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春・八番隊

 副隊長・伊勢は執務室の自分の机に紙袋を置くと、軽く溜息をついた。先程、十二番隊副隊長のネムと擦れ違ったときに、個人用として自費で購入した、たった一つの道明寺を彼女にあげてしまったのだ。残りの菓子は全て、席官の休憩用と、隊長が十三番隊へ赴くときの手土産用である。財布の中身を見て一つだけとしたのだが、もう少し買えばよかったと伊勢は二回目の溜息をついた。
「なーなおちゃん、どうしたの。溜息つくと幸せが逃げていくよ」
「きゃあ」
 突然背後に現れた気配と声に、伊勢は珍しく悲鳴をあげた。振り返ると、隊長・京楽が両手を組んで笑っている。
「驚かさないで下さい……ただいま戻りました」
「はい、お帰りなさい、七緒ちゃん。ご苦労様。すまなかったね、忙しいのに、手土産を買いに行ってもらって」
「いいえ。必要なことですから」
 伊勢は丁寧な動作で一礼すると、綺麗に包装された包みを京楽に手渡した。淡い桜色の和紙を、それより僅かに濃い色の紙紐で括っている。春らしい色彩に、京楽は眼を細めた。
「それにしても、どうして溜息ついていたのかな、七緒ちゃん」
「いえ、何でもありません。個人的なことですから」
「その個人的な理由を知りたいと思うのが男心というものでね」
「仕事に男心は全く必要ございません、京楽隊長。それよりも、もう浮竹隊長のもとへ行かれる時間になりますので、準備の方をなさって下さい。合同演習のことでお話されるのでしょう。お急ぎ下さい」
 眼鏡の位置を指で直し、扇でぴしゃりと自分の手を止める伊勢の眼を覗き込み、京楽は微笑んだ。
「七緒ちゃんが理由を話してくれないと、行けないな」
「何子供のようなことを仰っているのですか」
 眉をぴくりとつりあげて、伊勢は盛大な溜息をついた。こうなると京楽は伊勢が話すまで絶対に行かないことを、伊勢は経験的に知っている。問われている理由を思い出して、わずかに頬を染めると、伊勢は眉をつりあげたまま、
「単に、個人的なお菓子をもう少し買っておけばよかったと思っただけです」
とだけ言った。
「もう食べちゃったの」
「違います!……涅副隊長と会ったので、残らず差し上げただけです」
 紙包みを渡されたときのネムの表情を伊勢は思い出す。自分からは娯楽をしない……できないネムは、それでも自分達が誘ったときに、かすかな微笑みを浮かべているように伊勢は感じていた。あんみつもかき氷もぜんざいも、ネムは殆ど動かない表情で、それでも残さずきれいに食べる。おそらく、自分では気づかずとも好きなのだろう。紙包みを無表情で眺めたネムに、伊勢は思わず自分の分を渡してしまったのだ。
 頬を染めて、表情を取り繕うあまり不機嫌な顔になっている伊勢の頭を、京楽は嬉しげに撫でた。
「かーわいいなあ、七緒ちゃん」
 伊勢の眉が更につりあがった。それを眺めて更に微笑み、京楽は窓の外に目を向けた。
「なら、明日、また菓子を買ってきてお花見をしよう。桜を愛でる時間はまだまだあるからさ」
「……仕事が一段落してからですよ」
「はいはい」
 伊勢の頭をまた撫でて、京楽は笑って頷いた。





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