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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 7-1

 瀞霊廷に戻ってすぐに、乱菊達は学院の応接室に呼ばれた。良い香りのする青い畳、床の間に飾られた一輪の花と掛け軸。月見窓。五人整列して正座をし、今回の事件について訊かれるのを待っていた。

 ツワブキは慣れないのか、真ん中でしきりに体重を移動させて落ち着かないでいる。緊張もしているらしく、部屋を見渡しては溜息をついた。スミレとリンドウは対照的に、微動だにせず背筋を伸ばして座っていた。視線も殆ど動かさない。
 ギンはかろうじて正座をしていたものの、あと一刻待たされると分かったら出ていきそうなほどに退屈しているようだった。列の端で欠伸をし、目尻に溜まった涙を拭っている。乱菊も似たようなもので、同じく列の端で欠伸を飲み込んでいた。
「ねえ、何を訊かれるのかな」
 ツワブキが囁いた。スミレが少し考えるように下唇に手を当てる。
「やっぱり、虚が出現したときの様子とか、どんな虚だったとか、そういうことじゃないのかしら」
「私達、悪いことしたわけじゃないから大丈夫よ、そんな不安そうにしないでも。出迎えてくれた先生だって、誉めてくれたじゃないの」
 リンドウがツワブキの背を撫でる。ツワブキは苦笑いを浮かべた。
「そうなんだけど、あたし、こういう雰囲気って苦手」
「ボクもや。ええ加減、さっさと始めてさっさと終わらせてほしいわ」
 ギンが欠伸混じりに言う。その間の抜けた声にスミレが笑った。
「市丸君は時間かかるかもしれないね。どうやって虚を倒したとか色々と訊かれそう」
「止めてほしいわ。もうボク、お腹空いた」
「確かに、お腹空いたわね」
 ギンの言葉に乱菊は頷き、腹に手をやった。聞き取りには偉い人が来ると教師は言っていた。音が鳴らないように、乱菊はそっと腹を押さえる。
 そのとき、廊下に人の気配がした。五人は慌てて姿勢を正す。

 襖が開いて、担任教師と、死神と、隊長羽織の死神が入ってきた。ギンはすっと表情を消した。
 三人が乱菊達の前に座る。隊長らしき人に見覚えがあり、乱菊は眼を細めた。焦げ茶色の柔らかそうな髪。眼鏡。上背の高さ。白く映える羽織。遠い、教壇で試験管と話す姿。ずるりと約一年前の入試の日の光景が脳裏に出てきて、乱菊はギンの方を見ないように両手を強く握りしめる。
「今回のことは本当にご苦労だったね」
 隊長羽織の人は柔らかい声でそう言った。眼は優しく細められ、口元には微笑みが浮かんでいる。
「僕は五番隊隊長の藍染だ。今回の実習地区は僕の部下が担当していてね、救援要請を受けてすぐに向かったらしいのだけれど、その前に君達が倒してくれたと聞いているよ。一年生だというのに、とてもよくやってくれた。虚を引き留めていたという女性陣も、虚を切り裂いたという市丸君も」
 乱菊の隣で、スミレが頬を赤らめて聞き入っている。乱菊も、さすがに頬がわずかに紅潮した。一年生が護廷十三隊隊長から直々に声を掛けてもらえることがどれくらい希であるのか、誰もが重々承知している。しかし列の端で、ギンは無表情のまま微動だにしない。その隣でリンドウが様子を窺うようにそっと横目でギンを見やった。
「疲れているだろうから本当ならすぐに寮に帰してあげたいんだけどね、出現した虚について聞き取りを行わなければならないので、こうして残ってもらっている。申し訳ないけれど、もう少し頑張ってもらえるかな」
 藍染はそこで言葉を切って、全員を見渡した。そしてギンのところで視線を僅かに止めて、微笑みを深くする。藍染の両脇では教師と死神が無言で控えていた。
「まず、出現の様子を話してもらいたいんだ。最初、その場にいたのは三人の女子学生と聞いているけれど」
 中に座っていた三人が顔を見合わせ、リンドウが藍染に向き直り、
「私達です」
と言った。藍染が促すように頷く。
「私達が魂葬を終え、町の外れにあった広場でその確認をしていたときのことです。急に周囲の空気が重くなり、目に見える風景が揺らぎ始めました。そして広場から町へ出ていくその場所の、上……空間に、亀裂が入ったように見えました。そこから虚が滑り出るように出てきたのです」
 そこまで言うとリンドウは確認を求めるようにツワブキとスミレを振り返る。スミレは頷いて、
「それまでは何の気配も感じられませんでした」
と付け足した。ツワブキは両脇の二人をそれぞれ見て、そして頷く。リンドウが再び話し始めた。
「虚はあまりに大きく、また私達は虚との戦闘経験はありません。けれどこのまま村へ行かせてはならないと考え、時間稼ぎにしかならないとは思いましたが、それぞれ霊圧を解放して、自分達を囮にして虚を村から引き離そうとしました。逃げ続けていれば、虚に気づいた人が助けに来るだろうと考えてのことです。そうしてすぐに、松本さんがやって来ました」
「なるほど」
 頷いて少し考えるように藍染は眼を下に向けた。そしてすぐに顔を上げ、乱菊を見る。
「君が松本君だね。異変に気づいたときからのことを話してほしい」
「はい」
 乱菊は背筋を伸ばし、叫び声を聞いた時から、広場に駆けつけて四人で虚を囲むところまでをかいつまんで話した。そしてずっと気になっていたことを、少し躊躇して、口にする。
「藍染隊長、あの」
「何かな。何でも良いんだ。気づいたことは話してほしい」
「……あたしは広場に近い位置にいたのですが、そのときも、広場に向かっているときも、この三人以外の霊圧……気配も感じませんでした。あたしは最初に聞こえた悲鳴と、三人の霊圧を頼りに走ったんです。広場に入ったときに、急に、水の中に飛び込んだような感じで、虚の気配に気づきました。そんな虚がいるのでしょうか。あたし達がまだ教わっていないだけなんですか」
 乱菊の言葉に、藍染の両脇が体を揺らした。藍染はゆるりと笑う。
「いや……良いことを教えてくれたね、松本君。そんな虚の報告は受けていない」
 藍染は微笑みを絶やさないまま、ギンを振り返った。
「市丸君、君も異変に気づいたところから話してほしい」
「特に変わったことあらへん。級長さんと似たようなもんですわ」
 つまらなそうに答えたギンに、教師が眉をつり上げた。
「市丸。きちんと話しなさい」
「はあ」
 ギンは感情の読めない笑みを浮かべた。真っ直ぐに藍染に向かい、視線をぶつける。
「ボク、三人の乱れた霊圧どないしたんやろ思うてましたんや。そしたら、級長さんの霊圧がばぁんと跳ね上がりましてん。何かあったんやろか思うやないですか。それで行ってみたまでですわ。ボクも級長さんの言わはる通り、広場に着くまで虚の気配も何も分かりませんでしたわ」
「そうか。やはり、今回の虚は一定の距離以上は気配を消せるのかな。人の感知能力の差ではなくて、虚の特性と考えた方が良さそうだしね」
 藍染はそこでふっと笑みを浮かべた。少し異質なその笑みに、ギンだけは笑みを消して、再び口角を上げた。藍染は両脇の二人を見やる。
「これは少し調査をした方がよさそうだ。まず学院ではあの地域での実習を中止するようにして下さるようお願いします。君は引き続きあの地域の担当だが、後で僕からの申請で斥候を派遣してもらう。それまで注意しているように」
「はい」
 両脇の二人が深く礼をする。
「聞き取りはこれで終わりにしよう。まず調査を始めないことには、分かることは増えそうにない。君達もご苦労だったね。将来が有望そうだ。護廷十三隊で君達を待っているよ」
 そう言って藍染は微笑み、ギンを見やる。
「それにしても市丸君は、飛び級できる技量があると評判だし、実際に虚を斬るほどの実力があるのなら、いつでも入隊できると思うのだけれどね。いつになったら入隊してくれるのかな」
 ツワブキとスミレが目を見開いて顔を見合わせた。乱菊は無言でギンを見る。ギンがにやりと笑う。
「何言いはりますのや。ボク、六年間きっちり勉学に励むつもりですさかい、飛び級なんぞないですわ」
 ギンの返答に教師がキツイ眼差しを向け、そして溜息を大袈裟についた。
「藍染隊長。申し訳ありませんが、こいつは提出物やら出席日数やらで、どちらかというと留年しそうです」
「えっ、そうなんですか」
 リンドウが珍しく驚いた声を出した。乱菊は声を飲み込んで、ただ目を見張る。そして俯くと、横目でギンを睨んだ。ギンはその視線に気づいているだろうに、飄々と前を、藍染の方を向いている。
 藍染はかすかに声を出して笑った。
「おやおや、入試の時にあれほど期待していたのに。勉学に励むならそうしてほしいものだがね」
 その言葉にリンドウが声を上げた。

「どうしたんだい」
「あ、あの、もしかして」
 藍染に尋ねられ、リンドウは視線を彷徨わせて、そしてギンを見た。
「私達の入試の時に、途中で市丸君を連れてきた方は、藍染隊長ではありませんか」
 ギンが表情を消して笑みだけを残した。
「覚えてはるんか」
「覚えているわ。良くも悪くもあれほど印象的だった人はいないもの」
 ギンを振り返ってリンドウは言い、再び藍染の方を向く。藍染は鷹揚に頷いた。
「そうだよ。ちょっと僕の隊の任務に巻き込んでしまってね。入試に遅れてしまったから、お詫びがてらに送ったんだよ。これほどの能力を放っておくのも勿体ないということもあったけれど」
「……すごい……その頃から認められてたんだ」
 ツワブキが呟いた。リンドウは両頬を手で押さえる。その頬は少し紅潮しているようだった。
 乱菊はそのやりとりをただ眺めていた。乱菊は何一つ、訊くことはできなかったし、するつもりもなかった。何があったのか、どんなに詳しく訊いたとしても、ギンの言動の理由を知ることはできないし、真意を知ることもできないことを乱菊はよく分かっている。一年前のあの夜、ギンが話したことが全てだった。納得したわけでは決してないが、いつか知ることができるだろうと乱菊は自分に言い聞かせていたし、長いつきあいからくる経験上、半ば諦めていた。
 隣でスミレが顔を上げた。そしてギンを見つめる。
「なら、市丸君、他の人達にあんな風に言われることは理不尽ではないの」
 その問いに藍染が問い返す。
「あんな風とは、どんなことなのかな」
「市丸君が、入試の時に血だらけで現れたことで、皆、少し怖がっているところがあるんです。私達も最初は少しそうだったんですけど」
「当然や」
 ギンがスミレの言葉を遮った。
「あの血は巻き込まれただけでついたわけやない。ボクが人を斬って浴びた返り血や」
 そのギンの言葉に被せるように藍染が言う。
「しかし君は運悪く巻き込まれただけだ。別にその事実を僕は咎めてもいないし、本当に仕方のない結果だったと思っているよ」
 藍染は途中からスミレ達に言い聞かせるように優しく話した。乱菊はそっとギンを見て、小さく息を吐いた。ギンが咎められたわけではないことを知って、それだけでも乱菊はほっとしていた。
 スミレはわずかに顔を強張らせていたが、それでもギンに向かって微笑んだ。
「でもね、市丸君。当然でも何でも、それでも私、お友達でいたいと思うのは変わらないのよ。市丸君は今日みたいに、助けに来てくれるような優しい人ですもの」
「そうよ。本当にそうなの、市丸君。それに私、酷い場所で暮らしていたから、それくらい何でもないわ」
 けろりとした顔でリンドウが言う。隣でツワブキが頷いた。
「友人に恵まれたようだね」
 藍染がおかしそうに笑った。
「ならば余計にきっちり学んでくれないと」
「学ぶもんは学んでますわ。留年せんように、こうしてちゃあんと実習で人の倍は魂葬しとりますしなあ」
「実習だけでどうにかしようとするんじゃない。生活態度から改めろ」
 苦虫を噛み潰したような顔をして教師が言った。ギンは小さく礼をして、はあと呟いた。
「市丸君、一緒に進級しましょうよ。寂しいよ」
 リンドウが心配そうな声を出した。その言葉にツワブキもスミレも首を縦に振る。ギンはわずかににやりと笑い、彼女達に微笑んだ。
「別嬪さん方に言われると嬉しいなあ。大丈夫やて、なあ、センセイ」
「お前だけ試験があるけどな。もう決定事項だ」
「はぁ? それ初耳ですわ」
「今、初めて言った。明日、朝一でお前だけ試験する」
「明日は休みですやん!」
「逃げるなよ。受けないと絶対に留年させる」
 強い口調で取り付くしまもなく言い切った教師の言葉に、ギンはわざとらしく肩を落とした。横でリンドウとツワブキがそれぞれ、
「絶対に受けないとだめだよ」
「寮まで迎えに行ってあげようか、市丸」
と囁いている。スミレは何も言わず、けれど胸の前で両手を握ってギンを心配そうに見ている。
 乱菊は表情を押し隠し、一見すると無表情とも取れる顔でその光景を眺めていた。乱菊はどんなに心配しているときでも、人目があるときには表には出さないようにしていた。
 楽しそうに微笑んで眺めていた藍染が、ふと乱菊を見た。それに気づき、乱菊は目を合わせる。ギンは横目でそれを確認した。
「君は市丸君の心配をしないのかい」
 藍染の目は面白がっている。乱菊は少しだけ考え、そして華やかに微笑んだ。
「あたしがあれだけ注意したのに留年するのなら、まあそれは市丸ギンの自業自得でしょうから」
「うわ、酷いこと言わはるなあ級長さん」
 ギンが大袈裟に溜息をつく。乱菊は横目で睨んだ。
「あれだけ人に世話を焼かせておいて、酷いも何もないでしょうが。可愛い子三人に心配されてるんだから、それ以上望むんじゃないわよ。贅沢な」
「そないなこと言うても、ボク、君ら以外に友達おらへんやんか。少しくらい心配してくれてもええやん」
「あたしはあんたの友達になった覚えはないんだけど、市丸ギン。あんたが級長をするなら考えるわよと言っただけでしょ」
「えらいキツイこと言わはるなあ。今日、君を助けたやんか」
「それについては本当にありがとう。でも、それはそれこれはこれ」
「ちょい認めてくれてもええんやないの」
「級長になるならね」
「それは未来永劫ありえへんわ」
「なら友人関係も未来永劫ありえないわね」
 間でおろおろしていたスミレは、ようやく乱菊の袖を引っ張った。同時にリンドウがギンに目配せをする。真ん中で左右交互に見ていたツワブキは、藍染と目が合って、誤魔化すように苦笑した。
「見事に嫌われているね、市丸君」
 藍染が笑った。
「級長さん照れ隠ししてはるだけですわ」
「何をどう照れていると受け取れるのかしら」
 言い放つ乱菊の腕を、スミレが取り縋るようにそっと掴む。乱菊はスミレに笑いかけた。別に、怒っているわけではなかったからだ。スミレは安心したように微笑む。そして藍染を振り返り、
「仲が悪いわけではないんですよ……良いわけでもないんですけれど」
と言った。藍染は快活に笑った。





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