G*R menu


絶対的な響きをもって鐘の音は時を告げた 6

 気づくと、そこは薄暗い小屋の中だった。黴くさい臭いが鼻につんとする。乱菊は後ろ手に縛られて、口には猿ぐつわをはめられていた。
 目の前には男が三人いた。抑えられた霊圧を感じ、彼らが、話題になっていたその抜け死神だと乱菊は気づいた。縄を切るために霊圧を放出しようとして、乱菊は、自分の霊力が何か吸い取られているような感覚を覚えた。
 戸惑う乱菊に気づいたのか、男達が振り返った。
「無駄だよ。その縄には殺気石の粉が混ぜ込んである。霊力は全て吸い取られるから、無駄に動くんじゃねえ」
「これを盗み出したから、抜けたのがすぐにばれたんだよなあ」
「仕方ねえだろ。これがあった方が人さらいが楽に出来るんだ」
 男達が下卑た笑みを浮かべる。乱菊は壁際に後ずさりした。その足首に男の一人が目をやる。蛇のような視線に乱菊はぞっとする。
「少し、遊んじゃだめかい?」
「お前、土産物を食ってどうするんだ」
「別にばれやしねえよ。喋れないようにちょっと喉を切っておけばいいじゃん」
「だめだ。そんな時間もねえ。もう少しで二地区なんだ。休んだら、すぐに移動するぞ」
「またあの布きれ巻くのか。チカラ吸い取られて疲れるんだよなあ、あれ」
「仕方ねえだろ。あれのおかげで霊圧で見つからずにいられるんだから」
「……あれを盗み出したから、抜けたのがすぐにばれたんだよなあ」
「だから仕方ねえだろ。一々過ぎたことをうるせえよ」
「ちょっと囓るくらいしちゃだめかねえ」
「しつこいぞ、てめぇ。時間ねえって言ってんだろ」
 怠そうな口調で、男達が話している。乱菊は耳を澄ませた。小屋の外は無音かと思うくらいに静かだ。窓は閉じられていて時間がわからないが、生き物の音もしないことを考えると、もう丑三つ時なのだろう。
 男達は、もうすぐ二地区だと言っていた。乱菊は軽く絶望する。もうギンに会えないかもしれない。必死になって探しているだろうギンに、乱菊は項垂れる。それでも諦めることは嫌だった。乱菊は指を伸ばして、手首を縛る縄の結び目を探す。攣りそうになるのを堪えて、結び目を引っ掻き始めた。
 抜け死神達は、押さえられた低い声でぼそぼそと話している。
「それにしても、捕まらないかねえ、俺ら」
「刑軍から逃げ切れれば大丈夫だ。あの隊長には見つかるかよ。あんな眼鏡野郎。古参の一人かどうか知らねえけど、戦いもせずにへらへら笑っているだけじゃねえか」
「やたら窮屈だしな。女も買えねえ博打もできねえ。それで給金は少ないときたもんだ。やってられっか」
「女はべらかしたいんだ、女。逃げ切れればそれができる」
「お前……はやるなよ」
「もう我慢できねえって。だから囓っていいか?」
「ガキだぞ」
「女は若い方がいいじゃんか。肌が吸い付くようで」
「俺は年増の方が好きだけどな」
「女は肌だって、肌」
「……好きにしろよ。傷はつけるなよ」
 呆れたような声がして、男の一人がこちらに目を向けた。結び目を解くのに必死になっていた乱菊は、その視線に気づいて顔を上げる。男の一人が近づいてきた。その目は、やはり、ぎらぎらとした光を帯びている。乱菊は睨んだ。
「かーわいいなあ。睨んじゃって」
 男が顔を寄せてくる。男の息は獣のような臭いがした。骨張った肉厚の手が、乱菊の右足首を掴み、もう片方の手が左の膝を押さえた。湿っているその手が触れる場所から、沢山の小さな虫が這い回るような感覚が広がって、乱菊は噛まされている猿ぐつわを更に噛みしめてそれに耐えた。何をされてもいい。縄を解かれれば、隙をついて逃げようと乱菊は決めていた。
「すごい綺麗だぞ、このガキの肌。こりゃあ喜ばれるぞ」
「絶対に傷をつけるなよ。痕も残すなよ」
「分かってるよ」
 男の手が膝から内股に滑るように入ってきたとき、乱菊は息を止めた。気持ちが悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。眼を閉じず、結び目を解く指は止めず、ただ歯を食いしばって乱菊は耐えていた。
 男が乱菊に覆い被さるように顔を耳に寄せ、乱菊の耳朶を軽く噛んだ。湿った熱い息が耳にかかって、乱菊の体は強張った。

 何の前触れもなく気配もなく、乱暴な音がして戸が破られた。

 ギンの眼に最初に飛び込んだのは、蹲る男の体の脇から伸びる、細く白い脚だった。次に、驚いて振り返る男の影から、こちらを呆然と見ている、乱れた髪の乱菊の姿が目に入った。着物の裾は太股まで捲り上げられ、猿ぐつわを噛まさ
 れた、
 乱菊

 の

 姿。



 時間が止まったように全てが止まり、捩れた音がした。動かない目の前の光景の中に、雪のような白銀の狐がいた。
 ギンはその狐を知っていたような気がした。
 どないするんや。
 狐はギンに問う。
 こいつら、これまでの男達より強いで。
「どうするもこうするも、乱菊助けて虫を殺すだけや」
 ギンが、乱菊から目を離さずに答えた。狐は頷く。太い尻尾がふくらみ、幾つもに分かれた。風が巻き起こる。
 ほな、俺を呼び。
「名ぁ知らんわ」
 お前もう知っとるはずやぞ。言霊と一緒に、名ぁ呼び。ほれ。



 ずるりと空間が動き出す。ギンが脇差を抜き、構えた。背後に、顔の横に狐の気配が濃く漂った。ギンの薄い唇が開いた。
 呼び起こす言葉を。
「射殺せ」
 俺の名を。
「神鎗!」

 空気が震えた。激しい音が炸裂した。

 気づくと、乱菊の目の前の男が、ギンから伸びた刀に胸を突き抜かれて壁にへばりついていた。男の目は何も映していない。体はかすかに痙攣し、口からだらりとのびた舌から血と唾液が滴っている。そして風を切るような音がして刀が縮むと、支え失った男の体は崩れ落ちた。
 誰も動けない中、ギンが乱菊の横に跳んでくると、手首の縄を斬った。斬るときにギンの霊圧が膨れあがり、縄が耐えきれないかのようにぶつりと勝手に切れた。ギンは縄を斬るとすぐに乱菊を背にして男達に向かい合う。男二人は、状況が飲み込めていないのか呆然とした表情をしてこちらを見ていたが、慌てたように刀を構えた。
「乱菊、逃げ。もうすぐ朝や。このまま試験に行き?」
 振り返ることもせず、前を睨んだままギンが小声で言った。なんとか猿ぐつわを外した乱菊が小さく声を上げる。
「いいから。ボクもすぐ追うさかい、頼むさかい、早う、ここを東に逃げ」
 乱菊はふと昔のことを思い出した。遠くなった過去に、同じようなことがあったように思う。あのときから、あのときから何かが変わってしまったのではなかったか。
 動かない乱菊の気配に、ギンはもう一度、静かに声をかけた。
「試験会場で会えるんやから、頼むわ、乱菊……。ここに戻るな。行きぃな!」
 ギンの左手の霊圧が高まったかと思うと、ギンが左手を壁に叩きつけた。もろい壁が大きな音を立てて崩れ、そこに穴が開く。煙が舞い上がる中、乱菊は一瞬だけそっとギンの左手を手に取り、微かに唇を触れさせて呟くと、すぐに穴から外へ飛び出した。そこは森の中で、まだ暗かった。乱菊は厚い葉の隙間からかすかに覗く星から方角を確認して、東へと駆けだした。
 乱菊の触れた左手にギンはそっと唇を押しつけた。ごめんなさい、という乱菊の細い声が耳に残っている。なぜ謝るのか、ギンには分からない。ただ乱菊が無事でいてくれればそれでよかった。
 乱菊の霊圧が遠ざかる。その行方を確認して、ギンは目の前の男達を見据えた。二人はもう、霊圧を隠そうともせずに刀を構えている。
「潰し合いやな」
 ギンもまた、自分の刀を構えた。
「得意分野や」

 背中の方でギンの霊圧が爆発的に膨れあがるのを感じながら、乱菊はただ走った。試験会場へ行けとギンは言った。乱菊はギンの言葉を繰り返す。試験会場で会えるから、会えるから。ギンは必ずそこへ来るから。
 木々の影に隠れるようにしながら乱菊は走っていたが、やがて獣の走る音が進行方向から近づいてくるのが聞こえた。かなり大きい獣だろうと思われて、乱菊は木の上に飛び移る。
 茂みが揺れた。
 かと思うと、巨大な猪が現れた。その上に人影が見える。
 猪は乱菊の隠れた樹の根元で止まり、やり過ごそうとしていた乱菊は途方に暮れた。どうやって逃げようかと考えていると、突然、猪の背に乗っている人影が乱菊の隠れている方に向かって声をかけた。女性の、けれど低めの掠れた声だった。
「おい、あんた! そこにいるんだろ!」
 その声は言葉を続ける。
「夕方、チビの女の子を助けなかったか、あんた」
「無事だったの、あの子」
 乱菊が思わず問うと、その声は笑った。
「そうだ。姉妹そろってウチに駆け込んできやがったんだが、混乱していてまともに喋れねえもんでさ。やっと説明を聞いてあんたを探しに出たってわけさ。花ちゃんがあんたの匂いを辿ってここまで来たんだが……逃げ出してきたのかい?」
 乱菊は樹から滑り降りた。目の前には、見たこともない大きさの猪と、その背から降りた短い髪を布でまとめ上げた女性が立っていた。
「あんたを攫ったのは噂の抜け死神だろう? もう追っ手がそいつらのもとに着いているはずだ。大丈夫だ。とにかく町へ行こうぜ」
「でも」
「まだ誰か捕まっているのか?」
「捕まっていたのはあたしだけ。ただあたしを逃がして、まだ」
 ギンが。
 言葉に詰まりながら説明をしようとする乱菊を抱え上げると、女は乱菊を猪の上に放り投げた。乱菊は叫び声をあげて猪の背中にしがみつく。
「あんたは助けられたのか。あんたを助けた奴は大丈夫だ。もう追っ手が向かっているって言ったろ。今頃もう、着いている。あんたは戻らない方がいい。女が、ああいった連中に捕まったことはあまり知られない方がいいからな……そんな顔をするな。大丈夫だ。刑軍だけでなく、抜けた奴らの隊長が追っていると聞いている。さっきのでかい霊圧を感知して、もう到着している頃だよ」
 女は乱菊を腕の中に抱え込むようにして猪に跨った。そして乱暴に、けれどやさしい手つきで乱菊の頭を軽くたたいた。乱菊は泣きそうになって、俯いた。
「とりあえず町に行けばいいか? 俺ん家で休むか?」
「あたし……死神の試験会場に行かなきゃ」
「え、マジ? 時間が……花ちゃん!走れ!」
 いきなり猛烈な勢いで猪が走り出し、乱菊は慌てて背中の毛を握りしめた。
「そうか、死神になりてえのか」
「うん、そうすれば食べていけるから」
「はは、そりゃそうか。ただ着物に血がついてるぞ。途中で俺の家に寄ろう。着替えをやるよ。それで会場まで花ちゃんで送ってやる」
 驚いて振り返ろうとした乱菊を、女は猪の背に押しつけた。
「体勢を崩すと落ちるぞ。送ってやるから心配するな。そんなに時間がねえんだよ。口を閉じてろよ。花ちゃん、もっと急いでくれ」
 女の言葉に猪は更に加速した。顔に当たる空気が痛くて、ギンのことが気になって、乱菊は無言でしがみついていた。
 夜が明けようとしていた。
 目の前の空が、朝焼けで、真っ赤に染まっていた。





  G*R menu novel short story consideration
Life is but an empty dream