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エチュード五題03

やさしい光
伝わる体温
伏せた睫毛
たったそれだけ
目が覚めたら


拍手御礼文050715-0726 配布元キョウダイ




『やさしい光』

 殺さざるを得なかった。
 駆けずり回って重い足を引きずるようにして、ギンは乱菊の待つ小屋へと向かっていた。東の空が白んできた。空がゆるゆると群青色になり、辺りが深い青の空気に沈む。青く染まったような自分の腕を見て、ギンは笑った。殴りかかってきた棍棒を受けた部分が青黒く腫れ上がっている。その相手は次の瞬間に刺し殺した。それで、襲ってきた強盗全てを殺し終えた。
 乱菊を隠して、引き離すように一晩中走り続けた。乱菊は一人きりで小屋にいる。ギンは疲れで痛む足を急がせて、歩く。

 木々に隠れるようにして小屋が見えると、すぐに乱菊が飛び出してきた。木々の隙間から零れる朝の光を反射して、山吹色の髪が朝靄の中で輝いている。ギンは眩しくて眼を細めた。

 すぐに乱菊は駆け寄ってきて、自分を抱きしめるだろう。目の前はあの光でいっぱいになるだろう。痛みも疲れも、血も汚れも、まだ手に残る刃が肉を貫く感触も、全て光に溶けて、ただ安らかな眠気が訪れるだろう。

 ギンは微笑んだ。乱菊が手を伸ばしてギンを抱え込もうとする。







『伝わる体温』

 ふと、目が覚めた。
 穴蔵の入り口の向こうもまだ暗く、夜が明ける気配もない。乱菊は身を震わせて、敷き詰めてあった枯れ草を掻き集めると薄布を肩に巻き直す。
「寒いん?」
 眠っているとばかり思っていたギンが、囁くように声をかけた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「かまへん。ボクも寒う思うて」
 ギンは半身を起こすと、自分の下に敷かれていた枯れ草を乱菊の方に寄せた。そして、乱菊にひたりと体を寄せると、自分に巻いていた布で二人分の体を覆う。
「一緒寝よか」
「うん」
 乱菊はギンの腕の中に入ると、ほうと息をついた。
「暖かいね」
「そうやね。明日はもう少しマシな寝場所探そか」
「うん、そうしよう」
「おやすみ」
「おやすみ」







『伏せた睫毛』

 伏せた睫毛のその先には、こぼれ落ちそうになって揺れる涙の雫が引っかかっていた。それを無言でギンは眺めていたが、顔を寄せると、ぺろりと舌で掬いとる。
「ギン」
 塩辛いその味を舌先に味わい、ギンは乱菊を覗き込むために屈む。かすかに俯いたまま、乱菊はギンを呼ぶ。
「ギン」
「ここにおるよ」
「ギン」
「うん、ちゃんとおるよ」
 固く握りしめていた拳をほどき、その手で乱菊はギンの袖をそっと掴む。ギンはその手をとると、両手で包んだ。
「……ちゃんと、ここにおるよ。乱菊」

 いつまでとは、決して約束できないけれど。







『たったそれだけ』

 誰もいない資料室で、ギンは乱菊と偶然一緒になった。
「市丸隊長、おはようございます」
「おはよう、十番隊副隊長さん」
 身分相応の挨拶を交わし、ギンは部屋に入る。本棚の並ぶその、どこか黴くさい本独特の空気の立ちこめる部屋で、ギンは周囲に意識を尖らせた。気配に耳を澄ませても、少なくとも感じられる範囲内には誰もいない。警戒すべき人物の気配も霊圧もない。ギンはふっと表情を和らげると、本棚の影に立つ乱菊に近寄る。
「……乱菊」
 ギンのその、ひそめられた声にぴくりと反応し、乱菊は書物から顔を上げた。
「珍しいわね……ギン。どうしたの」
「今、近くに誰もおらん」
「そうね……本当、そう呼ばれるの、どれくらい久しぶりかしら。数年ぶり?」
「キミもボクも忙しゅうて、周囲に人がいつもおるから」
 乱菊の髪を一房とると、ギンは少しだけ体を屈めてその山吹色の髪に唇を押しつけた。視界をその暖かい色が染め、ギンは細い眼を更に細める。
 近づいたギンの頭に、乱菊は額をこつんと付けた。
「ギン。あんた、約束、覚えてる?」
「覚えとるよ」
「あたし、今でもあんたが怪我すんのも、病気になるのも、危ないことに自分から突っ込んでいくのも、死ぬのも、全部嫌よ」
「うん」
「ただあんたが元気で、あんたの姿が見られれば、それでいいのよ」
 額に感じる乱菊の吐息に、ギンは眼を閉じた。数年に一度あるかないか、こうしてほんの少しだけ触れて、ほんの少しだけ言葉を交わす。それでいい。それだけでいい。乱菊が生きてさえいてくれれば。ギンは、それ以上を望めない。
「うん……ボクも、乱菊に、そう思うとる。」
「あんたがそんな顔してると、なんだか無茶をしそうで、言っておきたくなるのよ」
 ギンは視線だけを上に向けて乱菊を覗き込んだ。
「どんな顔しとるんよ」
 乱菊は苦く笑って溜息をつくと、書物を片手で持って、空いた手の、指先だけでギンの頬を撫でた。
「こんな顔よ。気づいてないのね、相変わらず」
 少し乾いたその指先の感触に、一瞬、ギンは乱菊に手を伸ばしかけ、止めた。人の気配が廊下の遠くに感じられ、二人は同時に触れていた指を離す。
「じゃあ、あたし、もう行くから」
「うん、ボクもうちょお調べとるわ」
 乱菊がギンのわきをすり抜けて扉へ向かう。開く音がしたときに、ギンは振り返った。扉を閉めようとする乱菊と眼があって、お互いにかすかに微笑みを浮かべ、そして扉が閉じられた。







『目が覚めたら』

 瞼の向こうに朝の光を感じることが怖かった時期がある。
 目を開けて、隣を見て、そこにはただ空間が残されているだけなんじゃないかと、それを見るのが怖くて、夢うつつのところで目を覚まさないように眠りにしがみついていたりした。殆どの場合はちゃんとそこにその姿はあって、目を開けると、笑って「おはよう」と言われるのだけれど。
 それでも、あの、残された空間があるんじゃないかと怖かった。
 また置いていかれた、というあの虚無感が怖かった。

 痛いくらいの夏の朝の陽射しに、乱菊は目を覚ました。

 もう隣には誰もいない。
 不在を示す空間を恐れることもなくなったけれど、あの、人を食ったような顔の作りの、柔らかなやわらかな微笑みで言われる一言はなくなった。
 隣にいた奴は今、羽織を翻して遠いとおいところに立っている。

 また一日が始まる。












 場所も時間もばらばらの、ギンと乱菊の日々を切り取った小話です。長編から切り取られた部分を、こうやって書いていければと思います。御題配布サイト様、ありがとうございました。
 追加:『たったそれだけ』で乱菊さんが言っている「約束」の部分は、長編三番目のラストでの会話のことです。この長編をずっと念頭に置いて書いていました。そうやって、書いてもない話を念頭に置いて書くのもどうかとは思うのですが、やっと長編もできて、繋がりが出てきました。ちなみにこの「約束」は、『その先の5題01・嘘の約束』でも出てきます。


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