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02 木乃伊
名を持たない若い男が出会ったのは、血塗れの坊主だった。 窪んだ目は澱み、頬は痩け、青い顔をして、口の中で何事かを呟きながら歩いていた。猫背の背中はありありと背骨が浮き上がり、辛うじて纏っている着物はあまりに多すぎる血の染みで、鈍い黒色。骨に皮が張り付いた手にある血錆びの浮いた刀は抜き身のまま。 最凶最悪のこの地区でも評判の男だった。 若い男が探していた相手だった。 「おい」 声をかけると、坊主はのろりと振り返った。目の焦点があっているのか、いないのか。濁った黒目に若い男の傷だらけの顔が映る。 「てめえだろ。血みどろ坊主ってのは」 「……そう呼ぶ輩もおるが」 それは意外に確かな声で、返事を聞いて若い男はにやりと笑う。 「俺とやりあえ。てめえ、強いんだろ?」 笑って刀を抜き、構える若い男に、坊主は無表情で答える。 「貴様、この地獄の住人か」 「てめえもだろ。だいたいここは地獄じゃねえ」 「そうだ。ここは地獄でも浄土でもない……そんなものはどこにもなかった」 内から迸る力で輪郭が揺らめいて見える若い男を前にして、怯むこともなく引くこともなく、坊主は淡々と話す。 「ただ長々と続く、緩慢で、飢えて、血を流しあう、現世(うつしよ)と変わらぬ日々が続くだけ。ここは確かに地獄ではないだろう。しかし、これを地獄と呼ばずして、何を地獄と呼ぶのだろうと思うほどの虚しさよ」 「死んだ先に期待して、死んだのか。どうしようもねえな」 「少しでも苦しむ人々を救いたく、即身仏となってみれば、送られたのは同様の、全く変わらないただの地獄。仏の教えは何だったのか。浄土はどこにあったのか。行ったことは全て無駄。魂はただ、現世とこの世を行き来するばかり。この場で私ができる、せめてものことは」
初めて、坊主の目がぎらりと光った。
言葉が切れた瞬間に飛び込んできた坊主の刀を、若い男は即座に刀で受けた。その衝撃に空気が震える。坊主の刀の力に耐える足は踏ん張られ、若い男の足下の地面が深くえぐれた。 男の目の前にまで迫った坊主は、窪んで大きくなった目で男を睨んだ。 「この緩慢な死後の世界から、また現世へ戻してやるだけ」 「余計な、お世話だ……血みどろ坊主!」 刀で坊主を弾くと、弾かれた勢いで坊主は空中で一回転をして着地する。距離をとって、若い男は坊主をまじまじと見た。 「血を吸って黒くなった着物が、まるで坊さんの墨染めの衣だな」 「現世では、私の体は未だに墨染めの衣を纏っていることだろう」 「今のてめえも、干からびて、ミイラみたいに見えるぜ」 男の軽口に、坊主は幽かに微笑みを浮かべた。 「……貴様は、何故私に戦いを挑んだ?」 「強くなりてえからだ」 「修羅の道行きか」 慈悲深く微笑んだまま、坊主が刀を構え直す。 「貴様が救われることを願って、またミイラとなって死にゆくことにしよう」
数刻後、道脇にそびえるようにあった古木のうろに、乾いた坊主が座していた。その前には一振りの、血錆びがうき、刃こぼれした刀が抜き身のまま地面に刺されていた。それはまるで墓標のように。
木乃伊……ミイラと読みます。 死んでみたら浄土でも地獄でもないなんて、多分、驚くのではないかと思って。
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