|
4.交錯する刃と想い
最初にその霊圧を感じたときに沸き上がったのは、懐かしさだった。 その底知れぬ怖さを滲ませて放たれるそれを感じるのは、もう数十年ぶりのことだ。その淡い遠い感情に、乱菊の思考が一瞬止まった。その次の瞬間に乱菊は踵を返し、駆け出す。隊舎へと戻る足を止めた理由が乱菊の肌を震わせている。 日番谷の霊圧が、これまでにないほど激しく放出されている。 そして、その氷のような冷たい霊圧の影に彼の霊圧があった。隊長二人の霊圧がこれほどまでに放たれている異常事態に、乱菊は顔をしかめる。 「……どういうことなの」 屋根の上を走りながら、小さく、独り言ちる。が、前方から激しく波打つ二人の霊圧が考えるゆとりを乱菊に与えない。乱菊にわかるのは、目的不明の旅禍の到来と藍染の死により瀞霊廷全体が混乱するこの時に、日番谷が味方であるはずの者と戦闘中ということだけだ。相手がどうして彼なのか。何が起きたのか。 昼間、口にしていた日番谷の疑いが的中したのか。 ふつふつと沸き上がる疑問は乱菊の中に泡立ち、乱菊はそれを乾いて粘りけのある唾液と共に飲み込む。 遠く向こうに、ぶつかり合う霊圧があった。隊長格の巨大な霊圧は光を帯びて立ち上っている。声は聞こえない。ただ、始解した日番谷のまとう氷が月の光を反射して冷たく光り、背の高い影に躍り掛かるのが見えた。男の銀髪がきらめいて揺れた。乱菊は息を呑み、歯を食いしばる。これ以上速くは走れない。それでも乱菊は屋根を強く踏みしめ、体を前に蹴り出して走る。 日番谷が相手を氷輪丸の鎖で絡め取り、動きを止めた。日番谷の後方には倒れ伏して動かない雛森がいる。二人が何か、言葉を交わした。乱菊がそれらに気付いたときに、日番谷の奥に、薄い笑顔が見えた。
ギンが、薄くうすく、笑ったのが見えた。 伸びてくる刀の先に飛び込むことに躊躇いはなかった。
鋭い冷たい光が雛森に届く前に乱菊は刀を抜いて間に入り、その切っ先を受け止めた。 それが精一杯だった。 受け止めきれず、乱菊の体は後方に流される。乱菊は全身でそれに耐え、雛森の手前でようやく止まった。重く鋭い霊圧で、骨が軋み、乱菊の斬魄刀もまた軋む。霊圧の圧倒的な差によって、斬魄刀にひびが入っていく。背中を流れ落ちる嫌な汗を感じつつ、乱菊は真っ直ぐに刀の主を振り仰いだ。 伸びた刀の向こうに、夏とは思えない冷ややかな月を背にしたギンがいた。 ギンと刀を交えたのは初めてだった。 ギンの刀を受け止めたのは、初めてのことだった。 ぴしり、ぴしり、と乾いた音がして乱菊の斬魄刀に亀裂が走っていく。刀の向こうのギンの表情はよく見えない。ただ、ギンが自分の登場に驚いているわけではないことは、乱菊はわかっていた。ギンの霊圧は弱められることはなく、しかし乱菊の斬魄刀を壊さない程度にとどめられている。乱菊の様子を窺うように、ギンの斬魄刀はただじりじりと乱菊を軋ませている。 「松本……!」 ギンの手前で、刀を避けた格好のまま振り返った日番谷が叫ぶのが視界の端に映る。乱菊はギンから目を逸らさないまま、答える。 「……申し訳ありません。命令通り隊舎へ帰ろうとしたのですが……」 ギンの視線が注がれているのを、乱菊は感じていた。 「氷輪丸の霊圧を感じて戻ってきてしまいました……」 この眼差しは普段通りだと乱菊は思う。ギンの手元から伸びている刀とは裏腹に、乱菊に向けられるギンの視線は柔らかだ。柔らかに、何かを、自分の反応を待っている。 「…刀を、お退き下さい…市丸隊長」 もう言い慣れていたはずだったこの呼び方が、いやによそよそしく響いて乱菊は寄せられた眉をさらにひそめる。ギンの斬魄刀がぴくりと揺れて、刀に亀裂が走る微かな音が手元から聞こえた。 「退かなければ……」 乱菊は唇を噛みしめた。こんな言葉を口にする日がくると思ったことはなかった。なかったのに、どうしてこうなったんだろう。それでも乱菊は言葉にするしかなかった。仲間を手にかけようとしているギンを、止めるしかなかった。 かつての約束がある以上、乱菊は十番隊副隊長としてギンと対峙するしか、なかった。
「ここからは、私が、お相手致します…!」
乱菊は身動ぎもせずにギンを見上げていた。 ギンは無表情のまま乱菊を見下ろしていた。 そうして、ゆっくりとゆっくりと。 笑った。
どこか満ち足りたように見えるその笑みを、乱菊は痛みで霞む目で睨むように眺めていた。笑みからは何も読みとれない。お互いが立つ場所があまりに遠すぎて離れすぎていて、乱菊にはギンの感情が読みとれない。 ギンは何も言わずに笑っていた。 乱菊には何一つ言うことなく、ただ満足げに笑っていた。
|
|