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『女性死神協会 会議中02番外編(前半)』
『試食前夜』
(十一番隊執務室) 「はーい、お仕事おしまいっ」 時計の針が終業時刻を示した途端、やちるは椅子から飛び降りた。小さな背を一角が冷めた目で眺め、一言、 「仕事してたのかよ、おい」 と呟く。その呟きを無視して、やちるは書類を揃えていた弓親を振り仰いだ。 「給湯室、使っていい?」 弓親は別の書類の束を手にとって、枚数を数えている。そこから目を離さずに、 「もちろんです。約束通り、お使い下さい」 と言った。やちるは満足げに頷く。 「副隊長のご要望の品は茶色の紙袋に入っていますから」 「ありがとーっ」 弓親に跳ねるような笑みを向けてやちるは御礼を言う。そして次にやちるは剣八を振り返った。剣八は机に左手で頬杖をつき、うんざりした顔で書類を眺めては機械的に右手の隊長印を押している。そして右手で書類を摘み上げて処理済みの箱に放り込み、新たな書類を眺めては再び印を押していく。その様子に、やちるは首を傾げた。 「剣ちゃん、両手使った方がこうりつてきだよ」 「……面倒なんだよ。ったく、うぜえ! 時間も時間だし、もう終わりでいいよな!」 大袈裟に溜息をついて、剣八は弓親にちらりと視線を向けた。その視線には倦怠感とそれに伴う殺気もこめられていたが、弓親は書類を数える手を止めて、恐れることなく剣八に向かって微笑んでみせる。 「だめです。その書類の束を全て処理済みにして下さい」 「明日、やる」 「だめです。今日中です」 「……てめえ」 「だめです」 剣八の霊圧にあてられて弓親の額には汗の玉が一つ二つ浮かんでいたが、それでも弓親は鮮やかに微笑んだ。 「今日中に終わらせて下さらないと、明日の朝、隊長の髪型は世にも珍しいものになっていますよ」 「おもしれぇ。やってみろ」 「お任せ下さい」 二人が睨み合う様子を、一角は頬杖をついて、やちるは両手を頭の後ろで組んでそれぞれ眺めている。剣八の殺気を帯びた霊圧と、負けじと放たれる弓親の冷ややかな霊圧で執務室の窓や壁はびりびりと震えているが、二人はどこ吹く風といった表情だ。 「つるりん、世にも珍しい髪型ってどんなんかなあ」 やちるが剣八を見上げて呟いた。 「俺にはまあ、縁のないことですがね。すげえ芸術が大爆発してるんじゃないすか」 一角もまた剣八を横目で眺めて答えた。やちるが上を見上げて考え込み、やがてにっこりと微笑む。 「剣ちゃん、あたしその髪型見てみた」 「分かった分かったちきしょう。終わらせりゃあいいんだろ終わらせりゃ」 やちるが言い終える前に剣八が書類に向き直る。途端に霊圧が収束し、部屋は振動を止めた。重い空気が掻き消され、弓親が大きく息をついて椅子に深くもたれかかり、袖で額を拭った。一角が小さく、ちぇ、と舌を鳴らす。 「隊長が終われば、俺も明日に回せたのによ」 「一角。君もその箱全てが空になるまで今日の仕事は終わらないからね」 弓親が冷たく言い放つ。一角は肩をすくめた。 やちるは皆を見回していたが、弓親と目が合うと笑みを浮かべた。弓親もまた柔らかに笑う。 「副隊長はお気になさらず。仕事は全て終えられているんですから」 「えっ、マジかよ。」 一角が声を上げ、剣八もまた無言で顔を上げた。やちるは胸を張り、 「そうだよー。さっきまでしてたのはゆみりんの手伝いだもん」 と堂々と言う。弓親もまた頷いて肯定した。 「後で、作った余りをあげるよ。お茶しよっ」 やちるは浮き立つような声でそう告げると、給湯室へ消えていった。執務室に残された三人は無言で顔を見合わせる。 「作るって……あいつ、チョコ削って溶かして固めるだけじゃなかったか?」 一角が小声で弓親に囁く。弓親が小さく笑った。 「それで充分じゃない? 立派でしょ。ねえ、隊長」 話をふられて剣八は顔をしかめて一言、 「食い物でありゃそれでいい」 と低い声で言った。一角と弓親はお互いの顔を見て、やれやれと苦笑した。
(そのころの八番隊給湯室) 「……ゆ、ゆせん? えーと、お湯の温度が」 七緒は本に潜り込みそうなほどに顔を近づけて説明を読むと、手にしていたボウルと泡立て器をかちゃかちゃとぶつけ合わせた。 「…………困ったわね。温度計がないとだめなのかしら。お菓子作りって」 目の前には荒々しく刻まれた茶色の物体がそこかしこに散らばっている。七緒は大きく息をついた。戦いは始まったばかりだ。
(十二番隊・技術局の休憩室) 阿近は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、それを堪えて酷くむせた。極限まで苦く濃くなっているブラックコーヒーが鼻からも出そうになって酷く痛い。零さないようにマグカップを机に置き、鼻を押さえつつ阿近は顔を上げた。 ネムは真面目な顔をして阿近の前に立っている。手を揃え、背筋を伸ばした立ち方は普段のネムそのものだ。阿近は先程の言葉は空耳だったのだろうかと、自分の耳を疑う。 「……えーと、ネムさん?」 鼻紙で思い切り鼻をかみたい衝動と戦いながら阿近はネムを見上げた。 「男を、口説く、方法、ですか?」 「はい」 ネムは小さく頷く。阿近は鼻の痛みだけでなく頭痛まで感じて片手で頬杖をついた。この痛みは連日の徹夜のせいではなく、確実にこの突拍子のないネムの相談のせいだと阿近は思う。急ぎの仕事の終了を見計らったかのようにネムがやってくるのを見て、嫌な予感はしていたのだ。疲労感が酷くて、椅子から立ち上がるのが億劫だったから逃げずにいたが、これならば立ち上がって逃げればよかったと阿近は数分前の自分を責める。ネムから何か尋ねられれば、答えないわけにいかないのだ。立場的にも、心理的にも、阿近はネムの頼みを断れない。 阿近は大きく溜息をついた。 「……なぜ男を口説く方法を知りたいのか、そこを尋ねていいですかね」 その言葉にネムは少しだけ考え込むように首を傾げた。 「……守秘義務がありますので、お答えできません」 「では、せめてどうやって口説くのだけでも訊かないと話になりませんよ。言葉で口説くのか、態度でなのか、物品を使うって口説くのか」 「品物を。手作りのチョコレートを使用します」 ネムの言葉に、阿近はがっくりと頭を垂れた。この時期でチョコレートで男を口説く方法となると、思い当たるものはただ一つだ。最近、亡くなった者によってこちらに持ち込まれている現世の風習の中に、チョコレートを贈るものがあったと阿近は記憶を巡らせる。妙な風習だとしか阿近は思わなかったのだが、一般の死神には広まっているらしいことも知っていた。 だが、ネムはそういったことに興味を示すことはない。示すことがあるとすれば。そこまで考えて阿近は更に大きく頭を垂れる。垂れすぎて机に額がつきそうなほどだが、阿近は気にせずにそのまま溜息をついた。ネムが興味を示すことがあるとすれば、女性死神協会のなんらかの企画としか阿近には考えられない。 「……あの団体には関わり合いたくはねぇんだけどなあ」 阿近の呟きに、ネムは無言で首を傾げた。その気配を感じて、とりあえず阿近は顔を上げて、安い椅子の背もたれに勢いよく体を預けた。きいきいと嫌な音を椅子が立てる。阿近は胸の内で睡眠時間に別れを告げた。 「了解しました。とにかく、男を口説く作用のあるチョコレートを考えればいいわけですかね」 「そう、なるのでしょうか」 ネムはまた首を傾げるが阿近はそれを見ないことにした。ここで、チョコレートを渡すときの技巧や口説く台詞や仕草などを訊かれても阿近は答えられない。第一、興味がないし面白くない。チョコレートそのものに催淫効果を持たせる方法を考える方がよほど気が楽で、しかも面白いだろうと思う。 とりあえずネムに椅子を勧め、阿近は本格的に考え始めた。腕を組み、空中の一点を睨むようにしながら阿近は思考を巡らせる。ネムはその様子をおとなしく眺めている。 ふと、阿近は顔をネムに向けた。 「そういや、ネムさん。あんた、チョコレートは作れるんですよね」 菓子作りは教えたことがない。しかしネムは首を縦に振った。 「作り方は調べました。すでに出来上がっているチョコレートを使用すれば、そう難しいものではないようです」 「そうですか。まあ作れるんならいいんですけどね」 阿近は体を前に乗り出すと、ネムの顔を覗き込んだ。 「なら、まあ、手っ取り早く媚薬……催淫剤でも混ぜてしまいましょう。そちらの材料はまあないこたぁないんで、問題は味でしょうね。まずは試作してみましょうかね」 「ありがとうございます」 膝の上で両手をあわせて、ネムは深々と頭を下げた。
(そのころの八番隊給湯室) 七緒はボウルの中を覗きこんで首を傾げる。 「あれ、どうして溶けないのかしら。温度が低いの?」 火を覗いたりボウルの中を覗いたりして、七緒は考え込む。 「……ちょっとだけ、ちょっとだけ火にかけた方が早いかも」 なぜか後ろめたさを感じながら、七緒はそうっとボウルを火にかけてみた。そして鍋つかみを左手にはめ、ボウルを振り返る。 七緒の口から悲鳴が漏れた。
(二番隊・給湯室) 給湯室への扉を開けると、これまで細く漂っていた異臭と煙が勢いよく流れ出した。 「……なぁに、やってんすか」 呆れを通り越して嘆きすら感じさせる声で大前田が呟く。煙の向こうから、堂々とした砕蜂の声がした。 「菓子作りだが」 「菓子作りっつうのはもう少し可愛らしいもんすよ、普通」 戦いを終えたかのような荒れ果てた給湯室を眺めて、冷めた目で大前田は告げる。部屋の壁も床も天井も、砕蜂も何もかもが煤まみれだ。何をどうしたら菓子作りでこのような惨状になるのか、大前田には理解できない。 「終業後っすからね。隊長はご自身の仕事を終えてますからね。まあ別にいいんすけどね。いいんすけど……残業中の隊員と夜勤の隊員が怯えてるんで、ここで悪臭と煙を出すのは止めてくだせえ。いいっすか?」 自分自身も残業中だ、ということは飲み込んで大前田は言い聞かせるように砕蜂に丁寧に話す。事実、隊員達が異臭と煙に驚いて大前田に訴えてきたのはつい先程のことだ。給湯室でなにやら行っている砕蜂に、不吉な予感がしていた大前田は関わり合いたくはなかったから黙って異臭に耐えていたが、隊員に訴えられては無視も出来ない。 そして溜息混じりに扉を開けてみればこの有様だ。大前田は幾度目かわからない溜息を盛大につく。 「いいっすね、隊長」 「しかし、菓子作りは続行するぞ。これは任務だからな」 砕蜂は風格あるよく響く声でそう言い切った。その言葉に大前田は項垂れる。菓子作りが任務だと言ってのける団体は一つしかありえない。 大前田は頭を振って覚悟を決める。隊員と隊舎を守るのは自分しかいないようだった。 「……何を、作ってるんすか?」 諦念の入り交じった大前田の問いに、砕蜂は意味もなく胸を張る。 「チョコレートケーキだ。目的を遂行するのに最も適していると判断した」 「目的って何すか」 「それは言えぬ。守秘義務ゆえな」 守秘義務も何もないだろう。というかその前に、どうやったらケーキを作ってこうなるのか。大前田は胸の中で叫ぶが、ぐっと堪えた。 「じゃあ目的はいいっす。適していると判断した理由は何すか」 「うむ。まあそれは教えてやろう。見目が良いこと。工程が多いため、人はそこに努力と執念を読みとること。以上の二点による。まあそれに、単純に味も良いからな」 「はあ、なるほど」 頷きながら、大前田は任務の内容をだいたい推測していた。そして給湯室を見回して、砕蜂の腕前の方も推測する。 大前田は低い声ではっきりと言った。 「隊長。俺に手伝わせてくだせえ」 隊員と隊舎のために、という言葉は飲み込む。砕蜂は切れ長の目できっと大前田を睨んだ。 「ならぬ。これは私の任務だ」 「俺は実家で料理人の作る様子を眺めて育ってるんすよ。隊長のお役にきっと立てます。ケーキについても、料理人から見目がよく、努力と執念を感じ取れる味の良いものの作り方を訊いてみますから…………是非! 隊長をお手伝いしたいんすよ、俺!」 隊員と隊舎のために、という言葉を必死に飲み込む。砕蜂はじっと押し黙っていたが、やがて真っ直ぐに大前田を見上げた。 「大前田、すまぬな。私は貴様を誤解していたようだ。貴様がこれほどまでに副官として真摯に仕えようと考えていたとは……是非、手伝ってもらうことにしよう!」 「ありがとうございます!」 万感の思いで大前田は頭を下げた。そしてすぐに踵を返し、私用の伝令機で実家に繋ぐ。 「……おう、俺だ。料理長を出せ。いいから!急いでんだよ……おう、久しぶりだな。頼みがある」 大前田はゆっくりと告げた。 「見目がよく、努力と執念を感じ取れて、味の良い……俺が作れそうなチョコレートケーキの作り方を教えてくれ。二番隊の存続がかかってるんだ」
数刻後、大前田は途方に暮れていた。 大前田家お抱え料理長に全ての材料を持ってこさせた後、彼に作り方を一通り説明してもらったのは砕蜂も同じはずだった。なのに、何故。大前田は目の前の二つの物体を見比べる。二人とも同じものを作ったはずだというのに、きれいな直方体をし、表面は艶やかに光るチョコレートをまとった大前田作のケーキ・オペラの横には、奇妙に歪んだ形状の砕蜂作のケーキ・オペラ?が威風堂々とあった。表面は砂漠のように乾き、色もどこか黒ずんでいるように見える。側面は地震でも起きたあとの地層かというような歪みを晒し、ところどころに何故か穴があった。 「うむ。貴様の方が見目がよいな」 頷きながらさらりと言う砕蜂に大前田はツッコミたいのをぐっと抑える。 「貴様の作成したものの方が説得力がある。すまぬが、もらっても構わぬか」 「そりゃ、もちろん」 「すまぬな。礼を言う」 砕蜂は満足げにかすかな笑みを浮かべた。大前田は己の職務を全うしたことを感じ、同じく満足げに笑う。隊員も隊舎も無事だった。後は残りの仕事を片づければ始業までに数時間は眠れるだろう。大前田がそう考えたとき、砕蜂が口を開いた。 「貴様には私の作ったものをやろう」 大前田の思考が止まった。目の前では砕蜂が珍しく笑みを浮かべたままで大前田を見ている。 「今夜の働きに報いたい。貴様がいなかったらこの任務は果たせなかっただろう。さあ、遠慮なく受け取れ」 おいおいそれは今ここで食えということかそういうことかそういうことなんだなこのやろう。 そう口にすることは出来ず、大前田はただ背中に冷や汗が流れるのを感じた。
(そのころの八番隊給湯室) 「……これが最後のチョコレートね」 袋を覗き込み、七緒は溜息混じりに呟いた。彼女の背後にはかつてはチョコレートであった残骸が多数転がっている。 「どうしてかしら。どうしてうまくいかないのかしら。説明書の通りにしているのに」 最後の材料を机に広げ、七緒は説明書を握りつぶさんばかりに手に取った。これが最後のチャンスだ。七緒は自分を奮い立たせる。今年こそ、自力で作ってみせる。
続き→
はい、仕事の後に隊の給湯室で菓子作りはいかがなものかと思わなくもないのですが、まあいいかと流してくだされば幸いです。えーと、一応、時間の流れに沿うようにして書いています。七緒さんが頑張っていますね。私も小学生の頃、友人が作るというので一緒にチョコを作った経験がございます。ええ、失敗しましたけどね。 こちらの三カ所での光景はまあ、ほのぼのを目指して書いています。大前田が可哀相なことになっていますが、まあ二番隊では日常茶飯事なので構わないと思います。
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