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0929
副隊長の会議がようやく終わり、乱菊は凝り固まっていた背筋を伸ばした。隣ではやちるが眠そうに目を擦っている。反対側では檜佐木が首をぐるりと回していて、骨の鳴る軽い音がした。 「長かったわねえ」 乱菊がそう言って笑いかけると、檜佐木もまた苦笑した。 「腹減って仕方ないですよ、俺」 「もう夜だもんねえ……ちょっと、やちる。あんた大丈夫」 大きな音がして振り返ると、机に額を激突させたやちるがそのままの格好で動かなくなっていた。 「やちるったら」 「……眠い」 起きあがったやちるの眼は半開きで、乱菊は堪えきれずに吹き出してしまう。普段ならそれに対して、ひどーい、と高い声で抗議するやちるだが、今日は眠気が勝っているのかぐらぐらと上体を揺らしているだけだ。 「あんた、一緒に行くのは無理ね。隊舎まで送っていこうか?」 乱菊がそう言って手を伸ばすと、やちるは首を横に振った。 「へーき。一緒に行くのは無理そうだけど、帰るのはへーき」 「平気って顔じゃないでしょ」 「乱ちゃんは、今日はダメだよ」 やちるは頑なに首を横に振り、半眼のまま笑みを浮かべた。 「おめでと、乱ちゃん」 乱菊は眼を瞬かせた。 「……ありがと」 「うん。だから今日はダメ。このままお祝い行ってね」 「どういう意味よ」 「一緒に行けないから、あたしからはこれあげる」 「だからどういう意味……、あ、ありがとう。やちる」 やちるの袖から取り出された桃色の可愛らしい小袋を掌にのせられて、乱菊は表情を和らげた。軽いそれからはかさかさと音がして、小さい粒状のものが入っているようだった。おそらくは金平糖だろう。やちるがどれくらい金平糖を好きか知っている乱菊は、小袋を両手で包み込むとそっと頬に寄せる。 「嬉しいわ」 「よかった」 そう言って微笑むやちるはもう限界のようで、上体の揺れは増している。そのとき、扉から、 「うちの小さい副隊長はまだいるっすか」 と一角の声がした。 「あら、一角と弓親」 ちょうどよかった、と乱菊は振り返って呼び寄せる。二人は近づいてくると、やっぱり、と呆れたように揺れているやちるを抱え上げた。 「会議中は寝てらっしゃらないでしょうね」 「ねてなーい。つるりんじゃないもん。ねー、乱ちゃん」 「俺は寝ねぇっつうのこのドチビ」 「はいはいはいはい。いいからもう帰りますよ。ほら一角も、背負うんじゃ落ちるから抱えて」 一角がやちるを片手で抱えると、弓親は乱菊が差し出した会議の資料を受け取り、懐から和紙の細長い包みを取り出した。 「おめでとうございます……この間の、約束通りに」 そう言って綺麗に微笑む弓親に、乱菊は最初きょとんとし、次に華やかな笑みを浮かべた。 「ありがと。嬉しいわ」 「多分、似合うと思うけど……まあ、僕の趣味はいいからね」 「そうね」 包みを受け取り、乱菊は笑って頷いた。弓親は一礼する。 「では、失礼」 「じゃ、俺達はこれで」 出ていく二人に射場が近づいて、一言二言、言葉を交わしている。一角の肩にもたれていたやちるは、片目を開けて、乱菊に手を振った。乱菊は微笑んで手を振り返す。 その隣で一部始終を眺めていた檜佐木が乱菊を振り返った。 「乱菊さん、何かめでたいことでもあったんですか」 「あ、言ってなかったっけ。今日、あたしの誕生日なのよ」 「そうなんすか!」 檜佐木が痛恨のミス、とでもいうように顔をしかめた。 「知ってたら、金残しといたのに」 「あんた、また金欠なのね」 乱菊が呆れた目を向けると、檜佐木はひでえ、と呟くが言い返さない。 「大前田に奢ってもらってるんでしょ」 「……今夜もそうお願いしてますよどーせ」 「大前田も気前良いわねえ」 向こうの席で吉良と話している大前田に視線をちらりと向け、乱菊が笑った。檜佐木は少しふて腐れたような顔をしていたが、ぼそりと、 「……おめでとうございます。俺だって、祝いたいんですよ」 と呟いた。乱菊は少しばかり目を見張り、優しく言う。 「その言葉だけで嬉しいものよ。ありがと」 檜佐木は微かに笑みを浮かべた。 少しずつ部屋から人が出ていく。雛森が資料を抱えて乱菊の方に近づいてきた。その顔には笑みが浮かび、嬉しそうに見える。 「乱菊さん、行きましょうよ」 「うん、そうしよっか」 「どこか行くのか」 檜佐木の問いに、雛森は笑みで答える。 「乱菊さんの誕生日のお祝いに、数人でお菓子を食べに行くんです。檜佐木先輩もご一緒にいかがですか」 雛森の何の疑問もない誘いに、檜佐木は片肘を机について頬杖をつくと、盛大に息を吐いた。 「俺、今深刻な病気で行かれねえ」 「えっ、どうされたんですか」 「金欠病」 「……あー…………」 檜佐木の答えに雛森は苦笑いを浮かべた。乱菊はつい笑い声をあげる。扉の方から伊勢と虎徹が、 「先に戻ってますよ。待ち合わせ場所に遅れないでくださいね」 と声を掛けてきた。後ろではネムが無表情で立ってこちらを見ている。雛森と乱菊は頷いて手を振ると、二人はひらひらと手を振って答えて、出ていった。ネムは一礼して、彼女達についていく。 「やちるちゃんは?」 「もう眠くて限界だったっポイから、帰ったわ」 「予定より遅くなりましたからねえ。夕食の時間にしても遅いですよね」 雛森が壁に掛けられた時計を見上げ、つられて見上げた乱菊はそっと袖の中のものに手を伸ばす。
今日は忙しく、会議まで乱菊はずっと瀞霊廷内を飛び回っていた。少しの時間も作れず、こういうときに限ってどこかふらふらしているはずの姿も見つからない。そしてもうこれから女性達と出かけてしまう。 今年は十日に会えただけでも良しとするか。 乱菊は軽く溜息をついた。
その背後で更に大きい溜息がした。 「どうしたんだ、吉良」 檜佐木の問いかけに、背後にいた吉良が情けない顔をする。その横では大前田が普段通りの尊大な表情で立っていた。 「おう、庶民。今夜の飯、ちょっと待てるか」 「……貧乏人よりかはマシですけど、できれば名前で呼んでもらえませんかね。で、どうしたんです」 「こいつに訊け」 大前田が吉良に顎をしゃくり、吉良は項垂れてまた溜息をつく。 「数日前に行われた例の集計って、僕がまとめることになっていたじゃないですか」 吉良の話に三人が頷いた。 「今日、隊長が全然、ぜんっぜん隊舎にお戻りにならなくて、あ、ご自分の今日の仕事は全て終わらせていらしたんですけど、でも急に入ってくるものも今日は多くて。で、仕事したり探したりしていたら、集計に手を付けられなくて、でもまだ締め切りは先だからと思っていたら、今日の会議で締め切りは明日になるし」 「で、別に隊の仕事じゃなくて俺ら共通の仕事だしな。こいつが隣で貧相な面で溜息ばかりついてるから、仕方ねえから手伝うことにしたんだよ……ったく、面倒くせえ」 「すみません」 疲れ切って小さくなっている吉良に、大前田はにやりと笑う。 「まあ仕方ねえだろ。とりあえず俺様に感謝しておけよ」 雛森は心配そうに吉良を眺めて、少し悩んだように目線を動かすと、頷いた。 「私も手伝うよ、吉良君。乱菊さん、申し訳ないんですけど」 雛森が眉を八の字に寄せて振り向くと、乱菊が口を開ける前に檜佐木が手をひらひら振った。 「あー、俺が手伝うんでお二人はさっさとお祝いに行ってくださいって」 吉良が首を傾げた。 「お祝いって?」 「今日、乱菊さんの誕生日で、女の子達でお祝いするんだと」 「え、あ、おめでとうございます松本さん。いいですいいです、僕の責任なんだから、ほら、雛森君、いいから行ってきて」 吉良は両手を振って焦ったように言う。雛森と乱菊は顔を見合わせた。 「でも、大丈夫?」 「大丈夫。ごめんよ」 気遣わしげに尋ねる雛森に、吉良は少しだけ嬉しそうに頬を染めて答える。その吉良の背を叩いて、檜佐木が椅子から立ち上がった。 「ほれ、でれでれしてねぇで、行くぞ」 「は、はい、ありがとうございます」 「じゃ、俺らはこれで。松本さん、おめでとうございます。これ、食います?」 大前田が差し出した袋に手を入れて、乱菊は一枚、煎餅を取り出した。 「ありがと。一枚もらうわね」 「じゃ、乱菊さん達、失礼します」 檜佐木が吉良の肩を乱暴に抱えて、何かを耳元で囁いている。それに吉良が大きく反応し、何か小声で言うのを大前田が笑って、そしてそのまま部屋を出ていった。 「……大丈夫ですかね」 雛森がそれを見送って、呟いた。乱菊は煎餅を半分に折りながら、笑って答える。 「ま、平気でしょ。雛森、半分食べる? あたし、一度あいつの煎餅食べてみたかったのよね」 「あ、私も食べてみたかったんです。いただきます」 雛森に半分を渡すと、乱菊はそれを口にくわえて資料を抱えて立ち上がる。もう部屋には乱菊と雛森しか残っていない。煎餅を噛み砕く音が響いた。 「あ、おいし」 「おいしいですね、これ」 三口くらいで食べ終えて、感想を述べながら二人は扉に向かった。
扉の向こうに微かに気配がした。
乱菊は一瞬だけ動きを止めて目を瞑った。そして目を開けて、雛森が開けた扉の向こうを見る。 ギンが欄干に腰掛けて、笑っていた。
「あ……市丸隊長! 吉良君がずっと探していたみたいですよ」 雛森が軽く抗議をするが、ギンはいつものようにへらりと笑うだけだ。 「いややなあ、五番隊副隊長さん。ボクが仕事しぃひんみたいやないの」 「実際に吉良君が困っています」 「大丈夫やて。ホントに切羽詰まっとるモンは全部終わらせてるさかい」 ギンはひらひらと手を振って雛森の抗議を受け流す。そしてちらりと乱菊を見た。乱菊は微笑みとも言えないくらいの笑みを口元に浮かべる。 「それにしても、君らどこか行くんやないの。やちるちゃんが昼間、会議の後にお祝いにお菓子食べる言うてはったけどなあ」 ギンの言葉に雛森が顔を和らげた。 「あ、あの、今日は乱菊さんのお誕生日なので、みんなでお祝いするんですよ」 「ああ、なるほど。やちるちゃんが言うてはったのはそれやねんな」 ギンがにやりと笑い、しらじらと言う。その顔を見て、乱菊は軽く溜息をついた。ギンは軽い笑みのまま、乱菊を見つめた。 「おめでとさん、十番隊副隊長さん」 「ありがとうございます。市丸隊長」 乱菊は軽く一礼する。ギンは袖に手を入れて何やら探していたが、ただ白い和紙に包まれた小さな包みを取り出した。 「なら、これ。えいひれやねん」 手渡され、乱菊は完璧な笑みを浮かべる。 「先日のお話のものですね」 「これ食べはったら他のえいひれ食べられへんよ。ほんまに。心して食べ」 雛森が乱菊の手元を覗き込み、 「女性に贈る物でもないですよね……」 と小さく呟いた。ギンがおかしそうに笑って、 「ならこれも付けておくわ」 ともう一つの包みを取り出した。その中を覗いて、乱菊は自分の中がしんとしたのを感じた。ギンが柔らかい眼をして乱菊を見ている。 「干した無花果とか柿やねん。つまみにもなるけど、まあ、お菓子やし。……最近はあまり食べへんもんやさかい、懐かしいやろ」 「……ありがとうございます」 乱菊は深い響きの声で答え、大事にそれを懐にしまった。そして自分の袖から一つの、今日一日、ずっと持ち歩いて渡す機会を探していた包みを取り出す。 「あたしも最近、懐かしくなって食べていたんですよ。同じ店かもしれませんが、よろしかったら、どうぞ」 「おおきに」 それを受け取り、ギンもまた丁寧な手つきで懐にしまう。そして穏やかな眼をして、乱菊を見つめ、すぐに軽い笑みを浮かべた。 「もう行ったほうがええんちゃうの? 他のお人ら待たせてまうで。さっき、七番隊副隊長さんと十二番隊副隊長さん、楽しげに歩いてはったしなあ」 「あ、そうですよ乱菊さん、急がなきゃ」 雛森が慌てたように乱菊の袖を引く。乱菊は微笑んだ。 「そうね。では、市丸隊長、失礼致します」 「失礼します」 二人並んで礼をすると、ギンはひらひらと手を振って背を向け、反対方向へゆっくりと歩いていった。乱菊は雛森と急ぎ足で自分の隊舎へと向かう。
「乱菊さん、干した果物お好きなんですか?」 焦ったように前のめりで歩きながら、雛森が訊いてきた。乱菊は少しだけ考えて、答える。 「最近、こういう素朴なお菓子は食べてないから。小さい頃はこんなのばっかり食べていたけど」 「そういえば、そうですね。今日、食べに行くお菓子もそうですけど、最近は凝ったものばかり食べてましたね」 雛森は笑って頷く。乱菊はそれ以上は何も言わず、ただそっと懐の包みに、上から手を添えた。もしかしたら二人とも同じ店で同じものを見て懐かしさにそれを手に取り、そして今日、それを渡すためにお互いを探していたのかもしれないと思うと、笑みがこぼれるのを乱菊は止められなかった。
ギンは一日中、忙しくて飛び回っている乱菊を探していたらいいなと思いました。そしてやちるに教えて貰って、気配を消して会議が終わるのを待っていたり。お誕生日おめでとう。
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