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03 死闘
「おう、どうした庶民。幸薄そうな面してるな」 廊下で擦れ違った大前田に声をかけられ、檜佐木は何も言い返せずに恨めしげな眼でその顔を見やった。その顔を見て、大前田が納得したように頷く。 「仕方ねぇなあ」 「俺、まだ何も言ってないっすよ」 「顔が雄弁に物語ってるんだよ。ったく、昼飯奢られんのと、夕飯奢られんの、どっちがいい?」 大前田が上の方から傲慢ともとれる口調で言う。しかし檜佐木はその内容にきょとんとした。 「何で腹減ってるって分かったんですか」 檜佐木の問いに、大前田は当然という顔をする。 「お前が庶民と言われて言い返さないのは金がなくて腹減らしてるときだけじゃねえか」 この人は相変わらずだ。檜佐木は空腹もあって更にがっくりとする。大前田は偉そうで傲慢で鈍感そうだが、実はかなり周囲を冷静に観察している。彼特有の尊大で不遜な物言いに普段は腹の立つことも多いのに、ふとしたときに、檜佐木は大前田への認識を新たにさせられる。 「……現実に金がねぇんすから、言い返せないじゃないすか」 「まあそりゃそうだな。で、どっちがいいんだ」 檜佐木は頭の中で豪華な昼御飯と晩御飯を想像する。しばし逡巡し、 「夕飯でお願いします」 と言い切った。空腹で眠れない夜を想像したら泣けてきたからだ。 「昼飯はどうすんだ」 「隊の菓子食ってしのぎます」 大前田が思い切り呆れ果てたという表情をして、手にしていた煎餅袋を檜佐木に放り投げてきた。慌てて檜佐木が手に取ると、からからとぶつかり合う固い音がする。 「これ食ってろ。隊のもんを喰い漁るんじゃねえぞ貧乏人」 檜佐木がそれを覗き込んでいる間に、大前田は歩き出した。 「仕事が終わったら二番隊の執務室に来いよ」 「ありがとーございます」 檜佐木の心は既に煎餅に向いていて、辛うじて礼を述べた。
終業時刻を数分過ぎたところで、檜佐木は阿散井と吉良を連れて二番隊を訪れた。仕事でもないのに他隊を訪れることは滅多になく、まだ働いている二番隊隊員を見て、阿散井達は気後れする。 「何か……俺ら、いいんですかね」 周囲を見渡して阿散井が呟いた。檜佐木は敢えて胸を張る。 「仕事は全て終わらせてきた。後ろめたいことは何もない」 「……僕、お金ないわけじゃないんですけど、いいのかなあ」 「大丈夫だ。大前田さんは尊大で偉そうだがケチな人じゃない」 不安げに眉をひそめる吉良に、檜佐木はきっぱりと言い切った。そんな檜佐木を二人が怪訝な顔をして見、そしてお互いに顔を見合わせた。同期の慣れで視線の会話をし、溜息をつく。 「まあ、奢られないと何も食えないのは先輩だけなんすけどね」 「だからちゃんと計画的に使った方がいいですよって言ってるじゃないですか。毎月毎月」 「お前ら、俺の小姑かよ」 背後で色々と好き勝手なことを言っている後輩二人を振り返りながら、檜佐木は二番隊執務室への扉に手を掛けた。そしてノックと同時に開け放つ。 「失礼しまーっす。大前田さ」 「貴様それでも副官か!」 空中に書類が舞い上がるその向こう、足蹴りを繰り出す二番隊隊長砕蜂とその攻撃を腕で受けとめつつ後ろに吹っ飛ぶ大前田の姿が三人の眼に映った。 「副官にだって定時に終業する権利くらいあるでしょーが!」 壁際で堪えて動きを止めると、大前田は瞬時に横に跳ぶ。同時に、大前田がいた場所に砕蜂が飛び込むが、その掌は空を切った。白い羽織が翻る。 「上司である私がまだ働いているというのに貴様は帰るというのか!」 脚で壁を蹴り跳び上がると砕蜂は息つく間も与えずに大前田の頭頂部に踵を落とす。大前田は僅かに体を動かしてそれを避けた。丸い鼻先を小さな踵がかすめる。 「隊長のは女性死神協会の会食じゃないっすかっ」 床に降りると同時に繰り出された砕蜂の裏拳を腕一本で受け、大前田はそのまま押し出すように砕蜂を突き放す。砕蜂はその勢いに乗って空中で宙返りをした。 「仕事だろう!」 「どう見たって悪巧みでしょうが! 知ってるんすよっ。今夜はアドバイザーとして卯ノ花隊長を呼んでるって」 軽く床に立った砕蜂が動きを止める。その背中で羽織がふわりと揺れ、落ち着いた。大前田が肩で息をつく。その周囲にばさばさと書類が舞い落ちた。 「何故知っている」 「勇音と立ち話で聞いたんすよ……言っておきますけど、勇音が会食で相談する内容を俺に話したわけじゃないっすよ。ただ、その面子だとどう考えても悪巧み以外ありえねえじゃないっすか」 「貴様、その不遜な態度は何だ」 「いつものことでしょう」 「それはそうだな……言っておくが、女性死神協会は女性死神達の生活を守り」 「その向上と発展を担うんっすよね、分かってます分かってますって現実にはどうだか知りませんけどね」 「……うむ。気にかかる言い草だが、まあ、よい」 眉間に皺をよせたままではあったが、砕蜂から殺気が消える。そして大前田と砕蜂が同時に扉のところで突っ立ったままの三人を振り返った。 「どうしたお前達。副官ともあろうものがそんな間抜け面でどうする。もう少し引き締めろ」 「おう、待たせたか。悪ぃな。もう仕事は終えたから行くとすっか」 二番隊の二人は何事もなかったかのような口振りであっさりと言った。 あまり二番隊に来ることのない阿散井は呆然としている。二番隊とよく仕事を共にする吉良は慣れているのかただ苦笑いを顔に浮かべた。檜佐木は大きく溜息をついて、 「……何でそんな、いや、いい。いいですもう何でもいいです」 と額に手を当てた。そして、殺気まで出して格闘するのが日常なのか、と口の中で呟く。 檜佐木の言葉に、砕蜂も大前田も首を傾げた。大前田がけろりとした表情で、いつもこんなもんだぜ、と言う。砕蜂も横で頷く。 「気にするな。こいつは殺しても死なないゴキブリのような男だ」 「へえへえ、日常的にゴキブリのように扱われていればそうもなるでしょうよ」 散らばった書類を拾いながら大前田がどうでもよさげに呟く。相づちを打っていいものかどうか、檜佐木は疲労を感じつつ逡巡した。 「よし、では私は会食に行ってくる。戸締まりはしておけ」 「了解っす。で、みやげは青龍飯店の肉まんでいいんすね」 「肉まん十個とフカヒレまん十個だ」 「…………了解っす」 砕蜂に道を開けた三人の横を、彼女は軽やかに通り過ぎる。わずかに顔を向けると、鋭い眼光で睨むように檜佐木達を見た。 「しっかり奢ってもらえ。そしてその締まりのない顔をどうにかしろ」 「は、はあ」 悠々と遠ざかる二の字を見送ると、三人は執務室内の大前田を振り返る。大前田は机の上で書類を揃えると、処理済みの箱に放り投げてこちらに顔を向けた。よく見ると鼻先の皮がむけて赤くなっている。 「待たせたな。じゃあ行くか。今日は中華でいいな」 「もちろんっす。ありがとうございます!」 檜佐木は即答した。そして心の中でそっと、自分が九番隊に所属していることに感謝した。
えーと。二番隊の日常茶飯事ということで。
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