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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 2

 乱菊と三人の少女は親しくなった。
 学院で寮で生活を共に過ごし、学業のこと生活のこと将来のことを話し、周囲の人間について噂し、少しずつ自分自身のことを語るようになった。宿題を見せ合い、勉強を教えあい、剣術の稽古を林の中で共にした。
 同じことを同じときに行い、自分の考えや感情を言葉にして交わしあっていく間に、人は自覚のないままに距離を縮める。そうして四人は親しくなった。

 また、乱菊を除く三人はギンとも親しくしていた。
 それは比較的、ではあったが、入学試験におけるギンの強烈な印象と流れた噂により、同級生のみならず上級生からも敬遠されていたギンにとっては、会話を自然に交わす三人は親しくしていると言っても過言ではなかった。授業をサボタージュし、遅刻し、適当に毎日を送っているように見えるギンに対し、様々なことを言いつつも三人は日常的な会話をギンと交わしていた。
 乱菊一人、級長という立場でのみギンと会話をしていた。「ちょっとあんたねえ」と乱菊が言い放ち、「何でしょうなあ級長さん」とギンがからかうように笑うことが毎日のように繰り返された。用事は提出物の滞納だったり遅刻だったりサボタージュの件だったりと様々だったが、常に乱菊が不機嫌にギンを叱り、ギンはただ軽い薄い笑みを浮かべていた。
 ギンの名も呼ばずにいる級長と遅刻魔の首席との関係を、周囲は近寄らないように横目で見ていたし、三人に至っては気を遣って、乱菊がギンを呼ぶ必要があるときには気づいた誰かがギンの名を呼んだ。
 スミレは柔らかく「市丸君」と呼び、リンドウは透明に響く声で同じように呼ぶ。ツワブキは少年のような快活さで「市丸」と呼んだ。
 誰かがギンを呼ぶたび、乱菊はそっと苦く笑った。それを少し離れたところで見ているギンは、一瞬だけ諦めたように息を吐く。
 春が過ぎ夏になり、学院が夏期休暇を迎えようとする頃になっても、乱菊はギンの名を呼ぶことが出来ずにいた。どう呼んだらいいのか、まだ分からずにいたからだった。


「えらいすいませんなあ、級長さん。明日はちゃあんと出しますさかい、今は堪忍なあ」
 ギンはそう言って窓枠を飛び越える。背後で乱菊の声が聞こえるが、ギンは幹をつたって地面に降りると振り返りもせずに走り出す。最低限の授業は出席していたし、乱菊が言っていた提出物は明日でぎりぎり間に合うはずだった。ギンは目立つ制服を気にすることなく、木立の中に佇む白壁の建物に入る。
 もう顔なじみとなった受付が軽く会釈をしてきた。ギンもまた頭を下げ、奥へ進む。
 ここは一般に解放されている図書館だった。
 週に何度も通い、ギンは護廷十三隊の歴史をはじめとして多くのことを調べていた。藍染の考えを少しでも予想することが目的だったが、藍染の戦歴・評判・評価はどれも素晴らしいものであり、ギンは出鼻をくじかれた。藍染のこれまでの経歴には一点の曇りもない。一般公開されている資料では限界があるだろうか、とギンは思う。
 そして資料を漁るうちに、ギンはだんだんと陰鬱な気分になっていった。世界の理、死神の存在、魂魄の行方、地獄との関係……。調べれば調べるほど、ギンはこの世界全体に諦念に似た嫌悪を抱く。この、どうしようもない無駄と不条理の塊のような世界構造。もともとギンが世界に対して淡く抱いていた、どうでもいい、という感情は、知識を増やせば増やすほど、少しずつ増幅され、暗い色を帯びていく。本の山の間でギンは頭を振る。
 ボクには乱菊がおる
 ギンは口の中で呪文のように呟く。
 ただ乱菊がいなくなってしまったら自分はどうするのだろう。切り立った底のない崖の縁にいる気分になって、ギンは固く眼を閉じて山吹色を瞼の裏に思い描く。

 窓の下を走り去るギンを見送り、乱菊は溜息をつく日々だった。
「乱ちゃん、きっと明日は持ってきてくれるよ」
「そうだよ。もし持ってこなかったら、あたしが寮まで行って、市丸から奪ってくるからさ。ね?」
 リンドウとツワブキが交互に溜息をつく乱菊を慰める。すまなそうに乱菊は微笑んだ。乱菊はただ、ギンと話したいだけだったから、そう真摯に慰めてくる友人達に申し訳なくて少しだけ苦い笑みになる。
 あの夜以来、ずっと『これまで通り』にギンと話していない。このことは乱菊にとって予想以上にこたえた。ギンは最大半年も家を空けたことがあったし、ギンと話さないこと自体は特に苦痛でもない。しかし乱菊にとって、ほぼ毎日会っているのにもかかわらず、他人行儀にすることが何よりも辛かった。その他人行儀がいつか本当のことになってしまいそうで、そう考えると乱菊は自然と俯いてしまう。
 こうやって距離が開いていくのだろうか。乱菊は思う。傍にいた頃だってギンの考えていることなど、乱菊は具体的には分からなかった。しかし、それでも全身から伝えられる言葉ではない言葉で、乱菊はギンのことをよく理解していたし、それはギンも同様だった。
 それが今では確信も薄れ、乱菊はただ駆けていくギンの背を見ながら、何を隠しているのかぼんやりと考えるしかできない。喜びを哀しみを幸福を苦悩を分かち合いたくても、姿が遠くてその気配がよく分からない。
 名を呼び合って笑っていた日々は、たった数ヶ月前のことなのに、それが今の乱菊にはあまりに遠かった。




 そしていつのまにか立ち並ぶ高い白壁の建物の向こうにあった空は淡い霞んだような青ではなく、鮮烈に深く、濃く、染め抜かれた青になっていた。その空に切り抜かれたような輪郭で白い雲が浮かぶ。強い光は地面に濃い影を作り、その輪郭は切り取られたように鮮明だった。
 石畳は強い光に照らされて熱を帯び、その上ではゆらゆらと空気が揺れて幻を浮かび上がらせる。木々は青々とした葉を茂らせ、その中で鳥は光を避けて羽を休めた。
 季節は、夏になった。





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