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27 三分の理
夜も更けた暗闇の中を浦原が赤ん坊を羽織に隠すようにして夜一の自室を尋ねたとき、夜一の第一声は、 「どこの娘に産ませたのじゃ?」 だった。 それを聞いて浦原は真面目な顔を情けなく歪ませる。そしてがっくりと肩を落とすと、 「アタシが他の娘さんに手を出すはずないじゃないっスか」 と小さく言った。 庭に面した縁側に立ち尽くして項垂れる浦原を気にするふうもなく、夜一はゆったりと寝台に横たわり、片腕で頬杖をついて浦原を眺めている。そして青い闇の奥で愉快そうに笑うと、 「冗談じゃ。おぬしにそんな度胸があるとも思うておらぬわ」 と快活に言った。それもどうかと、と小さく抗議する浦原を手で招き、夜一は体を起こして寝台にあぐらをかく。肩にゆったりとかけられていた、おそらく色鮮やかであろう着物が軽い音をたてて落ちた。漆黒の装束に包まれていない、細く締まった肩が露わになる。 浦原は周囲に耳を澄ませ、そして音もなく部屋へと入る。障子は開け放したままで、だから月の光だけが部屋を照らしていた。 「どうした?」 夜一は低い、しかし柔らかな声で尋ねる。浦原は寝台のすぐ傍に座り、夜一を見上げる格好で、無言で笑った。その頬は痩け、白い肌は荒れている。ざんばらに伸びた鳥の子色の髪は月光で白っぽく見えた。夜一はわずかに顔をしかめ、褐色のしなやかな腕を伸ばすと、浦原の髪を優しく梳いた。 「どうした? 言うてみい?」 浦原は一度、眼を閉じた。そして眼を開けると、夜一の金色の眼を真っ直ぐに見た。 「崩玉を、壊せなかったっスよ」 浦原の声は掠れていて、夜一は何も言わずにただ浦原の頭を自らに引き寄せる。夜一の、漆黒の装束に包まれた太腿に額を押しつけて、浦原は眉を寄せて小さく笑む。 「どうしても壊さないとならないんスけどね……だから、その方法を見つけだすまで」 浦原は固く眼を閉じた。眉間に皺が寄っている表情を見るのは珍しく、夜一は気遣わしげに浦原を見下ろす。浦原はじっと動かない。庭の草むらの中から虫の声が響き始めた。 その声が止んだとき、浦原が口を開いた。 「崩玉を、この娘さんの中に隠しました」 音が、ぴたりと消えた。 夜一は唾を飲み込む。その音すら響いたかのように感じられた。浦原は眼を閉じたままだ。夜一は、口を開け、そして口を閉じた。 小さく、再び虫の音が響き始めた。 「……娘の、魂魄に、か?」 夜一の声は確かで、ただ更に低められ囁かれた。浦原は目を開け、横目で夜一を見上げる。仄暗い中でも光る夜一の眼はただ、痛ましげに細められていた。 「そうっス。誰かの魂魄の中に入れるのが、最も安全でしょうから」 「儂らでも良かったのではないか」 「そこらへんが一番疑われますよ。アタシが造った人ではなく、アタシ達と無関係で、瀞霊廷とも無関係で、魂魄に異物を入れられたことを知らないでいられるくらいに幼い……赤ん坊じゃないと、いけなかったんスよ」 夜一は上体を屈めると、浦原の腕の中で眠る赤ん坊にそっと手を伸ばした。黒髪に白いきれいな肌をした赤ん坊は、大きな眼を甘く閉じて寝息を立てている。夜一の褐色の指が優しく頬を撫でると、赤ん坊は口元に笑みを浮かべた。夜一は小さく微笑むと、軽く握られた赤ん坊の手に触れる。赤ん坊は手のひらを開くと、夜一の指を握った。その柔らかな確かさに夜一は眉をひそめて、微笑んだ。 「どこの娘じゃ」 「戌吊です。捨てられていたのを拾って……と言えば聞こえはいいですが、攫ってきたんスよ。こっそりと探していたんです。誰が消えても増えても気にしない輩ばかりの、地区番号の大きな地区に送られた、霊力のある赤ん坊を。霊力がないと、崩玉を隠しておけないので……なかなか見つかりませんでしたけどね」 浦原もまた、あどけなく眠る赤ん坊を見て口元を緩めた。体を起こし、軽く揺するようにすると、赤ん坊は笑みを深める。 二人とも、じっと赤ん坊を見つめていた。 ぽつりぽつりと、浦原がひそめた声で夜一に事の成り行きを説明する。ここ数百年の間、浦原だけではなく多くの死神がそれぞれ虚と死神の境界を取り払うための研究をしていたこと。これまでで成功したのはおそらく自分ただ一人であること。成功したことを知るのは協力者を含め数名しかいないこと。造り出された物質は予想以上に危険であったこと。この成功を知っている数名の内、ただ一人だけが破壊に反対したこと。今回の事は表面上は開発の失敗という形にし、内々では開発はできたが破壊したという形にしたこと。 そして、崩玉の破壊に成功したという話を確実に疑っている死神が一人いること。その人物こそが破壊に反対していた死神であること。 浦原は脱力した眼をして赤ん坊を眺めたまま、自分の中で一つ一つを整理しているように話している。夜一にはこれまでに聞かされたことのある話も、全く聞かされていない話もあった。夜一は赤ん坊に指を握られたまま黙ってそれに耳を傾けていた。 「そして、これからどうする? おぬしが育てるのか?」 夜一は赤ん坊から目を離さずに尋ねる。浦原は首を横に振る。 「アタシが育てたら、それこそここに崩玉がありますよって宣伝してるようなもんスよ。また戌吊に戻します。誰か、育ててくれる人をつけて」 考え込むように口元を引き結び、夜一は黙り込んだ。浦原もまた無言で、赤ん坊をあやすように揺すり続けている。月光だけが照らす部屋は少しずつ明るみを帯びてきた空とともに青く青くなり、涼やかな虫の声だけが響く。いつのまにか声は増えていて、重なり合った音色が冷たい空気を揺らしていた。 夜一が、口を開く。 「わかった。養育者は儂が探す。おぬしの縁者では少なすぎてその死神とやらにばれるじゃろう。儂ならその数は膨大じゃ。それに、外の者から見たら儂との関わりの判らぬ者もおる。任せておけ」 「すみません」 「詫びるな」 夜一は空いている手で浦原の頭を再び自らに寄せる。そして耳元で力強く囁く。 「おぬしは破壊の方法を探せ。見つけだせ。他のことは儂とテッサイに任せるがよい。方法を探すことはおぬしにしか出来ぬ。それに」 溜息混じりに夜一は言葉を吐き、浦原の髪に埋めるように己の額を浦原の頭に押しつけた。 「詫びるなら、この娘にじゃ。儂らは皆、この娘に詫びねばならぬ。許されぬことをしているのじゃ。詫びても詫びても、足りぬわ。……理由はある、理由は確かにあるが。どんな理由があろうとも…………早く、破壊する方法を探し出さねばの」 夜一の吐息を頭皮に感じ、浦原はただきつく眼を閉じる。腕の中の赤ん坊の体温があまりに暖かく、浦原は何も言えずに、ただ頷く。 二人の耳に虫の音が響いていた。 涼やかな音色が響く庭の向こうには紺青の空が広がり、欠けた月が青白く輝いていた。
崩玉が完成した後の、ある日の喜夜のお話です。この話も含め、彼らの話には俺様な設定が山の如しです。そちらにご興味がございましたら、考察設定のページをご覧下さい。読みにくい文章でつらつらと書いております。一応、当サイトではルキアに崩玉を埋め込んだのは彼女がまだ赤ん坊の頃、としております(詳細は考察で)。 それにしても、ここまで色気の少ない(つうか皆無)のお二人を書く人も珍しいかもしれないと思ってしまいます。
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