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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 7-2

 聞き取りが終わった頃にはすでに寮の夕食の時刻はとうに過ぎていて、仕方なく乱菊達五人は定食屋で夕食にした。ギンが皆と食事をするのは初めてのことだったが、話は和やかに盛り上がり、その空気のままギンは四人を寮まで送った。
 男子寮へ帰るギンを玄関で見送り、姿が見えなくなったところで乱菊達は中に入る。なんとなく別れがたく、誰が言うこともなく、談話室へ向かった。
 談話室には誰もいなかった。乱菊は部屋の隅に積まれている座布団をそれぞれに放り投げる。リンドウとスミレはその上に正座していたが、ツワブキはごろりと俯せに転がり、頬杖をついた。乱菊もそれに倣う。
「……疲れたね」
 ツワブキが溜息混じりに呟いた。スミレが苦笑する。
「こんなこと、死神になったら日常の業務になるのかしら」
「だろうね。体力つけないとダメだなあ」
 乱菊は足をぱたぱたさせた。虚との戦闘もそうだが、その後の聞き取りで乱菊は疲れていた。緊張と色々な意味での気遣いで肩が凝って仕方なかった。
 リンドウは静かに話を聞いていたが、何かを思い出すように指を顎に当てて俯くと、顔を上げた。
「今日、乱ちゃんと市丸君、すごかったね」
 その言葉に乱菊は首を傾げ、そして首を横に振る。
「あたしなんか。すごかったのはギンの方よ」
「ううん。乱菊ちゃんが来てくれなかったら、あたし達、怪我だけじゃすまなかったと思うもの」
 スミレはそう言ってリンドウに同意すると目を伏せた。
「でも、市丸君は本当にすごいね。羨ましい。あれだけ力があるのなら、私なら死神にすぐにでもなるのに」
 スミレは静かに、最後の方は囁くように言った。乱菊は顔を上げてスミレを見る。スミレは何か考え込むような表情で畳を見つめていた。
 その隣でツワブキが無邪気に笑う。
「そうだね。一年生で始解できるヤツなんて、市丸だけじゃないの。あたし、初めて見たよ。ちょっとかっこいいね」
 つられるようにリンドウが微笑んだ。
「そうね。ちょっと格好良かったわね、市丸君。来月から血塗れの彼を知らない新入生が来るんだし、人気が出そうよね」
「え、そうかな」
 人気とギンが結びつかず、乱菊はつい反応する。その顔を見て、リンドウがおかしそうに笑みを浮かべた。
「多分、そうなるわよ。実力があって首席で、でもそれをどうでもいい風で飄々として、いつも笑っていて怒ることがないじゃない。あんな人は案外もてるわよ。乱ちゃんは市丸君と仲が微妙だから、そうは思わないかもしれないけど、格好良いよ、彼」 
 そう言って微笑むリンドウは、どこか甘い香りが漂うようで、そんな様子を初めて見る乱菊は二三度、瞬きをした。その甘さは嫌な感じではなく、花が開いたときのような清々しいものだったが、乱菊は違和感を感じて困惑した笑みを浮かべる。


 学院を出て四人を女子寮の前まで送った後、ギンは一人、林の中を歩いていた。皆で部屋を出るときに一人だけ呼ばれて藍染に囁かれたことを思い出し、ギンは舌打ちする。

「友人ができたようだね」
 藍染は低い声で囁いた。
「別嬪さん揃いでええですやろ」
 ギンが笑って言うと、藍染はにこやかに頷く。
「可愛らしい子ばかりだ。特にあの……名はなんと言ったかな、長い黒髪の少女と、お下げの愛らしい少女は君を心配しているようだったね。級長の少女とも、そう仲が悪いわけでもないのだろう。あんな花のような少女達に囲まれているのなら、飛び級したくないのも納得するよ」
「どんなんでも、ボク飛び級しとうないですよ」
「そうか。君と共に働けるのにあと五年はあるんだろうね。まあ楽しみにしているよ」
 そう呟いて、藍染はギンの眼を覗き込んだ。澱んだ暗い瞳にギンの薄い笑みが映る。
「別に彼女達には何もするつもりはないから、安心したまえ。僕は無闇に綻び始めたばかりの花の蕾を摘み取ることはしないよ」
「……安心も何も、どうでもええ。それに」
 敢えて低く冷たく言い、ギンは一息ついて続ける。
「せっかく入学したんや。ここから逃げることはしぃひん」
「それが賢い選択だと思うよ、僕も」
 藍染は屈めていた背を伸ばし、ギンに手を振って背を向けた。
「なあ、藍染さん」
 ギンが立ち去ろうとした背に呼びかけると、廊下の真ん中で広い背は振り返った。五の字が見えなくなる。
「今日の、アレ。あんた、何か知ってはるんやないの」
 ギンが低い声で問う。藍染はふっと眼を細めた。
「さあ?」
 首を傾げて、藍染は爽やかな笑みを浮かべる。それは一年前に見た笑みと全く変わらない、完璧な微笑みだった。

 あの笑みを思い出し、ギンは再度ぞっとした。
 藍染が何をしているのか、何を考えているのか、ギンにはまだ知る術がなかった。護廷十三隊の活動記録や歴史を調べても、焦臭いことは何一つ見つけられなかったし、藍染の噂は胡散臭いほどに良いものばかりだった。
 ただ少なくとも今回の新種の虚に関して言えば何らかの関わりがあることは確かだろうとギンは直感で思う。乱菊と離れて良かったと、ギンは心の底から思った。藍染と関わるにつれて、更に嫌なものを見ることになるだろう。しかし、何をしているのかを知るためには藍染と関わらざるを得ないだろうとギンは思うようになっていた。
 虚と藍染は繋がっているのだろうか。虚は単独行動するものだと思っていたが、深いところにもっと別の何かがあるのだろうか。ギンはまだ何も知っていない。直感だけが危険と誘惑を囁いて、ギンを戸惑わせる。そのことがひどくもどかしく、暗闇の中でギンは顔をしかめた。
 新種の虚。世界への不満。強さへの執着。
 この言葉が繋がったとき、何が見えてくるのか。ギンは無意識のうちに両手を握りしめている。そしてそれに気づくと、意識的に力を抜いた。
「ボクにやって、ないわけやない」
 誰も聞くことのない闇に向かってギンは呟いた。
「あのおっさんとは根っこが違うとるやろけど、ボクかて、そう思うとる…………思うとったわ」
 林の中は暗く、風一つ吹き込んでこない空気は重く沈んでいた。木々の呼吸によって湿った空間がギンを包み込む。木々の向こうに、ちらちらと町の灯りが見え隠れしていた。
 ギンは立ち止まり、振り返る。
 もう女子寮の灯りは見えない。

 学院に入学して、もう一年が過ぎようとしていた。





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