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絶対的な響きをもって鐘の音は時を告げた 7

 刀を鞘に収め、ギンは血溜まりの中でその男を迎え入れた。
 優雅に壊れた戸から入ってきたその男は、黒い上下の袴姿で、上に白い羽織を羽織っていた。癖はあるが整えられた焦げ茶色の髪の毛と、黒縁の眼鏡。この男は血の臭いのするこの場に似合わない、とギンは眺めていたが、ふと顔を上げてこちらを見た男の眼と眼があった瞬間、自分の考えていたことが間違っていたことを感覚的に知った。そして即座に、脳髄まで駆け上ってきた悪寒が、これまで出会ったこともない、自分より強い存在への恐怖であることを知らせた。
 男の眼は、どこまでも暗く濁っていた。
 ギンは、目の前の存在が自分に近く、けれど更に深い暗さを持っていることを察知した。畏怖。嫌悪。降伏。そして逃れ得ない引力。直感でギンは全てを理解した。その理解は表層に浮かぶことなく、ただ奥の奥からギンに警鐘を鳴らす。
「やあ」
 ギンの警戒に気づいているのか、いないのか、男は優しげに微笑んだ。そう微笑むと、あの底知れない暗さが掻き消える。その微笑みにギンは恐怖し、あえて笑みを浮かべた。
「すまなかったね、手間を取らせて。彼らは僕の部下だったんだよ。彼らが抜けたのは僕の不始末だから、ちょっと探していたんだけどね」
「探すの遅いわ、おっさん」
「ははは、ごめんよ。君が片づけてくれたんだね。先程の霊圧は君かい?」
 そこへ複数の霊圧が近づいてきた。男が後ろを振り向く。その背には五の文字が染め抜かれていた。
 男は、真っ黒の装束の集団を小屋の中に引き入れた。
「藍染隊長、申し訳ありません」
「何を言っているんだ。元は僕の不始末だ。君たちに手間を取らせてしまって本当に申し訳なかった。夜一君にも詫びておこう」
「こちらは、隊長が」
「やったんはボクや」
 男に何も言わせてはいけないように感じ、ギンは、彼にしては大きな声で明朗に言った。ギンの言葉に集団の眼がギンに向かう。ギンは沸き立つ恐怖を押し隠すように、完璧に皮肉な笑みを口元に浮かべる。
「ボク、巻き込まれただけや。もう帰ってええ?」
「できれば事情を伺いたいのだが」
 集団の一人がそう口にする。ギンは軽く顔を顰めた。
「やめてえな。ボク、これから用事あるんや。そんなんしてたら間に合わんわ」
「後から我々が事情を説明するから、用事を反古にしてはもらえないか」
「無理や。間に合わんと困るわ。生活かかってんぞ」
 ギンと集団のやりとりを聞いていた男は唇に拳をあてて考え込んでいたが、顔を上げてギンを見た。
「もしかして、君は今日の真央霊術院の入学試験を受けるのかな」
 ギンは何も答えなかった。できればここで逃げてしまいたかったからだ。しかし、男はギンの無表情な笑みを見て納得したような表情をする。
「当たり、かな? あの霊圧を遠くで察知したとき、僕は死神かと思ったくらいだ。来てみたら子供だろう? 驚いたよ」
 男が口元に笑みを浮かべた。
「こんな有望な少年を死神にしないわけにはいかないね。今日を逃すとまた一年試験は行われないし、例外はないからな。僕が試験会場まで送ろう」
「結構や。一人で行かれるわ」
「間に合わないよ。それに僕が都合をつけてあげられるから僕と一緒に行った方がいい。君達。この事件のことは、送る道々、僕が彼にいろいろと聞いておくよ。君達はここをよろしく頼む。それで構わないかい?」
「了解致しました。よろしくお願いします。少年を連れて行かれるのでしたら、護送用の馬がおりますのでそちらをご利用下さい」
「さすがにずっと抱えていくわけにもいかないか。ありがとう。一頭、借りていくよ」
 集団が一斉に男に向かって礼をする。男……藍染は、ギンに向かって微笑んだ。
「さあ、試験会場まで急ごうか」
 ギンの肌が粟立った。

 血のような朝焼けの空に向かって馬が駆ける。
 どうにも拒みきれなかったギンはせめてその視線から外れようと、前に乗れと言う藍染の申し出を断って彼の背中側にいた。
「振り落とされないようにしてくれよ。本当は僕の前にいた方が安全なんだけど」
「なんでおっさんに抱きかかえられなあかんのや。べっぴんさんならともかく」
「ははは。そりゃあそうだ。僕も抱えるなら女の子の方がいいなあ」
 藍染の柔らかな物言いを聞きながら、ギンは必死で通常の自分を保ち続けていた。何か嫌な予感がして、ギンの背筋は緊張し続けている。藍染の何かが、ギンの中にある警鐘を鳴らし続けている。
「君はどうしてあの小屋にいたんだい」
 ギンは用意して置いた答えを口にした。
「試験受けに歩いてたら、女の子の悲鳴がしたんよ。何の気なしに覗いてみたら女の子が逃げ出すところやないか。中にいた兄さんらはこっち襲いかかるし、しゃあないから潰しただけや」
「試験前日にまだ瀞霊廷に着いていないって問題があるよ、それ」
「遠い地区から来てるんよ。しゃあないやろ」
「女の子はどうなった」
「知らん。どっか逃げたんやろ」
 必死に口調を軽い響きにさせて、ギンは慎重に答えた。
「うーん。その女の子にも事情を聞く必要があったけど仕方ないな……なら、君はたまたま通りかかっただけで、あの死神達がそれまでどうしていたかは知らないんだね」
「そうや」
「うーん、やっぱり女の子からも聞きたかったなあ」
 溜息をつく藍染の背中を、あえて軽く眺めるようにしてギンは様子を窺っていた。視線に力を込めないこと。言葉を軽く発すること。羽織を握る手を緩めておくこと。乱菊の存在を感じさせないこと。全てを装って、ギンは藍染と対峙していた。
「で、これは僕の個人的な興味だけど、君はその斬魄刀はどこで手に入れたのかな」
「なんや、それ」
「君の持つ刀のことだよ。一般的には死神でないと手に入れられないんだ」
「以前、人にもろうた」
「そうか……瀞霊廷は物流の管理に気を付けないとならないようだな」
 藍染の口調はあくまで柔らかい。ギンは先程の黒ずくめの男達を思い出す。彼らは何の疑問もないように藍染と接していた。尊敬の意すら感じさせる態度だった。どうして彼らは恐怖を抱かないのか。どうして自分は恐怖を感じ続けているのか。
 背中のギンの様子を気にしていないかのように、藍染はギンに問う。
「君は、いつ始解ができるようになったんだい」
「……おっさん、ボク何も知らんのや。シカイって何や」
「刀を君にくれた人は何も教えてくれなかったんだな。うーん、どこから説明をすればいいかな」
「刀のことか」
「そう。まあ入学すれば習うだろうから、詳細な説明はいいか。とりあえず、刀が変形することだね」
「おっさん、見てたんか」
 どこから。
「ああ、最後の死神を殺して、伸びた刀がするすると戻るところあたりを」
 ギンの警戒を知っているかのように、藍染はさらりと答える。
「あの様に刀を伸ばすことができるようになったのはいつ頃からなのかな」
「あのときが初めてや」
「急にできるようになったのかい」
「そうや。それまでは普通の刀やった」
「へえ……」
 ここで初めて、藍染の声がわずかに低くなった。
「……天才というやつかな」
 それはあまりに小さな差異だったが、ギンの神経を緊張させるには十分すぎるほどの変化だった。ギンは装いを解かないことに全神経を使いながら、無言で藍染を窺う。
 藍染は薄く笑っているようだった。
「君のような子が死神になるのは心強いね。それくらい実力があるなら、飛び級してすぐに死神になれるよ。僕が推薦しようか」
「遠慮するわ。やっと安全な暮らしできるんや。なんですぐキリキリ働かなあかへんのや。少しはのんびりしたいわ」
「ははは。そういうものか。そうだね、そういうものかもしれないね」
 快活な笑い声が気味悪い。背中に汗が流れるのを感じて、ギンは気づかれないように周囲を見回す。空はもう晴れ上がった朝を迎えているが、まだ草原は続いている。町の影すら見えてこなかった。ギンは早くこの馬から降りたかった。早くこの男から離れたかった。早く乱菊に会いたかった。
「君は数字の大きい地区出身なのかな」
 藍染はどこまでも穏やかな声でギンに問い続ける。
「そうや」
「だから身を守る術を心得ているのか。あの様子だと、人を殺すことにも躊躇がないようだね」
「躊躇してたら自分が潰されるわ」
「そうだね。そういう場所でそういう世界だ。力がなくては生きていけない……君は、もっと強くなりたいと願ったことはないかい」
 再び低まった声。僅かに手に力がこもり、咄嗟にギンは含み笑いをした。
「なんやねん。そない大仰に考えたりしぃひん。生き残れて食べれたらそれでええんや。小難しいことどうでもええ」
「はは。そりゃそうだね。全くその通りだ」
 絡みつく気配にギンは慎重に言葉を選ぶ。蛇に睨まれている蛙はこんな気分なのだろうかとギンは切実に感じた。逃げなければならないと体の奥から叫びが聞こえる。けれど、下手に逃げられない。
「まだこんな話は早かったかな。君は僕と同類の人間かと思ったんだけど……僕はそういうことを間違えないから」
 ……ばれていた。

 どこかから急に血の臭いがした。大量の血が溜まり、そこから立ち上る咽せるような臭いが。
 それはギンの足下から。

 ギンは笑った。
「おっさん、どう見ても貴族やろ。何がボクと同類や」
「まあ確かに僕は瀞霊廷出身なんだけど。いやね、世間の見方とか、捉え方とか、似ているように感じたんだ」
「ボク、そない難しいことよう考えんわ」
「そうか。まだそういうものかな。でもそのうち君といろいろ話してみたいね。君、卒業したら僕の隊に来ないかい。君のような優秀な子は大歓迎だよ」
 藍染の声はあくまで爽やかで柔らかで、それがギンの背中を撫で上げる。言葉だけを捉えれば、決しておかしなことを話しているわけではないのに、響きが、裏に潜む気配が、ギンを緊張させていた。
「ボクはおっさんみたいなうっとしお人の下で働くんはごめんや」
「酷いな。ははは。まあそのうちに勧誘に行くよ」
 藍染の背中が揺れた。
「君を逃したくはないからね」

 血の臭いがした。立ち上る臭い。鉄の、生暖かい、紅い。

「僕はそれなりに人望があるらしくてね、良い部下に恵まれているんだけど、そろそろ感覚的に近い人間を部下にしたかったんだ。僕の考えに共感でき、かつ共に歩める実力のある、部下を」

 液体が滴る音がした。間隔をあけて、ぽたり、ぽたりと。

「以前、少し失敗してね。結果的には優秀な人材を一人、得られたけれど、その代わりに数人死んでしまった。あれは良くなかった。使い方を間違えてしまったね」

 紅い色が目の前に見えた。

「……おっさん、ボクを脅しよるんか」
「ははははは。酷いな。僕はそんな下世話なことはしないよ。脅してなんかいないさ。それに、君を脅す事なんてできない。君は自由で、孤独で、生の喜びも死ぬ恐怖も富の誘惑も何もかも、君を縛るものは何一つない質の人間だろう? そんな人間をどうやって脅す?」
「そうやね。そやさかい、そない話は止めへんか。意味ないわ」
「そういうわけにはいかないさ。優秀な人材は勧誘しておきたいんだよ」
「ボクは、自分がおっさんと同類とは思えへんよ」
「君の本質は僕と同じだ。違うと言うなら、それは君の勘違いだ。そうしたら、その勘違いの原因を取り除くまでだ。人でも、物でも、世界でも」

 かなり昔、まだ乱菊と出会ったばかりの頃に大道芸の老人に言われた言葉をギンは思い出していた。そして、今まさに、作りすぎた血溜まりに捕まって転んだ自分の姿を遠くから見ていた。
 全身があかくあかく染まっていた。

「ほんま、物騒なお人やな、おっさん」
 ギンは静かに訊いた。
「ボクに大事な人がいたら……親でも兄弟でも奥さんでも、そんなんいたら、笑うて斬り殺しそうやね。邪魔やて」
 藍染が優しい口調で答えた。
「その人物が、君の勘違いの原因ならね……まあ、でも斬り殺すなんてことにはならないさ。そんなことはしないよ。僕は平穏な生活を大事にしているよ。でも親兄弟はともかく、奥さんなんているのかい。僕だってまだ独身だがね」
「流魂街出身に親兄弟なんぞいてたまるかい」
 軽い軽い、どうでもいい口調でギンは言い放つ。
「ほんで、このナリで、奥さんおるように見えないやろ」
「はは。見えないな。よかったね、いなくて」
 そっと、羽も震えないだろうというくらい静かに息を吐いて、ギンは乱菊を思った。その姿は遠く遠く、血煙の向こうにあった。

 それで良かった。

「ボクんとってはどちらでも変わらへん。おっさん、ボクを逃すくらいやったら、潰しよるやろ」
「物騒なことを言うね」
「言うとるのはあんたや」
「そんなことはないよ」
「ボクが誰かに、おっさんが悪い考えしてるて言うたらどないするんや」
「ははは、無駄だよ。僕の信用は厚いし、誰かが僕を倒そうとしても、そんなことはできないな。それに何より、僕は何一つ、悪いことなんて話していないだろう。悪いなんてどうして思う? ただ勧誘しているだけだよ」
 ギンは初めて舌打ちをした。
「……しゃあないわ。めんどいこと好かんけど、おっさんの勧誘、考えとくわ」
「なんだ、応じてくれるわけじゃないのか」
「まだキリキリ働くのは嫌や言うたやろ」
「そうだったね。仕方ないな」
「それに、おっさんがボクの本質を勘違いしとるかもしれんよ」
「はは。それもそうだね」
 馬の駆ける音がやけに耳につき始めた。いつのまにか、馬は草原の中にのびる踏み固められた土の道を走っている。藍染の背中から覗くと、高い空の下に町の影が見えた。
「ああそうだ、君、血だらけだけど着替える時間はないと思うよ。遅刻だったら僕がどうにかできるけど、試験全部をすっぽかすとさすがに入学できないだろうから」
「構わんわ、そんなもん」
 ギンは、無表情でそれに答えた。
「血塗れ上等や」





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