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26 穴

「何しとるん、乱菊」
 ギンがそう後ろから声をかけてきても、乱菊は体勢を変えることなく空を見下ろしていた。
「腰とか、首疲れへんの」
 横に並んだギンが、膝を抱えて屈み込んだ。顔を覗かれて、乱菊はギンに目を向ける。逆さになったギンの顔が、きょとんとした表情をして乱菊の目の前にあった。
 乱菊は体を二つ折りにして、擦り切れた着物の裾から伸びる細い足の間から空を覗いていた。青くあおく晴れ渡った空を見下ろすようにして。
「空を見ていたの」
「そうやね」
「こうして空を見ていると、ぽろりと地面から放れて、空に落ちていくように感じるの」
「空に落ちるんか。昇るんやのうて」
「落ちるの。なんでかな、そう感じるの」
 乱菊も言葉に、ギンは立ち上がると乱菊と同じ体勢をした。
「……確かにそんな感じやね」

 足は確かに地面を踏みしめているのに、眼下には青いあおい空が、底のない穴となってぽっかりと空いている。体は確かに地面に引かれているのに、眼下に深くふかく空が広がる感覚が、どこか底なしのその空に落ちていきそうな思いにさせられた。
 常に、常に頭上にぽっかりと空く、巨大な底なしの穴。

「現世で死んだときも、地面にしがみついていた手が離れてしまって、空に落ちて、ここまで落ちてきたのかしら」
「覚えとる?」
「ううん。あんたと会う前のことは、断片的な風景しか覚えてない」
 飽きることなく空を眺める乱菊の眼は、どこか虚ろで、そのぼやけた光がギンを不安にさせた。
「いつか、あたしも地面から剥がれ落ちていくのかしら。そうしたら晴れている空がいいなあ」
「あかん。乱菊が落ちそうなったら、ボクがその手ぇ掴むわ」
 ギンが慌てたように言うので、乱菊は首だけまわして振り返る。いつも眼を隠し気味の前髪が全て逆さになって、ギンの意外と広い額も、刃の切り傷のような細い緋色の眼もよく見えている。その眼は僅かに開かれていて、笑ったように見えながらも、ギンが真剣に話していることを乱菊に知らせた。
「乱菊が空に落ちそうなったら、ボクがその手ぇ掴む。そやさけ、ちゃんとボクに手ぇ伸ばし」
 乱菊は、笑みを浮かべた。もう既にギンは一度、落ちていきそうだった乱菊の手を掴んでいた。そして今もその手を握り続けている。乱菊はそのことをよく分かっていた。
 膝に当てていた手を放し、乱菊は起きあがった。頭に昇っていた血が下がり、少しよろめく。同じく起きあがったギンが乱菊の肩に手を伸ばして、支えた。二人、顔を見合わせて、同時に笑う。
「なら、ギンが落ちそうになったら、あたしが必ず掴むから、手を伸ばしてよ」
 ギンは何も答えずに、ただ微笑んでいた。

 遙か上方に、空は深くふかく、空いている。







 管理人が幼い頃からずっと抱いているイメージです。話を書いていくにおいて、これが一つのテーマでもあります。
 追加:長編三番目の話は、これをイメージして書いていました。三番目のラストで、乱菊がギンに覚えているかと尋ねたのはこの話のことです。このテーマは本当に昔から大事にしてきたので、もう少しこの話は丁寧に書けばよかったなと思っています。


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