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『女性死神協会 会議中02番外編(後半)』

『試食前夜』

(四番隊・給湯室)
 最初の試作はチョコレートクッキーだった。ちょうど給湯室にやってきた卯ノ花に食べてもらった。
「あら、おいしいですよ、勇音」
「本当ですか。よかったぁ」
 卯ノ花の言葉に勇音は安心したように微笑んだ。卯ノ花も柔らかい微笑みを向ける。
「これは協会のお仕事ですね」
「はい。要望が出たらしく、みんなでレシピを提案するんです」
 勇音は今回の要望を卯ノ花に説明する。卯ノ花は黙って聞いていたが、最後に首を傾げた。
「……男性を口説くことが目的でしたら、別のお菓子の方がよろしいのではないでしょうか。素朴で暖かいお菓子ですが、口説く、という状況まで持っていけるかどうか」
「うう、やっぱりそうですよねえ」
 人生の先輩でもある卯ノ花の言葉に、勇音は考え込んだ。

 次の試作はブラウニーにした。残業の最中に給湯室の前を通りかかった伊江村を呼び止めて、食べてもらった。
「非常に美味ですよ、副隊長」
 神経質そうな顔をわずかに綻ばせて言う伊江村に、勇音は笑いかけた。
「本当ですか。ああよかった……あ、あの、伊江村三席」
「はい?」
 尋ねようとして、そこで勇音の口は動かなくなった。男性を口説けるかどうかを尋ねるのは果たしてどうなのだろう、と急に気付いたからだ。口をぱくぱくと開けたり閉じたりしている勇音を伊江村は訝しげに見ている。勇音は慌てて、
「あ、あの、その、……これを食べるとどんな気持ちになりましたか?」
と言った。言った後、その間の抜けた質問に気落ちしたが、伊江村は生真面目に首を傾げると、
「は? はあ……、そうですね、休憩にしてお茶でも、という気持ちでしょうか」
と答えた。
 首を傾げつつ遠ざかる伊江村の背を見送りつつ、これじゃだめだと勇音は項垂れた。

 更なる試作はラム酒を効かせたトリュフにした。丁度よく勇音に指示を仰ぎにきた花太郎に食べてもらった。
「すみません、副隊長。時間外にお尋ねしたばかりか、お菓子まで頂いてしまって」
「ううん、こちらこそ是非、感想をお願いしたいし」
 恐縮しきりの花太郎にトリュフを渡して、勇音はトリュフを口に入れる花太郎を真面目に観察する。花太郎はトリュフを噛み締めた途端、相好を崩した。
「……どう?」
「美味しい! 美味しいですよ、副隊長。すごく大人の味で!」
「どんな気分になった?」
「気分?」
 握り拳で感想を待つ勇音の気迫に気圧されたのか、花太郎は半歩下がりつつ、首を傾げる。
「気分……気分……、あ、そうですね。あの、こんなお菓子が作れる副隊長を尊敬しています!」
「あああ、これもだめかあ」
 脱力して座り込む勇音を、花太郎は驚いて訳も分からないままに慰め始める。

 次の試作品をどうするか、勇音が考え込んでいると給湯室の前を荻堂が前を通りかかった。
「……何をしておられるんですか?」
「あ、荻堂八席。残業ですか。夜勤ですか」
「残業が終わったところですが……副隊長が給湯室でなにやら妙だと向こうで噂になっていますよ」
 荻堂の言葉に、勇音はがっくりと項垂れる。それを見て荻堂は給湯室に入ってくると、下から覗き込むようにして勇音と目を合わせた。
「どうされたんですか。こんな夜中にお菓子作りで、質問攻めで」
 勇音は普段から寄せられている眉を更に寄せた。
「お話することはできないんです」
「ああ、まあだいたい想像できますけどね」
 そうさらりと言うと、荻堂は勇音の肩と背中に手を置いて猫背気味にどうしてもなってしまう勇音の背を伸ばす。荻堂によくされているのだが、勇音はこれをされるといつも緊張してしまうから、誤魔化すように小さく笑った。
「とりあえず、どんな気分になるお菓子を作りたいんですか」
 勇音の前で腕を組み、荻堂が尋ねる。勇音は困惑して視線を彷徨わせたが、夜中の給湯室の前を通る者はいない。どうにも恥ずかしく、勇音は消え入るような声で、
「あの……男性を口説くことの、出来るお菓子を、作らないといけないん、です」
と言った。荻堂がつうと目を細める。
「お酒を入れてみても、全然、なんかそんな気分にはならないそうで……どうしたらいいのか……」
 荻堂が反応を示さないので、勇音の声はどんどん小さくなっていく。体も声とともに縮こまり、勇音は胸の前で両手を組み合わせて俯いた。
 その様子を目を細めて眺めていた荻堂が、事も無げに言った。
「簡単ですよ」
「……え?」
 顔を上げると、荻堂は普段通りの淡々とした表情で言う。
「二人で一緒に食べられるような、いえ、食べた方が良いものにすればいいんですよ。二人きりで食べれば、いやでも口説く雰囲気になるでしょう。食べ方を教えないとよく分からないものや、一人で食べるのはイマイチなものにすれば」
「あ……ああ、ああ! なるほど! 思いつきました!」
 勇音の顔がみるまに明るくなった。ぴんと背を伸ばし、勇音は荻堂に明るい笑みを向ける。
「ありがとうございます! 思いつきました! しかも二つも。あ、荻堂八席、すぐに作るので試食してくれませんか。お願いします!」
 荻堂に返事をする間も与えず、勇音はボウルを片手に動き始める。荻堂はそれを眺めていたが、やがて諦めたように壁により掛かった。

 最後の試作はフォンダンショコラとチョコレートフォンドュになった。ぼんやりと待ち呆けていた荻堂にそれらを食べてもらう。
「……そんなに見つめられるとさす」
「どうですか?」
 軽口を真面目に遮られ、荻堂はくるりと視線を回すと、勇音を見つめた。
「とても美味しいです。そして発想もよいかと思います。どちらも食べ方がすぐにピンときませんので、一緒に食べようという話になるでしょう。これならば口説く、という目的に叶っていると思います」
 身じろぎもせずに聞いていた勇音は、ほうと相好を崩した。明け方まで頑張ったかいもあろうかというものだ。急に脚の疲れを感じ始めるが、ほっとした安心の方が勝っていた。
 その様子を眺めていた荻堂の目がつうと細くなった。
「……このフォンドュというものはそれほど熱くはないのですね」
「あ、はい、そうですね。少し冷めてしまっていますが、まあそんな高温でなくとも」
 勇音は手を伸ばしてとろけたチョコレートの入った容器に触れる。と、その手を急に荻堂の手が握りしめた。
 何が起きているのか分からなかった。
 勇音が状況を把握していない間に、荻堂はいきなり、勇音の指先を溶けたチョコレートに突っ込んだ。瞬時に戸惑いが驚きに変わるが、どちらにしても勇音は何も言えずに呆然とする。
「熱いですか」
 さらりと表情を変えずに言う荻堂に、勇音はただ首を横に振ることしかできない。すると、荻堂は、小さくそうですかと呟くなり、チョコレートのついた勇音の指先をぺろりと舐めた。
「……っ!」
 ほんの一瞬。
 それはほんの一瞬、だが確かに指先に人の舌の柔らかさと熱を感じて、勇音は硬直する。まだ手を離してはくれない目の前の人は、風のない湖面のような、何もかも沈めて浮かばせない表情で、だから何も読みとれない。
 言葉が形にならない。勇音は懸命に口を開けるが、言葉は出てこない。勇音は空気の足りない魚のように口を動かす。
 すると、荻堂は小さく息を吐いて、
「……とまあ、こうして指にでもチョコレートをつけて、あたしを食べて、とでも言ってみてはいかがでしょうか」
と淡々と言った。
「……は?」
「口説きの一環で。まあ微笑ましいものだとは思いますけどね」
 手はいまだに握られたままで、勇音は呆然としたまま壊れた人形のように頷いた。しんと室内が静まりかえる。一瞬のそれが重く感じたそのとき、遠くのざわめきが大きくなった。荻堂がそちらを振り返る。
「急患かもしれませんね。あちらに向かいます。副隊長」
 ようやく手を離し、立ち上がった荻堂が真っ直ぐに勇音を見た。勇音はまだ固まったまま、その視線を受け止める。
「ごちそうさまでした。美味しかったですよ」
 荻堂はそう言って、くるりと背を向けて部屋を出ていく。勇音はその背を見送り、そして自分の指先に目をやった。指先にはまだ少しだけ、チョコレートが残っている。指先が急に熱くなったように感じ、勇音は慌てて頬を叩き始める。そして立ち上がると、
「美味しかったのはチョコ! チョコレートだから! ……あたしも行かなきゃ! そう! うん! 行こう、とにかく」
と言い聞かせ、甘い香りの漂う部屋を飛び出していった。


(そのころの八番隊給湯室)
「……あら? あららら? ……甘くない」
 ようやく滑らかに溶けたチョコレートを一舐めして、七緒は首を傾げた。もう一回、とボウルの端についたチョコレートを指ですくって口の中に入れる。甘くない。ビターなんてどころではなく、全く甘くない。
 七緒は慌てて、チョコレートの入っていた袋を手に取った。製菓用、と書かれた袋に僅かに残っていたチョコレートの欠片を口の中に入れる。
 甘くない。
「もしかして……製菓用って、お砂糖が入ってないの?」


(十番隊・給湯室)
 執務室から戻ってきた乱菊が目にしたのは、甘い香りの漂う給湯室の床で悶絶しているギンの姿だった。
「……明け方の他隊の部屋で何をしておられるのでしょうか? 市丸隊長?」
 閉じた扉に寄りかかり、冷ややかな目で見下ろす乱菊を、歪んだ顔をしたギンが見上げる。そして一言、
「み、水」
と嗄れた声で言った。乱菊はわざとらしい溜息をついてみせる。
「……勝手に召し上がりましたね」
「そ、そんなこと言わんといて。何入っとるん、これ。喉、痛ぁ」
「罰が当たったんですよ」
 そう言いながら、乱菊は戸棚から客用の湯飲みを取り出すと水道水を乱暴に汲む。それをギンに差し出すと、ギンは一気に飲み干した。
「はい、口直しにどうぞ」
 続けて乱菊は、作業台に散らばっていた残りのチョコレートの欠片を差し出す。ギンはそれも一口で食べ、ほうと息を吐いた。ようやく乱菊は苦笑して、膝を抱えるようにして座り、ギンと目線を合わせた。
「スピリタス入りのボンボンを召し上がったんですよ。隊長は」
「……うわ、最悪やないの」
 床に座り込んだまま、ギンもまた苦笑する。そして、ちょいと首を傾げた。
「どうして、敬語使うとるん…………乱菊?」
 そう言われて、乱菊は少し困ったような顔をして、そして笑った。
「あたしだと、隊長クラスに霊圧を消されたら分からないからよ。実際に、あんたが来ていたことにも気づけなかったしね……ギン」
 壊れものを扱うように丁寧に名を呼ばれ、ギンは味わうように目を閉じ、すぐに目を開けて笑う。
「声聞こえるような距離には誰もおらへんよ。それにボク、完全に霊圧消しとるさかい、ヒラの死神には気付かれへん」
 目の前で揺れる一房の山吹色の髪を指でくるくると遊ぶように摘み、ギンは柔らかい声で言う。ひそめられた声は狭い給湯室ですら響かない。ただ、乱菊の耳にだけ届くから、乱菊はくすぐったそうに小首を傾げる。
「あんたが言うなら、大丈夫でしょうね」
 髪を遊ばれたままにして、乱菊は笑う。
「で。どうしたの? 夜中を通り越して、もう明け方よ?」
「ちょい眠れんかったんや。お月さん綺麗やったし、ふらふらしとったんやけど。色んな隊からええ匂いするし、こっち来てみたらこっちもええ匂いするやろ。乱菊の霊圧もあったさかい、こっそり」
「あたしの霊圧の方じゃなくて、匂いのする方へ来てみたわけね」
 ギンの片頬を摘み、乱菊はいたずらした子を問いつめるように笑みの形に細められた目で覗き込む。ギンは頬を伸ばされたまま、
「はあ。そうなんやへろね」
と言って、肩をすくめた。
「そういうことしてるから、スピリタスボンボンを食べちゃうのよ」
「らってええにおいしたんらほん」
「何言ってるんだか分からないわよ」
「せやったらてぇはらして」
「はいはい」
 乱菊のほっそりとした指が離れ、ギンは少しだけ名残惜しそうな顔をするが、手で頬をさする。
「痛ぁ。乱菊、力入れすぎや」
「つまみ食いするからよ」
「食べたん、スピリタスやないの。罰ゲームの景品かなんかやろか?」
「ああ、あれ? 極秘任務」
 しれっと言う乱菊を、ギンは疑わしそうに見上げた。
「協会やろ?」
「さあ?」
「怖いわぁ。相変わらず」
 ギンは苦笑して、再び乱菊の髪を手に取る。されるがままに、乱菊もまた苦笑した。
「失礼ね。女性死神達のために日夜働いているのよ」
「それでスピリタスがどう出てくるんやろ」
「あんた、あれくらいで酔っぱらったりしないでしょ?」
 乱菊が抱えていた膝を床につき、体をギンの方に寄せる。床に座り込んでいたギンの膝の間に入る格好になると、乱菊はこつんと額をギンのそれにぶつけた。そのまま、二人とも目を合わせて微笑む。
「しぃひんけどな、喉痛くなるわ」
「あら、あんたも普通の喉をしてたのね」
「酷いわぁ」
 ギンがむくれてみせると、乱菊はくすくすと笑った。ギンもむくれた顔を我慢できず、吹き出して笑う。狭い室内にじゃれあっているような笑い声が小さく響く。
「色んな隊舎からええ匂いしてたんは、他のお人らも作ってはるからやね」
 乱菊はそれには答えず、ただ大きな青灰色の目をくるりと回してみせた。
「ああ、ただ四番隊は何や慌ただしゅうしてはったなあ。急患でも出たらしいわ」
「あらら、戦闘があったとは聞いてないけど」
「何やろねえ」
「ねえ」
 そのまま黙り込む。沈黙も柔らかく、二人とも目を閉じた。甘い匂いが沈黙に混じり、部屋の中は普段の生活から切り離された気配に満ちていく。ギンの手は変わらず乱菊の髪で遊び、その揺れに乱菊は微笑んだ。
「なあ、乱菊」
「何」
 目を閉じたまま、二人は言葉を交わす。
「これ、現世のあの習慣で使うチョコレートやろ」
「さあ?」
「その日、ボクにくれはる?」
 乱菊が目を開けると、ギンも目を開けたところだった。ギンの淡い空色の眼を覗き、乱菊はゆっくりと口元を綻ばせる。
「あんたが、欲しい欲しいって駄々こねたらね」
「子供みたいに?」
「子供みたいによ」
 ギンはにいと笑った。その顔から、ギンがどういうことをするかを想像して、乱菊は再び笑い出した。


(そのころの八番隊給湯室前)
「七緒ちゃーん」
 京楽が声をかけると、扉の向こうで硬直する気配がした。京楽は苦笑して、扉を軽く叩く。
「七緒ちゃーん。そろそろ休まないと、起きれなくなっちゃうよ。まあ、そうしたら僕が優しく起こしてあげるけどね」
「けっ、けけ、結構です! 起きられます!」
 がちゃがちゃと何かが慌ただしくぶつかり合う音がした。軽い物が床に落ちたらしい、カーン、という硬い音が扉の向こうに響く。京楽は扉に寄りかかり、優しく話しかける。
「七緒ちゃんの鬼気迫った霊圧がずっとあるから、僕、心配で眠れないよ」
「も、申し訳ありませ」
「ていうのは冗談なんだけどね。さっきまで寝てたし」
 キン、と七緒の霊圧が跳ね上がり、京楽は堪えきれずに小さく笑う。
「ただね、七緒ちゃんは頑張り過ぎちゃう傾向があるからさ。もう少し力を抜いて、気楽にしなさいな。こんな明け方まで一晩中頑張らないでも。ゆっくりおやんなさい。やっていて、少しずつ上手になってきたでしょ?」
「はい……」
 七緒の霊圧がしゅんと小さくなる。京楽は、心の中で可愛いなあと呟いた。
「もう、片づけて休みます。申し訳ありませんでした」
「謝るようなことじゃないんだよ」
「朝はきちんと起きますので」
 七緒の声が少し沈んでいて、京楽は少しばかり考え込むように視線を天井に向ける。そしてにいと笑った。
「だーいじょーうぶ。僕がやさしーく起こしてあげるよ。お姫様を起こすのは、やっぱり、口づけかな」
「起きられますので結構です!」
 急に怒気を含んだ声と霊圧に、京楽は声をあげて笑った。そしてそっと、おやすみと柔らかく囁いて扉から離れる。


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 後半戦です。こちらの二カ所(ある意味三カ所)での光景は、ちょっと甘めなものを目指しています。ええ、当サイトは原作に全くない荻勇をちらちらと気にしつつお話を書いております。いや、もう単に荻堂くんのようなキャラが好きなんです。ギンと乱菊は甘めで。久々だからこれくらいいいよね、とお互いに思いつつ仲良くしていたらいいなあと思いまして。その割にはスピリタスですが。ちなみに、製菓用のチョコを使って失敗したというのは私の実体験です。その後、砂糖をどうりゃあと入れてうららららと混ぜたのですが、どうにもざらざらとした舌触りの上、固まりませんでした。それも書こうかと思いましたが、七緒さんがあまりに気の毒なので止めました。

  G*R menu novel short story consideration
Life is but an empty dream