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17 生け贄
吉良は二番隊の執務室にいた。 隣同士ということもあり、二番隊と三番隊は合同で何かをすることも多い。今回、双方の間にある古くなった建物の修復を合同で行うため、その調整の話し合いのために昼過ぎから吉良はここに来ていた。 大前田は忙しそうで、席官が入れ替わり立ち替わり指示を仰ぎに執務室に出入りした。その度に大前田は面倒くせえと呟きつつも入り口まで行き、何事かを告げてまた戻ってくる。 「今日は砕蜂隊長はいらっしゃらないんですか」 吉良がそう尋ねると、大前田は億劫そうに頷く。 「別の仕事が入っているんだとよ。昨晩からいねえ」 「ならその間はずっと大前田さんが取り仕切るんですか」 「仕方ねえからな。全く、夕べは風呂入りに戻っただけで寝てねえっつうの」 そう言って大前田は首を鳴らして、再び書類に目を落とす。その目の下に僅かに隈ができていて、吉良は眉を八の字にした。基本的に副隊長は雑務で忙しいものだが、大前田に隈ができていることは多い。 そのとき、三席が扉をノックすることなく飛び込んできた。 「副隊長っ、虚が出ました。十三斑から救援要請ですっ」 「ちっ、面倒くせえな」 吐き捨てるように呟き、大前田は立ち上がった。 「三席、おめえは吉良と修復について話し合え。吉良、俺が行くしかねえから、悪いが大まかなことはこいつと決めてくれ」 「え、私ですか」 狼狽える三席を大前田が見やった。 「仕方ねえだろ。隊長も俺もいなけりゃ、おめえだろ。吉良、決定事項には従うから、好きに決めてくれ。悪ぃな」 「いえ、当然です。こちらは気になさらず、お急ぎ下さい」 「すまねぇ。煎餅は好きに食っていいぞ」 斬魄刀を手に取り、大前田が三席を押し退けて執務室から出ていく。向こうの席官の部屋に入ったのか、残りの席官に指示を飛ばす声がここまで届いた。 吉良は狼狽えたままの三席に、とりあえず前に座るように言うと、三席は緊張しているのか背筋をおかしいくらいに真っ直ぐにして腰掛けた。 「修復のことは聞いてる?」 「はい」 「なら大丈夫だね。大まかに決めてしまって、細かいことは大前田さんが帰ってきたら話すから、よろしく頼むよ」 「こちらこそ、当方の都合で申し訳ありません。よろしくお願い致します」 頭を下げる三席に吉良は微笑んだ。二番隊は、大前田以外は丁寧でおとなしい隊員が多い。ある種、隊長と副隊長が強力に個性的だから必然的にそうなるのかもしれないと吉良は思う。 大前田がいなくなったせいか気が抜けて、吉良はふと気がついた。 「そういえば、珍しく花が飾られているね」 ソファの横にある脇机には、普段は玩具のような飾りが置かれている。それも砕蜂と大前田の印象からは程遠いと思っていたけれど、今日はそこに一輪の花が飾られていた。 三席は、ああと顔を上げて少し笑った。 「珍しいですよ。隊長があちらの任務に行かれたときには副隊長が花を飾られるのですけど、普段、次の日にはまた飾りに戻っているので、持ち越してあるのは滅多にないです」 「え、大前田さんが飾ってるの」 驚いて反射的にそう尋ねると、三席は頷いた。 「はい。貴族の嗜みっておっしゃって」 「……ああ納得」 吉良は普段の大前田を思いだして頷いた。少し複雑な顔をしていたのだろう、三席がくすくすと笑う。 「でも、副隊長がそうなさるようになったのは、砕蜂隊長になられてからですよ。多分、気を遣われて」 「あ、そうなんだ」 「普段、隊長と副隊長って、朗らかとか仲良しとか楽しげとかの言葉が似合わない無駄のない会話しかなさらないんですけど、副隊長はあれでとても細やかな方ですし、その気配りを砕蜂隊長もおわかりのようで」 「へえ……」 吉良はいつか見た光景を思い出す。廊下で、何か言った大前田が砕蜂に顎を蹴り上げられて、倒れかけたその体に肘鉄を食らわされていた。 「よく蹴られてるから仲悪いのかと思っていたよ」 吉良がしみじみと呟くと三席は真顔で答えた。 「仲が良いとは言えないと思います」
大前田が帰還したのは出ていってから一刻ほど経ったあとで、まだ吉良は三席と打ち合わせをしていた。大前田が入ってきた途端、三席が弾かれたように立ち上がり、つられて吉良も立ち上がった。 「お疲れ様でした」 「おう、ご苦労さん。吉良、悪かったな」 「いえ、別にいいんですけど、大前田さん、怪我なさったんですか」 「んにゃ、隊員の血」 大前田の手や頬には血がこびりつき、それはまだ乾いておらず鮮やかな緋色をしていた。それを大前田は手拭いで乱暴に拭う。 「怪我人が二人出た。俺が担ぐ方が早いからそうして四番隊に放り込んできたんだよ。三席、ここはご苦労だったから四番隊に行ってくれ。手続きとかせずに来たから、それをしろ」 「了解しました」 「おう、助かった」 大前田は高位席官へ続く扉を開けると三席が横をすり抜けていく。大前田は中には入らずにそこから指示をする。 「四席、三席と一緒に四番隊へ行ってこい。五席と六席は十三班の奴らの報告書を見ておけ。完成したら俺に持ってくること、いいな」 返事が扉の向こうから聞こえ、大前田は扉を閉めて吉良の方に向いた。 「慌ただしくてすまねえ。そっちはどう進んだ?」 「もう大方決めましたよ。細かい部分だけ決めてしまいましょう」 「そうか、分かった」 大前田が吉良の前の椅子に座ろうとして、ぴくんと顔を上げると、座るのを止めて立ち上がる。どうした、と吉良が尋ねようとしたときには大前田は廊下への扉を振り向いた。 扉が乱暴に開けられ、刑戦装束の砕蜂が入ってきた。 吉良が慌てて立ち上がり深く礼をする。砕蜂はそれに鷹揚に頷いた。 「お疲れ様っした」 「うむ」 大前田は礼をすると、吉良に「もう少し待っていてくれ、わりぃ」と囁いて席官の部屋へ出ていった。砕蜂はソファに沈むように座り、脇机の花に目をやる。そして脇机に両肘をつくと、頭を抱えるような格好で花に顔を埋めるようにした。 吉良はその砕蜂の、露わになった背を呆然と眺めていた。その背中は普段の隊長羽織の背とは違い、どこか疲れて、小さく見えた。これもまた一つの長の姿であるはずなのに、と吉良は不思議に思う。そして、腕から肩にかけて細かく緋色の飛沫が不規則な模様のようにあることに気づいた。何かの肉片のような赤黒いものも付着している。 唐突に吉良は砕蜂のもう一つの職務の内容を思い出した。 緊張の走った吉良に気づいたように、砕蜂は凛とした眼を吉良に向けた。 「何を立ちん坊になっている。気にせず座れ」 「は、はい」 機械人形のような動きで吉良が座ると、砕蜂は面白そうにわずかに口角を上げた。 「今日はどうした」 「はい、明後日に予定されている合同の修復作業について大前田副隊長と話し合いをしておりました」 「ああ、そういえばそんなものがあったな」 思い出すように砕蜂は眼を上に向けた。 「すまぬな。私は今少し忙しい。全て大前田に一任しているから、奴とやってくれ」 「はい。こちらも市丸隊長は何もなさっておりません」 「ああ、市丸ならそうだろうな」 くくっと口の中で笑い、砕蜂はソファの上に脚まで乗せて横座りになった。砕蜂の気を緩めたような姿を初めて眼にした吉良は逆に固くなった。 そこへ大前田が手拭いと盆を手にして入ってきた。どちらからも湯気が立ち上り、微かに良い花の香りがする。大前田は盆を脇机に置くと、受け皿をまず置き、そこへ茶碗を乗せた。 「今日はこれであちらは終了っスか」 「いや、すぐに戻る」 砕蜂の言葉に大前田は動きを止めて、体を起こした。 「片づけますか」 「いや、もう大丈夫だ。これから報告に向かうだけだからな、構わん」 「そうスか」 大前田が砕蜂の前に膝をつくと、砕蜂が片腕を前に差し出した。 「ガキじゃないんスから、たまには」 「怠い」 「……はいはいはい、やらせて頂きますよ俺が。どうして拭いてから来ねえんスかね…ったく」 その腕を取り、文句を言いつつ大前田が手拭いで肌を拭っていく。それが血飛沫を拭っている動作であることに気づき、その二人の流れるような躊躇いのなさに吉良は唖然としていた。仲が悪い? どこが? 吉良は自問自答する。 「で、隊長、先程、ウチの管轄内で虚が発生し、俺と十三班が対応しました。二名が負傷して四番隊にいるっス」 「分かった。刑軍に戻る途中で四番隊に寄ろう」 「他の業務については急を要するもんはないんで、後で」 「分かった。貴様に任せる」 両腕を拭うと大前田は立ち上がり、畳んであった隊長羽織を砕蜂の肩にかけた。そして砕蜂の顔を見てわずかに顔を顰め、丁寧に顎についた微かな血の跡を拭う。 「暖かいおしぼりは気持ちが良い。それを少し顔に乗せておこう」 「それ以上、毛穴を開けてどうするんスか」 鈍い音がして、大前田が腹を抱えて上体を折り曲げた。 「何か言ったか」 「ち、父上にも殴られたことのない腹を殴ったっスね……」 「ふん。散々私に殴られておいて何を今更。不満なら蹴ってやろうか」 「……手拭いを取り替えてくるっス」 腹に手を当てたまま、大前田が「油断した……」と呟きつつ扉に向かう。そして唖然としたまま口まで開けていた吉良を振り返ると、 「吉良、お前もカモミール茶いるか」 と訊いてきた。 「あ、はいお願いします」 「おう。もうちょい待っててくれ」 出ていく大前田を見送り、吉良は砕蜂を振り返る。砕蜂はまた花に顔を埋めるようにしている。香りを楽しんでいるのかと思うのに眼は固く閉じられていて、何か切羽詰まったように見えるその様子に吉良は言葉を失った。 大前田はすぐに戻ってきて、盆を吉良の前の机に置くとすぐに砕蜂に向かい、「ほれ、どうぞ」と軽く言って上を向いた砕蜂の顔にそれを被せた。砕蜂は背をソファにあずけ、沈むようにして座り直す。大前田はそれ以上何も言わずに吉良のところへ戻ると、良い香りのする茶の揺れる茶碗を吉良の前に置いた。 少しして砕蜂が再び出ていくまで、二人の間に会話はなかった。
細かい調整も終え、二番隊から吉良が執務室に戻るとそこには珍しく市丸がいた。吉良は驚いて足を止めた。 「おかえり、イヅル……どないしたんや」 「た、隊長、仕事をしていて下さったんですね」 「……そら君がおらんかったらボクがするしかないやないの」 少し不満げに呟く市丸を無視して、吉良は自分の机に大量の資料を置いた。これから急いで修復に当たる斑の隊員に説明をしなければならない。市丸に断って、資料を分けながら吉良は二番隊との話し合いの結果を伝える。市丸は聞いているのかいないのか、別の書類に目を通しながら、それでも全てを伝え終えると、 「ご苦労さんやったね。それでええよ」 と言った。 「そういえば、二番隊隊長さんは元気やった? 最近、全然見ぃひんけど」 「別の任務でお忙しいそうですよ。今日、ちょっとだけ執務室にお戻りになられました」 「ああそうなんや。あっちの仕事はようわからんからなあ」 市丸の言葉に、吉良は先程の砕蜂の様子を思い出した。表情が変化したのだろう、市丸が吉良を見て、「どないしたん」と訊いてくる。吉良は少し躊躇したが、先程の二番隊執務室での一部始終を話した。 市丸は笑って頷いた。 「はぁ、二番隊副隊長さんは、あれでよう気ぃつく人やからね。砕蜂ちゃんとはよう合うやろ」 「……そうなんですか?」 「そうやろ。砕蜂ちゃんは女の子らしいお人やから、あれで実は可愛らしいもんが好きやし、花とか香りの強いお茶とかは、あの任務の後はありがたいやろ。おしぼりにまで香り付きやて、よう気ぃつくわ」 市丸の言葉に吉良は首を傾げた。その様子を見て、市丸はきょとんとし、そして納得したように小さく笑みを浮かべる。 「そうか、イヅルにはわからへんか」 独り言ちる市丸に、吉良は眼で尋ねる。市丸は何かを思い出すような眼をしていた。 「砕蜂ちゃんの仕事は分かるやろ。人の首を落とす仕事や。あの仕事は体に香りがあったらまずいやろ。対象に気づかれるさかい。せやから、普段は花ぁ飾れんのや」 「……ああ」 「せやけど、人殺した後ってな、えらい臭うんよ。血や臓物とかでなあ。洗っても洗っても、消えへんのや。体の奥から立ち上ってきて、嫌んなる」 吉良は目の前の上司を見た。柔らかい表情で飄々と笑うこの男は、その笑みで全てを隠し、その感情は決して覚らせてはくれない。今も凄惨な話をしているように思えるのにその笑みは柔らかかった。 「市丸隊長は、その」 「殺しとるよ。死神になってからは虚相手ばかりで人殺しとらんけど、昔はなあ」 外はもう夕暮れで、茜色の光が執務室を染め上げていた。その色は血の赤には程遠く暖かく、市丸を吉良を照らす。 「そやさかい、任務の後くらいは花飾っとるんやろ。花の香りで、お茶の香りで血の臭いを消すためになあ。あの副隊長さんが人殺してはるとは思わんけど、まあ気ぃまわせる人なんやろ。そういや、前の隊長さんときも、よう働いてはったしな」 吉良は大前田のやりとりを思い出した。
砕蜂が出ていった後、「いつもこうなんですか」と吉良が尋ねると、大前田は顔を顰めて、 「こういうときだけだ。面倒くせえ」 と億劫そうに言った。そして丁寧な手つきで隊長羽織を畳んでいた。
何も訊かず、余計なことは話さず、けれど淡々と必要なことだけを話す二人。無駄はなく馴れ合いもなく、ただ相手に任せて任された、信頼。 羨ましい。 強烈に吉良は感じた。羨ましい。なんて羨ましいのだろう。吉良は自分を振り返り、そして決意を新たにする。 「市丸隊長」 「何やろ」 「僕も、僕も頑張ります! 本当に頑張りますので、よろしくお願いします!」 「ありがとさん、イヅル」 市丸はわずかに俯いて、笑った。 「ボクは本当にイヅルに助けられとるよ」 その笑みが、赤く赤く照らされた。
大前田さんの喋り方がまだ微妙に掴めておりませんですよ。 さてさて、二番隊祭になった一環で書いてみました。メインは吉良のはずなのに殆ど二番隊です。ええと、管理人は二番隊ツートップをコンビとして捉えておりますが、多分、一般的に想像するような仲良しではないけれど、互いに伝わっているものがあるように思うのですよ。だって、兼任していて忙しいに決まっている隊長の下で副隊長を続けていて、かつクビになっていないんですから。
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