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24 断頭台
己の仕事は常に人の頭を落とすことだった。 裏切り者の首を切り、逃亡者の首を切る。 刃から流れ落ちる血に手は染まり、肘までつたうその血は滴り落ちて地を汚す。飛び散った血や臓物は体に付着し、その臭いは骨まで染み込む。 それが仕事。生まれ落ちたときから定められた、職。
断末魔を聞いて、砕蜂は小さく息をついた。今夜の仕事はこれで終了した。逃亡者の追跡に時間がかかったが、それでも数日で片が付いたのだから良しとしようと砕蜂は思う。調査、追跡に携わり、尋問から最後の片づけまで終えた部下二名を振り返り、砕蜂が労いの言葉をかけると、二人は片膝を付いて頭を垂れてそれを聞いていた。刑軍に入って間もない新人にしてはよくやった、と砕蜂は率直に述べて並ぶ二つの頭を見下ろした。 「報告書は明日の夕方までで構わぬ。今夜はもう帰るがよい」 そう告げると、部下達は深く無言の礼をして、音もなく姿も気配も消した。その行方を探り、遠く離れたことを確認して、砕蜂は組んでいた腕を解いて肩を落とす。思わず大きな溜息をついて、眉間に皺を刻んだ。血と死の臭いが体中から立ち上っていたが、それに既に慣れている砕蜂はただ頬についていた血を拭い取り、指についたそれを裾で拭った。 軍団長が出るほどの仕事ではなかったはずだった。しかし、新人二名の出来を確認する程度のはずだったのが、裏を探って彼らの背後から出てきたのは死神を抜けて新たな力を求めようとしている集団だった。抹殺対象は新人に任せられる程度の者だったが、裏にいる者が出てきた場合を考えて、詰めには砕蜂も立ち会うよう指令が出された。 結局。砕蜂は闇に浮かぶ月を見上げる。結局、どんなに吐かせても何も得られず、死から少しでも遠ざかるための演技も嘘も出来ないほどに何も知らないということだけが明らかになった。対象が泣きわめき許しを懇願するのを瞳に映しながら砕蜂はその首を掻ききった。死体は部下が処理し、それを確認して『仕事』は終わる。砕蜂にはまだ『上』に報告する仕事が残っていたが、得られたことが何もない以上、すぐに終わると思われた。 月から視線を外して目を伏せて、砕蜂は頭を振ると、音もなく跳び去った。 簡単な報告を終えて隊舎に戻ったのは、もう夜明けも近い頃だった。 砕蜂は自室ではなく執務室に足を向ける。夜勤のため、常にどこかに灯りはある。気配のある席官の控え室の前を通ると、小さな話し声が聞こえる。 清潔な廊下を歩いていると、自分の体に染みついた血の臭いを感じずにはいられない。砕蜂は顔を顰めて、自分の腕を顔に近づけた。返り血は殆ど浴びていない。浴びるはずがない。それなのに、血の、気配は必ず自分の周りにまとわりついている。 慣れた。もう百年以上も繰り返していることだった。それなのに、今夜のように月の綺麗な夜には、砕蜂は血の臭いから逃れたくて堪らなくなる。そして自己嫌悪に囚われて、一人自嘲の笑みを浮かべる。 もう遠くなりつつある過去、姿を消したあの人は、こんな夜はどうしていたのだろう。 灯りのない廊下には窓から月の光が射し込み、窓枠の影がどこかへ続く出口のように床に落ちている。砕蜂は立ち止まり、窓から空を見上げた。 白い月が、欠けた形で浮かんでいた。 あの人が放棄した立場の他に、自分は二番隊隊長という役職まで手に入れた。砕蜂は大きな眼に月を映す。あの人を超えたくて、裏切って消えたあの人を超えてやりたくてそれが唯一の防衛手段で、そうしなければ崩れてしまいそうだった。砕蜂はこの百年に近い年月を思い、目を伏せた。必死で走り続けてきたけれど、それでも自分はまだ、血を浴びてなお快活に笑っていたあの人に追いつけないのだろうか。
執務室に入ると、いつも通りに大前田が立ち上がって礼をした。 「お疲れ様っした」 「…………うむ」 砕蜂は一瞬だけ動きを止め、鷹揚に頷いた。そして周りを見渡し、眼を閉じた。空気中に微かに甘い香りが漂っている。目を開くと、ソファの脇机にある一輪挿しに微妙な色合いの薔薇の花が飾られていた。砕蜂は近づくと、その薔薇に触れた。柔らかい水分を含んだ生命の質感が指に触れた。茶色のような紅色のような色をした花びらが揺れる。 「不思議な色だな」 呟くように問うと、盆を手にした大前田が答える。 「紅茶の色だそうスよ」 脇机に置かれた茶碗には同じ色をした茶が湯気を立てている。砕蜂はソファに体を沈め、茶碗を手にした。清冽な香りが体を包み込む。 「お湯はどうするっスか」 大前田がいつも通りの問いをした。 「薔薇がいい」 「了解っス」 大前田が執務室を出ていく。その背中を見送って、扉が閉じられるのを確認すると砕蜂は茶碗を置いて膝を抱えた。顔を埋めて、眼を固く閉じる。 全ていつもの、刑軍の仕事が終わった時に繰り返されることだった。
この儀式のようなことが始まったのは、隊長就任してすぐの、刑軍の、処刑の仕事を終えたときではなかったかと砕蜂は思う。
刑軍の仕事はその前からずっと行っていたし、それはもう慣れていて、どうと思うことはなかった。しかし、死体を片づけて報告を行った後、二番隊隊長としての仕事がまだ残っていたことを思い出し、舌打ちをして砕蜂は執務室に戻った。 初めての隊長としての仕事はまだ把握できず、頼るべき副隊長である大前田とはまだ慣れず、どちらかというと信用ならないと砕蜂は考えていた。そして己と消えたあの人との関係を思い出し、溜息をついていた。思い出を消すためにあの人を超えた役職を手に入れたのに、思い出はただ美しくそこに残されていた。そして当時は全く感じてはいなかった血と臓物の臭いだけが鮮烈になっていった。あの、血の染みも闇も打ち消す快活な微笑みがなくなってから、砕蜂は常に自分の手を汚す緋色を常に意識するようになった。 明日の昼までに確認しなければならない書類の束を思い出して砕蜂は溜息をついた。ただでさえその夜の対象は暴れて血を撒き散らした。血の臭いが鼻の奥から取れず体の奥から取れず、砕蜂は憂鬱な思いで扉を開けた。 「あ、隊長、お疲れ様っした」 気配も霊圧も消していた大前田が立ち上がり礼をしたのを見て、砕蜂は動きを止めた。目を見開いていたかもしれない。大前田が奇妙な顔をして、 「何してんスか」 と言うまで動かなかった。血の臭いを忘れていた。 「き、貴様こそどうした。何故こんな時間にここにいる」 「隊長がまだ業務中なのに俺だけ寝るわけにもいかないっしょ」 「あれは刑軍としての仕事だ。貴様には関係ないだろう」 「刑軍でも何でも、砕蜂隊長が働いていることに変わりはないでしょうが。まあそれに、昼までの書類もありましたんで片づけていただけっス。あとは隊長が印を押して下さればいいんで」 砕蜂が驚いて自分の机を振り返ると、そこには綺麗に揃えられた書類がそれぞれ種類ごとに並べられていた。更に驚いて大前田を振り返ると、既に茶の準備をしていたのか、盆を持って立っていた。促されるようにしてソファに砕蜂が腰を下ろすと、大前田は傍机に茶托を置き、その上に音もなく茶碗を置いた。その一つ一つの所作に砕蜂は声も出せないでいたが、大前田は気にする風もなく、感情の読めない目をして砕蜂の前に立った。面倒そうに片手で頭を掻いていた。 「ついでなんで今、報告しますけど、隊長が気になさっていたようだった隊員の鍛錬については、基本的にはそれぞれの班長が行い、週一で俺が面倒みることにしました。隊長は無理なさらず月一に全体稽古で。今日っつうか昨日は五、八、十一、十八の鍛錬を確認しましたが、まあ、いいんじゃないスか。それと技術開発局に相談していた件の返答がきています。それについては明日じゃねえ今日っスけど、確認して下さい。まあ一度お休みになられてからでいいっしょう。あと幾つか現世で発生した問題の報告がありましたが、俺が片づけました。詳細はまあ後でってことで。他細かいことが多々あるんスけど、急ぎじゃないんでそれも後でいいんじゃないスか」 立て板に水といった澱みのない報告に、砕蜂はただ頷いた。そしてふと、彼が一日の仕事としてはかなりの量をこなしていることに気づいた。残っていた書類の量も半端ではなかったし、それを片づけられるのは副隊長か隊長だけで、つまりそれを大前田は、鍛錬や諸々の問題解決の後に一人で片づけていたということだった。 砕蜂はまじまじと大前田の顔を見た。だらしがないと思っていたその顔には疲れも不満も見受けられなかった。よくよく考えてみれば、砕蜂は三つの役職を掛け持ちしており、それぞれの仕事量もかなり多い。あちらの仕事は秘密厳守であり人数が裂けないものが多く、砕蜂は必ず必要とされた。結果的にしわ寄せは二番隊に、つまりは大前田に来るのだった。 「……大前田」 「へえ」 「これからも、このように私が刑軍の職務に就いていると、貴様は相当忙しくなるが」 「そうっスね」 「構わんのか」 「別に」 大前田はつまらなそうに言った。 「仕事っスからね。俺も、隊長も。当たり前っスよ」 「……そうか」 砕蜂が黙り込むと、大前田は自分の机に戻りなにやら引き出しを開けてごそごそと捜し物をしていたようだった。砕蜂は茶碗を手にとって、まだ熱い茶を飲んだ。香りが喉から鼻に抜け、砕蜂は先程まで気になっていた血の臭いが薄らいだのを感じた。そういえば、部屋に入ってからずっと臭いが気にならなかったことを思い出し、砕蜂は周囲を見渡して、その理由を知った。 一輪挿しに名も知らない花が飾られていた。
普段、そこには竹籤の先に千代紙で作られた鶴やら毬やらがぶらさがった、玩具のような飾りがあった。小さな鈴がぶら下がっていることもあった。ほぼ毎日、大前田がどこからか持ってきていて、それは愛らしく、誰もいない部屋でこっそりと、砕蜂はよく指で突いては揺れるそれを眺めていた。 花が飾られたのは初めてのことだった。 「大前田」 「へえ」 「この花はどうした」 大前田が振り向いて、やはりつまらなさそうな顔をした。 「ああ、まあたまにはいいんじゃないスか」 「普段は持ってこないではないか」 砕蜂が言うと、そこで大前田はわずかに目を細めて笑ったような表情をした。 「隊長に花の香りが移ったらまずいじゃないっスか」 何言っているんだとでもいうような横柄な言い方だったが、砕蜂はただ驚いて目を開いた。確かに、隠密行動の多い自分が何かの香りを纏うことは許されなかったが、それを刑軍出身でもない大前田が配慮しているとは考えてもいなかった。 砕蜂は花に目をやった。 「だから普段は玩具なのか」 「まあ、そうっス」 「でも何故、毎日飾る?」 「隊長、お好きっスよね。こういうの」 「……」 「就任時に、席官の机に飾られていた折り紙の毬をご覧になった様子で、まあ、好きなんかなと。それくらいは面倒じゃないスから」 「……何故」 窓から風が吹き込み、花が揺れた。それを砕蜂はじっと眺めた。 「何故、今日は花なんだ。私が職務に出るまではなかったろう」 「まあ今日くらいはこれでいいかと」 「言え」 大前田が息を付き、面倒くせなあ、と小さく呟いて右手で頭をがりがり掻いた。 「……今夜はもう刑軍の仕事はさすがにないでしょうし、俺はそれらの仕事を詳しくは知らねえっスけど、まあ、多分、気分的に、花の香りがあった方がいいんじゃねえかなと考えただけっスよ。朝にはもう替えます」 砕蜂は眼を閉じた。そして一言、 「そうか」 と言った。大前田は興味なさそうに頷き、再び引き出しに顔を向けた。しばらく無言が続き、やがて大前田が体を起こした。 「あったあったありました。隊長、これ使って湯船に入ったらどうっスか」 「……何だ、それは」 「菖蒲湯とか柚湯みたいなもんスね。気分良く眠れますよ」 大前田の手にあったのは、乾いた花びらや果物の皮を入れた薄布の袋だった。砕蜂はそれを眺め、大前田の顔を見上げた。 「貴様、意外に典雅な奴だな」 「貴族の嗜みってやつっスね」 さらりと嫌みなことを嫌味なく言い、大前田は肩を竦めた。不思議と憎めないその部下に、砕蜂は初めて笑った。 「使おう。貴様が準備してこい」 隊長は隊舎に広い別棟の自室を与えられており、そこには風呂などもあった。 「……女性の部屋に俺が入るのは問題あるんじゃないっスか」 「貴様は副隊長だろう。同じ棟にも住居があろうが」 「隊長と副隊長では風呂は別じゃないスか」 「気にするな。私は何も気にしていない」 大前田が肩を落として盛大に溜息をついた。そして諦めたように礼をした。 「準備してきますよ、俺が」 「うむ」 砕蜂は誤魔化すように鷹揚に頷いた。けれど、面倒くせえなあと呟きつつ扉を開けようとする背中を見て、口を開いた。 「大前田……礼を言う」 「……当然のことっスよ。俺は砕蜂隊長の副官なんスから」 扉が閉まると、砕蜂は膝を抱えた。涙はあの時に捨てていたが、それでも何か胸の奥が締め付けられるように思った。 血の臭いを薄めていくその花の香りを、胸一杯に砕蜂は吸い込んだ。
扉を開けて大前田が入ってきたとき、昔のことを思い出していた砕蜂は一瞬だけ困惑し、そして微かに笑った。 「どうしたんスか、隊長。変っスよ」 「上司に向かって何て言い草だ」 砕蜂は立ち上がると同時に裏拳を繰り出したが、大前田はそれを上体を仰け反らせて紙一重で避けた。そこへ砕蜂が一歩踏み出すと、回し蹴りを顎めがけて繰り出すが、大前田が一歩引くことでそれを回避する。 二人とも向き合って大きく息を付いた。 「鍛錬はできているようだな」 「……いい加減できるようになるっつうの」 満足げに言う砕蜂に、大前田は諦めたように、疲れてるんじゃねえのかよ、と呟いた。 「まあいいっス。風呂の準備できましたよ」 「うむ。ご苦労だった」 何事もなかったようにお互いに頷き、そこで大前田は砕蜂の顔に目をとめた。 「ちょっと待って下さい、隊長。いいスか」 砕蜂が動きを止めると、大前田は懐から手拭いを取り出してそれを右手に持ち、左手で軽く砕蜂の顎を持って、そして頬を手拭いで拭った。 「あああ、もうカラッカラに乾いてんじゃないスか」 「これから風呂に入るのだから別にいいだろう」 「こんなもん、とっとと落とすに越したことはないでしょうが。ああ面倒くせえ。今夜は浴びてねえと思ったのに」 面倒くせえなあと最早口癖となったそれを呟いて、大前田は給湯室で手拭いを湿らせてくる。おとなしく動かないままそれを待っていた砕蜂は、文句を言いながら丁寧に血の跡を拭う大前田を見上げた。 「貴様、私を恐れたことはないのか。人を殺す役目の、私を」 大前田は億劫そうな口調で答える。 「別に。ないっス」 「私は邪魔だと判断したら、貴様でも殺すぞ」 「そうっスね。そうなったら単に俺がそれまでの奴だったってだけっスから」 「……貴様が裏切っても、殺すぞ」 「隊長についていくっスよ。どこまでも、俺も、他の隊員も」 「そうか」 「そうっス」 よし落ちたと大前田が手を離し、砕蜂は血の跡のあった辺りを指で触れた。そこはもう何の違和感もなくただ自分の肌があり、微かに湿っていた。大前田は器を片づけ始めていて、砕蜂は扉に向かう。そして振り返り、 「大前田。礼を言う」 と言った。大前田は顔だけ上げた。 「当然っスよ。副官なんスから」 大前田の返事に砕蜂は頷いた。
二番隊第二弾です。ええと、生け贄の話を受けて、二人きりのときはどんな感じかしらと書いてみました。任務は夜だろうから、まあ夜のお出迎えってことで……どこもかしこも甘くならないようですよこのコンビは。 いやホント、多分副隊長としては忙しい隊だと思いますよ。よくやってるハズ。きっとそう。
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