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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 9

 スミレがその同級生と付き合っていると聞いたのは四年生になった春のことだった。つきあい始めてすでに半年以上経っていると聞いて、乱菊はスミレに向かってふて腐れた顔をして見せる。
「黙ってたなんて、水くさい」
「内緒にするつもりもなかったのよ。話す機会がなかっただけなの」
 そう言ってスミレは顔の前で両手を合わせて謝る仕草をする。寮の第二談話室には四人以外はいない。夜中の、机の上に置かれた蝋燭の灯りだけで話している四人は自然と顔を寄せて話していた。乱菊と同じく初耳だったツワブキとリンドウは、スミレのその仕草を見て顔を綻ばせた。
「あーあ、じゃあ、すずめ亭のあんみつ二杯で許しちゃおうかな」
 ツワブキが頭の上で手を組んで、上体を反らせる。リンドウも笑って言った。
「なら私はみつまめ三杯かしら」
「そんなに食べるの?」
 スミレが慌ててリンドウに尋ねる。リンドウは楽しそうだ。
「昼ご飯を抜いてでも奢ってもらうわよ」
「それならあたしは、どうしよっかなあ」
 乱菊は腕を組んで考え込む。
「あまり食べなくていいよ、乱菊ちゃん」
「そんなわけにいかないでしょ。そうね、特盛りみたらし団子かなあ」
「何皿?」
 スミレが眉を寄せて笑って尋ねる。乱菊は花のように微笑んだ。
「抹茶付きにしてくれるんなら一皿でいいわよ」
 乱菊の言葉に、スミレは肩を落とした。
「あーあ、お手伝い増やさなきゃ」
「あたしと一緒に皿洗いしようよ」
 乱菊はスミレの肩を叩く。四人はいつも何らかの手伝いをして寮母から小遣いをもらっていた。流魂街出身の乱菊達は送金してくれるような人間がおらず、スミレの場合は家の生活が裕福ではないからだった。
「あたしのやってる、植木の手入れっていう手もあるよ」
 ツワブキが自分を指さして誘う。スミレは顔の前で両手を振った。
「背が届かないと思う。私、この中で一番小さいのよ」
 リンドウと乱菊は二人を見比べて、頷いた。
「この可愛らしさが彼の心を射止めたのかしら」
 リンドウがわざわざ声をひそめて乱菊に囁いた。乱菊が同じように声をひそめる。
「花のような愛らしさが彼を恋の奴隷にしてしまったようね」
「聞こえているわよ」
 笑う三人をスミレが軽く睨んでいる。けれどその頬は、蝋燭の頼りない灯りでもはっきり分かるほどに赤く染まっていた。その表情を見て、乱菊は素直に微笑んだ。ほっとしている部分もあった。
 スミレが一人で病気の母親の看病をしていると知ったのは三年になってからだった。寮にいる現在は親戚の人が母親を面倒を見てくれているらしいが、スミレが卒業したら全てが彼女の細い肩にかかってくる。スミレは自分の持つ力で最大限に稼げる職として死神を選んでここに来ていた。お母様を支えられるのは私だけですもの、とそのときスミレは強い眼をして言った。だから早く死神になりたい、とも言った。一人でその重責に耐えているスミレに、共に歩もうとする男性が現れたことを、乱菊も他の二人もこっそり喜んでいる。そして乱菊はそっと思う。こういう形になるのならば、恋というものもいいものなのかもしれないと。
「あーあ、いいなあ」
 ツワブキが椅子の上で膝を抱えた。体を前後に揺らして、まるで駄々をこねる子供のようだ。
「何言ってるの。男の子からも女の子からももてる人が」
 笑ってリンドウがツワブキの二の腕をつつき、ツワブキはますます体を揺らす。
「女の子からもてても嬉しくないよー。好きで背が高くなったわけじゃないのにさあ。男の子からだって、妙に細くて可愛らしい男とかばっかでさ。あたし、そんな強くないっつの。守ってもらいたいんだっつの、可愛く」
「無理言うなあ」
 乱菊はツワブキのツンツンと立った髪の毛を乱暴に梳いた。
「あたしだって、背が高いからか女の子からも色々贈り物貰ったりするよ。仕方ないって。高くなったもんは」
「でも乱は普通に男の子からもてるじゃない」
「……ありがたくない人が多いけどね」
 思い出して乱菊は眉をひそめた。
「尾行ばっかりの人、家柄自慢の人、集団で逃げられないようにしてきた人、愛用品を盗もうとした人、寮に忍び込んで退学になった人……ここ最近のありがたくない人はこれくらいかな」
 指折り数えるスミレは、そう言って苦笑した。
「あの退学になった人はさすがに気の毒だったけど、でも忍び込まれたときはホントに驚いたからねえ」
 暗い窓に男の影を見たときのことを思い出して乱菊も苦い笑みを浮かべた。ギンではない気配に乱菊もさすがに驚き、咄嗟に霊力の塊をぶつけてしまったのだった。
「それでも乱に来る男は、マトモな奴もいるじゃない。乱は彼らをことごとくふっていくからなあ。もったいない」
「もったいないって、あんたねえ」
 ツワブキの言葉に、乱菊は盛大な溜息をつく。そして背もたれに寄りかかり、深々と椅子に体を沈めた。肩胛骨の下あたりまで伸びた山吹色の髪が散らばる。
「あたしは、恋愛はどうでもいいよ。別に必要ないもの」
「若者とは思えない意見だなあ、乱」
「いいの。これまで必要になったことなんて一度もないわ」
「恋って必要に迫られてするものじゃなくて、落ちるものだと思うけどね」
 リンドウが乱菊を覗き込むようにして言う。乱菊は唇を尖らせた。
「なら、あたしには落ちるための穴が開いていないのね」
 そして多分、その穴を埋めたのは恋ではない別のものだ。乱菊は心の中で呟いた。脳裏をかすめる遠い銀色。もうその穴をそれと違うものが埋めることはないだろう。乱菊は苦く笑う。
 振り切るように、乱菊は伏せていた眼を上げてリンドウを見た。
「あんたはどうなの。落ちてないの、恋に」
 リンドウは両手で口元を隠す仕草をした。淡い桃色に塗られた爪が光った。
「……落ちてるのね」
「そんなことないよ」
「嘘。誰? 相手は」
 ツワブキが身を乗り出してリンドウを覗き込む。リンドウは小さく笑う。
「人の話になると急に元気になるんだから」
「いいから、ねえ、だあれ」
「秘密」
 リンドウは両手を膝の上に戻して、姿勢を正して囁いた。ツワブキが不満の声を上げる。
「まだ自分の気持ちがよく分からないの。それに、多分、ふられちゃうから」
 小首を傾げてリンドウは笑う。乱菊はその笑みを眺めながら、なんとなく気づいていた。知らず知らずのうちに乱菊は眼を伏せた。


 ギンはうんざりと溜息をついた。
 目の前では神経質そうな細い少女が金切り声を上げてギンを罵っている。そんな言葉では傷つくことすらできず、ただギンは退屈の欠伸を噛み殺していた。人気のない教室で良かったとギンは天井を見上げる。誰もいない教室は春の暮れの光に満ちていて、どこか輪郭がぼやけている。その中で一人、少女が異質な尖った声を上げている。廊下にこの声は響いているだろうと思うと、ギンは更に投げやりになった。
「どうして何も言ってくれないの」
 少女は涙を浮かべた目ですがるように言う。まとわりつく響きに、ギンは眉をひそめ、そして薄く笑った。
「ボク、君に言いたいことなんぞ一つもないわ。君が勝手にボクに寄ってきただけやないの」
「……ひどい」
 少女の顔がさっと白くなった。ギンはわかりやすく溜息をついてみせた。
「だって、お付き合いしてくれるって」
「言うた覚えない。ただ、好きにしたらええて言うただけやないの。それをどう聞き間違えたらそうなるんやろ」
 酷く温度の低い声で言い放ち、ギンは上っ面の笑みのまま息を吐く。少女の戦慄く唇を眺めながら、乱菊はこういう真似をしたことがないとぼんやり思った。こういった感情表現をせざるを得ないのが色恋沙汰ならば、自分と乱菊は色恋を知らないのだろうと思い、柔らかな山吹色を思い出してギンは自然と微笑んだ。
 その微笑みを勘違いしたのか、少女がギンの腕にすがりつこうとした。目の前のことに引き戻されたギンは静かにその細い手を外し、顔を近づける。
「触れるんを許した覚えないで」
 少女の目がゆっくりと瞬き、大きく開かれた。ギンはその奥に怯えの色が浮かんだことを確認する。わざとらしくギンは笑い、そっと少女の手を離すと教室の扉へ促した。
「もう帰り」
 一瞬、動けないままギンを見上げた少女は、踵を返して軽い足音を立てて教室を出ていった。
 廊下を駆ける音が遠くなるのを聞きながらギンは本心からの溜息をついた。机に座り、足下を見る。よく磨かれた木の床はギンの影をきれいに映していた。
 気配を感じてギンが顔を上げた。
「市丸君、お邪魔だったかしら」
「別にそんなことないで」
「そう、良かった。ちょっとごめんね」
 扉からリンドウとスミレが入ってきた。申し訳なさそうに少しだけ眉を寄せた二人は、一つの机に向かうと奥を覗き込む。
「忘れもん?」
「そうなの……あ、あった。よかった」
 スミレが体を起こしてギンに向かって微笑んだ。そしてやはりすぐに眉を寄せる。スミレはこういう困ったような表情が似合うとギンは思う。
「市丸君、あまり冷たいふり方しちゃだめだよ」
 スミレの言葉に、ギンは笑った。
「あら、聞いてはったんか。えらいところ聞かれたなあ」
「ごめんね」
「ええんよ。こないな場所で話しとるこっちが悪いわ」
 リンドウが少し微笑んだ。そして尋ねる。
「市丸君、これで何人目」
「一々数えとらんけど、まあ両の手で足りるんやないの。でもボク別に何も言うてないで。あの子らが勝手にしよるだけや」
「女の敵ねえ、市丸君は」
 リンドウの呆れたような笑みに、ギンは楽しげに言う。
「敵もなにも、ボク何もしぃひんもん」
「そういうのが敵でしょ」
 リンドウの言葉にスミレが笑った。
「じゃあ私達帰るね」
「乱ちゃんが、明日締め切りのやつを市丸君が出すかどうか気にしていたから、ちゃんと出してね。もうすぐだからね、合同実習」
 ギンはただ笑うだけで答え、手をあげた。二人は小走りで扉に向かう。扉を閉めるときに、リンドウが顔を覗かせて、微笑んだ。ギンはひらひらと手を振った。





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