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0910



 その日の朝、吉良は気合いを入れて執務室に入った。
 カレンダーはきちんとチェックしていたし、リサーチもしておいた。初年や昨年のような失敗はしないと吉良は心に誓っていたと言っても過言ではない。
「おはようございます、市丸隊長」
 ギンが執務室に入るなり、吉良は威勢良く立ち上がりかくっとお辞儀をした。
「おはよお、イヅル。何や、今朝は元気ええねえ」
 朝から気怠げな声で返事をするギンに、イヅルは紙包みを差し出す。
「お誕生日おめでとうございます」
「……ああ、そうやったねえ……今年は覚えていてくれはったんや」
 きょとんとした後、にやりと笑ってギンが言い、吉良は俯いた。
「嫌味なこと仰らないでください」
 吉良は昨年の今日を思い出す。当時、仕事が立て込んでいて一月ほどずっと忙しく、吉良はギンの誕生日をきれいさっぱり失念していた。三席から聞かされて次の日慌ててギンに謝罪すると、ギンはへらりと笑って、まあ別にボクどうでもええんやし、謝らんといてな、と言った。
 自分の誕生日そのものに無関心であるらしいギンは、そんなことには拘らないようだった。しかし、どうでもいい、と言い切るくせに他人から祝われるギンは、珍しく本心から喜んでいるように見えた。副官になって最初の年、そんなギンを見て吉良は自分も祝っていこうと決めていた。滅多に本心を窺わせない上司の、かすかな本心の発露を見たかった。
「嫌味やのうて、ほんま、ありがたいなあ思うて」
 ギンは紙包みを手にして、吉良がほとんど見たことのない柔らかい笑みをわずかに口元に浮かべる。それを見て吉良はほっと息を付いた。
「何やの、これ」
「花菱屋の干菓子です。先日、隊長が覗いていらしたと雛森君が教えてくれたので、一緒に贈らせて頂きました」
「ああ、そらよかったなあ。ちょいと進展あったんか」
「……何の進展ですか」
「いや別に何でもあらへんよ」
 窓脇の自分の席について、ギンは紙包みを開く。そして嬉しげに、
「雛森ちゃんにもお礼しぃひんとなあ」
と言った。




 窓から小さな体が飛び込んできたとき、吉良はちょうど窓に背を向けていた。気配に振り向くと同時に肩に片足が乗せられて、そのまま吉良の肩は踏み切り台にされていた。
「うわっ、く、草鹿さん」
「やっほー、元気?」
 吉良の肩から跳び上がると空中で一回転し、やちるはソファにくつろいだ格好で書類に捺印していたギンの前に着地する。ギンは驚きもせずにへらりと笑っていた。
「誕生日おめでと、ギンちゃん。これあげるよ」
「おおきになあ、やちるちゃん」
 手を出すように促され、ギンが片手を差し出すとその掌にやちるはざらざらと金平糖を転がす。色とりどりの小さな星のような菓子が、ギンの掌を満たした。
「やちるちゃん、これ、ええの?」
「うん」
 やちるが満面に笑みをたたえ、頷く。ギンが空いている手でやちるの頭を撫でた。おおきに、ともう一度ギンは呟き、微笑む。
 吉良はギンの掌を見て、休憩時間が唐突にやってきたことを理解した。
「草鹿さん、お茶でも一緒にどう?」
 吉良の問いに、やちるは振り返ると首を横に振った。
「ありがと。でもちょっと忙しいから無理」
「何かあるの?」
「女性死神協会のみんなと昼休み会議があるから、もう行かなきゃ」
「それ、単にみんなでお昼食べるだけやろ」
「うん。勇ちゃんがお弁当持ってきてくれるんだよ」
「そら上手そうやなあ」
 勇音の優しげな微笑みを思い出し、吉良も無言で頷く。背は高いが、非常に女性らしい人だと吉良は認識していた。
 やちるは窓枠に飛び乗ると、こちらを振り返って笑った。
「でもホントに忙しいんだよ。ひっつん達のところの壁壊しちゃったから、ご飯食べたら一緒に直すの」
「日番谷はん、怒ってたやろ」
「うん、乱ちゃんは笑ってたけど、ひっつんは眉間の皺が増えてた」
 じゃあね、という声だけを残し、やちるの姿が消えた。




 珍しくはかどる仕事に、吉良は感動すら覚えていた。
 ギンはどこへも出かけずに仕事をこなしていた。ずっとソファに転がって、席官一同から贈られた茶を飲みつつ書類を片付けている。基本的に締め切りまでは放置されるために机上に堆積して山になっていた書類の殆どが、処理済みの箱に入っていた。この執務室の光景にどの席官も驚いて、次に窓から空の様子を確認しつつ、それらの書類を持って出ていく。
「市丸隊長」
 処理済みの書類を確認しつつ、吉良はしみじみと呟く。
「仕事がこれほど片づいた机は久しぶりに見たように思います、僕」
「……まあ、たまにはボクかて仕事せなあかんやろ」
 微妙に笑い、ギンは目を通していた報告書を脇机に置いた。それに吉良が手を伸ばし、枚数を数えてはまとめていく。
「せやけど、もう飽いた」
「もう少しです。もう少しで書類が全て処理済みになります」
 吉良が新たな書類を渡すと、ギンが不満の声をあげる。
「これ、締め切りまだまだやないの」
「終わらせておいた方がいいんですこういうものは」
「焦っとると髪のうなるで」
「お言葉ですが僕の額はまだまだ広がる気配もありません」
「額から始まると限っとらんよ」
「頭頂部も無事ですし、髪を洗うたびに流しが詰まるということもありませんのでご心配なく」
「うわ、具体的やな」
「いいからさっさとやってください。どうせもう少しで終業時刻なんですから」
 やりとりをばっさりと終わらせて、吉良はギンを急かす。ギンは不満そうにソファにもたれかかったが、ふと顔を上げて扉の方を見やった。
 軽く扉を叩く音がした。
「十番隊の松本です……ごめん、吉良、開けてくれる?」
「あ、松本さん」
 吉良が慌てて扉を開けると、乱菊が荷物を抱えてそこに立っていた。そのまま、乱菊は一礼する。
「このような姿で失礼致します、市丸隊長」
「お久しぶりですなあ、十番隊副隊長さん」
 片手を上げてへらりと笑い、ギンは乱菊を眺めた。乱菊はすぐに吉良を振り向くと、荷物の中から袋を差し出す。
「吉良、これなんだけど三番隊じゃないかしら」
「あ、そうですそうです。どうしてこれが十番隊に?」
「壁の修理のために大工道具探していたら出てきたのよ」
 苦笑いをして乱菊が言った。
「誰かが借りたのか、そちらが持ってきたのかわからないんだけど、それにしてもずっと置きっぱなしだったみたいで。急いで持ってきたんだけど、ごめんね」
「いえ、全然知りませんでしたし。申し訳ありません」
 吉良がそう言って受け取ると、乱菊はギンに向き直り、深くお辞儀をした。
「市丸隊長、三番隊の大工道具をずっとお借りしていたようでした。申し訳ありませんでした」
「ええって、そんなん。ボク知らんかったしなあ。ボクより前の頃の話やないの」
「そうかもしれませんが……こちらは、十番隊からお詫びです」
 乱菊はもう一つの紙袋から、綺麗に包装された箱を取り出した。それを差し出されてギンは受け取ると、包装紙に書かれた店名を見て笑みを浮かべた。そして吉良を見上げる。
「お茶しよか、イヅル」
「あ、はい。松本さんも大丈夫ですよね」
 乱菊は少し困ったように笑った。
「ごめん、まだ壁の修繕が終わってないのよ。戻らないといけないから、遠慮するわ」
 そう言って首を傾げて謝る仕草をしてみせる乱菊は綻び一つない綺麗な笑みを浮かべていて、吉良は少しだけぼんやりとし、すぐに背筋を伸ばした。
「あたし、すぐに出ていくから、気にしないでお茶を淹れておいで。ありがとね、吉良」
 空になった紙袋を畳みながら、乱菊は微笑む。その前でギンがにぃと笑った。
「そうやねえ、ならお茶頼むなあ、イヅル」
「はい、分かりました。じゃあ松本さん、失礼します」
 吉良は一礼して、隣の席官部屋へ続く扉を開ける。すり抜けて、扉を閉めるときに、何やら会話する二人の姿が見えた。珍しいな、と吉良はふと思い、すぐに忘れた。

 盆を手にして扉を開けるとすでに乱菊の姿はなく、どことなく華やかさを失った執務室に吉良は拍子抜けて入った。ソファでは相変わらずギンが半ばずり落ちるような格好で書類を眺めては何やら書き込んでいる。窓からはいつのまにか茜色の光が射し込んでいた。
「あ、隊長、先に食べましたね」
 開かれた包装紙と箱を見て、吉良は呟いた。書類から顔を上げることなく、じんわりと笑みを含んだ声でギンが答える。
「まあええやないの。十番隊副隊長さんも、一つくらい食べたいやろ」
「松本さんはもうお戻りに」
「ちょいつまんで出てったで」
「隊長も食べたんですね」
 ギンが笑った。
「まあ、ちょいとつまむ程度になあ。ええもん貰うたわ……お茶したら今日の仕事終わりにしぃひん? イヅル」
 書類から顔を上げたギンを吉良は見た。

 ギンは満足げな笑みを浮かべていた。







 乱菊がやってくるのを仕事をしながらじっと待っているギンもかわいらしいかなと思いまして。お誕生日おめでとう。

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