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『女性死神協会 会議中02番外編4』
『甘いあまい日』
十一番隊の修練場の屋根の上には午後の暖かい日差しが降りそそいでいる。やちるは昼休憩の鐘が鳴ってからずっと、そこに一人座っていた。 やちるは金平糖を一粒、小さな指でつまんでそっと口の中に放り込む。途端に花が綻ぶように笑った。そしてかりこりと噛み砕き、舌の上で欠片全てが溶けるまでゆっくっりとその甘さを楽しむ。全てが溶けてもしばらくその余韻を味わい、そしてまた一粒だけつまむ。 膝の上には幾つもの金平糖の袋。その中には一つ二つ、別の菓子の箱があった。どれも可愛らしい包装をされ、結わえた紐がまだ少し肌寒い風に揺れる。やちるの桃色の髪も肩の上で揺れた。 鈴の音と共にやちるの隣に急に大きな影が現れた。やちるは驚くこともなく、見上げて笑う。 「剣ちゃん。お昼食べたの?」 「おう」 剣八は短く返事をして隣に座る。そしてやちるの膝に山積みになった袋を見て口の端を上げた。 「お返しか」 「うん」 やちるは首を大きく傾けて剣八を見る。 「剣ちゃんの、今食べてるの。美味しいよ。ありがとー」 そう言って大きく笑うやちるの頭に手をのせて剣八は乱暴に撫でた。 「おう。そいつぁ良かったな」 「うん」 やちるはそう笑って、もう一粒、口に含む。丁寧に丁寧に一粒ずつ、やちるは味わっている。
執務室でネムが使用している机の上には菓子の袋や箱が積まれていた。 「ネム。これは何だネ」 マユリが横目でネムを見やる。ネムはマユリの正面ですらりと立ったまま、 「ホワイトデーという習慣かと思われます、マユリ様。先月、十二番隊の皆様や技術局の方々にチョコレートをお渡ししましたので」 と答えた。マユリが鼻を鳴らす。 「くだらないネ」 そう吐き捨てるように言い、マユリは手にしていた書類の束をネムに投げる。取りこぼさずにネムはそれらを受け取った。 「これを阿近に持っていけ。結果を三日以内に出すように言っておくんだヨ。いいネ」 「はい、分かりました。マユリ様」 ネムは深く礼をして下がろうとした。 「ちょっと待て」 マユリの声に振り向いて、ネムは首を傾げた。 「はい」 「駄賃だヨ。ホワイトデーとやらなのだろう?」 思いついた、というような無造作な手つきでマユリは懐から出した小銭をネムに投げて寄越した。ネムは慌てて書類を胸に抱えたまま、どうにか小銭を受け取る。そして硬い感触を両手で包み、大きな目で数回、瞬きをした。 マユリが尖った声で、 「さっさと行くんだヨ、このうすのろが! ソレは急ぎなんだヨ!」 と言葉を投げつける。ネムは小銭を強く握りしめ、深くふかく礼をした。
皆の代表だという花太郎から大きな箱を受け取って、勇音は照れくさそうに笑った。 「みんなで買ってきたんです。ここのお菓子、ホントに美味しいですから」 そう言って花太郎は笑い、ぺこりと礼をして執務室を出ていく。淡い桜色の包装紙で包まれた箱を机に置いて、勇音は柔らかい笑みでそれを眺めた。箱の隣には可愛らしい紐で結わえられた透明な袋があり、その中にはマシュマロが幾つもあった。それは先程、卯ノ花がくれたものだ。 「なんか、嬉しいなあ」 誰もいない執務室で勇音は呟いて、指先で箱の表面を撫でる。 そのとき、扉がノックされた。勇音は顔を上げて、はい、と答える。 「失礼します」 扉から荻堂が入ってきた。荻堂は普段通りの無表情で勇音を見上げ、 「こちらが現在、治療中のデータです。ご確認下さい」 と数枚の表を手渡す。勇音はわずかに身を引きつつそれを手にすると、素早く目を通した。 「……はい、分かりました。ご苦労様でした」 書類から顔を上げると、荻堂と眼があって勇音は困ったように微笑む。荻堂はつうと眼を細めて、しかし目を逸らさない。勇音は視線を泳がせ、机上の箱に眼をやった。 「あの……お菓子、ありがとうございました。荻堂八席も、一緒に買ってくれたんでしょう?」 指先で箱に触れて勇音は言った。荻堂は小さく、こちらこそ、と言い、懐から取り出した、掌に乗るくらいのガラスの箱を勇音の前に置く。勇音はそれを見、顔を上げて荻堂を見た。荻堂は置いたガラスの箱をもう一度手に取ると、勇音の手を取ってその上にのせる。 分厚いガラスの箱の中には薔薇の花の部分だけが一つ、あった。 「金も力もないものですから、これだけですが……特別に」 荻堂はそう言って柔らかく勇音の手を箱ごと握り、眼を覗き込んだ。そしてすぐに手を離し、ぼんやりしている勇音に一礼すると背を向けて執務室を出ていく。 その背を見送って、勇音は掌の透明な箱を見た。 「……御礼、言いそびれた」 勇音は呟いた。
書類に判を押していた七緒の前に、小さなものが置かれた。 兎の形をした、根付けが正方形の箱の上に乗っかっている。縮緬で出来ていて、小さな鈴と一緒に赤い紐で結わえられていた。正方形の方は色鮮やかな和紙で包まれている。 顔を上げると、京楽が微笑んでいる。 「七緒ちゃんに、チョコのお返し」 「……二つあるように見えるのですが」 「そりゃあ、お菓子だけじゃボクの気持ちが表しきれないもの」 京楽はそう言って笑うと、片目を瞑る。七緒は無言で根付けを手に取った。ちりん、と小さく鈴が鳴る。白兎が一緒に揺れる。 七緒は目を伏せた。京楽が背を屈めて顔を覗き込もうとする。 「どうしたの、七緒ちゃん」 「あの、二つもお返しを頂くのは申し訳ないのですが」 京楽から目を逸らして七緒は呟くように言う。先月、京楽に贈ったチョコレートは辛うじて……本当に辛うじて食べ物として成り立っていたものだった。それを自覚しているから、七緒は京楽と目を合わせられない。 そんな七緒の横顔を眺めて、京楽は柔らかく笑う。 「あらら、七緒ちゃん。愛の抱擁の方がいいのかな? どちらにするか迷ったんだよねぇ。ボクとしては勿論、両方差し上げたいところなんだけど?」 「根付けの方だけをありがたく頂戴します!」 七緒が力強くそう言い切って顔を上げた。京楽と目が合う。 「チョコ、本当に美味しかったよ。七緒ちゃん」 京楽はそう言ってくるりと、自分の執務机に向かっていった。
目の前に突き出された紙袋から、突き出している本人である砕蜂に視線を移して大前田は一言、 「何すか、これ」 と呟いた。執務室に入ってくるなり無言でそうされては、察しの良い大前田もさすがに理解できなかった。しかし、大前田の言葉に顔をしかめた砕蜂は更に紙袋を大前田に押し出してくる。大前田は半ば無理矢理それを受け取った。 「今日はホワイトデーだろう」 「そうすね」 「先月、貴様には菓子を作らせたからな。今日、返礼をするのは当然だろう」 砕蜂は腕を組み、胸を反らせて大前田を見上げている。確かに先月、大前田は一生分かと思われるくらいに菓子を作り続けた。バレンタインデー当日も作り、それは砕蜂が食べたことも確かだった。なるほど、と大前田は頷き、紙袋を覗く。 体が傾いだ。 主に焦げ臭いのだが他にも何か混ざった、正体不明の臭気が大前田の鼻を直撃したのである。臭気に遮られて中身を確認することができなかったが、大前田は再度、覗き込むことを躊躇う。鼻の奥が痛い。 「……た、隊長」 「どうした」 「これは……」 痛みによって涙目になった大前田がおそるおそる尋ねると、砕蜂は片方の口の端を上げて笑った。 「うむ。昨夜、刑軍の給湯室で作成した菓子だ。何、遠慮するな。自信作だ」 格好良いとさえ言える笑みで砕蜂は大前田を見上げている。忙しい砕蜂が時間を割いて、しかも隠れて作ったというのだ。何が言えるだろう。これ以上に光栄なことはない。大前田は肺の底から息を吐いて覚悟を決める。今日はもう仕事はできないことだけは確かだった。
乱菊が執務室に戻ると、机の上には綺麗な箱が乗っていた。 「市丸の野郎が置いていったぞ」 自分の机で日番谷が顔も向けずに言う。乱菊は箱を手にとって眺めた。ベージュと焦茶の柔らかい、大人びた色合いだ。 「そうですか。じゃあ、ホワイトデーですね」 椅子に腰掛けて乱菊は箱を両手でもって見回す。その様子を日番谷が横目で見やり、 「あの、石畳とかいう生チョコだろ?」 と言った。乱菊は顔を向けて笑う。 「よくご存じですね」 「ちょっと前に奴から聞いたんだよ」 日番谷は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。乱菊は小さく、ふふ、と笑って箱を頬につけた。 「嬉しーい。これ、ホントになかなか手に入らないんです。あたしも初めてですよ。訊かれたときにこれを薦めて良かったぁ」 「何だ、お前の推薦か」 「そうですよ。お返しに何がいいかって訊かれたから、これを是非……って」 乱菊は無防備な柔らかい表情でそう言って、何かを思い出したように小さく笑う。日番谷はそれを無言で眺めていたが、わずかに眉間の皺を緩めて、 「良かったな」 とだけ言った。
あとがきですよ。本当はここまで書くつもりはなかったのですが、まあ色々と。ネムさんのお話が実は一番気に入っています。ほんの少し、優しさですらない気紛れを向けられて、名も知らない感情が沸き上がるネムさん、などと妄想しつつ。マユリ様は気紛れだと思います。
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