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7.日常茶飯事
左腕と右膝から赤い血を流して帰ってきたギンを迎えたのは、掘っ建て小屋を揺らす乱菊の怒鳴り声だった。 「あんた、また怪我して! どうしたの何したのよ」 眉をつり上げて乱菊が、それでもギンの前に屈み込み膝の様子を見ようとそうっと覗き込む。ギンは嬉しそうに顔全体に笑みを浮かべた。それを目敏く見て、乱菊の眉が更に上がる。 「な・に・し・た・の!」 「……一つ向こうの森に仕掛けた罠に鳥がかかってたんや」 「うん、一昨日仕掛けたやつね」 「で、取ろうとして近づいたら、知らん男がやって来てん」 ギンの軽い口調で語られる話を聞きながら、乱菊は土間に置いてある水瓶から柄杓で水を掬い、手拭いを濡らす。それを軽く絞ると、ギンを振り向いた。ギンが嫌そうな顔をする。 「……舐めといたら治るわ、こんなん。ええよ、滲みる」 「きれいにしないとダメでしょうが。腐るわよ」 強引にギンの左腕を取り、その傷が刀傷でもなく単なる擦り傷であることを確認し、乱菊はほっと息をついた。乱菊は丁寧な仕草で傷を拭き清めていく。ギンは布が触れた最初は顰め面をしたが、ふっと表情を和らげて腕を覗き込んでいる乱菊を見た。 「いいから、続きを話しなさい」 顔も上げずに乱菊が促す。はあ、とギンが頷いた。 「それでな、横取りしようとしよるんよ、その男。せやさかい、とりあえず殴ってんけど、ちょい大男でな」 「どれくらい」 「…………まあ、ぼちぼち」 乱菊の溜息を無視してギンは語る。 「でな、なかなか倒れへんのや。しゃあないから、チカラ使うて吹っ飛ばしてん。気絶させたわ」 「なんだ、ならどうして怪我したのよ」 屈み込んで膝の血を拭っていた乱菊は、何気なく訊いた。ギンが途端に黙り込む。乱菊は顔を上げて、ギンを見上げた。 「どうしたの」 「……男吹っ飛ばした時、罠の仕掛けも吹っ飛ばしてしもうて、鳥、逃げ出したんよ」 「……うん」 「慌てて捕まえよう思うて枝に飛び乗って、手ぇ伸ばしたら………滑って落ちた」 口を尖らせて呟くように言うギンを見て、乱菊は噴き出した。ギンが情けなく眉を寄せる。 「そない笑わんといてえな」 ギンの情けない声を聞いて乱菊の笑いが加速する。乱菊は声を殺して、ただ肩を震わせていた。その後頭部を見下ろして、ギンはわざとらしい大きな溜息をつく。 「ボク、頑張ったんに踏んだり蹴ったりやわ。落ちるときに膝擦って、体勢立て直そ思うて空中で無理したら地面で転んで腕擦って。鳥逃げるし。獲物なんもないし」 「……珍しいことも、あるものねえ」 目尻に堪った涙を隠れて拭い、乱菊は立ち上がった。 「あんたが小さな傷を幾つもこさえて帰ってくるのはいつものことだけど」 「もうええわ。慰めてほしいわ、ボク」 珍しくふて腐れ、ギンはそっぽを向く。乱菊はその頭をあやすように撫でた。 「はいはい、ご苦労様でした。とりあえず消毒しようよ」 「もうええって」 薬草を入れている袋を覗き込む乱菊の背中に、ギンが張り付くように抱きついた。再び乱菊が笑い出し、つられてギンも笑みを浮かべ、揺れる背中に顔を押しつけた。
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