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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 5

 休みの間、乱菊は幾度か志波邸を訪れた。
 この長期休暇が終われば、今度は冬まで簡単には外に出られない。乱菊は宿題やリンドウとの遊びの合間に空鶴を訪れ、色々と話をした。彼女は瀞霊廷や護廷十三隊のことにも詳しく、まだ何も知らない乱菊に様々なことを教えた。
 もう夏期休暇も終わろうとする、しばらく来られないだろうと乱菊が志波邸を訪れたその帰りだった。
 瀞霊廷へと向かう道を歩いていて、乱菊は自分の後ろにずっとある気配に気づいた。気のせいかと考えていたけれど、これはどうも意図的につけているようだった。乱菊は顔を顰め、足を速める。すると背後の気配も足を速めた。僅かな霊圧も感じる。その力量はたいしたものではないようだったが、その霊圧に覚えがあって乱菊はいっそう眉間の皺を深めた。
 瀞霊廷に入っても背後の人は消えず、乱菊は自分の考えが正しかったことを確信した。そして女子寮へと向かう道から外れ、林の中を別方向へ乱菊は走り出した。背後の気配も離れずに追いかけてきたことを乱菊は感知する。
 しばらく走り、乱菊は振り返った。そしてうんざりとした表情を浮かべる。
「……何かご用でしょうか、先輩方」
「気づいてたんだ。乱菊」
 息を切らせている男達に呼び捨てにされて、乱菊は不快そうに眼を細める。そして、片足を引いて、すぐに動ける体勢を取った。
 目の前には三人の男達がいた。どの顔も見覚えがある。
「先輩方に名前を呼ばれるほど親しくなった覚えはありませんが」
「冷たいこと言うなよ。俺らと仲良くしておけば、色々といいことあるぜ」
「いいことどころか」
 乱菊は吐き捨てるように言うと、あえて笑いかける。ここ一月程の彼らの言動を思い出す。乱菊だけではなくリンドウら三人にまで彼らは付きまとい、三人もまたうんざりしていた。
「ここ一月くらい、先輩方に生活を邪魔されて非常に迷惑しています。私だけではなく、友人達にも迷惑をかけるのは止めてください」
「あの子達も一緒に遊ぼうと誘っただけだろ。迷惑だなんて、流魂街出身のくせに失礼な」
 リーダー格の上級生が不機嫌に眉をつり上げて言い放つ。その言葉に乱菊もまた、片眉をぴくりと上げた。
「お前、俺らに誘われることを光栄に思わないといけないんだぞ。分かってるのか。俺らは貴族といってもそこらの貧乏貴族とは違うんだ」
「申し訳ありません、全く存じませんでした。ほら、あたし、流魂街出身ですので。そんなどうでもいいことに興味がないんです」
「はっ」
 右側の上級生が笑う。
「志波に出入りしている女が何を言う。まあどうせ、志波なんて落ちぶれた家に通っても、何もいいことなんざないけどな」
「志波様の悪口を言わないでください」
 乱菊の肩が揺れ、わずかに霊圧が漏れた。その霊圧は震え、ぴりぴりと張りつめている。
 上級生達は少しだけ怯んだが、それでもすぐに不適な笑みを浮かべた。
「いくら寮から離れたとはいえ、霊圧を解放するわけにはいかないんじゃねえの」
「説教されるだけで澄みますし、これは正当ですから」
「貴族ならともかく、流魂街出のヤツが簡単に許されるもんか。流魂街から来た奴らは乱暴で下品で、わきまえもせずに力を垂れ流す……そう言えば」
 リーダー格の男が嬉しげににやりと笑う。
「乱菊、お前の学年にいるじゃないか。試験の日に血塗れでやって来た銀髪野郎が。裏で何してるか分からないぜ。乱暴どころか犯罪者だろうよ。これだから流魂街の」
「うるさいんだけど」
 男の言葉を遮って、乱菊が冷たい声を出した。男は不満げに乱菊を見て、そして表情を凍らせる。
 乱菊は眼を細めて上級生達を見た。山吹色の髪が乱菊から発せられる霊圧でゆらゆらと揺れ始めていた。
「ぐだぐだぐだぐだ、どうでもいいこといつまでも言ってんじゃないわよ。人が黙ってりゃいい気になって。誰が乱暴で下品? 笑止千万。自分の顔と言動をよく見て言いな」
「な……っ」
 男達が言葉に詰まった。一瞬遅れて怒りが沸いたのか、三人とも顔が赤くなる。けれど、乱菊から立ち上る抑えに抑えられた霊圧はぴりぴりとその肌を焼くようだった。
 それでも乱菊の細い体躯を眺め、リーダー格の男は唾を飲み込むと無理矢理笑った。
「言いたいことはそれだけか。言うだけ無駄だ。お前が俺らを傷つければそれだけでお前はここにいられなくなるんだぞ。寮から離れたのは失敗だったな。こんなトコロ、物好き以外来やしないさ」
 そう言って息を吐き、ぎらぎらした眼で男は乱菊に一歩近づいた。乱菊はその眼を見据えたまま、右手に霊力を集め始めようとする。そして、ぴくんとかすかに体を揺らして眼だけを上に向けて、口元に笑みを浮かべた。そして乱菊は右手を降ろした。
 頭上から影の塊が降りてきた。
「人がええ気分で寝とるのに、やかましいなあ」
 乱菊と上級生達の間に入ってそう楽しげに、全体的に白い少年はそう言った。
 ギンだった。
 その背が乱菊を隠すようにしていることに乱菊は気づき、ふっと笑う。そして、肩の力を抜いた。


 ギンは笑みを浮かべ、男達と乱菊の間で堂々と立っている。夕暮れの赤い光は木々の葉に遮られ、空気は仄暗い茜色に染まり、その中にギンの制服の白が映えていた。
 つぅとギンが顔を上げる。口元は確かに笑みを浮かべていたけれど、その眼は全く笑ってなどいなかった。男達はざわついた。あの銀髪野郎じゃねえか、と誰かが呟いた。その声を聞いて、ギンはいっそう笑みを深める。
「このお人、ボクんとこの級長さんやさかい、そないうっとしことせんでもらえんやろか」
「う、うるせえ、一年坊主はすっこんでろよ。関係ないだろ」
 一人が声をひっくり返らせてそう言うが、腰が引けていた。ギンの後ろで冷ややかな眼をして眺めていた乱菊は、それを見て眼を細めた。ギンもまた、せせら笑うように顎を上げると、言い聞かせるようにゆっくりと言う。
「ボクんとこの、級長さんや、言うたやろ。関係あるやないの」
 一歩、ギンが足を進めると上級生達は二歩下がった。
 ふ、とギンが薄く笑う。
 それを合図にしたかのように、一斉に上級生達は背を向けると、何やら叫びながら走り去っていった。
 その影が林の奥の宵闇に溶けるのを確認し、更にギンは周囲の霊圧を探る。そしてようやく、ギンは乱菊を振り返った。乱菊はじっと動かずに、ギンを見つめていた。
「ありがとう、ギン。……久しぶりね」
 ギンは懐かしむように眼を細めた。
「……そうやね、乱菊」
 ギンの言葉に、乱菊は一度眼を閉じて、そしてゆっくりと開けた。
「そう呼ばれるの、すごく久しぶりに感じる。まだ半年くらいなのに」
「……いつも級長さん呼んどるさかい」
「うん。まあ、別にいいわ」
 乱菊は、真っ正面からギンを見た。
「こうやって二人きりになったときには、乱菊って呼ぶでしょ」
「……うん」
 ぎこちなく、ギンは頷き、そのまま顔を伏せる。それを見て乱菊は眉をひそめた。右手をギンの方へ伸ばしかけて少しばかり逡巡すると、その手を伸ばして乱菊はギンの袂を掴んで引き寄せる。
 驚いたような顔をしてギンが乱菊に振り返る。
 乱菊の眼は静かだった。
「どうして俯くのよ」
「別に、しとらん」
「あたし、何も怒ってないのよ。あんたのことを嫌っても怒ってもいないのよ。あんた、ちゃんと知ってるって思ってたんだけど」
「うん……知っとる」
「なら、あたしをちゃんと見て」
 ギンは戸惑ったように眼を彷徨わせ、伏せると、姿勢を正して乱菊に向き直った。そして自分を見上げている乱菊を見つめる。乱菊はここでやっと顔を綻ばせた。
 その笑みを見て、ギンはそっと乱菊の頬に両手を伸ばすとそれを包み込み、自分の額を乱菊のそれに触れさせた。乱菊は自分の手をギンの手に沿わせる。
「久しぶりやな、乱菊」
「そうよ。本当にそう」
 乱菊は眼を閉じた。眼の奥が染みるように痛くなったが、それは我慢した。

 地上から人の身長二人分ほどの高さにある太い枝に腰を落ち着けて、二人は顔を見合わせた。どちらからともなく笑みが零れて、お互いの額を軽くぶつける。
「乱菊」
「何?」
「ボク……乱菊に友達できてほっとしとる」
 乱菊は眼を閉じたまま、口元を綻ばせた。
「そうね。でもあの子達、あんたとも親しくしてるでしょ。他にあと数人くらいしか友達いないんじゃないの、あんた」
「そうやね。あの子らと、他数人くらいやね、ボクを正面から怖がらんのは。殆ど、ボクを怖がって近寄らんよ。別に何もしとらんのになあ」
 額を離し、目を開けて乱菊はギンの眼を覗き込む。ギンは僅かに目を開けて、微笑んだ。
「ねえ、でも、あたしはあんたとの暮らしを隠して良かったって思ってるわけじゃないのよ。約束したから黙ってるけど」
「うん、でもボクは良かった思うとる。ボクと一緒におったら必ず、誰も近寄りはせんかったやろうから」
「でも、あたしはあんたが敬遠されてるのが悔しい」
「ええんよ。ボク、気にしとらんもん」
 軽いギンの口調に、乱菊は軽く溜息をついた。
「そうね。なら、いいの。とにかく、あたしはあんたのことを怒ってもないし、怖がってもないからね。少しは腹立ててるけど」
「それ、怒っとるて言うんやないの」
「違うの。対象が違うのよ…………あのことは怒ってないけど、いろんなコトを黙ったままでいるあんたには怒ってるの」
「…………嘘ついとらんよ」
「それは知ってる。でも、話さないことだらけでしょ」
「……」
 ギンは笑みを浮かべたまま黙り込む。乱菊は眉を寄せて苦笑した。
「いいわよ。あんたが変なことしなけりゃ、訊かないでおいてあげる」
「変なことしたら、訊くんか」
「殴ってからね」
「……相変わらずやな、乱菊」
 同じように眉を寄せて、ギンは微笑んだ。すると乱菊も微笑んで、お互いにまた引き寄せられるように額を付ける。
 そうしてしばらく黙っていた。
 茜色はゆるゆると濃い藍色に変わり深い群青に変わり、やがて闇色になってゆく。梢の向こうに広がる空は星を瞬かせるようになり、林の中は暗い風がゆるりと通りすぎていった。

「ボク、ようやく乱菊わかったわ」
 ギンがふと呟くように言った。乱菊が目を開けて額を離し、訝しげに首を傾げる。
「あんた、あたしを知らなかったの?」
「全然違うわ。そういうことやない」
 ギンが笑って手を振る。
「乱菊てな、花びらの長さがばらばらに乱れた菊の文様のことなんやて。こないだ、お使いで行った反物屋で見かけてん。ずいぶん艶やかな文様でなあ……乱菊は、その名前ほんまによう似合うとる」
「……そうなんだあ」
 乱菊がしみじみと言った。
「あたし、普通に菊の花の一種かと思ってた」
「どちらにしても、ボクら暮らしてたあの地区には見られんもんやな。菊の花は野菊くらいしかあらへんし、文様のある着物なんぞ滅多に見られへんもんなあ」
「そうねえ」
 当時の暮らしを思い出し、乱菊は遠い目をした。どこかからギンが持ってくる着物はどれも無地で、全く色の違うあて布で繕われていたことが多かった。けれど今の乱菊には、それが無性に懐かしいと感じられる。
 ギンは横目で乱菊を見て、何も言わずに頭を撫でた。そして柔らかい口調で、
「ほんま、乱菊はその名の通り、花みたいやなあ」
と呟いた。こそばゆく感じられ、乱菊は小さく笑う。
「この間の特別授業に来ていた隊長さんは、女の子っていうのはみんな花なんだって言っていたじゃないの」
「……まあ野郎を花とは思えへんよ」
 ギンのどうでもよさげな口調に乱菊はくすくすと笑う。ギンは笑って揺れている乱菊の頭を自分に寄せて、山吹色の髪に顔を埋めて眼を閉じた。
「あの子」
 ギンが小さく名前を呟いた。
「竜胆みたいやな。ほら、小さくて綺麗やないの」
「ああ」
 乱菊は、真っ直ぐな黒髪をさらさらと滑らせて小首を傾げる姿を思い出して、頷いた。
「リンドウって、あの花の竜胆ね。そうね、そんな印象。可憐なのに、凛としていて」
 少し考えるように乱菊は口元に指を当てる。
「なら、あとの二人は菫と石蕗ってところかしら」
「菫は分かる。かわいらしゅうて小さくて、地味なんやけどしっかり咲いとる感じやなあ」
 ギンはまず頷き、そして首を傾げた。
「でもあの子は石蕗やのうて、薊やないの。ほら、背ぇ高うて、髪短いところとかなあ」
「ううん、石蕗でしょ。大きな葉に強い茎で、その上に可愛い花が沢山咲いていて、あれを見つけたとき、ほっとするもの」
 乱菊はだいぶ昔、薬効のある植物を探して歩いていた心細い時を思い出して言う。ギンもまた同じ過去を思い出したのか、納得したように頷いた。
「ああ、あの子、確かに逞しいのか可愛らしいのか分からんもんなあ」
「そういう言い方は違うでしょ」
 ギンの言葉に乱菊がギンを肘で突く。ギンは体を捩ってそれを避けた。
「そうやねえ、女の子は花のようやね……でも乱菊が一番ようきれいに咲いとる」
 自分を見つめている乱菊に、ギンは笑いかけた。そしてしみじみと呟く。
「良かったなあ、乱菊。友達できて」
「そうね。でも、あんたともこうして話をしたいのよ。本当は」
「……そうやね」
「こんな、誰も周囲に人のいない時くらいはいいでしょう。ギン」
「うん」
 即答し、ギンは口の中で、そうしぃひんとボクもキツイと呟いた。
「あたし、入学式のときからずっと、話したかったのよ………あんた、人に級長押しつけるし」
「怒っとる?」
「かなりね」
 ギンは無言になり、そして
「すんません」
と囁くように言った。乱菊は苦笑して、もういいわと言った。
 涼しい風が木々の間を吹き抜けていた。あの春の日はもう遠くなっていた。
 そうしているうちに、林の中は夕闇に沈んだ。お互いの制服の白がぼんやりと浮かび上がる。
「乱菊、そろそろ帰らなあかんやろ」
 ギンがそう切り出すと、乱菊はふて腐れた。それを見てギンが柔らかく笑う。
「あかんて。もう帰らな皆心配しよる」
 そう言ってギンは乱菊の片頬を軽く摘んだ。柔らかいそれがギンの指に吸い付くようで、ギンはすぐにそっと離す。乱菊はただそれを笑みを浮かべて眺めているだけだ。
「今度はいつ、こんな風に話せるのかしら」
「分からん。けど、乱菊が今日みたいに危のうなったら、ボクすぐ駆けてくるさかい。な」
「あんたが来てくれるのは嬉しいんだけど、今日みたいなのは鬱陶しいから嫌だなあ」
 苦笑して、乱菊は肩を竦めた。ギンも同じように笑う。
「ボクも、乱菊にあんなんが付きまとうの、嫌や」
 互いに顔を見合わせて、そして同時に枝から飛び降りる。微かに音を立てるだけで、二人は地面に立った。
「もう他の子らは帰ってきとるんか」
「帰ってきてる。宿題を終わらせようと必死だったわね」
 そう言って、ふと乱菊は顔をしかめた。
「ギン」
「なんや」
「あんた、ちゃんと宿題やった?」
 ギンが何も言わずに、にやりと笑う。乱菊は顔を引きつらせる。
「ちょっとギン、怒られるの、あたしなのよ?」
「大丈夫やて、ちゃあんとボクも説教くらうさかい」
「そういう問題じゃなくて」
 眉尻を上げる乱菊の肩を軽く叩き、ギンは笑って促した。
「ほれ、見つからん程度まで送るさかい、帰ろ」
 叩かれた肩を落とし、そして乱菊は諦めたように溜息をついた。顔を上げるとギンが楽しそうに笑っている。つられて乱菊も、微笑んだ。





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