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雲の向こうの遠雷が呟きさえも掻き消すから 00-a
朱色の柱に支えられた屋根の下には、人が歩くたびにきゅきゅと鳥の鳴き声のように軋む音を立てる廊下があり、その下には池がある。水面には空と雲、そして赤い屋根の影が落ちて、揺れている。時折、蓮の葉から水に飛び込む蛙が湖面を乱し、屋根も雲もゆらゆらと崩れる。廊下に沿ってのびる暗がりから錦鯉が悠然と泳ぎ出て、影を更に揺らして向こうへ去っていく。 その揺らめく影を飽くことなく、ギンは眺めている。背の高く細身のギンは腰の高さにある欄干に、身体を折り曲げるようにして寄りかかっていた。白い羽織がギンを覆うように風に柔らかにひるがえっている。しばらくして疲れたのか、ギンは欄干から身体を離すと、横座りの格好で欄干に座った。上体を軽く捻り、やはり飽きもせずに水面を眺める。水面に銀髪からこぼれ落ちる冷たい光がきらめいている。 背後の方で、きゅ、と廊下が鳴った。 それを承知していたかのように表情を緩めると、ギンはゆっくりと振り返る。その視線の先には乱菊がいた。乱菊もまた、ただ表情をかすかに緩ませて、歩み寄ってくる。手には書類の束があった。 ギンは片手を上げてひらひらと振った。きゅ、きゅ、と軋んだ音をたてて近づいてくる乱菊が軽く頭を下げる。山吹色の髪が肩から流れ落ち、金色の光が髪の軌跡を追うようにこぼれる。 「お久しぶりやなあ、十番副隊長さん」 柔らかな声でギンは言う。 「ご無沙汰しております、市丸隊長」 静かな声で乱菊は言う。 そして二人とも、無言のままお互いを見やった。 乱菊が口を開きかけ、戸惑うように口を閉じて眼を伏せた。ギンもまた口を開き、誤魔化すように笑みを浮かべる。 ぽちゃん、と、水が跳ねる音がした。 「……それでは、失礼致します、市丸隊長」 先に乱菊が頭を下げた。 「……ほな、また。十番副隊長さん」 ギンがまた片手をあげて、行き場のない不確かさでひらひらと振った。 欄干に腰掛けているギンの前を、乱菊はゆっくりと通り過ぎる。腰までのびた山吹色の髪がギンの前で柔らかく揺らめいた。ギンの右手がふいに伸ばされる。しかしその手はすぐに固く握られ、ギンの脚の上に戻された。その動きを横目で追っていた乱菊は、わずかに顔を後ろに向けると困ったような会釈をして、そして完全にギンに背を向けた。 乱菊は廊下の向こうに歩いていく。きゅ、きゅという軽い軋みが遠ざかっていく。ギンはくるりと池の方に身体を向けると、両手を欄干について池を覗き込んだ。 鯉がゆっくりと泳いでいた。 水面には、春の淡い空と雲と、ギンがただ一人、映っていた。
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