は甲斐路に止まらず、帰宅したら大河でも馬場大活躍で、何だかすっかり「馬場デー」な一日でした…。 しかし! 今回の旅の最大の収穫は、地元人の出版した秋山本! 秋山主人公の小説なんて、私くらいしか書く人いないと思ってたよ(爆) 当然の如く買い求めて読んでみたら、ものっそい秋山万歳な内容でした…同人誌みたい。ハードカバーなのに。著者とはお友達になれそうな気がします。くくく。
ところで、実際に甲斐の地を歩いてみると、自分の記憶がすっかり怪しくなっているのを実感させられました。城郭の構造とか戦陣の形式についても、思いのほか幕末洋式陸軍のそれに親しんでる。いかんなあ、と思うと同時に、やっぱり私は武田軍団が大好きだなーとしみじみ思いました。 圭介とは別の意味で、一生の付き合いをしたい魅力溢れる人々です。武田家臣団。
圭介脱走ネタは、少し腰を据えて書きます。なんてことを確か去年も言ってた気がしますが(…)、えーと今度は(今度こそ)ちゃんと終わらせるつもり。 4月中には目鼻がつくんじゃないかと思っとります。(つまり要するにまだそんな段階だっちゅーことで、す…)
コレ、欲しいなあ…。
世話に手間かかりそうですが、名付け方によっては楽しめそうです(笑)
11日に間に合わせるのが非常に厳しくなってきました。 みんなーッ、オラに元気を分けてくれーッ!! (……というのが通じない世代、というのもそろそろ出てきそうだ…;;)
とりあえず明日と明後日は武田に浸るかんじで。 行ってきまーす。
本日、1つ目の〆切でございました>在宅仕事 次の〆切は11日。その次が15日です。 ちなみに毎週、月木金は出勤仕事日です。ついでに今週末の土日は、まるっと山梨旅行です。 ……11日までに何かは更新、って、いつ準備すりゃええんじゃ…。_orz
(というわけで、暫く潜ります。たぶん。) (間に合わなかったらごめんなさい…。←公算はかなり高いと思われ)
寒の戻りだの花冷えだのという言葉が白々しく思えるほどの寒さでした。
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