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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 6

 乱菊のいる組は学年でも優秀な学生ばかりを集めていて、魂葬実習も入学から半年ほどした頃から行われていた。その度に学生達はそれぞれ三、四人で組んで彷徨っている魂を探し、最上級生の監視の元、それらを尸魂界へと送る。
 ギンと乱菊の実力は他の学生達とはかけ離れて強く、そのため二人は必ず、学級の中でも特に弱い……霊力の差だけではなくその扱いに慣れていない……学生と組むことが多かった。互いが互いと組むことはまずなかった。それを乱菊は理解していたし、幾度か魂葬を経験してみて、この任務はギンにとっては危険なものではないことが分かったので、姿が見えなくても安心していた。

 夏が終わり、秋も過ぎて、もうすぐ冬も去ろうとする頃だった。
 それは一年次で最後の魂葬の実習日だった。
 その日は、現世でも陽射しが和らぎ、木々の枝には緩やかな生命の息吹が感じられていた。現世は焦臭い戦乱の時代に突入していて、各地で血みどろの争いが勃発し、身分も性別も年齢も関係なく、巻き込まれて命を落とした者の魂が溢れていた。その数は尋常ではなく、そして彼らは虚になる可能性が高かったため、戦いの地に実習の学生が送られることはなかった。
 乱菊達は、ある小さな村の外れにいた。
 この地はまだ戦禍を被ってはおらず、人々は不穏な世の動きに不安げにしていたものの平和に暮らしていた。ここで命を落とす者の多くは病や怪我で、希に人殺しがあるくらいだった。実習には最適の場所で、前々回も実習地として選ばれている。
 乱菊達も慣れており、最上級生の合図と共に一斉に町に飛び出した。

 乱菊はこの日、まだ刀も鬼道も上手く扱えない男子二人と組んでいた。それでも乱菊のサポートもあり彼らの真面目な学生であったため、余裕を持って決められた件数の魂葬を終える。夕焼けの空の下、記録を確認して、乱菊は安堵の溜息をついた。魂葬実習ではときどき事故が起きる。これまでの実習ではそんなことはなかったが、乱菊はこれまで起きた事故の話を聞いてからは、実習が終わるまで気を抜かなかった。
 男子二人と顔を見合わせて、乱菊は微笑んだ。彼らは照れたように目をそらし、それでも笑みを浮かべる。そして集合場所に向かった。
 その時だった。
 右手後方でスミレの悲鳴がかすかに聞こえた。乱菊は瞬間的に体を強張らせ、すぐに振り返る。もう一度、細い悲鳴が聞こえた。
「先に帰って」
 乱菊は男子らに告げた。彼らは怯えたような眼をして、視線を彷徨わせる。乱菊は強い口調で繰り返した。
「先に帰って。それで先輩を呼んで。あたしが一人で行ってくるから、ちゃんと、落ち着いて先輩に場所を言って。頼んだわよ」
 そうゆっくりと言い聞かせるように告げ、乱菊は踵を返し、走り出す。もうスミレの悲鳴は聞こえない。乱菊は背中に冷たい汗が流れたのを感じた。スミレはツワブキ、リンドウの三人で組んでいた。実習に向かう前、一人だけ外れてしまった乱菊を慰めるように、三人が話しかけてきたことを乱菊は思い出す。三人の霊圧が普段より強く感じられ、乱菊はそれを頼りに走っていた。自然と刀を握る手に力が入る。乱菊は歯を噛みしめて、一跳びに家々を越えた。
 急に異質な霊圧が乱菊を押し戻そうとするかのように溢れ出た。
 乱菊は水の中に飛び込んだような感覚に息を止め、けれど目は見開いたまま町外れの広場に降り立った。そして、すぐに走り出す。
 目の前には一体の、巨大な虚。
 そして、虚を村から引き離そうとするかのように霊圧を解放して、外れの森の方へ逃げる三人の姿。
「乱ちゃん」
 リンドウがこちらを向いて、呟いた。その顔はひどく白かった。
 乱菊は立ち止まると両足を開いて踏ん張り、一気に霊圧を解放する。その勢いで肩の下まで伸びていた髪が吹き上げられ、金色の炎のように揺らめいた。
 霊圧を感知したのか、虚がゆっくりと乱菊を振り向いた。無機質な白い仮面と、虫のような、細く長い手足がこちらに向けられる。その先には鋭く光る爪が三本。
 それがいきなり伸びてきた。
 乱菊は跳び上がってそれを避け、空中で宙返りをする。その体勢のまま、口の中で言霊を呟くと、右手に左手を添えて鬼道を撃ち出した。それが虚の左目付近に当たり、激しい音と共に爆発するのを、撃ち出した反動でもう一度宙返りしながら逆さまで乱菊は確認する。虚が一瞬動きを止め、その間に乱菊は地面に降りると脚の間をすり抜けてリンドウ達の傍へと走った。
「乱」
 ツワブキが涙目になって、それでもスミレとリンドウを虚から流れ出る圧力から庇うように先頭に立っている。二人はツワブキの影に隠れて言霊を唱えていたが、ふいに両脇から姿を現して虚に向かって鬼道を撃った。それは乱菊の上を跳び、背で爆発する。
 乱菊は三人から五間ほど離れた場所で踵を返し、虚と向かい合って抜刀した。
「みんな、攻撃を適当に避けて、四方に散って」
 虚から目を離すことなく、乱菊は叫ぶ。
「村に行かせるわけにはいかないし、かといって殺されるつもりもない。先輩達を呼びに行ってもらってるから、助けが必ず来るから、それまで、頑張ってここで持ちこたえよう」
「わかった」
 三人が大きな声で答える。乱菊は息を吸い、そして吐いた。
「散って!」
 全員が一斉に四方に跳んで、伸びてきた虚の爪を避けた。そしてそのまま虚を中心にするように距離を開けて、虚へ振り返る。乱菊は霊圧を全解放した。虚は霊圧の高い方に向かってくる。
「……こっちへ、来い」
 乱菊は小さく呟いた。それが聞こえたかのように、虚は不気味なほどにゆっくりと乱菊へ体を向ける。乱菊の首筋を汗が流れた。刀の柄を関節が白くなるほど強く握りしめ、乱菊は虚と対峙する。
 その手が伸ばされようとした瞬間、右手のリンドウから鬼道の炎が撃ち出された。それが虚の左側面に当たり、虚はそちらを振り向く。その途端に今度は左手にいるツワブキから炎が撃ち出され、今度は虚が体ごとツワブキの方を向いた。
 間を置かず、虚を挟んで向かい側のスミレから鬼道が発せられた。激しい爆発音とともに、虚がスミレの方を向く。
 乱菊が虚の視界から外れた。
 三人の攻撃の間、ずっと言霊を呟いてた乱菊は、左手を伸ばすと、その先に霊力の巨大な塊を作り出す。そして、引いた右足を踏ん張ると、呼び声とともに撃ち出した。
 巨大な炎の塊が勢いよく虚の首元に命中してその部分を刮げ取った。虚は一瞬、体を傾げる。それが見えた次の瞬間。
 虚の左手が高速で乱菊に伸びてきた。
 避ける間もなく、咄嗟に乱菊は刀でそれを受けとめる。体が一間ほど押し込まれ、地面を足の裏が抉ってめり込んだ。乱菊の肩が軋んだ音を立てる。それを自覚するより前に、乱菊の眼には繰り出されて向かってくる虚の右手が映った。
「乱ちゃん!」
 リンドウの叫ぶ声が聞こえた。爆発の音も連続して起きたが、虚は動きを止めない。血の気がすうっと引く音を乱菊は聞いた。
 そのとき、目の前を何かが過ぎった。
 と同時に虚の右手が二の腕付近でずるりとずれて、そこから先が空気に溶けるように消える。そして固い音が響き、乱菊がどうにか抑えていた左手の爪が乱暴に刀から外された。乱菊の前に影が庇うように立ちはだかる。銀髪が揺れた。
「怪我してへんか、乱菊」
 ギンが、他の誰にも聞こえない、小さな小さな声で囁いた。
 目の前で荒い息をしている背中を見て、乱菊はギンが全力で走ってきたことを知った。うなじには汗が浮き、銀髪が貼り付いている。
「大丈夫。怪我は、ないわ」
「なら、ええ……よかったわ、ほんまに」
 振り向きもせずにそう呟くと、ギンは、他より短い彼の斬魄刀を引いて構える。ギンの霊圧が跳ね上がった。
「射殺せ」
 低い声で囁くようにギンが刀を呼ぶ。
「神鎗」
 音もなく伸びる刀が虚の右脇腹を貫いた。伸びた刀はそのまま斜めに振り上げられて、虚の体を切り裂く。虚は残っていた左手をギンに伸ばそうとするが、その前に跳躍していたギンが頭から縦に刀を振り下ろすと、その体は二つに裂けた。
 そのまま、虚は溶けるように消えた。

 周囲を満たしていた重い気配も消え、早春の風が広場を吹き抜けた。いつのまにか空は茜色に染まり、広場にはそれぞれの長い影が落ちていた。向こうの方でスミレがへたり込む。そして、ツワブキも、力が抜けたかのようにへなへなと座った。リンドウは立ち竦んだまま、呆然としているようだった。
「別嬪さん方、怪我してはる? 大丈夫なんか?」
 斬魄刀を鞘に収め、ギンが気の抜けるような軽い声で呼びかけた。
「ほら、助けが来よったで。遅いなあ、もう済んだわ」
 ギンの指し示す方を乱菊は見た。鴉色の装束が数人、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。





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